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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

35周年の節目の話を書いたさっきの記事が、どうやらこのブログの4,900番目の記事だったようだ。

2001年から書いているこの日記も、5,000記事まであと100とせまった。

いまは6月か。最近は1ヶ月に日数以上の記事をアップしている(先月なんて76記事)ので、今年中に5,000に到達するだろうな。

ただただ書き散らせばいいというわけではないのだが、やはりここまで積み上げてきた、という自負がある。

ただ、日記を書き出してから、というわけではなくPCで文章を書くようになってからだが、頭の中で文章を構成する力が確実に弱くなった。いきなり鉛筆や、いや鉛筆ならまだ消せるからいい、ボールペンや万年筆で小説やらエッセーなどを書くとする。推敲はあとからするとしても、頭の中であとあとの構成や展開まで考えて文章を組み立てながら書かないといけない。当たり前の話だが、最近自分が書く時は、とりあえず自分が思いついたことをだーっと書いてしまい、この辺ちょっと日本語がいまいち、だとかこれとこれは入れ替えたほうがいいよね、あ、これは冗長だから削除、ここちょっと言葉足らずだから一言挿入、と書いたそばからコピペしたりして修正しながら次を書いていく、というような、スクラップ・アンド・ビルドみたいな文章の作り方をしている。システム開発でたとえるとアジャイル開発のような(強引にたとえるな)。

こういう文章の書き方に慣れてしまっていると、今度の一次選考での一般論文が少し不安である。「一般論文は問われている内容に対して知識や経験等を踏まえながら、意見を論理的に表現するものです」と書かれている。そういうことには自信がある。PCで書け、と言われたらさぞかし立派な論文に仕立て上げてやろう。しかし「手書きで」と言われたらとたんに自信がない。まず最初にどれだけ「前提」「論理展開」「結論」などの大雑把な組み立てを頭の中で行い、それぞれの中に自分の知識や経験をどう組み込みながら、できるだけ読んでいる人の頭にスタックを掘らせずに文章を書けるか。そう、今かいた「読んでいる人の頭にスタックを掘らせずに」というのが私は読みやすさのポイントだと思っている。

こういう文章の書き方には、それはそれでテクニックがあり、それは昔本多勝一の「理科系の作文技術」という本で鍛えた気がする。これから勝手に自分でテーマを作って、「勝手に小論文」とか書いてみようかな。もちろんシャーペンで。

誰かお題をちょうだい。そして誰か採点して。

ということで、4,901目の記事でした。


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