仙谷官房長官が「一寸先はなんとやら」と言っていた。
「なんとやら」ではなく、「やみ」と正確に言った方が短いのに、なぜ誰もがわかりきっているところをぼかすのだろう?
他にも「触らぬ神になんとやら」など時々耳にするような気がする。政治家のレトリックだろうか。いやレトリックというほどのもどでもないし、使っているのは政治家だけではない。
文章でも、「某公共放送が」とか「フ○テレビが」などと、誰が見てもそれが何か特定できるようにぼかしたりするのを見かける。そう言えばネットでよく私も使っているではないか。なんでなのか自分でもよくわからん。
曖昧なものを曖昧にしておくだけでなく、確固たるものまで曖昧にしておくのが最近の日本人なのだろうか。