昔通院していた病院で、心理療法士によるカウンセリングを2年くらい受けていた。
そこで開いたパンドラの箱。心理療法士は最初に語った。
これからあなたのパンドラの箱を開けていきます。それは、あなたにとっては苦難かもしれません。しかし、それを乗り越えないと、自分は変わりません。人から指摘されたことは、自分で変えられないのです。あなた自身が自分で気づいたこと、それが重要なのです。そしてそれが自分を変えるきっかけになります。そして、そのパンドラの箱を閉じるのも私の役目です。
私が自分自身で目をつぶっていた、あるいは考えないようにしてきた、そして超自我に支配されて自分自身でも見えなくなっていた、自分の心の奥底の自分の本心。「○○しなければならない」でなく、「○○したい」という自分の欲求。
それらが少しずつ引き出されてきた。
カウンセリングのたびに、私は苦悩した。苦しい修行だった。自分を変えるためのカウンセリングは、決して「癒される」ものではない。自分を変えるには、自分の内面ととことん向き合うプロセスが必要で、心理療法士はその手助けをしているだけである。
しかし、その心理療法士は、自分自身の健康問題でドクターストップがかかり、病院を辞めてしまった。後任のカウンセラーは来なかった。カウンセリングは信頼関係が重要である。今さら他の病院の門戸を開いてカウンセラーを探す気はなかった。
いつの間にか、パンドラの箱は勝手に閉まってしまった。自分は再び自分の心に蓋をした。
ここ最近、貯金ももう底が見えてきているのに、未だに自分の体調が回復せず働けるめどがたたない自分、焦りばかりが先走る自分。明るい未来が見えず、過去のことを振り返って懐かしんでいるだけの自分。そして過去のトラウマに未だに囚われている自分。
そうしてパンドラの箱がまた開いてしまった。
「あの時には、あんなことを考えていたのか」
「あの時にあんなことをしたのは、こういう理由だったのか」
「あの時からずっと悩んでいるのは、こういう自分がいたからなのか」
次から次へと頭の中に浮かんできて、そして消えない。
自分は苦悩するばかり。
前を向くことを拒否し、後ろを向いてばかりで、だからと言って何も変わらない、何も解決しない、ただ苦しむだけの毎日。
パンドラの箱を閉めるのは、自分自身しかない。
鬱はそれを手助けしているのか、はたまた遮っているのか。自分の中に潜むチャーチルの黒い犬が笑っている。