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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

昨日も寝つきは悪かったのだろうか。自分でもよく覚えていない。眠れないなあと思って一度起きてメールチェックなんぞした記憶はあるが、その後はすぐ眠ってしまったのだろうか。朝はいつもどおり何もできず、昼まで寝ていた。もっとも、今日のデイケアの予定は八景島のシーパラダイスへ遊びに行く、というものだったが、シーパラは入場料が高いからはじめからパス、というつもりだった。今月は結婚式やら同期会やらあって出費がかさんでいる。少しでも節約しなければ。

とは言いつつ、今日はまた新しいものを買ってしまった。ピアニカである。昼過ぎから歌の練習でもしようか、と思って楽譜を広げた。合唱団Pに復帰してから山のように楽譜を渡されて、ひーこれ全部音取りしなきゃ〜、という状態だったのだ。私は簡単な曲ならそこそこ初見がきくが、やはりそこは合唱団P、一筋縄でいかない曲ばかり。やはり音取りをするには目の前に鍵盤がないとやりにくい。実は66鍵の小型キーボードは持っているのだが、小型とはいえ1メートルくらいの大きさはあって、わざわざ箱から取り出すのはめんどくさい。その上3和音までしか出せないので、和音を鳴らしたいときには物足りない。合唱団Pでは練習で指揮者がピアニカを使っているが、これなら小さくて持ち運びも楽だし電池もいらないし和音も押しただけ出るし、なるほどこれは使えるなあと思っていたのだ。というわけで、横浜のYAMAHAへ行ってピアニカを買ってきた。難点と言えば、音を出しながら歌えない、というところか。吹き口をくわえているのでしかたがない。まあ、これはこれでかまわないか。これから暇なときには歌の練習に励もう。今年のGWは合唱団Pの合宿なので、それまでにできるだけ音取りを済ませよう。

今日も一日寝ていたような気がする。昼頃起きて、「は〜またか〜」と思ってまた寝てしまった。一進一退ならまだいいものの、どんどん退歩しているようだ。最近は土日はでかけられることが増えたのだが、その分、平日の活動率が落ちているようだ。もっとも、カウンセリングでは「本当に自分がしたいこと、したくないことがわからなくなっている」という問題点を指摘されており、無理やり外出しても、それは決して調子がよい、というわけではないと言われている。「何もしないのは時間の無駄だし、とにかく何かしなきゃ」と思って動いているだけで、それを繰り返していては自分の心の風通しが悪いまま。心の中の葛藤は解消せず、やがて鬱という形で牙を向く。眠たければ寝ていればいい、それくらいの開き直りが必要だ。

先週のカウンセリングで「森田療法のように、何も考えずにとにかく体を動かすような方法はどうなんでしょうかね」と聞いてみたが「森田療法も最初の一週間は寝たきりで過ごし、そこで自分の内面と徹底的に向き合う」のだと言われた。方法論は違うものの、「本当の自分と向き合う」のが第1ステップにあたるのは同じようだ。とにかくその第1ステップをクリアしなければ話にならない。アルコール依存症の治療での最初のステップは、「否認の病気」ということを認識すること。鬱もまた同じかな。自分と向き合うためには、自分をいったん自分から離さなければならない。自分の力で何とかしようとするのは難しい。

いろんな本にいろんな方法論が出てくるが、その中で共通して出てくるのが「祈り」であり、そして何らかの形での「神」。これはアルコール依存症やアダルトチルドレンの回復プログラムでは「ハイヤーパワー」と表現され、悩み本のベストセラーであるデール・カーネギー著「道は開ける」では単に「神」として表現され、その他宗教系の本ではその信仰の対象である。なんでもいいのである。自分を捨て、自分をゆだねる何かが必要なのであろう。特定の宗教の神でなくていい。自分で定義した神がいれば。そういうことを入院中に他の患者からも聞いた。

私はこの「神」やら「ハイヤーパワー」なるもの、そして「祈り」ということについて、これは「プラシボ」と同じものに違いない、と感じている。「プラシボ」とは偽薬のことで、たとえばただの小麦粉を「風邪薬だよ」と言って飲ませると本当に治ってしまうとかいうことを「プラシボ効果」という。これはつまり、人間が持っている自然治癒能力というものは大きなもので、それはその力を意識しないことではじめて引き出される。自分で治そうと思うのではなく「この薬を飲めば治る」と薬の効果を全面的に信じきって、はじめてその効果は現れる。「こんな薬で治るのかいな」とか疑心暗鬼だったり「プラシボ効果で治るといいな」などとはじめから偽薬効果を期待しては効果は現れないだろう。

「神に祈る」というのも同じようなものではないのか。自分の能力だけで何とかしようとか、あるいは自分の潜在能力よ飛び出せ〜などと意識しては潜在能力は発露しない。自分を捨て、自分に謙虚になって「神様仏様なんとかしてください〜」と純粋に祈る、ということが、プラシボ効果と同じく人間の潜在能力を自分で意識している以上に引き出すことにつながるのではないか。

というのは私の勝手な仮説ではあるが、このカラクリが頭にある間は、第1ステップはクリアできないのでは、という自己矛盾に陥っている今日この頃である。いったいどうすればいいのやら。

昨日、おとといの反動だろうか。昨日はようやく普通に眠れたと思ったら、なんと15時半まで寝てしまった。ずっと寝ていたわけではなく何度か目が覚めて、朝食を食べたりはしたのだが、ほとんど寝ていた。「調子が悪い」とかいう以前にただただ眠っていた。疲れがどっと来たようだ。精神的なものと関係しているのか、ただ単に体力が落ちているだけなのか。結局今日は何もしていないに等しい。

昨日も夜、寝つきが悪くて、2時だか3時だかまで眠れなかった。最近この傾向が続いている。あまり続くようだったらもう一度主治医に相談しよう。

朝は何時に起きたっけな?6時頃だったか7時頃だったか。遅く寝る分遅く目が覚めるかというとそうでもなく、浅くしか眠れないまま目が覚めてしまう。それから頭がぼんやりした状態で、寝たり起きたりを繰り返す。いい加減この悪循環から抜け出したいが、体は言うことを聞いてくれない。心が言うことを聞いてくれないのか。

今日は学生時代の友人と新宿で同期会。10時20分頃家を出る。ふだんならこの時間はまだ動けないことが多いが、今日は何とか動けた。それでも頭はぼんやりしていて調子は万全ではない。電車で座れたからよかったものの、そうでなかったら着くまでにダウンしていたかもしれない。

同期会には夫婦3組+お子様4人、それに独身組3人と、けっこう集まった。久しぶりに話が盛り上がるかと思いきや、子供達がおおはしゃぎで、みんな子供を相手にしている間にあっという間に時間が過ぎてしまったという感じだ。子供はみんな2〜3歳。まだまだ怪獣だ。座敷の中を4人そろって奇声を発しながら何周も走り回ったりしている。いやはや元気だな〜。

14時過ぎにお開きになって、小田急百貨店の喫茶でお茶して帰った。実は終わったときは疲れ果てていて、どこかで一息つきたかった。子供のテンションに合わせていると、むちゃくちゃ疲れる。本当に今日はぐったりしていた。しばらく独身仲間のKとお茶してゆっくりした後、家路につく。これだけ疲れたから、今日はぐっすり眠れるだろうか。神経がたかぶっていてまた無理かもしれない。

昨日も寝つきが悪かった。悪かったなんてもんじゃない、眠剤を飲んで23時に寝ようとしたのに、3時過ぎまで眠れなかったのだ。1時過ぎ頃には寝るのをあきらめてPCに向かっていたような気がする。昨日、テンションの高い子供と遊んだので、神経が興奮していたのだろうか。それにしても最近眠剤が効かないことが多い。この間の診察でも言ったのだが、とりあえず薬はそのままだ。

それでもいつの間にか寝てしまって、7時頃目が覚めた。なんとなくテレビをつけてポンキッキーズを観ていた。その後何をしていたか、記憶は定かでないが、多分また寝てしまったのだろう。

昼に起きて、いつものごとくパンを買いに外へ出る。今日は暑い。もう初夏の陽気だが、風が強く吹いていて、涼しくてちょうどいいくらいだ。午後の時間は何をするともなく、なんとなく過ぎていった。

夕方になって外出する。今日は合唱団Pの練習に行くのだ。ちょっと早めに出て、横浜の三越のユニクロに寄った。ユニクロは減収減益らしいが、確かに以前と比べると週末にしてはそんなに混んでない。前はもっと客がひしめきあっていた。Tシャツを2枚とカッターシャツを買う。

その後電車へ乗って移動。練習解除の最寄り駅へ着くと、小雨が降っていた。今日は降水確率10%だったはずだが、0%でないから文句は言えない。駅前のマックで夕食を食べて練習まで時間をつぶす。食べ終わって一服していると、店員さんが2人くらい外に出て行ってなにやらはしゃいでいる。どうやら虹が出ているらしい。それを聞きつけた他の客が見に出て行って、携帯で写真を撮って戻ってきた。あ〜、俺の携帯もカメラがついてたらこんなときに撮れるのになあ、なんて思っていたら彼女からメールが来た。「虹が出てるよ!」だと。横浜でもあの虹は見えているのだろうか。もっとも虹は光学現象であり、「どこに」あるものでもないから「あの虹は」というのも変な話だが。

合唱団Pの練習では、バードやラッススのモテット、それにブラームスの曲を1曲やって前半終了。後半はプーランク。やはりプーランクはむずい。MIDIファイルを使って少しは音取りをしていったのだが、なかなか思うように歌えない。歌詞がフランス語というのがまた難しい。宗教曲ならたいていラテン語だからまだましなのだが、世俗曲は難しい。

今日は実質的に夕方から活動したから、そんなに調子の悪さは感じなかったが、明日はどうだろうか。明日は学生時代の合唱団の同期の集まりが11時半から新宿である。それに間に合うようにちゃんと行けるだろうか。