← 坂道は転がり登れない 「まだ1年」か「あと1年」か → 自分の中の はまー 2014年4月27日 00:06:03 怖い。 追い詰められた時、 自分が崩壊するのが。 自分の中の秩序が、 自分の中の倫理が、 自分の中のモラルが、 自分の中の正義が、 自分の中の良心が、 自分の中の理性が、 崩壊するのがとてつもなく怖い。 追い詰められた時、 人は変わってしまうのだろうか。 自分は変わってしまうのだろうか。 Tweet 坂道は転がり登れない 「まだ1年」か「あと1年」か コメント 名無しの権兵衛 2014年4月27日 15:46 こんにちは。 お久しぶりです。 人は、追いつめられると変わってしまうのかもしれませんね。自分はある人を不幸にしてしまって、その人が変わったのを見た事があります。変わってしまうのは、普通だと思います。 最近は、暑くも寒くもなく、過ごし易くなりました。自分は鼻水が出ていますが、そろそろ治まるでしょう。無理な時は無理とのんびり構えてみませんか。 返信 はまー 2014年4月27日 19:04 そうですね。 まだ今は本当に追い詰められているわけではないので、 のんびりできるでしょう。 だけど、本文に書いた「追い詰められた時」というのは、 本当にお金もなくなって、でも食べるものもなくて、 お腹が空いてどうしようもなくなって極限状態に陥り、自分が自分を見失って、 万引きをしたりしないか、 食い逃げをしたりしないか、 ひったくりをしたりしないか、 そういうことが心配なのです。 そんなことになってしまうと、生きている資格はありません。 そこまでは落ちぶれたくないのに、 そうなってしまったらどうしよう。 それがとてつもなく怖い。 そういうことなのです。 返信 匿名 2014年4月28日 01:23 本当に苦しい時は、誰かに甘えて良いと思います。 お友達はたくさんいらっしゃるんですよね。 助けて、と声をあげるのは、大変勇気が要りますし、プライドとの戦いでもあります。 でも、もし取り返しのつかないことになったら、友達としては非常に悲しいことだし、救えなかった自分を責めることでしょう。 アベノミクスとか言ってますが、生活に困っている人はたくさんいます。 そういう人たちが、遠慮せずに助けを求められる社会になるといいですね。 返信 はまー 2014年4月28日 19:28 友だちに助けを求める、という発想はまるでありませんでした。 しかし、それも自分の中ではアウトです。 自分にとって、友だちは聖域です。 家族には助けを求めても、友だちには頼りたくないのです。もちろん相談に乗ってもらったりする、という頼り方はいいと思っています。しかし、金銭の貸し借りはもちろんのこと、物乞いをするというのは、今の自分にとってはあり得ませんし、そこは超えてはならない一線です。 本当にプライドをかなぐり捨てて、なりふり構わなくなると、その考えも変わるかもしれませんが、そうなってしまう自分を想像すると、またそれも怖いです。 私の病気のことを知っている友だちは多いですが、今の窮状を知る人は多くはないでしょう。この日記もアクセス数は少ないので、読んでいる友だちもほんの一握りでしかないと思っています。いきなり不躾なお願いをされても戸惑うでしょうし、それによって友だちとの関係が壊れてしまうのが、なおさら怖いです。 返信 コメントする コメントをキャンセルメールアドレスは公開されません *は必須項目ですコメント ※ 名前 メール Δ
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こんにちは。
お久しぶりです。
人は、追いつめられると変わってしまうのかもしれませんね。自分はある人を不幸にしてしまって、その人が変わったのを見た事があります。変わってしまうのは、普通だと思います。
最近は、暑くも寒くもなく、過ごし易くなりました。自分は鼻水が出ていますが、そろそろ治まるでしょう。無理な時は無理とのんびり構えてみませんか。
そうですね。
まだ今は本当に追い詰められているわけではないので、
のんびりできるでしょう。
だけど、本文に書いた「追い詰められた時」というのは、
本当にお金もなくなって、でも食べるものもなくて、
お腹が空いてどうしようもなくなって極限状態に陥り、自分が自分を見失って、
万引きをしたりしないか、
食い逃げをしたりしないか、
ひったくりをしたりしないか、
そういうことが心配なのです。
そんなことになってしまうと、生きている資格はありません。
そこまでは落ちぶれたくないのに、
そうなってしまったらどうしよう。
それがとてつもなく怖い。
そういうことなのです。
本当に苦しい時は、誰かに甘えて良いと思います。
お友達はたくさんいらっしゃるんですよね。
助けて、と声をあげるのは、大変勇気が要りますし、プライドとの戦いでもあります。
でも、もし取り返しのつかないことになったら、友達としては非常に悲しいことだし、救えなかった自分を責めることでしょう。
アベノミクスとか言ってますが、生活に困っている人はたくさんいます。
そういう人たちが、遠慮せずに助けを求められる社会になるといいですね。
友だちに助けを求める、という発想はまるでありませんでした。
しかし、それも自分の中ではアウトです。
自分にとって、友だちは聖域です。
家族には助けを求めても、友だちには頼りたくないのです。もちろん相談に乗ってもらったりする、という頼り方はいいと思っています。しかし、金銭の貸し借りはもちろんのこと、物乞いをするというのは、今の自分にとってはあり得ませんし、そこは超えてはならない一線です。
本当にプライドをかなぐり捨てて、なりふり構わなくなると、その考えも変わるかもしれませんが、そうなってしまう自分を想像すると、またそれも怖いです。
私の病気のことを知っている友だちは多いですが、今の窮状を知る人は多くはないでしょう。この日記もアクセス数は少ないので、読んでいる友だちもほんの一握りでしかないと思っています。いきなり不躾なお願いをされても戸惑うでしょうし、それによって友だちとの関係が壊れてしまうのが、なおさら怖いです。