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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

寝付きには少し時間がかかったような気がするが、CDを聴き終わるまでには眠りに入ったことは確かだ。3:00、4:30と目が覚め、そこから浅い眠り常態に入って、ずっと夢を見ていたような気がする。5:00にも時計を見た。その後は、廊下を行き来する人の足音で何度も目が覚めた。6:00の放送で目が覚め、「目覚めのヨーガ」を軽くやって起き出す。

メールチェックすると、山岳会のML以外では、Nさん、Hさんからメールが来ている。朝食をはさんでNさんにメールを書いた。その後一服してから音楽堂に行ってオカリナを吹く。天気はいいが風が少しあって冷たい。散歩簿に名前を記入してくるのを忘れた、まあいいかと思いつつ、手が冷たいのと、記入漏れが気になって早々に引き返してきた。

作業棟に行くと、作業療法士が「白い方、直ったから」と言う。私が使っている機種のエアロバイクは2つあるが、1つ壊れていた。それが修理されたというのだ。さっそく試してみた。本当だ、ちゃんと液晶が表示される。体力テストの結果は、負荷は50→75→115とあがっていって、一般トレーニングの負荷値が120Wと、けっこういい数字が出た。

どうもまた新しい人が入ったようだ。二人ともおばさんだ。何で入ってくるのはおばさんばっかなんだ?昼食を食べ終えた頃、MYさんの姿がホールの入り口に見えた。「あ、MYさん」と私が言うと、ちょうど食事が終わってトレーを下げようとしたS君が「あ、ほんとだ」と言って、トレーを下げたついでに彼女と少し話をして戻ってきた。「また入院だって」外来のついでに遊びに来たのかと思ったが、そうかぁまた入院か。まあ、彼女は入退院を繰り返しているというし、また調子が悪くなったのだろう。退院してから1ヶ月もたってないというのに。

昼食後、主治医に呼ばれた。面談は希望していなかったが、前回の面談から少し間が空いたからだろう、医者の方から「調子はどうですか」と聞いてきた。水曜日に少し調子を崩したけど、外出を途中でやめて戻ってきたとき以外はだいたい安定していること、睡眠も安定していることを告げた。睡眠は確かに安定していて、最近は寝付きもよく、夜中2回くらいは目を覚ますが、夜中に物音を誰かたてたらしいが気がつかずに寝ていることがよくある、ということを話した。

入浴後、日経オープンシステムを読み進める。しばらく読んでいるうちに眠たくなってきて、布団をかぶって寝てしまった。うとうとした状態が続いて、16:00の夕薬で起きてきた。

夕食後、日経オープンシステムの11月号を読みすすめ、記事はほとんど読んでしまった。あとは広告特集の記事だけだ。とりあえずそれはおいといて、「閉鎖病棟」の続きを読む。半分弱まで読んだが、まだまだ展開はこれからのようだ。こういう小説は久しぶりに読むのでなんだか新鮮だ。

とかやっているうちに20:00をまわった。就寝準備をしてから「閉鎖病棟」の続きを読もう。明日は久々にヴォーカルアンサンブルの練習だ。

寝付きは少し悪く、CDを聴き終わってもまだ寝付けなかった。いつ寝付いたかは覚えてないが、それからそんなに時間はたってないと思う。1:40、3:40、5:00と3回時計を見た。5:00以降はずっと夢を見ていて起床のアナウンスで起きた。いつもの通り「目覚めのヨーガ」をやってベッドから出る。

洗濯をしようとして洗濯物と洗剤を持っていったところ、100円玉を忘れたことに気づき、ロッカーへ取りに行く。戻ってくるとIさんが立っていて、ちょっとかち合ってしまったようだ。そこに洗濯物を置いたまま100円玉を取りに行っていたことを話すと、先に譲ってくれた。

朝食後、タバコを吸っているとIさんが「さっきはすみません。怒ってるわけでなくて、私が昨日から不機嫌なんです」そう言う。昨日からIさんが調子が悪いことはわかっているし、ぶっきらぼうな態度も悪意がないことはわかっている。「気にしないでください。昨日は調子が悪そうでしたけど、今はどうですか?」そういう会話をする。

洗濯が終わって取り出すとき、Iさんが洗面室にいて、また「さっきはすみません。今日不機嫌なんで」と言う。「ぜんぜん気にしてないから、Iさんも気にしないでください」そう答える。彼もまた繊細な心の持ち主だ。自分のぶっきらぼうな態度で人が不機嫌になったかもしれないと過剰に心配しているようだ。

その後、オカリナを持って音楽堂へ。コンサートのレパを中心にいろいろ吹いた。そろそろ寒さで指がこごえて動きにくくなってきた。指先だけあいている手袋を買おうかな、そう思った。吹いている途中で、S君とMさんとKSさんが音楽堂に来た。散歩の途中らしい。KSさんの話では、そこで去年劇をやったそうだ。アルコール病棟ではいろんなプログラムがあるそうだ。「おじゃましました」数分して彼らは散歩の続きに行き、私は続きを吹く。もう少しいろいろ吹こうかな、と思ったが寒いので帰ってきた。今からこれだと、真冬になるととてもオカリナを吹くどころではないかもしれない。演奏会は1月だと言うのに。防寒対策を考えねば。

今日の体育館レクは卓球をやるかと思いきや、N看護士が「卓球だとみんなで楽しめないから」と言ってドッヂボールとバレーボールをやった。途中から参加したSさんはボールを追いかけて転がっていた。ナイスファイトだが、怪我をしないように気をつけてほしい。後から聞いたら「ちょっと躁が入ってたかも」だそうだ。N看護士やT看護婦は元気がいい。うん、看護婦は明るい性格じゃないと。

レクの後、すぐ昼の服薬だったが、売店で買ってきたペットボトルを冷蔵庫に入れようとしたら、冷蔵庫はいっぱいだった。連絡会がなくなってから毎週木曜日にやっていた冷蔵庫の整理をぜんぜんやっていない。ナース室へ行って「冷蔵庫の整理をやった方がいいと思うんですけど」と言うと、「あ、わかった。引き継いでおくね」と言ってくれたから、夜にでもやるかと思いきや、直後に「今から冷蔵庫の整理をやります」と放送がかかった。すぐにやるようだ。言い出しっぺなので私も手伝う。T看護婦を中心に、私とS看護婦で中身を整理していく。かなり整理された。一ヶ月くらい前に退院したO嬢のものまで出てきた。Tさんは一人でたくさんものを入れていて、T看護婦から「もっと減らして」と言われていた。T看護婦はせっせと冷蔵庫の中の棚をふきんで拭いていく。この辺はお仕事というより性格が出るようだ。

10月分の入院費の請求書が来た。先月よりも1万円くらい高いが、診断書を書いてもらったのと、カウンセリングを始めたせいだろう。カウンセリングは、きちんと聞いたわけではないが、明細を見る限りではこの病院では保険が効くようだ。高額医療費の給付金も出るので、あまりお金の心配はする必要はないが、保険が効くというのはやはりありがたい。

ホールで雑誌を読んでいると、N看護士がやってきて「卓球の練習しようか」と言うので相手をする。と言うか相手になってもらった。やはりNさんは強い。自分はドライブがかなりの確率で失敗する。フォームも崩れていて、何か中途半端だ。手打ちになっている。サーブミスも多い。「本番は練習で確実にできるサーブだけ出そう」Nさんはそうアドバイスをくれた。そうだ、11点1セットマッチでは、サーブミスは致命的だ。

13:00から13:30くらいまで卓球をした後、今度はソフトボールをしようと言う。昼食時にN看護士がみんなにそう言っていた。いつもの作業棟の前の広場は他が使っていたので、この病棟からは一番反対側の遠いグランドでやることになった。グランドに入るのははじめてだ。この病棟のプログラムではグランドを使うことはなかったから。最初は人数はあまり多くなかったが、作業棟で麻雀をやっていた連中が途中から合流して、結構な人数になった。私は15:00のシャワーのために途中で抜けた。

16:00過ぎからリラックス体操の後、自律訓練法をやっている最中に夕食のアナウンスがあった。もうそんなに時間が経ったのか、と思いつつ一通り最後までやって、少し遅れて食事に行く。が、まだ16:50だ。えらく早いじゃないか。

夕食後は日経オープンシステムを読み、特集の「システムのコスト」のPart1を読み終えたところでホールに出ていく。また卓球をやってる。今日はいっぱい運動したので、卓球には参加せずに夜はゆっくり本を読もうと思っていたが、見てるとやっぱりやりたくなってきて、またマイラケットを持ってきてしまった。I看護士を相手にするが、バックからのサーブがどうも見切れずに負けてしまった。やはりドライブも中途半端だ。途中でクイズミリオネアが始まったのでそれを見る。先週に引き続き、今週も1千万に挑戦するところまで行った人がいたが、最後も問題は結局不正解で賞金は100万円だった。あそこで挑戦するのもドロップアウトするのも、どちらも勇気がいることだろう。

それを見終わったら20:00だ。病室に引き上げてきた。今日はいっぱい運動したなあ。明日も午前中はエアロバイクを漕ぐぞ。午後はゆっくり本を読もう。日経コンピュータも最新号が来たことだし。

昨晩は珍しく就寝時間を過ぎても喫煙所で話し込んでしまった。寝る前に、今日退院するYさんに「いろいろお世話になりました」と言うと、「あなたにとっておきの薬を授けましょう」と言うので話を聞くと「病気を治すもの、それは愛です」と仰る。奇しくも私がその直前まで読んでいた「精神病棟の二十年」の著者と同じことを言う。「愛して、恋して、そうすれば病気は治る」そうだ。私は愛に飢えているのかもしれない。友達は多いが、学生時代以来彼女はいない。Kさんがやってきて、Yさんの会話を聞いて「そうです」とうなずいていた。いろいろ私について、私がどう見えるか、そういうことを話してくれた。Yさんは「はまーさんはオールマイティーだから、もっと自分の弱さを見せなきゃだめ。そういう母性本能をくすぐるところがなければだめだよ」Kさんは「はまーさんはACでぽっかり穴の空いた状態だから、その穴を埋めてくれる人がいいよ」と言う。私はいろんな趣味をやっていて、自分が奥さんになるとしたら、多分ついていけないだろう、と言った。Yさんは「相手に合わせて自分のレベルをもっと落とさなきゃだめだよ」と言う。相手にできるだけあわせているつもりなのだがなぁ。Kさんは私が「心を閉ざしている」と言う。なぜそう見えるんだろうか。

寝たのは21:20頃。少し寝付くのには時間がかかったが、多分22:00の巡回までには眠りに入ったような気がする。その後、一度目が覚めたら23:30。1サイクルで目が覚めたようだ。その後はずっと寝ていて、目覚めて時計を見るともう5:00。もう一眠りしていると起床のアナウンス。「目覚めのヨーガ」をやって布団から出る。寒い寒い。だんだん布団から出るのがつらくなる。

今は16:00過ぎ。今まで日記を書けなかった。朝食後、退院するYさん、それからKさんと夕べの話の続きをした。途中でYさんは抜けて、Kさんと8:45前まで1時間以上喋っていた。今日は外出なので、あわててシーツ交換を済まし、外出の用意をして外出届を受け取り、外へ出る。バスに乗り、電車に乗って家路につく途中、どうにも不安定になってきた。YさんやKさんに言われたことがぐるぐる頭の中を駆けめぐって、少し落ち込んできたのだ。それで、この状態で部屋へ戻っても掃除なんかできやしないし、下手したら戻って来れなくなる。そう思って途中駅で引き返し、買い物もせずに病棟に戻ってきた。

私が予定より早く戻ってきたのと、暗い表情をしていたのだろう、N看護士が「何かあったの?」と聞くので「はい、少し」と答える。「話、聞こうか?」と言ってくれたので、やや迷ったが「じゃあ、少しだけお願いします」と言って診察室へ入り、事情を説明した。あまり細かくは触れなかったが、核心部分だけは伝えておいた。N看護士は「うん、話はわかった。なんにもできないけど」と言ったが、こういうときは胸の内を聞いてもらえるだけでも救われる。

電車に乗って不安定になってきたときに手帳に書いたメモを元に、言われたことと感じたことをここで書く。


私の話は難しいらしい。もっと相手のレベルにあわせて喋った方がよいと言うことだ。確かに私は趣味の話などが他の人から見るとマニアックに思えるかもしれないが、それでも今までずっと相手にあわせて喋っていたつもりだった。それでもそんなことを言われるというのは、私は相手のレベルというものがわかっていないのか。いったいどうしゃべればいいのだろうか。Yさんは「ディズニーランドのレベルまで落としなさい」と言う。ディズニーランドに行ったことがあるか、と聞かれて、一回だけある、と答えると、どう感じた、と聞かれたので「テーマパークとして非常によくできていると思った」と答えると、その分析的な考え方がいけないと言う。いや、いけないとは言わなかったが、それじゃ一緒にいる相手は疲れるそうだ。しかし、いきなりそこまで落とせと言われても自分には無理な話だ。自分を否定された感じがする。全否定でなく部分否定だが、自分の生き方、ものの考え方の根幹に関わる部分を否定された感が否めない。

今までみんな私の話を嫌々聞いていたのだろうか。聞いているふりをして聞き流していたのだろうか。私の存在はいったいなんなのだろう。「またごたく並べる奴が来た」そう思われていたのだろうか。みんなに不快感を与え続けていたのだとすると、それはとても心苦しい。今後、私はみんなとどうやって接していけばいいのだろう。彼らは私に「癒し系」になれ、と言うが、今まで私をよく知っている人は私を「癒し系」だと言ってくれた。何人もだ。学生時代の合唱団のHは「はまーがいるだけでなごむんだよなぁ」と言ってくれたし、中学の教師をしていた昔の合唱団のKさんは「特殊な存在感」と言ってくれた。座の中心にいるわけではないが、その場に必要な人、いてくれるとなんだか場がなごむ、みんながほっとする、そういう存在だと評してくれた。あの頃と今では私は変わってしまったのだろうか。それともここの病棟では私は「孤高の人」なのだろうか。相手との距離を測ることができないのだろうか。今まで測ってきたつもりなのに。

私にあう女性とは、私のいろんな趣味を完全に理解してついてきてくれる人か、それとも全てを許容して家で待っていてくれる人か、そのどちらかとKさんは言う。そして、女の子と喋るときは、そういうマニアックな話でなくて、「普通の話」をしなさいと言う。だが、私はいわゆる「普通の話」ができない。中学生の時にテレビの娯楽番組に嫌気がさして見なくなった私の生き方では、通常の人が興味を持っていることや知っているような「大衆的娯楽」に関する知識はない。人に話題をあわせるためだけに、自分の興味のないテレビを見るなんてまっぴらごめんだ。そこは自分の生き方の根幹に関わる。

Kさんも、直接私にそういう話をしないでほしかった。カウンセリングなどを通じて自分で気づいていくべきだったのかもしれないが、そういう自分の生き方の根幹に関する部分についてぐさりとダイレクトに「そうしないでこうしなさい」と言われると、非常につらい。もし自分が迷惑しているのであれば、他の困った患者の扱いと同様、私に直接言うのでなく、看護婦に言うとか、あるいは「この人はこういう人なんだ」でずっと流しておいてほしかった。この分では部屋に戻っても、まだまだ散らかった部屋に戻っても、掃除なんかできやしない。布団に潜り込んで寝たい。自己否定。どうすればいいかわからない困惑した心。迷走する精神状態。突発的なやり場のない怒り。切ないほどに憂いている魂。こみ上げる悲しみ。無性に悲しい。私はこれからどうやって人と接していけばいいのか。

ここの病院の人は私と住む世界が違うようだ。いや、私の方が違う世界に住んでいるようだ。大衆に迎合するということか。自分のレベルを落とすということは簡単なようで難しい。何も話せなくなる。

虚しい。何かが虚しい。自分の話に人がついていけなくなっているのに気がつかずに今まで自分が喋っていたことに対する虚しさなのか。伝えたいことが伝わっていなかった虚しさなのか、知らないうちに人に不快感を与えていたという罪の意識か、自分がしゃべっているときに、途中から自分は無視されていたのかという悲しさなのか、自分と同じレベルで話せる相手がいないという寂しさなのか。私にダイレクトにつきささる言葉を投げたKさんへの怒りなのか。もう自分のことは放っておいてほしい。言いたいことがあるなら直接言わないで看護婦を通してほしい。こみあげてくる、何か大きなマイナスの感情。やるせなさ。

私は心を閉ざしている、とKさんは言う。そうかもしれない。自分の本当の心を開放したらとんでもないことになる。本当は自分はプライドの塊だ。そとづらは「謙虚な人」を演じているつもりだが、一流大学卒であることや一流企業の社員であることを、心の中では誇りに思っている。本当は。

今までの自分の人生はいったい何だったのだろうか。これからもこうやって生きていく意味があるのだろうか。自分をだまし、人に無理矢理あわせ、だらだらと非生産性的に生きることが是というのか。今までの自分は何をどうやってきたのか。頭が混乱してきた。


昼食は食べることができたが、その前後、14:30くらいまではずっと寝ていた。少し外に出たい、オカリナを吹きたい。そう思って外に出た。今日は海が見える、この小さな山のピークで、ベンチのあるところで30分くらい吹いた。吹いているうちに気が晴れてきた。いろんな曲を吹いた後、コンサートで吹く曲を練習しているうちに、どうしても「竹田の子守歌」の即興の部分がしっくり行かないので、結局2コーラスで普通に終わらすことにし、代わりにロシア民謡の「ともしび」を入れることにした。通して時間を計ってみたりもした。

山から下りてくると、N看護士とうちの病棟の連中がソフトボールをやっているのでそのまま加わる。体を動かして、ますますすっきりした。病棟に戻ってきたときにはすっかり元気になっていた。元気になった私を見てSさんが「はまーさんは判断力があるなあ。引き返してきて正解だよ」そう言ってくれた。

夕食後、以前に買っておいた文庫本の小説「閉鎖病棟」を読み始める。これは精神科医であり作家でもある人が書いた小説で、先日読んだ「精神病棟の二十年」とは違ってフィクションである。最初に、病院に入院している何人かの患者の入院前のエピソードが独立した章立てで書いてあり、その後、舞台は病院での生活の記述に入る。まだ何も起こっていなくて平穏なところだが、精神科病棟の内部を告発したノンフィクションとは違ってフィクションの小説である以上、これから何らかの展開があるのだろう。

コーヒーをいれ、一服しにいく。卓球をやっているのを眺めていると、「やらない?」と誘われたのでマイラケットを持ってきて参戦する。だが、S君と勝負してもいまいち集中力に欠ける。精神的に不安定になった後遺症がまだ残っているようだった。その後、T看護婦を相手にするが、結構上手だ。20:00近くになって、T看護婦は「薬、薬」と言いながら仕事に戻って行ったので、Kさんが出てきて3回試合をした。

20:00に卓球をおしまいにして、普通なら病室に戻るところだが、テレビでハモネプをやっていたので20:20頃までそれを見ていた。今日は中部大会のスペシャルのようだが、かなりうまい。始めて3ヶ月という高校生のグループも結構うまかった。前回優勝したというグループもかなりうまかった。私もオンマイクの活動をやってみたいな、と思った。

さて、今日はいろいろありましたが、なんとか乗り切りました。明日もいい日でありますように。

昨日は布団をもう一枚もらったおかげでいつもより暖かかった。ただ、吸い込む空気が冷たいのはしかたがない。少し咳が出た。寝付きはよかったが、夜中中ぐっすり、というわけにはいかなかった。夢をたくさん見たような気がする。眠りは浅かったのだろうか。最初に目が覚めたのは1:40。そのとき、すぐにはまた眠りに入れなかった記憶がある。次にうつらうつらした状態から目が覚めて時計を見たら4:00。それからずっと浅い眠りが持続して、その間ずっと夢を見ていたような気がする。また時計を見たら5:30。その後もうつらうつらの状態が続き、また時計を見たら6:00。その瞬間、起床のアナウンスが入った。布団の中で「目覚めのヨーガ」を行い、伸びをして起きだし、洗面所に行く。

メールチェックする。14件来ているが、MLばかりで今日は個人メールはない。

Sさんが「夜中がたがたやってすみません」と言う。「ぜんぜん気がつかなかったですけど」と言うと「眠れなくて、2:30頃追加眠剤をもらいにいくのに少し音を立ててしまった」そうだ。本当に全く気がつかなかった。どうやら自分は割とぐっすり寝ているようだ。

朝食後、しばらくKさんと喫煙所で話をした。カウンセリングの話や、ここのケースワーカーの話をした。この病院には2人ケースワーカーがいて、男性と女性1人ずつだが、その女性の方、F先生の話だった。F先生は私が入院する前に紹介状を持ってこの病院きたとき、ドクターと面接する前にかなり時間を割いて話をした人だ。かなり「びしっ」とものを言う人だが、患者のことをよく考えてくれるいい人だそうだ。

8:10頃からオカリナを吹きに散歩に行く。今日は晴れていい天気だ。空気が冷たいかな、と思ったけど、日が照って割と暖かかった。風もなかったせいだろう。コンサートで吹く予定の曲を流した後、いろいろと適当に30分ほど吹いて戻ってきた。

いつもなら火曜日なので作業棟に行くのだが、ホワイトボードの「本日の予定」欄を見ると、午前中は「レク活動(卓球)」と書いてある。来週の卓球大会に向けて、また病棟内で卓球をするのだろう。練習とメンバー選出を兼ねているのだと思う。一応出られるのは5人だが、当日調子が悪くなる人もいるかもしれないので、8人くらい候補をあげるつもりだとか、誰かから以前に聞いた。N看護士とI看護士の両看護士が2人とも出てくれるはずだと思っていたら、実行委員会でクレームがついたらしい。2人ともこの病院の職員の卓球部だが、その卓球部員が審判をすることになっているそうだ。患者の大会に職員が2人とも出てるんじゃねーよ、どっちか審判しろ、ということだが、ごもっともだ。出るとするとN看護士だろう。I看護士には勝てるけど、N看護士には未だに一度も勝ったことがない。

病棟卓球大会は8人出た。看護士のN看護士と、あと一人足りないので強引にI看護婦に出てもらった。結果はSさんが優勝した。11本1セットマッチで、決勝では私とSさんの勝負だったのだが、1-2で負けてしまった。Sさんは看護士のI看護士から貸してもらったラケットを使うと、サーブがめちゃくちゃ切れて、なかなか返せなかったのと、球を上げてしまったら確実に強烈なスマッシュを決めてくる。以前よりかなり手強くなっている。来週の卓球大会はうちの優勝はもらったも同然かな。去年も優勝しているので、「2連覇を目指そう」とみんな言っている。

それはそうと、まだ内科医に呼ばれない。昨日の肺機能の検査結果を聞くために面談をお願いしておいたのだが、今日は10人以上も内科医の面談希望がいるので、だいぶ待たされてる。それから、心エコーは「今日の午後」としか看護婦は知らされていないそうだ。午後はずっと病棟内にいなければならない。

11:00をずっとまわってから、やっと内科の順番がまわってきた。昨日の肺機能検査の結果は正常だった。年齢などのデータから比べると肺活量は若干少なくてちょいとショックだったが、最大換気量やその他のデータは平均値より上回っていた。けっきょくアレルギーが原因でしょう、と医者は言うのだが、「冷たい空気を吸い込むと喘息が出るんですけど、冷たい空気自体がアレルゲンとなるんですか?」と尋ねると、「普通は夏に出るんですけどねぇ。精神的にアレルギーを気にすると、それがかえって原因になったりするんです」とよくわからない答えだ。「もっといろいろな検査や、呼吸器専門の病院で一晩寝た状態の検査もできますけど」と、ここではもうお手上げのような感じだ。もうこれ以上ここの医者に話してもしかがたない。「最近も自覚症状はないけど隣のベッドの人が『ひゅーひゅー言ってたよ』と言うので喘息は出てるんですけど、ひどくても我慢できる程度なので、気にしないことにします」と言って面談を終わりにする。

以前買っておいた文庫本「精神病棟の二十年」を読み始めた。分裂病で精神病院に20年入院していた人が書いた本で、裏表紙の解説によると「精神医療の内情を静かに告発した超ロングセラー」と書いてある。少しだけ読んだところで、筆者はまだ入院には至ってなく、分裂症の症状が出始めてまわりとトラブルを起こした記述を読んでいるところだ。

13:00頃に看護婦から連絡があり、心エコーに行ってくださいと言われたので検査に行く。上半身裸でベッドに横になった状態で、足や胸に電極をあて、位置を変えながら機械を操作している。「ピ、ピ」と音がするかと思うと「どくんどくん」と心臓の音が聞こえたりする。心音そのものなのか、超音波の波形を音に変換したものかはわからない。途中で医師が交代し、合計45分くらいやっただろうか。結果は異常なし、ということだそうだ。やっている間の心拍数は70くらいだったそうだが、う~ん、エアロバイクのときはなぜ最初から100を超えているんだ~?「動悸がするんですよね」と医者に言われたので「いや、自覚症状はないんですけど、計ると脈が速いんです」と答えると「動悸がするんですよね」とまた繰り返して言う。別に胸がどきどきするとかいうことはなく「自覚症状がない」と言っているのに「動悸がするんですよね」と言うのはどういうことなんだ?「動悸」の定義がよーわからん。自分の感覚としては、むしろ「動悸がしない」に近いのだが。エアロバイクを漕いでいて、心拍数が150を超えてもぜんぜん胸がどきどきしないし。

終わって帰ってきたら14:00だった。ちょうど懇談会とバッティングしてしまったので出られなかった。「議題は何だった?」と聞いてみたが、たいした話はなかったらしい。インフルエンザの予防接種の話とか、それくらいだと言う。退院する患者の挨拶は前日の夕食のときにやる、ということは正式に決まったそうだ。それはそうと、同室のYさんが明日退院するらしい。ぜんぜん聞いてなかった。Uさんも11/28に退院することが決まったそうだ。どんどん抜けていくなぁ。いつの間にか自分が古株になりつつある。

15:00まで「精神病棟の二十年」を読み続ける。作家を志した人が書いただけあって読みやすく、さくさく読んでいく。かなりおもしろい。15:00になったのでシャワーを浴びさせてもらいにナース室へ行き、浴室の鍵を開けてもらうようにお願いしたところ、今日コインランドリーの業者が来たらしく、以前乾燥機に取られた100円を返してもらった。思わぬ臨時収入だ。家計簿ソフトにはなんと記入しようかなあ。

16:00からリラックス体操をやって最後の自律訓練法をやっている間に、外出していたYさんが帰ってきた。同室のみんなが「退院おめでとうございます」と言うので、私も自己催眠状態に入りつつもぼそっと「おめでとうございます」と言う。退院は急に決まったらしい。N看護士といろいろもめたりしたのも退院することになった原因の一つらしい。ここの病院の看護婦の患者への接し方について、またまたみんな文句を垂れる状態になった。確かに、ここの看護婦には患者を「患者扱い」どころか「人間扱い」しない人もいる。何を考えているんだろうか。患者がこんな寒い思いをしているのに、ナース室には暖房が入って自分たちはぬくぬくとしている。

夕食の時にYさんが退院の挨拶をした。立派な大人の挨拶だった。あんなに不快な思いをさせられたにも関わらず、ここでの生活を「快適な生活」と言ってのけた。あれくらい言えるだけの度量が自分にはあるだろうか。自分が退院の挨拶をするのは何ヶ月後だろう。

「精神病棟の二十年」を一気に読んでしまった。最初に出版されたのが20年ほど前なので、今からさかのぼること40年前から20年前の精神病棟の体験記だが、昔は今よりももっとすさまじかったことがわかる。もうほとんど刑務所に近い。東大医学部の助教授によって書かれた文庫版の解説は、今年の8月に書かれたものなので非常に参考になる。解説によると、この本が最初に出版されてからの20年で、社会復帰施設については、デイケア、作業所、グループ・ホームなどが充実してきて格段に進歩しているし、薬についても研究が進んで、より効果的で副作用のないものが開発されていることがわかる。が、その解説で、「依然として変化のないものは、医療関係者も含めた多くの人の無理解」と述べている。また、現在においても精神医療自体が医療全体の中で非常に軽んじられており、保険点数は低いし、医師の定員も他の診療科に比べ三分の一の人員しか必要ないと規定されているそうなのだ。法律からしてそうなのだ。精神障害への社会全体の理解の欠如は、そうした司法、立法、行政に及んでいる。なんとかならないものだろうか。

20:00になったので卓球はおしまい。病室に引き上げてきた。これから就寝準備をしよう。

ぐっすり寝た。寝付きもよかった。起床の放送で目が覚めて、「目覚めのヨーガ」を布団の中でやったら割とすっきり起きることができた。夜中は1回だけ目が覚めたが、確か3:00過ぎだったと思う。睡眠は充実してきているようだ。メールチェックすると私のオカリナのファンだったHさんからもメールが来ている。偶然近くで「自分でオカリナを作るイベント」があったので参加してきたという。自分でオカリナを作れるなんてうらやましい。私のは職人の手作りだが、自分でも作ってみたい。

Hさんに返事を書き、朝食を摂る。朝食後にコーヒーをいれて飲み、しばし喫煙所で雑談。天気予報を見ると今日も雨が降りそうだ。外はうっすらと薄暗い。厚い雲がかかっている。

8:00頃に病室に戻ると、いつの間にか雨が降っている。またオカリナを吹くのは無理かなあ。今日も寒そうだが、また作業棟の裏にでも行って来ようかな。

結局8:45頃まで音楽を聴きながら横になり、その後ジャージに着替えて畳のところでストレッチをして9:00頃作業棟に行く。トレーニングの前に作業棟の中でオカリナを吹かせてもらった。ただたけの「雨」一曲だけにしておいた。基礎データを計ると、体重が63.8kg、体脂肪率が18.8%。だいぶ減ってきた。体重が63kg代が最初から出るようになったし、体脂肪率もコンスタントに20%をきるようになってきた。

体力テストをすると、50Wで心拍数が110台だったのに、2段階目で55Wにあがったら、なぜか心拍数が逆に下がってきて110をきっていった。ありゃ、どんな結果が出るのかなと思ったら7分で打ち切られ、「6段階中の2。やや劣る」が出た。う~ん、機械も混乱しているのか。

10分のインターバルの間に、ピアノが空いていたので「エリーゼのために」を弾いてみる。寒くて少し指がかじかんでいるので、いつもよりまして指が動かない。もっと練習が必要だなぁ。Fさんが近くに寄ってきて「はまーさんて何でもできるんですね」と感心してくれた。

病棟に戻ってくると、明日心エコーの検査があると言われた。何時からかはわからないらしい。さらに、今日の13:30から肺機能の検査があるという。外出の予定を入れていたかもしれないし、事前に教えておいてほしいものだが、看護婦も今朝連絡が来たから、と言っていた。私が早めに作業棟へ行ってしまったので伝えられなかったそうだ。

Yさんが生命保険の契約について詳しいことを知らないか聞いてくるので、自分の約款を取り出して調べてみるが、よくわからない。なんでこんなにわかりにくい文章で書いてあるんだろう。Yさんとは入っている生保は違うが、「どの生保も同じだよ」と言うので調べてみようとしたのだが、結局約款を本人に貸して自分で調べてもらうことにした。

もうすぐ昼食なのでホールに出ていくと、前に隣のベッドだったHさんが来ている。今日はE氏が退院だというので来たそうだ。Hさんも調子が悪いらしい。それにしても、E氏が今日退院ということは、昨日の夕食時まで知らなかった。挨拶もなかった。やはりまだ退院の挨拶は懇談会のときに「まとめて」ということに記録上なっているのだろう。明日の懇談会で「記録の内容について患者が確認できるようにすること」を要求してみようか。いい人ばかり抜けていくなあ。入ってくるのはおばあさんばかりだ。

昼食後、喫煙所でみんなで喋っていると、アルコール病棟から移ってきたQさんが外出から戻ってきた。少し様子がおかしい。ものすごく不機嫌そうで、かけていた眼鏡を乱暴にテーブルの上に放り出す。みんなびくっとする。「外、寒いですよね」S君がそう言うと、首に巻いていたマフラーをS君に投げつけるようにして「やるよ、シルクだぜ」明らかに不機嫌だ。そのときKさんが言った。「誰に八つ当たりしてるんだよ。ここはアルコール病棟じゃねーんだよ。ばーか」「ここがばかだよ」相当いかれているようだ。昨日までは、しゃべり出すと止まらないが、割とまともだったのに。看護婦が「Qさん、診察へ来てください」と呼ぶと「うっせーよ、ばーか」と怒鳴り散らす。かなりやばい状態だ。みんな関わり合いにならないようにそそくさとその場を離れる。廊下でKさん、Hさんとひそひそ話をする。「飲んできてるんじゃない?」「それっぽいね。診察室へ呼ばれたのも検査するためじゃない?」「看護婦はすごく敏感だから。飲んでいたら絶対にばれるよ」Kさんは「ばれたら強制退院だろうね。アルコール病棟出身だから」Hさん曰く「1回目は見逃してもらえるんだけどね、2回目はだめらしいよ」それに対してKさんは「あの人はアルコール病棟でも一回ガッチャン部屋に入ってるから」そう言う。

病室に戻ると、Yさんが私が貸した約款を見て、わかった、と言う。いろいろ説明を聞く。なぜいろいろ調べているかというと、入院して120日過ぎたから、だと言う。「え、退院しないと保険金はもらえないんじゃないの?」そう言うと、「MAXが120日なんだから、それを超えるといつ退院したかは関係ないよ」そう言うので、私も保険の外交員に送ってもらった、保険金申請のために医者に書いてもらう書類を見ると、ちゃんと「退院」「入院中」のどちらかに丸をつけるようになっている。今まで退院しないと保険金はもらえないと思っていたが、入院中でも120日を超えると受け取れることがわかった。よかった。今日は103日目だから、最初の4日をのぞくと124日を過ぎれば、これを医者に書いてもらって申請しよう。高額医療の給付金もあるし、この分だと財形を切り崩さなくても済みそうだ。

肺機能の検査に行く。鉄砲のような形のものを、鉄砲とは逆さまに持ち、その先にトイレットペーパーの芯のようなものをつけて、それを口に加え、鼻を洗濯ばさみのようなものでつまんで、検査技師の言うとおりに通常に呼吸したり、思いっきり吸ったり吐いたり、リズムに合わせて思い切り吸う、吐くを繰り返したり、そういうことをやった。肺活量や、最大換気量などの測定だということだ。「うまいですね」検査技師に言われた。こんなことでうまいなんて言われるのははじめてだなあ、と言うと、「飲み込みがいいという意味ですよ。説明しても、なかなかその通りにできない人も多いので」そう言う。検査の結果は今日中に出るらしい。どうしようかな。明日内科医に面談を申し込んでもいいが、心エコーの結果と併せて聞くことにしよう。そもそも明日の心エコーは何時からなんだ?それも明日にならないとわからないのだろうか。

検査から戻ってくると、診察室でQさんが怒鳴り散らしているのが聞こえる。かなりやばい。S君と「相当やばいね」と話しながら病室へ戻ると、向かいの病室で看護婦がQさんの荷物を整理している。どうやら強制退院のようだ。彼はアルコール病棟のアルコール回復プログラムを終えて、でも行くところがなくて臨時措置としてここの病棟に置いてもらっている、という立場だ。ここを追い出されると行くところがないはずなのに、どうするつもりだろう。なぜ自分に不利なことをわざわざやるのか。飲酒欲求をどうしても抑えられなかったのか。

そのうち何か叩きつけるような音が聞こえてくる。どうも口だけでなく、暴れ出したようだ。看護婦が患者に「病室から出ないようにしてください」と避難命令を出してまわる。これを書いているうちに静かになったと思ったら、S君が入ってきて「収まったみたい。外に出たから」と言う。窓の外を見ると、外でQさんと医者と、警官までいる。何か外出時に問題を起こしたのか、医者に向かって暴力をふるったのか。病院の職員らしき人が彼の荷物を運んでいった。追い出された彼はどこへ行くのだろうか。緊急措置として15:00から病棟の入り口を施錠をすることになった。Qさんが戻ってきて勝手に入ってくるのを防止するために。

15:00からカウンセリングを受ける。今日は忙しい。まだ核心には全く入っていなくて、私のことを時系列で話しているだけだ。先週の続きで、大学卒業の頃、就職活動の頃から話を始め、会社に入ってから即戦力として2年半は活躍していて、同期の中でも自分は抜きんでいるんじゃないかと思っていたけど、自分のコンピュータの専門知識でリードできるのは、どれくらいまでもつか不安を持っていたこと、ビジネスマンとしてのヒューマンスキルが自分には欠けているような気がしていたこと、そして3年目のチームメンバーの異動の後に引き継いだ仕事でトラブルが続出し、それを一人で抱え込んでいくうちに鬱が出たことなどをこまごまと話した。その後の話も詳細にわたって話し、2回目の傷病欠勤から復職する時点までのことを話した。会社の産業カウンセラーが一度私の父親と話をしたい、と言っていたので、父親が仕事で上京する日をカウンセラーに伝えたところ、じゃあその日の何時に会社へ来てください、ということになった件も話した。私はカウンセラーと父親だけが1対1で話すのだと思っていたのに、カウンセラーがセッティングしたその場には、カウンセラーと父親だけでなく、私の上司と部長、人事部の人がいて、私に会社を長期間休むように父親に説得した、その話は後から父親から聞かされてはじめて知った、ということを話したらカウンセラーは驚いていた。カウンセラーは守秘義務があるので、自分がカウンセリングを通じて知り得たクライアントのことについて人事に情報をリークする、さらには本人の預かり知らぬところで家族に話をする、というのは普通はやらない、と言っていた。うちの会社のカウンセラーはやはりプロではない。ある程度までは私もカウンセリングを受けて自分のことがわかったりして効果があったが、それでも私が調子を崩して自分の手に余ると思ったら、どうも私を会社から追い出そうとしているようにしか思えない。なんせ、「この会社の仕事があってないんじゃない?」と転職をそそのかすくらいだ。

カウンセリングから帰って風呂に入る。肺機能検査とカウンセリングがあったので、昼間は入れなかったのだ。今日は寒いから帰ってきてからでちょうどいいや。先に風呂に入ってから外に出たら湯冷めするところだった。

Sさんが外泊から戻ってきた。本人は「大丈夫でした。」と言うが、私から見るとどうも何かあやしいものを感じる。目が少し「アブナイ」感じになっている。本当に大丈夫なのだろうか。

婦長が夕食時に「暖房はいま設備の方にお願いをしています。フィルターの掃除などが終わったら動かしてもらう予定です。それまでは、布団の追加がほしい人には支給しますので申し出てください」と言う。私もYさんも寒くて喘息が出ている。Yさんが「寒くて病気の症状が出ている患者もいるのに、なんで暖房を入れないんだ」とかなりしつこく婦長とやりあってくれたおかげだろう。夕食後、Sさんとさっそく追加の布団をもらいに行った。Sさん曰く、「はまーさんは寝相がいいから、寝ているときに布団ひっぺがしていることあるよ」そうなんだ。寝相がすこぶる「いい」(わけはない)私は、寝ている間に必ず布団がどっかへ行ってしまう。普通に仰向きに寝ることができず、何回も寝返りをうつ。一番安心して寝ることができるのは、「布団にしがみつく」ことなのだが、これは潜在意識の何かが関係しているのだろうか。

メールチェックすると、Hさんからメールが2通来ている。1通目は近況報告で、2通目は「HP見ました。こんなものが作れるなんてすごいですねえ」と書いてある。ただ驚いたからメールしただけだと書いてある。

19:30までメールを書いたり日記を書いたりして、その後卓球に参戦する。S君やSさん、Kさんと試合する。S君はマイラケットでなく病院ラケットを使っているが、卓球大会に向けてマイラケットを使った方がいいんじゃないかな?と今書いていて思った。復活したSさんは、スマッシュが決まればものすごく速いので、下がってロビングしようと思っても追いつかない。サーブもいい。Kさんはだいぶうまくなった。今日は動いていてなんだか体が軽いのを感じた。体重が減ったおかげだろうか。脚力もついてきたのかもしれない。

20:00で卓球を終了し、病室に引き上げる。ビオレパウダーシートで汗を拭き、スウェットに着替える。これから就寝準備をしよう。その後は何をしようかな。