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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

怖い。

追い詰められた時、

自分が崩壊するのが。

自分の中の秩序が、

自分の中の倫理が、

自分の中のモラルが、

自分の中の正義が、

自分の中の良心が、

自分の中の理性が、

崩壊するのがとてつもなく怖い。

追い詰められた時、

人は変わってしまうのだろうか。

自分は変わってしまうのだろうか。


コメント

  • 名無しの権兵衛 2014年4月27日 15:46

     こんにちは。
     お久しぶりです。
     人は、追いつめられると変わってしまうのかもしれませんね。自分はある人を不幸にしてしまって、その人が変わったのを見た事があります。変わってしまうのは、普通だと思います。
     最近は、暑くも寒くもなく、過ごし易くなりました。自分は鼻水が出ていますが、そろそろ治まるでしょう。無理な時は無理とのんびり構えてみませんか。

  • はまー 2014年4月27日 19:04

    そうですね。
    まだ今は本当に追い詰められているわけではないので、
    のんびりできるでしょう。
    だけど、本文に書いた「追い詰められた時」というのは、
    本当にお金もなくなって、でも食べるものもなくて、
    お腹が空いてどうしようもなくなって極限状態に陥り、自分が自分を見失って、
    万引きをしたりしないか、
    食い逃げをしたりしないか、
    ひったくりをしたりしないか、
    そういうことが心配なのです。
    そんなことになってしまうと、生きている資格はありません。
    そこまでは落ちぶれたくないのに、
    そうなってしまったらどうしよう。
    それがとてつもなく怖い。
    そういうことなのです。

  • 匿名 2014年4月28日 01:23

    本当に苦しい時は、誰かに甘えて良いと思います。
    お友達はたくさんいらっしゃるんですよね。
    助けて、と声をあげるのは、大変勇気が要りますし、プライドとの戦いでもあります。
    でも、もし取り返しのつかないことになったら、友達としては非常に悲しいことだし、救えなかった自分を責めることでしょう。
    アベノミクスとか言ってますが、生活に困っている人はたくさんいます。
    そういう人たちが、遠慮せずに助けを求められる社会になるといいですね。

  • はまー 2014年4月28日 19:28

    友だちに助けを求める、という発想はまるでありませんでした。
    しかし、それも自分の中ではアウトです。
    自分にとって、友だちは聖域です。
    家族には助けを求めても、友だちには頼りたくないのです。もちろん相談に乗ってもらったりする、という頼り方はいいと思っています。しかし、金銭の貸し借りはもちろんのこと、物乞いをするというのは、今の自分にとってはあり得ませんし、そこは超えてはならない一線です。
    本当にプライドをかなぐり捨てて、なりふり構わなくなると、その考えも変わるかもしれませんが、そうなってしまう自分を想像すると、またそれも怖いです。
    私の病気のことを知っている友だちは多いですが、今の窮状を知る人は多くはないでしょう。この日記もアクセス数は少ないので、読んでいる友だちもほんの一握りでしかないと思っています。いきなり不躾なお願いをされても戸惑うでしょうし、それによって友だちとの関係が壊れてしまうのが、なおさら怖いです。

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