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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

昨日は少し寝付きが悪く、30分くらいかかったかもしれない。22:30頃いったん目が覚めたが、その後は3:00に目が覚め、その後15分おきくらいに目が覚めるパターンに入り、眠りも浅くなってきて、いつも通り4:00にホールに出てきた。そんなに頭はぼ~っとしていない。喫煙所には今日は2人しかいない。TさんとMちゃんだ。Mちゃんは元気がない。昨日は18:00から寝ていたそうだ。2人でずっとぼそぼそ話している。私は13通来ているメールに目を通し、アメリカで大変な事件が起こったことに驚いている。5:00くらいになると人数が増えてきた。昨日入院してきた女性もきた。左手に包帯じゃないけどなにか白い布を巻いている。リスカの跡を隠しているのだろうか。日の出はまだだ。だんだん遅くなる。

6:00になった。起床時間になったのでテレビをつけると、さっそくアメリカの飛行機激突事件をやっている。今日一日はずっとこのニュースだろう。21世紀最初の「世界的な大事件」だ。今世紀の行方を示唆するようで、なんだかそら恐ろしい。「大惨事世界大戦」にならなければよいが。

ラジオ体操前にちょこっと日経コンピュータの短い記事を一つ読む。この手の雑誌は次から次へと来るので、全部は読まずにいくつかの記事をピックアップして目を通し、どんどん捨てていこうと思っていたが、その前に「残しておきたい」記事だけは切り取ってスクラップしていくことにした。それにしても、100円ショップで買ったおもちゃみたいな鋏だとどうも切れ味が悪い。明日家にいったん戻る予定なので、ウェンガーナイフを持って来よう。コーヒー用ミルクの小瓶を買ったときも、プラスチックのキャップを外すと、栓がしてあって困った。そのときは看護婦さんから栓抜きを借りたが、ウェンガーナイフが一つあればたいていのことには困らない。もちろん私が持っているのはサウスポー仕様である。しかし精神科病棟としては、持ち込まれるのが嫌な最も危険な道具の一つだろう。

「捨てる」というのは難しい。「捨てる技術」について説明した本も最近よく出ているそうだが本当に難しい。情報が氾濫している今の世の中、自分が必要なものだけをピックアップして、それ以外のものは片っ端から捨てていかないと、オーバーフローしてしまう。その見極めができないため、「捨てる」ことができずに何もかもがどんどん溜まってくる。「捨てる」というのは、本当に勇気がいる作業だ。本当は私がやり始めたスクラップもあとから全然役に立たないかもしれない。だけど、今は「全部捨てる」勇気がないので、まあ精神安定剤みたいな気持ちでスクラップしている。

環境整備で臓器が、もとい雑巾が出てきたので、身の周りの拭き掃除をする。今日は体調もいいし、ちょっと気合いを入れてやってみようかな。そう思ったのがまずかったのか、私の「やめられない止まらない」病が出てきてしまった。ベッドの隅の小さな埃や汚れがえらく気に入って、もとい気になって、「どんな汚れも見逃すまい」という感じで徹底的に拭き始める。

そのとき、ベッドについている、とある装置を発見してしまった。そう、ここのベッドは「パラマウント楽なベッド(手動)」だったのだ。その装置(と言ってもレバーだが)をぐるぐる回すと、おうおう頭の部分がぐい~んと持ち上がる。もう一つのレバーをぐるぐる回すと足のところがぐい~んと持ち上がる。しまった、こんな機能がついてるなんて知らなかった。これからおおいに活用しよう。と思いつつ、ふと持ち上がったベッドの下を見てしまったのが運のつき。「ほこりです。ほこりです。ほこりほこり、ほこりなんです」うお~、埃の大群だ。狂ったように拭き始める。あ~ん、いつまでたっても終わらないよう。まだ埃がある。まだ汚れがある。まだある。まだある。まだまだある。本当に「やめられない止まらない」これがいい面で出ればいいのだが、悪い面で出ると最悪なのだ。うつ病になった原因も、こういう性格が関係しているのかもしれない。

なまじっか学生時代に清掃のバイトを2週間くらいやった経験が活きて、細かいところの汚れの落とし方までわかっているため、普通なら途中であきらめられるところも、あきらめられずに徹底的にやってしまう。学生時代は家庭教師のバイトもやったが、他にも短期や単発でいろいろなバイトをやった。サークルの行きつけになっていたカレー屋でずっとバイトしていたのはいい経験になった。他にも引越とか配送センターでの仕分けなど、いろいろやった。その頃の経験は、少しずつ活かせることだろう。

結局、40分かけて拭き掃除を終えた。いや、終えたというより、「疲れ切ってやめてしまった」という方が正しい。そう、この「疲れ切るまでやってしまう」のがダメなのだ。全くもう。自分でわかっているのに、自分のエネルギーを使い果たすまでとことんやってしまうのだ。その結果がいい方にでることもあるが、もちろん悪い方に出ることも多々ある。

掃除で思い出したが、清水義範のエッセイでこういうのがあった。「筆者が子供の頃、新しい洗剤が発売されたというので買ってきて、それで電球を拭いたらものすごくピカピカになって、みんな喜んだ。でも、筆者はそのときふと、『これはつまり、新しい汚れが発明されたのだ』と思ったそうだ。つまり、電球はだんだん汚れていくが、それまでの洗剤で拭いてもどうしても落ちないものは、汚れというより、そう、年代を経て出てくる渋みみたいなもの、と思っていたのが、新しい洗剤の登場によって、そういうものは全て『汚れ』と認識されるようになってしまった」というものだ。新しいものがどんどん発明、開発される今日この頃、同時に新しい「汚れ」もどんどん生産されているかもしれない。

「日経オープンシステム」の「実践!セキュアなWebプログラミング」という連載記事を読もうとすると、第1回と第2回の分を掲載した号が手元にない。会社の人にメールして、コピーを送ってもらうようにお願いし、とりあえず第3回から読み始める。セキュリティに関しては私もかなり関心を持っていて、秋にも試験を受けるが、「試験勉強」としてやろうとすると、どうしても身構えてしまうので、こういう雑誌の連載記事なんかで、おもしろく読みながら情報収集したり知識を獲得していく方が近道かもしれない。

昼食前に、看護実習生が企画した「ボーリング大会」の説明があった。館内放送から説明まで、全部実習生がやっていた。とても緊張しているようだ。ボーリングと言っても、ボーリング場にいくわけでなく、この病棟のホールで、1.5Lのペットボトルをピンにして、何かのボールにを使ってやるそうだ。何のボールかは知らないが、ピン球でないことだけは確かだろう。残念だが開催日の明日は、私は外出なので参加できない。

「実践!セキュアなWebプログラミング」の記事を2回分読んだ。う~ん、おもしろい。セキュリティ対策をどうプログラムに組み込んだらよいか、丁寧に解説してある。ASPやJAVAのサンプルコードも載っていて、それを追いかけて解析するのも楽しい。他人の書いたプログラムを読んで解析するのが楽しい、という感覚がなければ、この業界の変化の速さに対応し、ついていくのは無理だろう。もうすぐ風呂の順番が回ってくるけど、それまでにもう1回分読めるかな?

ホールへ出ていくと、貿易センタービルに1機目の飛行機が激突した瞬間の映像がテレビで流れていた。テロリストのやり方にもほどがある。いきなり民間人を何百人も巻き添えにして死に至らしめるなんて、何を考えているのだろう。テロリストの根底にあるものはなんなのだろうか。そういう「攻撃的な性格をはらんだ排他的な思想」も、私が嫌悪する「排他的な宗教」と何ら変わりはない。精神的な病気を抱えた人間なんて、ぜんぜんまともだよ。彼らの方がよっぽど狂っている。

入浴後、テレビを見ていると株価も1万円を割っている。おいおい、経済もめちゃくちゃだよ。これから先どうなるんだろう。うちの会社でも安否が確認されていない人がいる。社内も混乱しているに違いない。「世界」という「地域社会」の中で、「一部のテロリスト」という「問題児」を社会全体がどう扱うのだろうか。バスジャックをした少年のように、精神鑑定を受けたり法によって裁かれたり、ということを行うためには、「世界」を包み込むメタレベルの「立法」「行政」「司法」が必要だろう。今は国連がそれを担っているのか。それにしても、こんなに大変なことが起こっているのに、何もできない自分が悔しい。「うつ病なんかで入院している場合じゃない!」そう思ってもどうしようもない。

「実践!セキュアなWebプログラミング」の最終回を読んだ。目から鱗である。こんなセキュリティホールがあるのか、むちゃむちゃやばいではないか。しかもクラックするサンプルコードまでご丁寧についている。この記事を読んですぐに対策を施す企業はいいのだが、そうでない場合はとてもやばい。悪意のある読者がこれを読めば、すぐにクラッカーになれてしまうからだ。こういう記事の危険性を改めて感じる。テレビでもよくスリや泥棒の手口を示してその対策方法を紹介していたりするが、あれも「悪事の手口を公開する」という危険性をはらんでいる点では同じだろう。しかし、スリや泥棒なら被害を受けるのはせいぜい数人から数十人程度だが、インターネットにおいてセキュリティホールをクラッカーに攻撃された場合、その被害者の人数は計り知れない。ところで、新しく発見したベッドの機能を使って座椅子に座っているような体勢でこれらの記事を読んでみたところ、「パラマウント楽(手動)」だったことを申し添えておく。

夕方、リラックス体操を行う。最近は自分で少し改良を加えた。この体操は「体を伸ばしながら、伸びている部分に意識を集中」して、それに慣れると瞑想状態に入るそうなのだが、どうしても私はやりながらいろんなことを考えてしまう癖があり、なかなか意識を集中できない。それで、自律訓練法で「右手が重た~い、右手が重た~い」という自己暗示をかけるのと同様に、たとえば左足が伸びてるときは「左足が伸びてる。左足が伸びてる」と心の中で繰り返すことにした。雑念は完璧には追い払えないが、前よりも意識が伸びている部分に集中できている気がする。続けていくと、効果が現れるかもしれない。

日経バイトの記事をふむふむと読んだあと、連絡会の司会を務める。今のところは標準語で通しているが、はたして最終日の日曜日はどうしようかな。まあ、それは追いといて、昼間は自分の好きな、というか仕事にも関係あるコンピュータ関係の本を読んだので、夜は「心」に関する書物を読もう。例の宗教関係の本を読み進める。まあ、いいことは書いてあるのだが、あいかわらず「神」の存在をことさら強調する理由がわからない。また、何度も何度も同じことを違う言い回しで書いていて、とても冗長に思える。う~ん、これがマインドコントロールの技の一つなのか?

夜、喫煙所でまたACの話。最近この手の話題が多い。中年女性のKさんは自分のことを喋り出すと止まらないが、しゃべることが一つの精神安定剤になっているのだろうし、経験談や自分の主治医に言われたことなど、参考になることもあるので、じっと耳を傾ける。その中の「私は昔から理屈っぽかった。でも、世の中『理屈じゃない』こともたくさんあることがやっとわかってきたの」という言葉に「私も理屈っぽいけど、理屈じゃ割り切れないことは、これは『法則』だと思うようにしてますよ」と私が言うと、「なるほど」と納得してくれた。「『マーフィーの法則』なんかおもしろいですよ」「それ知らない」ということなので、明日家に帰ったときに、「マーフィーの法則」を取ってくることにした。自分でも改めて読み返したい。

20:00になって眠剤を飲む。やっと明日は主治医が病院に来るが、果たして外出予定の私とスケジュールがあうかな?まあ、気長に行こう。


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