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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

えー、人生には3つの坂がありまして、
1つは上り坂
1つは下り坂
そしてもうひとつは、「まさか」。

いろんなところでいろんな人が口にしてきた、使い古されたネタであるが、自分の人生、その「まさか」の連続だった。

まさか自分が自殺未遂をするとは。
まさか自分がこんなに経済的に困窮するとは。
まさか自分が精神障害者になるとは。
まさか自分が精神病院に入院するとは。

入院したときは、
「精神病院に入院するはめになるなんて、もう自分の人生どん底だ」
と思って、結婚も諦めていたのだが、その病院で妻と知り合って結婚できたので、それは嬉しい「まさか」ではあった。

しかし、遡っていけばまだまだ「まさか」がある。

まさかあんな人使いの荒い会社に入ってしまったとは。
まさか自分が関西を離れることになるとは。
まさか自分が留年することになるとは。
まさかバブルがはじけるとは。

バブルがはじけたのは自分の責任ではないし、それは関係ないだろうと思うかもしれないが、実はそうでもない。

留年したのは自分の責任であり、人使いの荒い会社に入ったことや関西を離れたことは自分の選択であるが、その選択を迫られることになった背景には、バブルがはじけたことも少なからず関係している。

当初、自分は関西を離れるつもりはなかった。しかし、人生の岐路で発生した、それこそショッキングな「まさか」によって、結果的に自分は関西を離れることになった。その後、こんなに多くの「まさか」が続いてきたのだが、そのたびに「なんでやねん・・・」とぼやいてきた。今では自分もまた時代の波に翻弄された一人だと思うことにしている。

今後はまた「まさか生活保護のお世話になることになるとは」という事態になるだろうが、それを想定している時点で、既に「まさか」ではない。

だが悪い「まさか」もあるが、いい「まさか」だってたくさんあるのだ。結婚できたのもそうだし、今の時点では書けないが、大変ありがたい「まさか」の話も少しでているのだ。人生には何があるかわからないから、「まさか」の全くない人生なんてあり得ない。

上に書いた人生の岐路における「まさか」は前代未聞の事態であり、多分友人には誰にも話していないと思うので、家族以外の人は知らないはずである。しかし、その半月ほど前に、「まさか」ではないが、ある出来事があった。それは逆に家族は知らない(と思う)のだが、上述の「まさか」の後のことに関連してくる。本当の事情を知っているのは、妻と義姉くらいであろう。妻にも義姉にも最近話したばかりだが。

さて、今後はどんな「まさか」が待ってることやら。


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