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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

昨日の夜から辻村深月の「鍵のない夢を見る」を読んでいる。ちょっと歪んだ友情や愛情で悩む女性が描かれている短編小説集。こういう人間関係の微妙な機微を描く小説というのは、自分はちょっと苦手、というかよくわからないことが多い。多分鈍感なんだろう。ミステリーやらSFやらのわかりやすいストーリー展開、次はどうなるんだろうとわくわくしながらページを繰る手が止められない、そういう小説でないと面白いと思えないのかな。淡々と話が続いていき淡々と話が終わる。その「淡々」に退屈してしまうのだろうか。たまには意外な結末で終わることもあって、その時はあっと思ったりはするのだが。この本は直木賞受賞作なのだが、その良さがわからないというのは自分はどこか鈍いのだろうか。いや受賞作といっても世間的な評価というより単なる選考委員の評価である。それだけで一般化してもしかたがないだろう。流行語大賞もたった5人で決めてるのだ(それはちょっと違う)。単なる好みの問題だということにしておこう。

実は先日の朗読の会で「坊っちゃん(抜粋)」の練習をした時に、3年ぶりに顔を出したという若い(と言ってもおそらく30代くらいの)女の子が、「坊っちゃんのおもしろさがわからない」と言った。みんなは「個性的な先生のあだ名を付けるところ」とか「いたずらする生徒とやり合うところ」とか、私は「最後は悪いことをした赤シャツとかに鉄槌を下す勧善懲悪なところとかですかね」などと適当なことを言ったのだが、こればっかりは自分の感性との相性があるから、「これは名作だからおもしろいと思え」などと押し付けることはできない。

そう言えば昔どこかで読んだのだが、「人はそれぞれ好みがあるから、他の人がいいと言っているものをいいと思えなくても一向にかまわないが、世の中の大多数の人がいいと言っているものをいいと思えない時は、少し自分の感性を疑ったほうがいい」とあった。大きなお世話だとも思ったが、疑って出てくる結論は「自分はちょっと変わってる」なのだろうか。

とか思いつつ、でも一応読んでいるのだ。これまで読んだ芥川賞受賞作の「蹴りたい背中」「火花」「スクラップ・アンド・ビルド」なんかはとても面白かったので、私の好みは芥川賞で、直木賞はいまいちなのかもしれない。でも自分は純文学より大衆小説の方が好みのような気がするのだが?まあ賞にはこだわらないことにしよう。名作かどうかは自分が決める。と言いつつ次に予約する本を受賞作からチョイスしていたりするのだが。


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