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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

眠剤を変えた効果だろうか。随分よく眠れたような気がする。21:00の消灯後、4:00前に目が覚めるまで、1回か2回、目が覚めただろうか覚えてない。1回くらい目が覚めて時間を確認した覚えはあるが、よく覚えていない。それだけよく眠れていたのだろう。

ホールへ出ていくと、TさんとIさんしかいない。全館の冷房が9月5日で切れてしまったため、窓を開けていたら今度は少し寒い。Iさんは鼻をすすっている。Tさんは自分と同じ病院からここを紹介されてきたのだが、そこの先生について「突き放したようなものの言い方するよね」と意見が一致。Tさんは何度もぶっ倒れて点滴をうけたが、そのうち「点滴依存症」にもなりかけたそうだ。それがないと不安だ、それがないと正常な自分を保てない、「それ」に該当するものは、どんなものだってありうる。

話しているとあくびが出てきた。充分睡眠をとったつもりだったが、まだ眠気が残っているのか?そう思ってもう一度病室に戻り、横になる。

朝食後もなんだかだるい。「眠い」のでなく「だるい」のだ。肌寒いので長袖を着てベッドに横になる。と、S君が「いっこく堂のビデオ見てもいいですか」と聞いてきたので一緒に見る。いっこく堂は本当にすごいと思う。今までの腹話術界では「絶対に無理」と言われていた口唇破裂音「バ行、パ行、マ行」を、口を動かさずに発音するのだから。いっこく堂は、「不可能」にあえて挑戦し、5年かけて独自の方法でそれを腹話術で発音する技術を会得したという。「不可能」に挑戦するという勇気は賞賛に値するだろう。単なる一劇団員から、「腹話術師」への転向。そして、それで食べていくための、まさに自分の人生をかけ、自分を追い込んでの努力の積み重ね。それは並大抵の努力ではなかったはずだ。

しばらくビデオを見ていると、いつも無表情でテレビを見ているP君がテレビのあたりをうろちょろしていた。と思ったら、ホール中のいすを動かしてぎいぎい音を立てだした。彼もまた一言も喋らない人だ。我々は、テレビを見たいことを彼がアピールしているのだと判断し、ビデオを止めてその場を去った。P君はその後だまってテレビを見ていた。

今日はずっとだらだらしている。元々土日は何の予定はないので暇なのだが、外出、外泊している人も多く、閑散としている。私もベッドでだらだら本を読む。

昼過ぎもだらだら。S君がいない。聞くところによると、急に外出したそうだ。外出届は一日前に出さないといけない。緊急で外出するときには医者、それも主治医の許可が必要だ。今日は土曜日なので当直しかいない。よく外出許可が出たものだ。よっぽど急な用事だったのか、と思っていたら、Tさんが「別に用事なんかないよ。急に外へ出たくなっただけよ」そう言っている。「看護婦には嘘をついて届けを出したのよ。帰ってきたら、なんて嘘をついたのか聞いてやろ」本当なのだろうか。

カラオケの音が聞こえている。ああ、CDを聞きながら少し寝ていたら、もうカラオケの時間になっている。S君もいないし、Eさんもいないし、今日は人が少ないなと思っていたら、2人の声が交代で聞こえてくる。2人でやってるのかな?ちょっと参加してこようかなぁ。でも、今日は別の病棟から新しめのディスクは借りてきてないしなあ。

ちょいとホールへ出て行ってみた。なんだ、4人くらいはいるじゃないか。他の病棟からディスクも借りてきているじゃないか。とりあえず、オフコースの「さよなら」を歌わせてもらう。順番待ちまで煙草を吸おうと喫煙所に行くとMちゃんが一人で座っている。元気なさそうだ。「元気、なさそうだね」「うん」、「いつも部屋では何してるの」「泣いてるか寝てる」そんなものなのか。他に気を紛らわすものはないのだろうか。「またやっちゃった」絆創膏が彼女の腕に貼られている。「部屋でやったの」「うん」彼女はまだまだ落ち着いていない。ここへ戻ってきた昨日はずっと元気に見えた。が、一晩寝たらもうこれだ。やはり大丈夫なのだろうか。心配はつきない。一曲歌ったが、だるいのでまた病室へ戻ってきた。夕方になったら散歩にでも行ってオカリナを吹こう。そう思いながら、CDを聞きながらまた横になる。

夕食前だというのに、外出から帰ってきたS君が喫煙所のテーブルに買ってきたお菓子を広げている。最近ここへのチェックが厳しいので、こっそり広げているが、そこまでしなくても、もうすぐ夕食だから連絡会の後にでもすりゃいいのに。あ、今日は土曜日だから連絡会はないや。それはともかく、最近チェックが厳しい。この間までは、喫煙所のテーブルに私物を置きっぱなしにしないでください、くらいだったのに、今は「ここでものを食べないでください」「人に食べ物をあげないでください」もうるさい。まるで動物園の「餌をあげないでください」みたいだ。「アルコール依存症や糖尿病で、食べたくても食べられない人もいるので、お菓子をみんなの前で広げたりすることはダメ」ということらしい。なので、昨日のMちゃんの再入院祝いも、看護婦の体制が薄くなる時間を狙い、看護婦の目を盗んでこっそりやった。なんかだんだん窮屈になってくる。

ずっと借りっぱなしだった本「アダルト・チャイルドが自分と向き合う本」の続きを読み始める。「現在うつ病などの治療中で現在の状態が安定していない人は、次を読み進めるのを待ってください」と書いてある。「大きな感情の揺れを伴うので」そう説明があるが、勇気を出して読み進めていった。

「読む」というより「原家族ワーク」という、自分が育った家族「原家族」がいったいどんな家族だったのか、どんな問題があったのか、「機能不全家族」なのか、それを探るために自分の子供の頃の記憶を呼び覚ます「作業」は、とてもつらかった。途中でとても気が滅入ってきて、泣きそうになった。この章の最初に書いてある「原家族ワークに入る前の3つの約束」の一つ「つらくなった無理をしない」にしたがって中断した。自分でも、こんなに昔のことが、次から次へと出てくることに、とても驚いていた。自覚していないトラウマをたくさん抱え込んでいたんではないのか。そう感じた。

自分が思って書き出したこと、それを添え、うちの家族に当てはまる部分にマーキングをして、家に送ろうかと思った。だけど、そうすべきか迷っている。まだ判断するべき時期ではないだろう。それはともかく、「書き出したことは必ず誰かとわかちあってください」とある。いったい誰と分かち合えばいいのだろうか。

気分転換に喫煙所に行って「あの本読んでたら、すごい気が滅入ってきたよ」そう言う。病院の売店にたくさん並んでいる本なので、みんな知ってるのだ。「あの、読んじゃいけないってとこ読んだの」「うん、読むっていうか、自分の子供の頃の記憶をひもといていく作業をやってるとさ、あんなこともあった、こんなこともあったって、何年も忘れていたようなことが次から次へと頭に浮かんできて、それ書いてるたびにだんだん気が滅入ってきてさ」そういう会話をしていると、今日はずっと元気がない無表情のMちゃんがすっと立ち上がって去っていった。彼女の心の傷に何か触れてしまったかもしれない。Yさんは、「読んじゃだめってとこは適当に流して読んじゃったよ。今さら過去がどうのこうの言ってもしょうがないじゃない」確かにそれはそうで、そのことはその本にもちゃんと書いてある。じゃあ、これから僕たちはどうしたらいいんだろう、それはその本の続編にある、と書いてあった。だから、今はつらくとも、時間をかけても、この一冊目を読んでいこう。それはそうとして、急に腹が痛くなってきてトイレに駆け込む。精神的な動揺は体にすぐ現れる。

喫煙所に煙草を吸いに行って、おなかが痛いという話をしたら、何回トイレに行ったかという話題になって、私が「Yさんいつも次の日の分まで書いてますね」と言うと「よく気がついたね。誰が言うだろうと思ってた」と言ってのける。彼は「快食快便」を豪語していて、常に安定しているため、書き忘れをしないように次の日の分を書いているそうだ。「看護婦に言われるかと思ったんだけど、看護婦は言わないんだよ」う~ん、あの表はちゃんとチェックしてるのか?いや、まあチェックしているのだろうけど、彼の場合は次の日の分を書いていても、毎日数字が1なので、特に問題視してなかっただけだろう。それにしてもまたおなかが痛くなってきた。記入した後にまたトイレにいった場合、どうすればいいんだろう?次の日に繰り越すのかな。

昨日もよく眠れた。追加眠剤をもらわずに、1、2回は目を覚ましたが、時間を確認した瞬間にすぐ寝入ってしまって、4:00くらいまで眠れた。熟睡感を感じる。

ホールへ出てくる。いつもならMちゃんもこの時間にはこの場所にいるのだが、今日からはいない。昨日はこれを書いているうちに去っていってしまったのか、まだ面談が続いていたのか、最後を見送ることもできなかった。「昨日まではMちゃんもいたのにね」私がそう言うと、Tさんが「Mちゃん、結局ここに戻ってくるそうよ」へっ???「医者と家族と本人と話し合った結果、結局そうなったんだって」なんだなんだ。Mちゃんが「どうしてもこの病院にいたい」と粘ったため、実はそういうことになったらしい。話が二転三転するが、彼女がまた戻ってくるというのは嬉しいという反面、「また問題を起こさないといいが」という懸念、そして自分が「巻き込まれる」ことを避けないといけない、という複雑な思いが頭をかけめぐる。一度自分の中で「訣別」したものが、あっと言う間に目の前に現れる。それはなんだか拍子抜けというか、肩すかしをくらったというか、とにかく今の私の心境は「嬉しい」と「心配」が入り交じっている。

充分睡眠はとったつもりなのに、なんだか気分はすぐれない。朝一番に、上に書いたような複雑な心理が頭を駆けめぐったせいであろうか。朝の散歩も行かず、無理をせずにベッドに横になる。作業療法の時間まで休もう。

メールチェックすると、昨日の晩に「また会う日まで」という件名でMちゃんに出したメールの返事が来ている。早朝に書いたようだ。「歌ってくれてありがとう。これからもオカリナ散歩しようね。」そう書いてある。「また会う日」がこんなに早く来るとは思わなかった。

作業棟で体力トレーニング。最初に心拍数を測定するが、またまたはじめから高い。しばらく休んでからもう一度計るが、やはり高い。どうやら調子が悪いときは、正常時心拍数がかなり高くなるようだ。無理は禁物なので、負荷を低めに設定し、年齢はさばを読まずに入力し、ただし時間は20分といつも通り。有酸素運動は少なくともこれくらい継続してやらないと意味がないからだ。漕いでる途中、Mちゃんが家族と一緒に作業棟にやってきた。「お帰り~」そう言うと、彼女は笑ってまた別の場所に行ってしまった。

病棟に戻ってからしばらく休んで喫煙所に行くと、「今晩Mちゃんの再入院祝いやるから」とTさんが100円ずつ集めてる。S君が午後外出したときにケーキを買ってくるらしい。100円くらい快く出すが、「再入院祝い」という言葉は、とても不思議に感じる。いや、もちろん転院が取りやめになってこの病院に残れた、という意味なので、本人を含め、みんなも喜んでいるのだが、本人にとってそれが本当にベストだったのかは誰もわからない。

昼食後、喫煙所でMちゃんがつぶやく。「また、入院の挨拶するのかな」そう、ここでは連絡会の時に、入院してきた人、退院する人は一言挨拶する。昨日、彼女は泣きながら「皆さん、お世話になりました」そう挨拶したばかりだ。「一週間あいて、とかならまだしもさぁ、昨日の今日だから、どうするのかなぁ。これじゃ出戻りじゃん」Mちゃんは照れくさそうに言う。

私がベッドに寝転がって、昨日買ってきたコンピュータ雑誌を読んでいると、看護婦から「面会の方がいらっしゃいましたよ」と告げる。誰だ?今日誰か来るなんて聞いてないぞ?しかも平日だし。ホールに出ていってみると、両親だった。なんでいきなり来るんだ。外出とか外泊してるかもしれないのに、来るなら来るで連絡くらいしろっつーの。どうやら、父親が仕事の都合で近くに来るから、ついでに病院に寄ってみようと思い、それならとついでに母親もついてきたらしい。病院には昨日までに連絡を取って、13:00に私の主治医とアポを取って、面談をしていたそうだ。全く知らなかった。せっかく来たから、ということで私に会いに来た、ということだ。両親を前にして私の一言目は「来るなら連絡くらいしてよ」だった。

両親、特に父親とは話していて全くおもしろくない。相変わらず「うつ病」について正しく理解しているとは思えない話の内容、そして相手を全く無視したしゃべり方。話題が私の兄の現在の仕事の話になって、それがいかにも自分が手を貸してやったからうまくいってる、というような自慢げな口調で話し続ける。私が話に飽きてきて、全く横を向いてしまい、食べていたプリンの容器のシールをはがしたりして、いかにも興味がないような素振りをしても、全くそれを無視して、とにかく自分の言いたいことだけしゃべり続ける。私が母親と少し会話をしていると、その流れを全く無視し、いきなり会話に割り込んできて別の話をしゃべり続ける。この際だから私ははっきり言ってやった。

「なんで人が興味を持って聞いているかどうかを全く無視して一方的にしゃべるんだ?」

本人は「そんなつもりはない」としか言わない。そう、彼は自分の非を絶対に認めない。
そして、こうも言ってやった。

「自分の子供が4人いて、2人精神科にかかっていて、1人は全く社会に適応できなくて、残りの1人はまるで非常識な性格になった現実を見て、何が原因かわからないのか?」

両親は、「まあ、そりゃ、家庭環境が何か悪かったんだろうけど…」と、一応自覚しているようだ。だが、何がどう悪かったということはさっぱり自覚してないし、それについて調べたり考えたりしようともしていないようだ。兄弟4人が4人とも父親を嫌悪していて、話をするのを嫌がっている、という現実も最近になってようやく気づいたようだ。私はさらに続ける。

「僕はお父さんとお母さんが、仲のいい夫婦に見えたことはなかった。いつもお父さんは自分の非を認めずに、僕らから見たら明らかにお父さんが悪いと思うことも、ぜんぶお母さんに『お前が悪い』と言っていた。そしてお母さんも、いつも『はい、私が悪いんです』で済ましていた。僕の目からは、いつもお父さんがお母さんを虐待しているように見えた」

これには父親は驚いたようだ。子供の目に自分たち両親がどう映っているか、考えたこともなかったようだ。父親は言葉に詰まった。私は続ける。

「だから今どうしてくれ、というものじゃない。昔のことはどうにもできないから。でも、僕は今こうやってお父さんと話しているだけで、ものすごいストレスを感じている」

母親が私に言う。「今、お父さんやお母さんにできることは、何かない?」私はきっぱり言う。「二度とここには来ないでください」

2時間くらいしゃべっただろうか。本当にストレスでぶっとびそうになった。一応、病院の玄関まで両親を見送っていったが、二人から解放されて、やっと一息つけた。信頼できる両親の元で育った人が、心底うらやましいと思う。今から両親に対するトラウマ的感情を何とかしろ、と言われても、今の自分にはどうにもできない。父親の顔を見るだけで生理的な嫌悪感を感じるのだから。

私と同じうつ病で、一つ年上のKさんが、社会復帰に向けて体力をつけるために、これから毎日「1日12キロ歩け」と医者から言われたそうだ。彼はかなり体力が落ちていて、エアロバイクの体力テストでも「10段階中の2。かなり劣る」と出たそうだ。やはり体力は基本なのだろう。私もそのうち同じようなことを言われるのだろうか。私は幸いなことに体力はそんなに落ちてなく、人並みにはある。時速4キロで歩いたとしても、12キロだと3時間。山を登るのに較べれば平地を歩くのなんか楽勝だ、と言いたいところだが、平地の方が精神的につらいかもしれない。山を登っていると、体力的にはきついが、心は癒される。この辺で平地を歩くとなると、どこを歩くのだろう。ここから町の中へ出ていって、適当なところで引き返してくるか、どこか巡回してくるのか。どちらにしろ、「ただ平地を歩く」のを3時間続けるというのは精神的には苦痛かもしれない。だからこそ、社会復帰の訓練になるのかもしれないが。

新しい患者が閉鎖病棟から移ってきた。一見、どこも悪くなさそうに見える。話を聞くと、「風邪薬の飲み過ぎで幻覚が見えるようになった」ため、緊急入院し、閉鎖病棟に3週間いて、状態がよくなったのでこちらに移ってきたらしい。別に死のうとか思って風邪薬を飲んだ訳でなく、本当に風邪をひいて薬を飲んだが、なかなか良くならず、4日間寝込む間に飯も食わずに体が衰弱していくところに、治そうと思って風邪薬だけばんばん飲んだそうだ。こういうパターンもあるんだ。風邪薬だと言ってばかにはできない。そう言えば、風邪薬をビタミン剤だかなんだかと偽ってずっと飲ませ、ついに死に至らしめた事件もあった。閉鎖病棟に3週間で済んだのだから、ここも短期間で出られるだろう。こういう急性の患者にははじめて出くわした。

連絡会で入退院する患者の挨拶。だが、紹介されたのは閉鎖病棟から移ってきた彼だけだった。Mちゃんの転院とりやめは、もうみんなわかってることなので省略されたのだろうか。「せっかく言うこと考えていたのに、挨拶したかったな」Mちゃんはつぶやくが、顔は嬉しそうだ。

19:00から喫煙所でMちゃんの「再入院祝い」。S君が、外出届けを出してないのに散歩時間をごまかして散歩簿に記入し、駅前まで行って買ってきたケーキを出す。Mちゃん感激!と思いきや、うん、感激していた。が、みんなでびっくりさせようと思ってたのに、Tさんが「ケーキ用意してあるから」とつい口を滑らせてしまっていたため、実は知っていたらしい。でも、チョコレートに書かれた「Mちゃんへ」という一言に「じ~んときた」と言っている。昨日のこの時間はまるでお通夜のようだったのに、今はほんわか気分で、みんなでケーキを切りわけて食べる。糖尿病でケーキを食べられないおばあさんも、みんなを羨ましそうに見つつ、その場で一緒に祝っていた。向こうの方では、例の気の早いおじさんが、今日は40分も前から薬を待って並んでいる。

その祝いの席には、いつもペンギンみたいなよちよち歩きで一言もしゃべらず、普段は煙草を吸っては帰って行くだけの、Kちゃんと呼ばれているお爺さんもいた。ヘッドギア3人衆、いや今では2人衆の1人で、入院歴は30年と言われている。いつもお菓子があると食べたがるので、歯がなくても食べられるものならあげていた。いつもKちゃんは何の表情も示さなくて、感情を失っているかのようだ。今日は歯のない口でケーキをもぐもぐやっている。てっきりケーキがあるのが目に入ってやって来たのだと思っていた。

だが、あとからS君から「Kちゃんが、小銭を持ってきて俺に手渡そうとするんだ」と聞いてみんなびっくりした。感情を失っていて、何もわかっていないようなお爺さんだと思っていたのに。「みんなでお金を出し合って買ったから、自分もお金を出さないと」そういうことがちゃんとわかっているのだ。この光景を見てTさんは泣き出してしまったそうだ。必死に「いいよいいよ」とお金を返そうとするS君に、どうしてもKちゃんは小銭を渡そうとするので、Tさんが「じゃあ、Kちゃんの気持ち、もらっておくよ」そう言って小銭を受け取り、看護婦に「Kちゃんのお金ですから」と言って預けたらしい。今回の祝いの席で、みんなが一番感動したのはKちゃんのその心遣いだった。

20:00になった。7粒の眠剤を見るたびに、「自分は大丈夫なのだろうか」不安がよぎるが、それを無理矢理払拭し、明日のために今日は寝る。

現在3:20。起きてきたところだが、不思議とすっきりしている。昨日、「目が覚めたら追加眠剤飲んじゃる!」と誓ったのが功を奏したのか、眠剤の種類を変えたのが効いたのか。とにかく、中途覚醒は2回だけである。はじめは22:30頃目が覚めて、追加眠剤もらわなくちゃ、と思った瞬間眠ってしまった。それだけすぐ寝入ってしまったので、割と深くは眠れていたんじゃないかな。1:00前に目が覚めたときは、速攻で眠剤もらいに行った。結果、3:10まで熟睡。トータルの睡眠時間は6:00と昨日より短いが、今の目覚めはとてもいい。やはり「深く眠る」ということが大切なようだ。これで薬に頼らずに済みたいのだが。

やはり早すぎたか、今日は喫煙室に誰もいない。一番乗りだ。薄明かりの下でこの日記を書いている私のそばに看護婦が来てこう言う。「そんなところでそんなことやってると目が悪くなりますよ。できれば眠れなくても部屋に戻って休んでおいてほしいんですけど」「でも、眠れないのにじっと横になっているの、つらいんですけど」「横になっているだけで、体は休まりますから」この看護婦は割とものわかりのいい人で、あまり反発するのもヤだったので、おとなしく部屋へ戻ることにした。が、布団を頭からすっぽりかぶってこれを書いている。暗くて手元が見えないが、いつのまにか、この小さなキーボードでもブラインドタッチができるようになっている。

5:00前にもう一度ホールに出ていくと、もうたくさんの人がコーヒーの準備をして待っている。どうやら今日は一人だけフライングしてしまったため、注意されたようだ。今日は採血・採尿があるが、5:30と言われてたので、トイレに行きたかったがずっと我慢していた。が、我慢しきれなくなって、5:15頃に「あの~、もう採尿いいですか?」と聞いたら「あ、いいですよ」ということで、やっとすっきり。採尿コップを手渡すと、「じゃ、ついでに採血やっちゃいましょうか」ということで血を抜かれる。昨日も書いたが、ここの看護婦は採血が下手だと聞いてたので覚悟していたが、今朝の担当の看護士Nさんはとても上手で、あっという間に終わった。「Nさんうまいですね~」「吸血鬼だから」「じゃあ女性専門ですね」などと冗談を飛ばす。私の血を見て「お、A型だね」「そんなことまでわかるんですか?」「わかるよ~、ベテランだから」ほんまかいな。後からみんなに聞いたら、「Nさんは採血一番うまいよ。他の看護婦さんがどうしてもうまくできないときは、Nさ~んって呼ぶそうだよ」ということらしい。今日はラッキーだった。

朝のひそひそ話でなぜか疑似?恋愛ごっこ。(あ、「疑似」と「ごっこ」は重複してるか)Mちゃんが、最近閉鎖病棟から移ってきたちょっとかっこいい青年K君に「ねえ、ラブレター書いてもいい?好きになっちゃった」といきなり告白。彼は「あ、いいっすよ」と軽く流してる。でもMちゃんは「でもKさんも好きなの。K君にふられたらKさんにラブレター書いていい?」とKさん本人に聞いている。Kさんも笑って「いいですよ、わたし安全牌で」と返している。まあ、冗談だとは思うが、Mちゃんは昨日の晩、急いで「ラブアディクション」(日本語に訳すと「恋愛依存症」なのかな?)について調べていた。ひょっとして、「マジ」が入っているかもしれない。後でHさんがMちゃんに注意する。「まじで惚れちゃだめだよ。この病院内では」

そう、この病院で看護婦や医者が気をつけていることは、「自殺を防ぐ」だけでなく「患者同士が恋愛関係に陥らないようにする」こともある。これは、自殺願望の患者同士がくっついたりすると、マジでやばいからである。過去にその関係の事件も起きたらしい。だから、患者を観察していてそういう関係になりそうな気配があると、二人の席を離したり、二人での散歩を許可しなかったりする。ここでは「プライバシー」はいろいろな面で制限される。この話は入院経験の豊富なHさんが教えてくれた。

今朝もみんなで散歩に行く。Mちゃんの姿が見えない。少ししてからHさんが来た。「Mちゃん来ないね」というと「K君と二人で海側の丘の方へ行ったみたいだよ」まぢまぢ?「それって、ちょっとやばいんじゃないですか?」私が聞くとHさんはこう答える。「あの二人は、俺が見る限りもう相当やばいよ。でも、あれくらいやばくなると、周りが何を言っても聞かないからね。なるようにしかならないんじゃない?」突き放したようなちょっと冷たい言葉だが、彼も私も自分の病気を治しに来ている。他の患者同士のもめ事や恋愛沙汰に下手に首を突っ込んで、看護婦の言う「巻き込まれる」状態になるのは避けたい。たとえ彼らが本気になろうとも、下手に首を突っ込むと、逆ギレされる可能性もあれば、またリスカに走られる可能性もある。彼女が調べていた「ラブアディクション」が頭をよぎる。彼女は、わざと別の依存症に自らを陥れることによって、今の不安から逃れようとしているのだろうか。

今日は木曜日なので体育館レク。またドッジボールとバレーボールだ。今日は看護実習生も2人加わっている。ドッジボールは2回試合して、2回とも負けてしまった。最初にじゃんけんでチーム分けしたのだが、今日のチーム分けはどう考えても力の差がありすぎた。それを考慮して、後半のバレーボールはドッジボールのチームから力の差を均衡にするように適当にメンバーを入れ替えた。これが功を奏して、3セットマッチで、3セット目までもつれ込む大接戦となった。1セット目はうちのチームが負けたが、2セット目はデュースにもちこみ、19-17でこちらの勝利。3セット目は15-13で惜しくも負けてしまった。が、すがすがしかった。スポーツにしろゲームにしろ、「力の差がだいたい同じレベル」でやるのがおもしろい。そうでないと、一方的な試合や展開になってしまい、どっちも楽しめない。

途中の休憩では体育館の外側の入り口のところにみんな座って、煙草を吸ったりお茶を飲んだり。ここからも海が一望できて眺めはとてもいい。だいぶ涼しくなって、気持ちよい風が吹いていく。Mちゃんもレクに参加していて、私と少し離れたところに座っている。が、腕に生々しい新しい傷跡がある。またやったのか?普通リスカをやる人は包帯などを巻いて隠すと聞くが、彼女は堂々とさらしている。逆にみんなに「私はこれをやるのよ」と見てほしいのだろうか。元リストカッターのTさんは以前Mちゃんにこう言った。「みんなに見てほしいんでしょ。自分が切るところを見てほしいんじゃないの?」

昼食時、自分がじわじわと軽い鬱になっていくのを感じた。実は、外に出る練習として、1週間に1回は外出することにしようと思い、今日の午後から「駅前へ買い物」という目的で外出する届けを出していたのだ。昼飯を食べて、ちょっと一服してからでかけよう、そう思ってたのだが、「これから外出か」と思ったら、急に気が滅入ってきた。腹まで痛くなってきた。今は何とかその小康状態を保ちつつ、これを書きながら、不調を我慢して外出するべきか、無理しないで休むべきか悩んでいる。とりあえず、しばらく休んでから、調子がよくなれば外出することにしよう。

結局1時間ちょっと休んでから、大丈夫そうだったので、外出した。バスで駅まで行き、ドラッグストア、スーパー、衣料品店、100円ショップ、本屋を1時間強かけてまわった。今回はそんなに疲れはしなかったが、なぜかずっと汗をかいていた。暑いからではなく、冷や汗だ。どうしてもリラックスした状態にはなれない。病棟に帰るまで冷や汗は続いていた。最近疲れがあとから出てくる。今はまだ大丈夫だが、これから出てくるかもしれない。ちなみに買ったものは…、と羅列しようと思ったが、めんどくさいので省略。そろそろ早朝や晩は半袖だと肌寒くなってきたので、衣料品店ではカーディガンを買った。カーディガンくらい家に帰れば10枚でも20枚でもあるが、「家に帰る」という行為自体が、ここからは電車を乗り継いで1時間以上かけて行かないといけないので、まだ自分には無理だ。ちなみにこの段落には多少誇張した表現があることを追記しておく。

外出からの帰りのバスでA君にあった。「どこ行ってたの」「職安っすよ」「職安行ってるってことは、もう退院のめどがついてるんだ」「うん、もう退院っすね」彼が言うには、もう精神的には安定しているが、体力、それも持久力がないのが心配だという。一見スポーツマンっぽく見える彼だが、入院する前、半年間は一歩も家から外に出なかったという。今のこの病院での生活は「ぬるま湯」のようであり、少し何かやって、疲れたら休めばいいや、で済むが、社会に戻ると、なかなかそうはいかないのが現実だ。私も社会復帰するときには持久力も充分養ってからでないと危険かもしれない。

どうやら先日退院したA爺さんの入院歴は25年だったそうだ。ここにいる新米のI看護婦が産まれる前からここにいたことになる。四半世紀を過ごした病棟を去るとき、彼はどんな気持ちであったのだろう。

夕食を告げる放送が入り、私が廊下へ出ていくと、みんながざわめいている。S君が私に言う。「Mちゃん退院だって!!!」「えっ、いつ?」「今から、夕御飯食べたら行っちゃうんだって」さらにS君は言う。「他の病院に転院するんだって」なになになになになんだなんだなんだなんだなんでなんでなんでなんで。前から決まっていて本人は黙っていたのか?でも、ついこの間まで「いつになったら退院できるんだろう」と本人は言っていた。しかも、転院ということは、「退院可能なほど病気が回復した」わけではない。何らかの事情で「この病院で入院生活を続けるのは好ましくない」との判断があったはずだ。医者の判断なのか、本人の判断なのか、あるいは家族の判断なのか。それはわからない。今朝、病院内での恋愛沙汰がどうのこうのと書いたが、それに対して病院側が措置を取ったにしては早すぎる。本人には昨日あるいは数日前に告げられて、最後に少しだけ「恋愛ごっこ」をしてみたかっただけかもしれない。本人は「みんな、好きだったよ。ありがとう」としか言わない。真相は誰も知らない。

S君がみんなを集めている。「お別れ会やろうよ」だが急な話なので、たいしたことはできない。色紙もないので、ノートにみんな一言ずつメッセージを書いていく。みんな持ち寄ったお菓子を広げる。「最後に何かやってあげてよ」そう頼まれたので、看護婦さんにオカリナを吹いていいか尋ねたが、病棟内では休んでいる人もいるため、気持ちはわかるけどダメだと言う。オカリナがだめなので、小さな声で「今日の日はさようなら」を歌った。そう「今日の日は」「さようなら」だ。「また会う日まで」またきっと会えるよね。途中からみんな加わって一緒に歌う。みんな口数は少ない。何をどう言っていいかわからない。一番とまどっているのは本人だ。どうやら今日の昼に突然医者から言われたらしい。家族が迎えに来て、1時間くらい医者と面談をし、その後彼女も呼ばれて今でも三者面談をやっている。

20:00になった。7錠の眠剤を飲んで、就寝準備。今日は疲れた。決して調子は悪くなかったのだが、やはり外出して疲れたのと、帰ってきていきなりのニュースである。なんだかんだ言って私も彼女のことをだいぶ気にかけていたので、いきなり去っていくという事実にショックを隠しきれない。どうか転院先でリスカをやらないでほしい。一日も早くよくなってほしいと願っている。

昨日は追加眠剤はもらわなかったが、5、6回中途覚醒があったろうか。21:00の就寝後、22:50、0:30に目が覚めたのは覚えている。その後、時間は覚えてないけれども、何回も目が覚めた。が、眠れないということはなかったので、追加眠剤はもらわずにいた。結局4:30過ぎに起きてホールへ出てきた。いつもの通りのひそひそ話。東側の窓から見える海に映える朝焼けがきれいだ。今日は何も事件が起こらなくてよかった。

ラジオ体操をするが、なんか頭が重い。眠い。どうやら、最近になってようやく、その日の体調は、前夜の「トータルの睡眠時間」ではなく、「深い睡眠をとった時間」に左右されるということに気がついた。昨日の場合、追加眠剤はもらわずに、21:00から4:30まで、トータルで7時間半寝ている。普通これだけ眠れば睡眠不足にはならないはずだ。だが、その間に5回も6回も目が覚めているということは、昨日の睡眠は一貫して「浅い眠り」だったに違いない。「深い眠り」の時間がほとんどなかったのである。

逆に、追加眠剤を2回ももらって、でもそれも2時間くらいしかもたなくて、2:30とか3:00から目が覚めてずっと起きている、というような場合がある。そういう場合、トータルの睡眠時間は短くとも、眠剤の作用によって「深い眠り」の時間はある程度確保できているため、実は体調は悪くない。

じゃあ、どんどん追加眠剤をもらえばいいのか、と言うと、これまた悩ましい。私が就寝前に飲んでいる眠剤は5種類、そのうち1種類は通常の倍の量の錠剤である。これはこれで結構な量で、あまり眠剤を増やすと逆に「睡眠薬依存症」になってしまうと別の患者から聞いた。医者は「睡眠障害」と「うつ」は相関関係があるので、抗鬱剤の作用により鬱の症状が緩和されれば、睡眠障害も自然と治まってくる、と言っていた。あれからしばらく経つが、まだ睡眠障害は続いている。ちょっと主治医に相談してみよう。

ところで、さっき別の患者に聞いたところ、眠りのサイクルはおよそ1時間半だそうだ。そう考えると、「21:00に就寝して、いつも0:00頃に目が覚める」早いときは「22:30頃に目が覚める」のも、眠りが2サイクルあるいは1サイクルしたところで目が覚めていることになる。追加眠剤も、「2時間もたない」とか「3時間もった」とか書いていたのも、眠剤の作用が「1サイクル」のときと、「2サイクル」のときの差だったのだろう。4サイクルで6時間、5サイクルで7時間半。せめてそれくらいは連続して眠りたいものだ。そうすると熟睡時間も増えるだろう。

今日はシーツ交換だ。頭がぼ~っとしてるので、朝食後、さっさとシーツ等を取り替えて、横になって休むことにする。環境整備で身の周りの雑巾掛けもあるが、まだ7:30だ。9:00にならないと雑巾は出てこないので、それまでゆっくりしよう。

8:30頃起き出してきて、一人でオカリナを吹きに行った。今日はちょっと「ジャズ」っぽいのに挑戦してみようと思って、「Summer Time」や「スイングしなけりゃ意味がない」(英語の題名がかっちょいいのだが、正確に思い出せない) を吹いてみた。「Summer Time」は比較的すぐに吹けたが、後者の方はやっぱむずい。っていうか、リズム音痴なのでうまくスイングできない。全く「スイングできなきゃ意味がない」だ。

毎月第一水曜日は体重測定らしい。私が入院したのは、8月の第一木曜日だったので、はじめての体重測定だ。看護婦さんが一人一人の体重を記録していく。「66.6キロ。お、ぞろめじゃ~ん」と看護婦は言うが、666ってなんか不気味でない?

主治医が来たので面談する。睡眠障害が続いていることを告げるが、結局「もうちょっと様子を見ましょう」ということだ。入院してやっと1ヶ月過ぎたところだが、2~3ヶ月かかることは普通なので、あまりあせらずに行きましょう、と言われた。眠剤に関しては、現在就寝前に飲んでいるのは全て眠剤ではなく「眠気の作用もある安定剤」「眠気の作用もある抗鬱剤」も混じっているとのことで、その種類を変えてみましょう、ということになった。追加眠剤の服用と「睡眠薬依存症」についても聞いてみたが、依存症にはならない程度にちゃんと量は考えて出してますから、という答えだった。

今日は調子が悪い。昼食までずっと寝ていた。昼食後、少し横になったら入浴タイム。今日は我々からの順番なので、一番風呂に入り、その後ずっと寝る。夕方にリラックス体操を行ったくらいで、この日記を書いたりメールを書いたりしていた時間以外、ずっと寝ていた。ときどき起きては喫煙所に出ていって何か飲んだり煙草を吸ったりしたが、すぐに戻ってきた。おなかの調子も悪く、何度もトイレに駆け込む。まあ、こういう日もあってもいいだろう。

連絡会で、採血と採尿が明日あることを知らされる。アルコール依存症患者や、その他内臓に異常のある人は週3回とかあるが、私のような「肉体的には普通」の患者は、月1回らしい。ここの看護婦の採血は下手だという評判だ。嫌だなあ。そう言えば、私も入院時の採血で、普段なら簡単に血液が出ていくのに、「あら、出ないわね」とか言いながらギュッギュッと二の腕を絞られたりした。それでもうまく注射器に入っていかないので、もう一本の腕から取られた。よく三ヶ所も四ヶ所も採血の跡のガーゼを貼っている人を見るが、出にくい人はもっと苦しいらしい。内科などの普通の病棟と違って、採血をするのは一日数人、しかも看護婦は毎日交代なので、なかなかうまくならないのだろう。やはり何でも数をこなさないとうまくはならない。明日は何ヶ所刺されるのかなぁ。

Mちゃんが部屋の外で私の名前を呼んでいる。当然だが異性の部屋へは立ち入り禁止である。病室はホールから延びている一本の廊下の両側にあるが、手前の方が男性部屋、奥の方が女性部屋である。男性は「女性部屋ゾーン」の廊下に一歩足を踏み入れることすら禁じられている。それが見つかると、かなり厳しい処分(強制退院など)が待っている。

話がそれたので元に戻す。Mちゃんが言う。「お願い、『ラブアディクション』って言葉について調べてほしいの」彼女は私がネットをできる環境を持っていることを知っている。Yahoo!で検索してみたら、11件しかヒットしない。しかも、ほとんどが本の紹介だ。やっと個人の日記というか独白ぽいページで、それについて触れているのを見つけたので、他のウィンドウを全部閉じ、「矢印キーでスクロールするから」とだけ教えて彼女に少しの間このハンドヘルドPCを貸した。私はちゃんと内容を読んでないが、依存症の一種らしい。

部屋の外からまた彼女が私の名前を呼ぶ。彼女が返しに来た。「ありがとう、だいぶわかった」と言っているが、彼女は何のためにその言葉の意味を調べたかったのだろうか。友達に電話してネットで調べてもらって、次の日にでも電話でどんな意味なのか聞けばよさそうなのに、なんだか今すぐ知りたそうだった。

いつものようにみんな卓球をしている。が、私は最近は卓球を控えている。アトピーがある程度治まるまで、風呂に入った後はできるだけ汗をかかないようにしているからだ。今はかなり治まったものの、まだところどころ赤い炎症が残っているし、治りかけの黒い部分も多い。汗をかくとこの辺がかゆくなり、かゆいと掻いてしまう。掻くとまた悪くなる。汗をかいてもそんなにかゆくなく、すぐにタオルで汗を拭けば治まるくらいになるまで、夜の卓球はお預けだ。私は横で見ながらコーチに徹している。なかなかもどかしい。

今日もみんなお菓子をひろげているが、おなかの調子が悪いので今日は手を出さない。おなかはまだ痛い。整腸剤ずっと飲んでるんだけどなぁ。自律神経が狂っているのを、無理に整腸剤で腸の働きだけ整えようとするのは、やはり無理があるのだろうか。

20:00になった。眠剤の数が5つから7つに増えている。あれ、種類を変えるだけって言ってたのに?と思ったら、種類は5つだった。2錠ずつのやつが2種類ある。「眠剤」でなくて「眠気の作用のある安定剤」なので、眠剤代わりに使うには2錠必要ということか。しかし、寝る前に7錠も薬を飲むというのは、なんだかどんどん深みにはまって行っているようで、なんだか空恐ろしい。

便通の回数も記入する。最高記録をマークした。S君が、他の人の回数をチェックしている。そんなことするなよ失礼だな。「半」と記入している人を見つけて、「ねえ、半分ってな~に~?」と聞いている。しかも相手は女性だ。全く失礼なやつだ。Yさんはなぜか明日の日付に記入している。予定か?一人だけ一日分右にはみ出して書いているのに、気がつかないのだろうか?

さて、今晩は途中で目が覚めたら速攻で追加眠剤をもらいにいくとするか…。

今日はよく眠れたと思う。20:50に就寝し、0:30、2:30と中途覚醒はあったものの、追加眠剤は飲まずに、3:50起床。目覚めはよく、頭もすっきりしている。ホールの喫煙所に出てくると、もう数人が集まっている。いつものメンツだ。

そこにTさんが泣きながらやってきた。どうしても眠れないので、枕元の電気をつけて少年院にいる息子さんに手紙を書いていたら、看護婦さんに怒られたというのである。それも4回も5回も。注意する、じゃなくて「怒る」のである。今日の夜勤は新米のIさんだ。電気をつけたら、他の患者さんに迷惑でしょ、ということである。でも、4人部屋で今は3人しかいないTさんの部屋、他の2人はがーがーいびきをかいて寝ているそうである。普通はまず「どうしたの?」「眠れないの?」とか、まずそう聞いて、注意するならするで、もう少し優しい言葉をかけてあげられないのか。なんでここの看護婦は頭ごなしに怒るんだろう。

Tさんは本当はとても繊細な人だ。ここの看護婦はそれを理解していない人がほとんどではないか。Tさんが貧血で倒れて、看護士が彼女を運ぶ途中、彼女の意識がないと思ったらしく、こう言ったそうである。「また問題児がきた」彼女はちゃんと聞こえていた。本人の前でこんなこと言うなんて問題外だ。

I看護婦が喫煙所にやってきた。また何か言うのかと思ったら「今日は寒いから、みんな風邪ひかないでね。長袖とかあったら着てちょうだい」意外に優しい言葉だ。Tさんは言う。「私にもなんでそういう優しい言葉をかけてくれないの」I看護婦は言い返す。「最初は優しく言いましたよ。でも、何回も繰り返すから」「電気をつけたのは私が悪い。それは全面的に認めます。でも、眠れないつらさがあなたにわかりますか?そういうときはとても心が弱っているのに、あんなにきつく言われたら、よけいつらくなるじゃない」彼女は昼間は気を張って突っ張っているが、感情の起伏は激しい。「躁鬱混乱状態」それが彼女の病名だそうだ。看護婦はその感情の起伏をちゃんと読みとって、今怒ったりしたらかえって心の病を悪化させるかもしれない、そう考えたりしないのか。眠れないときのつらさを味わったことがないのか。

看護婦が去った後、日頃からみんなが思っている看護婦への愚痴をたれる。と、Tさんがいきなり咳き込み、嘔吐しかけた。みんな急いでバケツを持ってきたり、私は横に座ってずっと背中をさすっていた。心と体はつながっている。心の不調は体に現れる。我々のような精神的な病を抱えた者は特にそれが顕著だ。「子供に会いたい」彼女は寂しそうに言う。彼女はまだ外出許可も出ていない。彼女の心は激しく揺れている。彼女の心は雨模様だ。外も雨が降っている。さっき雷が光った。

朝食をみんなで待っている。7:00を5分以上過ぎているのにまだ朝食が出てこない。いつの間にか雨がやんでいる。私が何気なしに、男声合唱曲の「雨」を小さな声で歌っていると、Tさんが横に寄ってきてじっと聞いている。「いい曲だね」「うん、名曲だよ」日本の男声合唱曲は、混声や女声よりもはるかに少ないが、名曲は男声合唱曲に多い、と思うのは私だけだろうか。

朝食後はいつも散歩に行くのだが、なんか今日はみんなあまり元気がなく、眠いだのだるいだの言っている。雨はあがっているが、濡れていてベンチにも座れないだろう。私も少し眠くなってきた。今朝も夜明け前からいろいろ気を遣ったからだろうか。今日の散歩はみんなお休みにした。

火曜日の午前は作業療法。また作業棟へエアロバイクを漕ぎに行く。今日は昨日よりも体調がいい。20分2セットやった結果、消費カロリーは1セット目は120.1kcal、2セット目は108.7kcal。うん、昨日よりあがっている。昨日よりマシンの負荷も上がっている。やはり心拍数は150を超えないと気が済まない。でも、無理は禁物だ。それが自分を今の病気に陥れた原因の一つだから。つらいときに歯を食いしばって「頑張り抜く」ことが好きだった。でも、今は「頑張り」「抜く」ことを覚えなければ。そう思っている。「練習はさぼる勇気が必要だ」カエルパンチで有名な元プロボクサー輪島功一の言葉である。ところで、いつもぶらぶらしてるだけのS君が珍しくエアロバイクを漕いでいる。実習生の前だから格好つけているのだろうか。

セット間のインターバルで、ピアノが空いていたので弾いてみた。「エリーゼのために」がぜんぜん弾けない。昔は簡単に弾けたのに。あれ、前も書いたかな?ピアノは幼稚園の頃から中学一年まで習っていたが、親に強制的に習わされていたため、練習嫌いだった。もっと練習しておけばよかった。もっと続けておけばよかった。でも、いまさらそんなことを言ってもしかたがない。あの頃ピアノを習っていたおかげで、今の音楽活動に必要な基礎的な能力が養えたのだ。オカリナを始めたのは去年の11月だが、練習したのは指づかいだけだ。メロディーを覚えてさえいれば楽譜なんか見ずにすらすら(いかないこともあるが)吹けるのも、吹いていて「これはキーが高くて高い音が足りないな」と思ったら、適当にキーを下げて吹いたり途中でオクターブ下げたり、ということが労せずできるのも、その頃のレッスンのおかげだろう。だが、中途半端な絶対音感(とはとても言えないが)があるため「楽譜を見て」オカリナを吹くのは苦手である。私のオカリナはG調なので、楽譜上の「C」を吹いて「G」の音が出るのにものすごく違和感を感じて、頭が混乱するのだ。

昼食後、また眠くなってきた。まあ、午前中に運動して飯食えば、腹もへるわな。ではない、眠くもなるわな。横になってアイマスクをかけ、CDをかける。アイマスクも私の超お気に入りグッズの仲間入りして、「んもうこのまま誰かさらって行って!」てな感じだ。今回のBGMはキングズシンガーズの「Good Vivration」。Zzz…

おはようございます。案の定寝てしまった。たった今目が覚めた。1時間ちょい寝ていたようだ。目覚ましに濃いコーヒーをいれて飲む。

15:00になった。シャワーを浴びさせてもらいに、洗面器を持って浴室へ行く。浴室はホールの奥にあり、ホールを横切っていると、「なんでお風呂入るの?」とあるおばさんが聞いてきた。「僕アトピーなんで、毎日お風呂に入らないといけないんですよ。それで、特別に許可もらってるんです」そう言うと、彼女は言った。「いいな~、私もアトピーになりたい」それを聞いてむっとした私の顔を見て、彼女は「やあねぇ、冗談よ~」と笑って行ってしまった。

言っていい冗談と悪い冗談がある。みんなだって本当は毎日お風呂に入りたい、せめてシャワーくらい浴びたいと思っているのはわかっている。だから、私もアトピーの治療のためとはいえ、特別に一人だけ毎日入浴を許可されていることに対して、みんなにはすまないな、と思っている。だが、うらやましいからと言って、アトピー患者の前で「私もアトピーになりたい」なんて言うか?アトピーの辛さなんかこれっぽっちも知らないくせに。なりたかったらなってみろ。アトピーで苦しむのと、アトピー患者でない人が毎日風呂に入れないのと、どっちが辛いかよ~くわかることだろう。彼女の言った言葉は、うつ病患者に対して「いいよな~堂々と会社休めて。俺もうつ病になりたいよ」と言ってるのと同じことだ。

な~んちって、実は本当はそんなに腹が立っているわけでも、落ち込んでいるわけでもない。相手の気持ちを無視したこういう差別的な発言には、幸いなこと(?)にもう慣れっこだ。精神的に不安定なときだったら、この一言で鬱に落ちていたかもしれないが、今は安定しているので、ちょいとむっとしただけで聞き流すことができた。

連絡会が終わり、喫煙所にみんな集まっておしゃべり。いつも通りのバカ話に花が咲く。なんか最近みんなこの時間におやつを持ってくるようになって、今日もいろんなお菓子がテーブルに並ぶ。私は間食はあまりしないのだが、目の前に広げられるとついつい食べてしまう。今日は私の好きな羽二重餅があった。私は洋菓子より和菓子の方が好きなのだ。うん、これでご飯三杯はいける。

昨日入ってきたおじさん、また30分前から薬を待って立ってる。なんでそんな早くから並ぶんだ?だけど立ってる位置が少し後ろの方なので、薬の時間近くになると、みんな次から次へとその人の「前に」並んでいる。おじさん、無表情でじっとコップを持っている。うん、よくわからん。

20:00になった。私はちゃんと後ろに並んで薬を受け取る。これから就寝準備モードに入ろう。