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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

昨日は布団をもう一枚もらったおかげでいつもより暖かかった。ただ、吸い込む空気が冷たいのはしかたがない。少し咳が出た。寝付きはよかったが、夜中中ぐっすり、というわけにはいかなかった。夢をたくさん見たような気がする。眠りは浅かったのだろうか。最初に目が覚めたのは1:40。そのとき、すぐにはまた眠りに入れなかった記憶がある。次にうつらうつらした状態から目が覚めて時計を見たら4:00。それからずっと浅い眠りが持続して、その間ずっと夢を見ていたような気がする。また時計を見たら5:30。その後もうつらうつらの状態が続き、また時計を見たら6:00。その瞬間、起床のアナウンスが入った。布団の中で「目覚めのヨーガ」を行い、伸びをして起きだし、洗面所に行く。

メールチェックする。14件来ているが、MLばかりで今日は個人メールはない。

Sさんが「夜中がたがたやってすみません」と言う。「ぜんぜん気がつかなかったですけど」と言うと「眠れなくて、2:30頃追加眠剤をもらいにいくのに少し音を立ててしまった」そうだ。本当に全く気がつかなかった。どうやら自分は割とぐっすり寝ているようだ。

朝食後、しばらくKさんと喫煙所で話をした。カウンセリングの話や、ここのケースワーカーの話をした。この病院には2人ケースワーカーがいて、男性と女性1人ずつだが、その女性の方、F先生の話だった。F先生は私が入院する前に紹介状を持ってこの病院きたとき、ドクターと面接する前にかなり時間を割いて話をした人だ。かなり「びしっ」とものを言う人だが、患者のことをよく考えてくれるいい人だそうだ。

8:10頃からオカリナを吹きに散歩に行く。今日は晴れていい天気だ。空気が冷たいかな、と思ったけど、日が照って割と暖かかった。風もなかったせいだろう。コンサートで吹く予定の曲を流した後、いろいろと適当に30分ほど吹いて戻ってきた。

いつもなら火曜日なので作業棟に行くのだが、ホワイトボードの「本日の予定」欄を見ると、午前中は「レク活動(卓球)」と書いてある。来週の卓球大会に向けて、また病棟内で卓球をするのだろう。練習とメンバー選出を兼ねているのだと思う。一応出られるのは5人だが、当日調子が悪くなる人もいるかもしれないので、8人くらい候補をあげるつもりだとか、誰かから以前に聞いた。N看護士とI看護士の両看護士が2人とも出てくれるはずだと思っていたら、実行委員会でクレームがついたらしい。2人ともこの病院の職員の卓球部だが、その卓球部員が審判をすることになっているそうだ。患者の大会に職員が2人とも出てるんじゃねーよ、どっちか審判しろ、ということだが、ごもっともだ。出るとするとN看護士だろう。I看護士には勝てるけど、N看護士には未だに一度も勝ったことがない。

病棟卓球大会は8人出た。看護士のN看護士と、あと一人足りないので強引にI看護婦に出てもらった。結果はSさんが優勝した。11本1セットマッチで、決勝では私とSさんの勝負だったのだが、1-2で負けてしまった。Sさんは看護士のI看護士から貸してもらったラケットを使うと、サーブがめちゃくちゃ切れて、なかなか返せなかったのと、球を上げてしまったら確実に強烈なスマッシュを決めてくる。以前よりかなり手強くなっている。来週の卓球大会はうちの優勝はもらったも同然かな。去年も優勝しているので、「2連覇を目指そう」とみんな言っている。

それはそうと、まだ内科医に呼ばれない。昨日の肺機能の検査結果を聞くために面談をお願いしておいたのだが、今日は10人以上も内科医の面談希望がいるので、だいぶ待たされてる。それから、心エコーは「今日の午後」としか看護婦は知らされていないそうだ。午後はずっと病棟内にいなければならない。

11:00をずっとまわってから、やっと内科の順番がまわってきた。昨日の肺機能検査の結果は正常だった。年齢などのデータから比べると肺活量は若干少なくてちょいとショックだったが、最大換気量やその他のデータは平均値より上回っていた。けっきょくアレルギーが原因でしょう、と医者は言うのだが、「冷たい空気を吸い込むと喘息が出るんですけど、冷たい空気自体がアレルゲンとなるんですか?」と尋ねると、「普通は夏に出るんですけどねぇ。精神的にアレルギーを気にすると、それがかえって原因になったりするんです」とよくわからない答えだ。「もっといろいろな検査や、呼吸器専門の病院で一晩寝た状態の検査もできますけど」と、ここではもうお手上げのような感じだ。もうこれ以上ここの医者に話してもしかがたない。「最近も自覚症状はないけど隣のベッドの人が『ひゅーひゅー言ってたよ』と言うので喘息は出てるんですけど、ひどくても我慢できる程度なので、気にしないことにします」と言って面談を終わりにする。

以前買っておいた文庫本「精神病棟の二十年」を読み始めた。分裂病で精神病院に20年入院していた人が書いた本で、裏表紙の解説によると「精神医療の内情を静かに告発した超ロングセラー」と書いてある。少しだけ読んだところで、筆者はまだ入院には至ってなく、分裂症の症状が出始めてまわりとトラブルを起こした記述を読んでいるところだ。

13:00頃に看護婦から連絡があり、心エコーに行ってくださいと言われたので検査に行く。上半身裸でベッドに横になった状態で、足や胸に電極をあて、位置を変えながら機械を操作している。「ピ、ピ」と音がするかと思うと「どくんどくん」と心臓の音が聞こえたりする。心音そのものなのか、超音波の波形を音に変換したものかはわからない。途中で医師が交代し、合計45分くらいやっただろうか。結果は異常なし、ということだそうだ。やっている間の心拍数は70くらいだったそうだが、う~ん、エアロバイクのときはなぜ最初から100を超えているんだ~?「動悸がするんですよね」と医者に言われたので「いや、自覚症状はないんですけど、計ると脈が速いんです」と答えると「動悸がするんですよね」とまた繰り返して言う。別に胸がどきどきするとかいうことはなく「自覚症状がない」と言っているのに「動悸がするんですよね」と言うのはどういうことなんだ?「動悸」の定義がよーわからん。自分の感覚としては、むしろ「動悸がしない」に近いのだが。エアロバイクを漕いでいて、心拍数が150を超えてもぜんぜん胸がどきどきしないし。

終わって帰ってきたら14:00だった。ちょうど懇談会とバッティングしてしまったので出られなかった。「議題は何だった?」と聞いてみたが、たいした話はなかったらしい。インフルエンザの予防接種の話とか、それくらいだと言う。退院する患者の挨拶は前日の夕食のときにやる、ということは正式に決まったそうだ。それはそうと、同室のYさんが明日退院するらしい。ぜんぜん聞いてなかった。Uさんも11/28に退院することが決まったそうだ。どんどん抜けていくなぁ。いつの間にか自分が古株になりつつある。

15:00まで「精神病棟の二十年」を読み続ける。作家を志した人が書いただけあって読みやすく、さくさく読んでいく。かなりおもしろい。15:00になったのでシャワーを浴びさせてもらいにナース室へ行き、浴室の鍵を開けてもらうようにお願いしたところ、今日コインランドリーの業者が来たらしく、以前乾燥機に取られた100円を返してもらった。思わぬ臨時収入だ。家計簿ソフトにはなんと記入しようかなあ。

16:00からリラックス体操をやって最後の自律訓練法をやっている間に、外出していたYさんが帰ってきた。同室のみんなが「退院おめでとうございます」と言うので、私も自己催眠状態に入りつつもぼそっと「おめでとうございます」と言う。退院は急に決まったらしい。N看護士といろいろもめたりしたのも退院することになった原因の一つらしい。ここの病院の看護婦の患者への接し方について、またまたみんな文句を垂れる状態になった。確かに、ここの看護婦には患者を「患者扱い」どころか「人間扱い」しない人もいる。何を考えているんだろうか。患者がこんな寒い思いをしているのに、ナース室には暖房が入って自分たちはぬくぬくとしている。

夕食の時にYさんが退院の挨拶をした。立派な大人の挨拶だった。あんなに不快な思いをさせられたにも関わらず、ここでの生活を「快適な生活」と言ってのけた。あれくらい言えるだけの度量が自分にはあるだろうか。自分が退院の挨拶をするのは何ヶ月後だろう。

「精神病棟の二十年」を一気に読んでしまった。最初に出版されたのが20年ほど前なので、今からさかのぼること40年前から20年前の精神病棟の体験記だが、昔は今よりももっとすさまじかったことがわかる。もうほとんど刑務所に近い。東大医学部の助教授によって書かれた文庫版の解説は、今年の8月に書かれたものなので非常に参考になる。解説によると、この本が最初に出版されてからの20年で、社会復帰施設については、デイケア、作業所、グループ・ホームなどが充実してきて格段に進歩しているし、薬についても研究が進んで、より効果的で副作用のないものが開発されていることがわかる。が、その解説で、「依然として変化のないものは、医療関係者も含めた多くの人の無理解」と述べている。また、現在においても精神医療自体が医療全体の中で非常に軽んじられており、保険点数は低いし、医師の定員も他の診療科に比べ三分の一の人員しか必要ないと規定されているそうなのだ。法律からしてそうなのだ。精神障害への社会全体の理解の欠如は、そうした司法、立法、行政に及んでいる。なんとかならないものだろうか。

20:00になったので卓球はおしまい。病室に引き上げてきた。これから就寝準備をしよう。

ぐっすり寝た。寝付きもよかった。起床の放送で目が覚めて、「目覚めのヨーガ」を布団の中でやったら割とすっきり起きることができた。夜中は1回だけ目が覚めたが、確か3:00過ぎだったと思う。睡眠は充実してきているようだ。メールチェックすると私のオカリナのファンだったHさんからもメールが来ている。偶然近くで「自分でオカリナを作るイベント」があったので参加してきたという。自分でオカリナを作れるなんてうらやましい。私のは職人の手作りだが、自分でも作ってみたい。

Hさんに返事を書き、朝食を摂る。朝食後にコーヒーをいれて飲み、しばし喫煙所で雑談。天気予報を見ると今日も雨が降りそうだ。外はうっすらと薄暗い。厚い雲がかかっている。

8:00頃に病室に戻ると、いつの間にか雨が降っている。またオカリナを吹くのは無理かなあ。今日も寒そうだが、また作業棟の裏にでも行って来ようかな。

結局8:45頃まで音楽を聴きながら横になり、その後ジャージに着替えて畳のところでストレッチをして9:00頃作業棟に行く。トレーニングの前に作業棟の中でオカリナを吹かせてもらった。ただたけの「雨」一曲だけにしておいた。基礎データを計ると、体重が63.8kg、体脂肪率が18.8%。だいぶ減ってきた。体重が63kg代が最初から出るようになったし、体脂肪率もコンスタントに20%をきるようになってきた。

体力テストをすると、50Wで心拍数が110台だったのに、2段階目で55Wにあがったら、なぜか心拍数が逆に下がってきて110をきっていった。ありゃ、どんな結果が出るのかなと思ったら7分で打ち切られ、「6段階中の2。やや劣る」が出た。う~ん、機械も混乱しているのか。

10分のインターバルの間に、ピアノが空いていたので「エリーゼのために」を弾いてみる。寒くて少し指がかじかんでいるので、いつもよりまして指が動かない。もっと練習が必要だなぁ。Fさんが近くに寄ってきて「はまーさんて何でもできるんですね」と感心してくれた。

病棟に戻ってくると、明日心エコーの検査があると言われた。何時からかはわからないらしい。さらに、今日の13:30から肺機能の検査があるという。外出の予定を入れていたかもしれないし、事前に教えておいてほしいものだが、看護婦も今朝連絡が来たから、と言っていた。私が早めに作業棟へ行ってしまったので伝えられなかったそうだ。

Yさんが生命保険の契約について詳しいことを知らないか聞いてくるので、自分の約款を取り出して調べてみるが、よくわからない。なんでこんなにわかりにくい文章で書いてあるんだろう。Yさんとは入っている生保は違うが、「どの生保も同じだよ」と言うので調べてみようとしたのだが、結局約款を本人に貸して自分で調べてもらうことにした。

もうすぐ昼食なのでホールに出ていくと、前に隣のベッドだったHさんが来ている。今日はE氏が退院だというので来たそうだ。Hさんも調子が悪いらしい。それにしても、E氏が今日退院ということは、昨日の夕食時まで知らなかった。挨拶もなかった。やはりまだ退院の挨拶は懇談会のときに「まとめて」ということに記録上なっているのだろう。明日の懇談会で「記録の内容について患者が確認できるようにすること」を要求してみようか。いい人ばかり抜けていくなあ。入ってくるのはおばあさんばかりだ。

昼食後、喫煙所でみんなで喋っていると、アルコール病棟から移ってきたQさんが外出から戻ってきた。少し様子がおかしい。ものすごく不機嫌そうで、かけていた眼鏡を乱暴にテーブルの上に放り出す。みんなびくっとする。「外、寒いですよね」S君がそう言うと、首に巻いていたマフラーをS君に投げつけるようにして「やるよ、シルクだぜ」明らかに不機嫌だ。そのときKさんが言った。「誰に八つ当たりしてるんだよ。ここはアルコール病棟じゃねーんだよ。ばーか」「ここがばかだよ」相当いかれているようだ。昨日までは、しゃべり出すと止まらないが、割とまともだったのに。看護婦が「Qさん、診察へ来てください」と呼ぶと「うっせーよ、ばーか」と怒鳴り散らす。かなりやばい状態だ。みんな関わり合いにならないようにそそくさとその場を離れる。廊下でKさん、Hさんとひそひそ話をする。「飲んできてるんじゃない?」「それっぽいね。診察室へ呼ばれたのも検査するためじゃない?」「看護婦はすごく敏感だから。飲んでいたら絶対にばれるよ」Kさんは「ばれたら強制退院だろうね。アルコール病棟出身だから」Hさん曰く「1回目は見逃してもらえるんだけどね、2回目はだめらしいよ」それに対してKさんは「あの人はアルコール病棟でも一回ガッチャン部屋に入ってるから」そう言う。

病室に戻ると、Yさんが私が貸した約款を見て、わかった、と言う。いろいろ説明を聞く。なぜいろいろ調べているかというと、入院して120日過ぎたから、だと言う。「え、退院しないと保険金はもらえないんじゃないの?」そう言うと、「MAXが120日なんだから、それを超えるといつ退院したかは関係ないよ」そう言うので、私も保険の外交員に送ってもらった、保険金申請のために医者に書いてもらう書類を見ると、ちゃんと「退院」「入院中」のどちらかに丸をつけるようになっている。今まで退院しないと保険金はもらえないと思っていたが、入院中でも120日を超えると受け取れることがわかった。よかった。今日は103日目だから、最初の4日をのぞくと124日を過ぎれば、これを医者に書いてもらって申請しよう。高額医療の給付金もあるし、この分だと財形を切り崩さなくても済みそうだ。

肺機能の検査に行く。鉄砲のような形のものを、鉄砲とは逆さまに持ち、その先にトイレットペーパーの芯のようなものをつけて、それを口に加え、鼻を洗濯ばさみのようなものでつまんで、検査技師の言うとおりに通常に呼吸したり、思いっきり吸ったり吐いたり、リズムに合わせて思い切り吸う、吐くを繰り返したり、そういうことをやった。肺活量や、最大換気量などの測定だということだ。「うまいですね」検査技師に言われた。こんなことでうまいなんて言われるのははじめてだなあ、と言うと、「飲み込みがいいという意味ですよ。説明しても、なかなかその通りにできない人も多いので」そう言う。検査の結果は今日中に出るらしい。どうしようかな。明日内科医に面談を申し込んでもいいが、心エコーの結果と併せて聞くことにしよう。そもそも明日の心エコーは何時からなんだ?それも明日にならないとわからないのだろうか。

検査から戻ってくると、診察室でQさんが怒鳴り散らしているのが聞こえる。かなりやばい。S君と「相当やばいね」と話しながら病室へ戻ると、向かいの病室で看護婦がQさんの荷物を整理している。どうやら強制退院のようだ。彼はアルコール病棟のアルコール回復プログラムを終えて、でも行くところがなくて臨時措置としてここの病棟に置いてもらっている、という立場だ。ここを追い出されると行くところがないはずなのに、どうするつもりだろう。なぜ自分に不利なことをわざわざやるのか。飲酒欲求をどうしても抑えられなかったのか。

そのうち何か叩きつけるような音が聞こえてくる。どうも口だけでなく、暴れ出したようだ。看護婦が患者に「病室から出ないようにしてください」と避難命令を出してまわる。これを書いているうちに静かになったと思ったら、S君が入ってきて「収まったみたい。外に出たから」と言う。窓の外を見ると、外でQさんと医者と、警官までいる。何か外出時に問題を起こしたのか、医者に向かって暴力をふるったのか。病院の職員らしき人が彼の荷物を運んでいった。追い出された彼はどこへ行くのだろうか。緊急措置として15:00から病棟の入り口を施錠をすることになった。Qさんが戻ってきて勝手に入ってくるのを防止するために。

15:00からカウンセリングを受ける。今日は忙しい。まだ核心には全く入っていなくて、私のことを時系列で話しているだけだ。先週の続きで、大学卒業の頃、就職活動の頃から話を始め、会社に入ってから即戦力として2年半は活躍していて、同期の中でも自分は抜きんでいるんじゃないかと思っていたけど、自分のコンピュータの専門知識でリードできるのは、どれくらいまでもつか不安を持っていたこと、ビジネスマンとしてのヒューマンスキルが自分には欠けているような気がしていたこと、そして3年目のチームメンバーの異動の後に引き継いだ仕事でトラブルが続出し、それを一人で抱え込んでいくうちに鬱が出たことなどをこまごまと話した。その後の話も詳細にわたって話し、2回目の傷病欠勤から復職する時点までのことを話した。会社の産業カウンセラーが一度私の父親と話をしたい、と言っていたので、父親が仕事で上京する日をカウンセラーに伝えたところ、じゃあその日の何時に会社へ来てください、ということになった件も話した。私はカウンセラーと父親だけが1対1で話すのだと思っていたのに、カウンセラーがセッティングしたその場には、カウンセラーと父親だけでなく、私の上司と部長、人事部の人がいて、私に会社を長期間休むように父親に説得した、その話は後から父親から聞かされてはじめて知った、ということを話したらカウンセラーは驚いていた。カウンセラーは守秘義務があるので、自分がカウンセリングを通じて知り得たクライアントのことについて人事に情報をリークする、さらには本人の預かり知らぬところで家族に話をする、というのは普通はやらない、と言っていた。うちの会社のカウンセラーはやはりプロではない。ある程度までは私もカウンセリングを受けて自分のことがわかったりして効果があったが、それでも私が調子を崩して自分の手に余ると思ったら、どうも私を会社から追い出そうとしているようにしか思えない。なんせ、「この会社の仕事があってないんじゃない?」と転職をそそのかすくらいだ。

カウンセリングから帰って風呂に入る。肺機能検査とカウンセリングがあったので、昼間は入れなかったのだ。今日は寒いから帰ってきてからでちょうどいいや。先に風呂に入ってから外に出たら湯冷めするところだった。

Sさんが外泊から戻ってきた。本人は「大丈夫でした。」と言うが、私から見るとどうも何かあやしいものを感じる。目が少し「アブナイ」感じになっている。本当に大丈夫なのだろうか。

婦長が夕食時に「暖房はいま設備の方にお願いをしています。フィルターの掃除などが終わったら動かしてもらう予定です。それまでは、布団の追加がほしい人には支給しますので申し出てください」と言う。私もYさんも寒くて喘息が出ている。Yさんが「寒くて病気の症状が出ている患者もいるのに、なんで暖房を入れないんだ」とかなりしつこく婦長とやりあってくれたおかげだろう。夕食後、Sさんとさっそく追加の布団をもらいに行った。Sさん曰く、「はまーさんは寝相がいいから、寝ているときに布団ひっぺがしていることあるよ」そうなんだ。寝相がすこぶる「いい」(わけはない)私は、寝ている間に必ず布団がどっかへ行ってしまう。普通に仰向きに寝ることができず、何回も寝返りをうつ。一番安心して寝ることができるのは、「布団にしがみつく」ことなのだが、これは潜在意識の何かが関係しているのだろうか。

メールチェックすると、Hさんからメールが2通来ている。1通目は近況報告で、2通目は「HP見ました。こんなものが作れるなんてすごいですねえ」と書いてある。ただ驚いたからメールしただけだと書いてある。

19:30までメールを書いたり日記を書いたりして、その後卓球に参戦する。S君やSさん、Kさんと試合する。S君はマイラケットでなく病院ラケットを使っているが、卓球大会に向けてマイラケットを使った方がいいんじゃないかな?と今書いていて思った。復活したSさんは、スマッシュが決まればものすごく速いので、下がってロビングしようと思っても追いつかない。サーブもいい。Kさんはだいぶうまくなった。今日は動いていてなんだか体が軽いのを感じた。体重が減ったおかげだろうか。脚力もついてきたのかもしれない。

20:00で卓球を終了し、病室に引き上げる。ビオレパウダーシートで汗を拭き、スウェットに着替える。これから就寝準備をしよう。その後は何をしようかな。

昨日も寝付きはよかった。ぐっすり眠ったと思って目を覚ますと、まだ2:00だった。次に目が覚めたら3:40頃だったか。その後は5:00に目が覚め、もう眠れずに布団の中でずっと起きていて、5:30にホールに出てきた。

メールチェックする。今日は5件しかない。週末は相変わらず少ない。食事の約束をしている女性Nさんからまた長いメールが来てるので、またまた長い返事を7:00までかかって書いた。最近ディープな内容のメールをやり取りしている。

朝食後、昨日の寝る前にメールチェックしたときに来ていた、11/1から職場復帰したKさんからの返事にまたまた返事を書く。その後、久々に音楽堂に行ってオカリナを吹いた。今日はいい天気だ。外出する日が晴れてよかった。

病棟に戻ってきてから外出届を受け取り、家路につく。家まで戻ってきて、さて何をしようか。とりあえずトイレ掃除でもしようかな、と思い、そういや埃を通さないマスクを持ってくるのを忘れたし、シャンプーやリンスもきれていた、トイレ用の洗剤もなかったような気がしたなあといろいろ思いだし、近所の薬局へ行ってそれらを買ってからまた家に戻る。とりあえずCDプレーヤーのACアダプターをつないで充電する。トイレの掃除をやって、次は何をするか考える前に、家で済ませておこうと思ったことにとりかかる。

帰りの電車を降りるとダッシュでバスに乗る。時間がぎりぎりなのをちゃんと調べておいたのだ。同じ病棟のTさんが同じバスに乗っていたので、話をしながら帰る。Tさんはどうも最近調子が悪いようだ。そう言えば喫煙所にもあまり出てこなくなった。自分の調子が悪いせいもあるが、若い連中がいなくなってあまりにぎやかじゃなくなり、雰囲気が変わってしまってつまらない、というのもあるそうだ。

病棟に戻り、16:00からリラックス体操。その後、面会人が来ましたと看護士に放送で言われる。そうそう、今日は高校時代の友人のIが来る予定だった。以前にも来てくれて、そのとき持ってきてくれた観葉植物がなんだか最近元気がないので、栄養剤か何かやった方がいいのかメールで尋ねたところ、寒くなってきたから元気がないだけかもしれないが、日曜日の午後から空いているので来てくれる予定になっていたのだ。

ちょうど17:00で夕食の時間だったので、その間待ってもらい、久々にいろいろと話をする。今日は奥さんも一緒だった。毎日見ていると自分は気がつかないが、彼らは観葉植物を一目見て「でかくなったなあ」と言う。どうも育ってきて自分の葉っぱの重さで垂れ下がってきたのもあるだろうし、やはり寒くなったせいもあるだろうと言っていた。冬場は栄養剤はあまりいらないけど、念のため、と言って持ってきた栄養剤を注入してくれた。もう少し大きくなったら、もう一回り大きな鉢に移した方がいいだろうと言われた。

昨日も今日も風呂に入れなかったので頭がかゆい。洗面所で頭だけ洗った。もう20:15だ。すでにスウェットに着替えているので、もう歯磨きしよう。あとはマーフィーの本でも読むか。

だいたい最近と同じパターンか。割と寝付きはよかった。2回目が覚めて、1回目は確か3:00、2回目は4:30だったような気がするが、以前のようにはっきりと記憶にない。途中で目が覚めても以前ほど「はっきり」覚めてるわけでなく、寝ぼけ度合いが強いので時計を見てもちゃんと記憶に残らないのだろう。4:30以降は断続的な浅い眠りモードになって、6:00の起床のアナウンスまでうつらうつらという感じだった。それにしても、起床時刻前から洗面所で騒ぐおばちゃん達は何とかならないのか。前もYさんが注意したのに。

今日はテーブル当番。朝の服薬後、せっせとテーブルをふきんで拭いてまわる。朝一はきれいだな。昨日の夕食後に昨日の当番が拭いた後、そんなに汚す人はいないからだろう。食後はちょっと汚れそうだ。昼間おやつを食べる人がいるので、夕食前も今よりは汚いかもしれない。

朝食後、コーヒーを飲んだ後テーブルを拭いたがそんなに汚れてなかった。みんなけっこう行儀がいいようだ。洗濯をしたいが今日も雨が降っている。しかたないのでまたまた乾燥機で乾かすことにする。

メールの返事を2通書く。私に「自分も鬱で、境界性人格障害」と告白してくれた女性へのメールはかなり長いものになって、書くのに時間がかかった。11/18に一緒に食事する約束をした。もう1通は私のオカリナのファン?だった女性へ。気がつけば女の子とばかりメールのやり取りをしている。

前に私の隣のベッドにいたKさんがまた来ているというので、ホールに行って話をする。やはりまだ不安定になるときはあって、その時はここの病院でなく開業医へ行って注射をしてもらうそうだ。なかなかスムーズに復帰するのは難しそうだ。「はじめての入院を大切にしてください」私にそう言ってくれた。Kさんはテーブルで手紙を書き出したので、その後は喫煙所でずっと他の患者と話をしていた。11:00の服薬後、乾燥機に入れっぱなしにしていた洗濯物を取り出そうとすると、まだ生乾きだった。しかたなくもう30分回したらようやく乾いた。乾燥するのに400円もかかるなんて、なんだかばかばかしい。

以前買っておいた「図説 精神医学入門」を読み始める。朝にメールを書いていて、境界性人格障害について調べたのがきっかけで、最初から読んでみることにしたのだ。この本を買ったことをすっかり忘れていた。

昼食後、テーブル拭きを済ませてから12:40くらいに作業棟の裏へ行ってオカリナを吹いた。雨が降っていて外はとても寒く、フルジップのパーカーの前を閉め、パーカーをかぶり、凍える指で吹く。寒くなると、当然だが指の動きも鈍くなる。ただでさえ鼻水が止まらない状態なので、早々に引き上げて病棟に戻った。

午後は「図説 精神医学入門」を読む。どうも私は「双極性障害」の軽躁かなぁと言う気が読んでいてしてきた。うつ病の「病因」のところに「遺伝的要因が明らかである」と書いてある。う~ん、うちの兄弟がみんなおかしいのはそのせいか?私がときどき感じる「自分が自分でないような感じ」は「離人感」という医学用語であることがわかった。うつ病に関しての「予後」には「約50%で再発がみられ、この再発率は重症例(入院治療を要する例など)では80%に達する。再発を繰り返すと、寛解期が短くなり、しだいに重症化するため、予防的治療が重要となる」と書いてある。やはり再発性は高い。「治療」には、薬物療法はもちろんだが、心理療法のうち認知行動療法が予防的効果があると書いてある。

今日は寒いのでシャワーは省略することにした。入浴日でないと浴槽に湯がないので、浴室はものすごく寒い。病棟に暖房も入ってないため、湯冷めして風邪をひくのが嫌なので。

I看護婦とS君やFさんが卓球をしている。私は横目で見ながら、S看護婦といろいろ話をした。何で看護婦になりたいと思ったのかを聞いたり、前から疑問に思っている「他の患者との関わり方」について聞いてみたりして、S看護婦は丁寧に自分の考えを話してくれた。

その後卓球に加わる。あれだけ寒かったのに、動くと汗をかいて今はとても暑い。これでまた風邪をひかないように注意しなければ。

16:00からリラックス体操をするが、やりながらテーブル当番だったことを思い出す。最近のように1時間かけてやっている暇はない。30分ちょいで終わらせて、テーブルをせっせと拭く。

夕食後はCDを聴きながら横になる。持ってきていたけど、季節柄あわないなと思って今まで聴かないでいたトライトーンの「アカペラJ-POPクリスマス」をかける。う~ん、やはりすばらしいハーモニーだ。聴くだけで感激する。

同室のYさんに「誰かからメール来てる?」と聞かれた。そう言えば11/1から職場復帰したKさんと、その11/1以来メールのやり取りがない。「10日たったけどどうですか?」とメールを出した。

「精神医学入門」を読み進める。最初から読んでいって、改めて12章の「人格障害」を読む。いろいろなタイプの人格障害の説明があるが、読んでいると私は「依存性人格障害」に該当するような気がしてきた。でも、こういうのを読んでいると、あれもこれも自分にあてはまるような気がするので、勝手に自分でこういう病気だと思いこまない方がいいのだろう。占いと同じだと思えばいい。

20:15をまわった。そろそろ就寝準備をして、寝るまで続きを読もう。

ぐっすり眠ったと思って目が覚めて時計を見たら1:30。その後は4:00前だったか、やはり2回くらい目が覚める。その後も時計を一回見たが、5:00くらいだったっけな。6:00ちょっと前に起きて洗面する。6:00というのに外はものすごく暗い。日の出が遅くなったのもあるが、今日は曇っているせいだろう。今日で入院100日目か。だからといって、特に何か感じることがあるわけではないが。

またまたメールがたくさん来ている。せっせと返事を書く。4通書いた。2通は山岳会の運営会MLに向けて。1通は昨日手紙をくれた女性へ。もう1通は、学生時代につきあっていた女の子で、昨日の夜にメールが来ていたのでその返事。彼女とは今でもけっこうメールのやり取りをしている。

雨がけっこう降っている。なんだか元気がなく、音楽を聴きながら横になる。隣のベッドのSさんがものすごく調子が悪そうで、何か不安の発作で苦しそうだ。看護士が来て注射を打っている。彼はかなりあせっているように見える。閉鎖病棟からこの病棟に移ってきた頃の方がずっと調子がよかったように見えた。どんどん悪くなっているようだが、それなのに早くここを出て仕事に戻ろうとしている。

作業棟に行く。体力テストはまあまあだったが、一般トレーニングの値は低かった。どうも気分が乗らない。1セット終わった後、そそくさとトレーニング後の体重を量って病棟に戻る。その時の体重がなんと、63.8kg。ついに63kg台をマークした。何年ぶりだろうか。

Wさんが奥さんと一緒に帰っていった。「また会うかも」彼はそう言った。同じ病院の同じ医者から紹介されてきたので、私が退院したら、その病院の外来でまた会うかもしれない。今日は親しい人が2人も抜けて、本当に寂しい。

昼はひたすらだらだら過ごす。入浴以外の時間はずっとCDを聴きながら横になる。

Sさんが主治医から「電気ショック療法」というのを試してみますか、と言われたらしい。電気ショック療法というのははじめて聞いた。長期の患者を短期で治療するときに使う手段で、奥さんと相談して、家族の了解を得てからでないとできないらしい。その療法について何か知らないか、と聞かれたのでネットで検索して調べると、効果的な薬が開発されて薬物療法が広まる前の時代によく行われていたものらしく、確かに一時的に記憶を飛ばしたりする、ということらしいが、それによる脳障害などもあり得るという。厚生労働省では医療行為として診療報酬3000点と定めているらしい。少し、というかかなり怖い療法だなぁ。そんなものまであるのか。それを医者が勧めるというのは、相当Sさんはあせっていて早く出たいと訴えているのか。E氏がうちの病室に入ってきて、しばらく3人で話をする。「焦らない方がいいと思うけど」「今この状態で出ていって会社行っても、仕事なんかできないでしょう」と2人で言うが、いろいろ事情はあるのだろう。どうしても早く仕事に戻りたいようだ。どんどん状態はひどくなっているというのに。会社の人と話をするために外泊するらしいが、医者としては外に出したくないらしく、どうしてもと言うので「自殺をしないと約束」させられて、奥さんに迎えに来てもらって外泊許可を得たらしい。大丈夫だろうか。

話しているうちに20:00を過ぎてしまった。さっさと就寝準備をする。なんだか今日は暗い一日だったような気がする。