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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

5:00起床。2:00に目が覚めたが、その後も一回目が覚めたような気もするがよく覚えてない。5:00に目が覚めて、まだ寝られそうだったけど、ちょっと起きてきてホールへ出てきてみた。寒い。朝はかなり冷え込むようになってきた。20分ほどそこにいてから、やっぱりまだ眠いので、病室に戻った。また寝ると起きられなくなるかな、と思ったが、別に起きられなくてもかまわないのでまた寝た。

そして6:00になり、起床時間を知らせる放送が入った。案の定、起きられなかった。だが、まあいいや起きる必要もないし、と思ってそのまま寝ていた。が、ラジオ体操の音が聞こえてきたとき、「あ、ラジオ体操だ。う~ん、これは行こう」かと思ったが体が動かない。「ま、いいか」そのときはあきらめた。その後だ。ラジオ体操の直後に朝の服薬があるのだが、自分は一人遅れて薬をもらいに行って飲んでいる、という夢を見ていた。その後には、「昔、自分が弟にしたひどい仕打ちを思い出し、そのトラウマに苦しんで『自分も弟も今こんなに苦しんでいるのは、自分が弟にあんなことをしてせいだ』と泣いて看護婦に訴える」という夢を見た。不思議だ。その夢に出てきたような「仕打ち」など私はしておらず、そういうトラウマはないはずなのだが。

7:00の朝食を知らせる放送でようやく体が動くようになり、朝飯を食べに行った。朝食後、洗濯物を洗濯機に放り込んで、海の見える丘へオカリナを吹きに行く。昨日、私が8月に出るはずだったアマチュア音楽家による演奏会の第2回の出演者募集のメールが来ていた。5分、10分、15分と枠があるが、10分で出てみようかと思っている。どの曲を吹こうかな。今日は候補曲として考えているのを吹いてみた。一度きちんとタイムを計ってみる方がいいだろう。

病棟へ戻ってくると、まだ洗濯が終わってないので、昨日のT看護婦の件について、日記に書いたのとほぼ同じ内容を紙に書き、投書する。他にも投書している人がいるかもしれない。他の看護婦の、やはり頭ごなしに叱りつけるようなものの言い方に対して直接医者に直訴した患者もいるそうだが、全く改善の余地は見られないそうだ。この投書も無駄かもしれない。だが、やらないよりましだろう。

外出まで時間があるので「道は開ける」を読み進めると、なんと「2週間でうつ病を治す方法」という節があった。こんなのすっかり忘れていた。読んでいくと、書いてあるのは、要は「一日一善」ということで、毎日誰かに親切にすることを考えていれば、精神状態はよくなって病気なんか治ってしまう、ということだそうだが、それでうつ病が簡単に治るのかいな?という疑問はどうしても出てくる。私も、たまに意地悪もするが、基本的には人に親切にしているつもりなのだが、まだまだ足りないということか。あるいはもっと積極的に「どうしたら人に親切にできるか」を考えて、実行するということか。どうもこの本にはそういうニュアンスで書かれてある。まだこの節を最後まで読んでないので何とも言えないが。

外出の時刻になったので、バスに乗り駅前へ出る。店が開くまで時間があるので、駅までの喫茶店に入り、ぼんやりした頭を覚醒させるためにエスプレッソを注文する。で、飲みながらこれを書いている。こういう空き時間を利用してこういうことができるのは、本当に便利なものだ。

買い物を終えて、バスの発車時刻まで時間があるので、今度はハンバーガーショップでこれを書いている。けっこういろいろ買い込んでしまった。買い物はやはりストレス発散の一つなんだろう。「失恋した女性が、衝動買いをしてしまう」というのも、ある満たされない欲求に対して、別の形で欲求を満たすということで精神的なバランスを保っているのかもしれない。今日は買い物していても全く疲れなかった。これくらいのストレスには耐性ができたようだ。

病棟に戻り、買ってきた小箱で床頭台の上を整理する。うん、かなりすっきりした。今まではメモ帳、ボールペン、タバコ、ライター、箸箱、スプーン、スティックシュガーなどが散乱していたのが、二つの小箱にすっきり収まった。それから棚の整理も行い、なんとかうまく衣類を収納できた。よかったよかった、と思いきや、そうだ今日は洗濯物を干してるんだった。それを取り込んだらまた増えるじゃないか。まあ、何とかなるだろう。

「道は開ける」を読み進める。「2週間でうつ病をなおすには」の節を読み終える。結局、目を自分の内側でなく外側、つまり他の人に向け、その人たちに対して親切をすることによって自分が幸福になれる、ということだ。それを積極的に探してやりなさい、そう書いてある。たとえば、会社で仕事をするときも、「自分が食っていくのに必要な金をかせぐため」とか「会社の利益に貢献するため」とか考えるのでなく、「この仕事をすることによって、まわりまわって誰かが幸せになるかもしれない。その人のために自分は喜んで働こう」そういう心構えでいると、精神的な安定感を保てるのかもしれない。これは私の解釈だが。日本の諺で言うと、「情けは人のためならず」ということか。この諺の意味を誤解している人もいるそうだけど。

夕方近く、喫煙所にいると同室のRさんが寄ってきてこう言う。「これから毎日朝と夕方に部屋でお経をとなえていいですか?少しうるさいかもしれませんが」そうだ、Rさんはある宗教の信徒だった。全国的にたくさんの信者がいる、割とまともな宗教だ。だが、それがどれだけ排他的なのかわからない。下手に「ダメです」と言うと、怒りを買ったり、あるいは彼を精神的に落ち込ませたりするかもしれない。とりあえず「いいですよ。でも看護婦さんにも一応断っておいた方がいいと思いますよ」と答える。

夕方の服薬後、リラックス体操をやっていると、Rさんが病室に戻ってきて「じゃ、始めますんで」と言ってお経をとなえ始めた。そんなに大きな声ではないが、狭い病室なので声はよく聞こえる。う~ん、今は体操やってるだけだから気にはならないが、本を読んでいたりすると気になるかも。病室には彼と私の他、誰もいない。そのうち誰かが看護婦を通じて文句を言うかもしれない。とりあえず私は静観していよう。

ところで、今日も腹の具合が悪い。別に何か悪いものを食べたとかではなく、神経性のものというのはわかっているが、腹の具合が悪いならやはり冷やすべきではないだろう。話は少しそれるが、私の両親は怪しげな「健康グッズ」が好きで、「この指輪をはめるとどんな病気も治るらしい」とか「この布は遠赤外線を出していて、これをあてているとその部分の病気が治る」とかなんとか言って次から次へと人に勧めるので、私は閉口している。で、数日前に母親がその「遠赤外線が出る布」なるものを数枚送ってきた。20cm四方くらいの、厚めの白い布である。遠赤外線か何か知らんが、腹巻き代わりにちょうどいいのでパンツに挟んでTシャツの中に入れている。

今日は土曜日にしては外泊が少なく、けっこう人がいる。今日は連絡会もないが、喫煙所に割と人が集まっていたので、買ってきたおはぎを広げた。本当は食べ物を人にあげるのは禁止されているのだが。私の一つ年上の会社員のKさんが風邪をひいて鼻水が止まらないらしく、ティッシュを丸めて両方の鼻の穴につめている。鼻水が止まらないと本当に苦しい。あれは私もやったことがある。以前、会社で一つのティッシュの端と端を丸めて両方の鼻の穴に詰めて仕事をしていたら、えらく笑われた。O嬢が「タンポン詰めてみたら?持ってきてあげようか」とか、私が「綿棒つめてみようよ。何本入るかギネスに挑戦してみよう」とからかっている。「耳栓」ならぬ「鼻栓」が発売されると、果たして売れるだろうか?

病室に戻り、「道は開ける」を読み進める。新しい章「悩みを完全に克服する方法」に入った。いきなり、「悩みに対する最大の良薬は宗教的信仰である」とある。やはり人間は自分に対して謙虚になり、自分であって自分でない何か、つまり一般的に「神」と呼ばれているものに「祈る」という行為が精神的安定をもたらすのであろうか。

なんだか私も熱っぽくなってきた。喉も痛い。どうも風邪の初期症状のようだ。全身冷や汗をかいている。やはり急に寒くなったからであろうか。私は季節の変わり目や急激な温度変化に弱く、すぐに体調を崩してしまう。看護婦に相談すると、もうすぐ回診の医師がくるというので、そのときに風邪薬を処方してもらえるとのことだ。で、ほどなくして風邪薬と、うがい薬の定番「イソジン」が出された。「イソジン」は効果てきめんなのだが、これでうがいするとコップがイソジン臭くなるのが玉にきずだ。まあいいや。今日は早く寝たいので、20:00に眠剤をもらって飲み、洗面した後にうがいをする。明日には調子がよくなっているといいな。


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