今日は調子もよかったので予定通り散髪に行った。けっこう伸びたが短くし過ぎるとこの季節は寒い。「あまり短くせずに、全体的にボリュームを抑えるくらいにすいてください」と注文をつけて、後はお任せ状態。散髪中は眼鏡をはずしているため、ド近眼の私は自分の頭がどのように変化しているのか全くわからない。一通り切り終えて「これでいいですか」と聞かれるとき(このときは眼鏡をかける)、めんどうなのでいつも「ああ、こんなもんすね」と適当に答える。今日もそのパターンだったのが、切り終えて家に帰ってくると、どうもあまりすっきりした気がしない。確かに注文どおり、長さはあまり短くならずに全体的にボリュームは減ったのだが、う〜んもうちょっと物足りない。髪の癖が目立たなくなるくらいまで減らしてほしかったのだが、安易に「これでいいです」と言ってしまったのでしかたがない。切り過ぎてしまったのならしかたがないが、切り足りないのであればまだ注文をつけられるはずだった。安易に妥協するのはやめて「NO」とはっきり言える人間になりたいものだ。が、なかなかどうして周りに流されやすいこの性格、いろいろ気をつかってしまってなかなか周囲に強く出ることができない。今日みたいに自分が客の立場であっても、である。
この性格のせいで、仕事でもずいぶん胃の痛い思いをした。SI企業のSEという立場でベンダーにクレームをつけるのが苦痛だったのだ。少しこちらの言い分が強引だったりもするのだが、「客」という立場で少しごねてみる、という人間を演じるのが苦痛だったのだ。もう少し図太くなりたいものだが、こういう性格は実は私の生い立ちと深い関係があることが、今までのカウンセリングを通じてわかってきている。それは私がある種のAC(アダルトチルドレン)であることと関係している。私の性格の「八方美人」「誰に対しても『いい人間』であろうとする無意識」な部分が「やっかいなことを言ってくる客」を演じることに拒否反応を示すのだ。この性格は他にも仕事をする上で他にも重荷にのしかかってきた。「できません」と言うことができないのである。結果、どんどん仕事を引き受けたり、抱えてる仕事があふれそうになっても、やはり「できません」ということができずに、結局は破綻してしまう。そうして積み重なって「鬱」が出てきた。そういう自分を少しでも変えていかないと、この病気は治らない。あとどれくらい時間をかければ、どれくらい変わるというのだろうか。