おニュー(死語?)のダッフルコート。
買ってしまった。
サイズの割にハンガーが小さいので、ちょっとよれっとして見えるが。
サイズはX3。X3とはこの店オリジナルのサイズ表記で、
日本のサイズで言うところの6L~7Lくらいに相当する。でかい。
昨日、気に入ったダッフルコートを買おうかどうか迷って、一晩寝てから考えよう、と書いた。そして今朝、目を覚ますと、
「よし!買いに行こう!」
もう買う気満々だった。午前中の早い時間からいそいそと準備して、買いに出かけた。朝からこんなに元気なんて久しぶりだ。
昨日は長くなるので端折ったが、衝動買いしそうになった時に、冷静になって考えないといけないことがある。
「そもそも、これは本当に必要な物か?」
一枚も冬物の上着を持ってないとなると、これはまず必要なものだろう。
では、自分の場合はどうか。
コートなら2着持っている。しかし1着はフォーマルなコートで、それなりの値段はした。大切に着たいので、普段着には使いたくない。
もう1着は何年もずっと着ているもの。2006年11月18日にダイエー横浜店の「大きな服のコーナー」で購入した。なんでこんな日付がパッと出てくるかと言うと、自分が買ったものは、できるだけ詳細に家計簿で管理しているからである。我が家には3種類の家計簿があるが、それについてはまた後日。
7年も着ていると、ちょっとくたってきているが、まだまだ着れそうである。しかし1着しかないと、ひどく汚れた時などにクリーニングに出したりすると、替えがない。
しかし、もう一つ、ユニクロのダウンジャケットもあるのだ。これもあるので、上着は2着ある。2着あれば十分。よってこのコートは買う必要はない。
いやいやいやいや。それはそうなんだけど、気に入ってしまったのだ。しかし気に入ったから買うというのは、贅沢が許される人間のやることである。我々にはその資格はない。
ここから自分のこじつけが始まる。今はできるだけ節約して大切にお金を使わないといけない。しかし、もしなんとか自分がもう少し回復し、短時間でも働いてギリギリで生活できるようになったり、もうどうしようもなくなって生活保護のお世話になると、本当に何も買えなくなる。
そう考え出すと、節約しなければと言いつつ、
「今のうちに買えるものは買っちゃえ」
という欲求が生まれる。
実際、本当にお金がなくなったときに、たとえば冷蔵庫が壊れたらどうすればいいのだろうか。今や冷蔵庫は食生活のインフラである。そういう何万円もする生活家電は、ギリギリの生活になると、壊れてもすぐには買えない。いや、いくら経っても買えない。じゃあ毎日弁当を買ってきて済ますか。それはありえない。かえって高くついて、生計を立てていけなくなるだろう。
他の生活家電も、壊れたら生活が成り立たなくなる。それ以外にも、PCにしろ携帯にしろ、今の自分の生活には欠かせない。両方とも今やなくてはならないものである。
昔は家電もPCも携帯もなかったから、なくても生活できるだろう、というわけにはいかない。今は「そういうものをみんな持っている」という前提で、社会全体のいろいろな仕組みが作られているのだ。だからこそ「壊れたらどうしよう」というのが怖い。
かと言って、壊れてもいないのに、今から予備の冷蔵庫や洗濯機を買うわけにはいかない。PCや携帯もまた然り。しかし、いずれ壊れるときは来るだろう。その時はその時である。
しかし、コートなら手が届く。5千円くらいなら「予備」として今のうちに確保、ということに自分の中ですり替えてしまっている。本当は予備だとかなんとかでなく、単純に「気に入ったからほしい」なのだが。
不要不急の出費をすると、それだけ本当に困ってしまう時期が早まる。しかし、今のうちに買い置きができるものは買っておきたい。なんだか、アクセルとブレーキを同時に踏んでいるような気がする。