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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

昨日と同じ。

夜になるとまだ少しは元気が出るが、夕方までは寝ている。ひたすら寝逃げ。何から逃げているのか。自分の心の中に、静かな、しかし大きな「いやいや」が存在する。もの言わぬ魂。沈黙の主張。ただ黙って沼の底へと足をひきずり込む。沼の表面にかろうじて顔面だけ出して息をしている自分には青空しか見えない。あそこに出て行けそうなのに体が動かない。体を動かすことを何かが阻んでいる。でも自分の姿すら見ることは叶わない。

今日も一日寝てばかりいた。なぜ動けないのだろう。ばりばりの鬱というわけではなかったが、なぜか何もやる気がしない。自覚症状があまりないだけで、鬱であることに変わりはないのだろうか。何かが自分の行動をさえぎっている。自分の動こうとする意思、動かなければという意識にストップをかけている。自分でもわけがわかっていないが、目に見えない何かから逃れるがごとく布団をかぶって、いや布団に抱きついて寝てしまう。布団に抱きつくのは自分の癖だ。調子が悪いときほどそれは顕著だ。

こういうときはとにかく布団の中に逃げ込んでしまう。とにかく寝てこの場をやり過ごしてしまいたい。自分自身が嫌なのか、この現実世界が嫌なのか、とにかく逃避行動に走る。逃避なのか?少なくとも自分ではそう認識している。ネットで他のうつ病の人がよく「寝逃げ」という言葉を使っている。みんな同じような行動に走るようだ。寝逃げしたいのに眠れないとき、薬を使う人も多いようだ。眠剤の10錠や20錠飲んだくらいで死にはしない。それはみんなわかっていてがばっと飲んでしまうのだが、周りの人があわてて119番してしまうこともあるようだ。私はまだやったことがない。ないが、だんだん堕ちていく自分が怖い。いつか衝動的にやってしまうのではないか。自分が信じられなくなる。何を信じたらいいのだろうか?

今日は成人の日。新成人は今年もむちゃくちゃやったのだろうか。それはそうとまた月曜日が休みになってしまった。次に祝日を変えるならハッピーマンデーでなくハッピーフライデーにしてもらいたいものだ。連休を増やしたことで果たして経済効果はあがったのだろうか?

今日は昨日と同じく彼女とウォーキングに行った。昨日と同じ道のりを、昨日と同じく腿上げ歩きで。やはりしんどいが、昨日ほどしんどくない。たった一日で体が少し慣れたようだ。今まで相当なまっていたに違いない。公園について見晴らしのよいベンチで一休みしたとき、昨日は汗だくでTシャツ一枚になって体が湯気があがっていたが、今日はTシャツ一枚になるほどでもなく、湯気はあがってなかった。できるだけ続けることにしよう。

帰ってきてまた寝てしまう。かなり熟睡してしまったようで、夢も見なかった。昼ごろ起きてパンを買ってきて食べた後、また寝てしまった。15時半ころ一度起きたが、またまた寝てしまって17時半頃までねていた。結局一日中寝ていたことになる。

どうもこの病気になってから、異様に疲れやすくなってしまった。他のうつ病仲間と話していると、やはりみんな「疲れやすい」と言う。精神的な症状だけでなく、肉体的な疲労感も感じるのだ。一般にうつ病について解説した本を読むと精神面での症状だけがクローズアップされているが、実際に患者どうしで話をしていると、どうも本とは温度差があるようだ。

以前まだうつの自覚症状がなく精神科にかかっていなかった頃「最近異常に疲れやすい」ということを、アトピーでかかっていた皮膚科医に話したら「肝臓大丈夫かな?」と言われて血液検査を受けたことがあった。そのときの検査結果は異常なしだった。しかし、今では肝臓も大丈夫ではない。この疲れやすいのが、うつのためなのか肝臓のためなのかわからなくなってしまった。とにかくどっちも治す必要があることだけは間違いない。

今日は疲れた。朝から忙しかった。

何度も書いているように私は短期間で体重がかなり増加してしまって「高度脂肪肝」という検診結果が出た。それでダイエット通院することになったのだが、少しでも運動をした方がいいので、今日からウォーキングをすることになった。昨日彼女が「私もつきあうから一緒に歩こうよ」と言うので今朝8時に待ち合わせして往復30分くらいの公園まで歩くことにした。

それで今日は朝からウォーキングをしたのだが、ただ歩くよりもより効果的に、と思って腿を高く上げながら歩いた。公園までの道のりは登り下りの坂の連続で、これが結構つらかった。普通に歩くだけならなんともないだろうが、なかなか腿上げ歩きはきつかった。公園について一休みしたが、汗だくになって、肩から湯気が立ち上っていた。どれだけ続けられるかわからないが、無理のない範囲でこれからも歩こう。

そして午後からはヴォーカルアンサンブルAの練習。いつもは17時までの練習を16時までで切り上げ、その後は場所を移して新年会。現在アクティブなメンバー7人が久々に勢ぞろいし、さらにメンバーの旦那、奥さん、私の彼女も加わって10人で鍋をつついた。帰ってきたらもう0時近かった。久々に一日フルで動いて疲れた、と言いたいところだが、不思議とそんなに疲れは感じていない。明日になったら反動が来るのだろうか?明日も9時から歩く約束をしている。大丈夫かなあ。

今日は調子もよかったので予定通り散髪に行った。けっこう伸びたが短くし過ぎるとこの季節は寒い。「あまり短くせずに、全体的にボリュームを抑えるくらいにすいてください」と注文をつけて、後はお任せ状態。散髪中は眼鏡をはずしているため、ド近眼の私は自分の頭がどのように変化しているのか全くわからない。一通り切り終えて「これでいいですか」と聞かれるとき(このときは眼鏡をかける)、めんどうなのでいつも「ああ、こんなもんすね」と適当に答える。今日もそのパターンだったのが、切り終えて家に帰ってくると、どうもあまりすっきりした気がしない。確かに注文どおり、長さはあまり短くならずに全体的にボリュームは減ったのだが、う〜んもうちょっと物足りない。髪の癖が目立たなくなるくらいまで減らしてほしかったのだが、安易に「これでいいです」と言ってしまったのでしかたがない。切り過ぎてしまったのならしかたがないが、切り足りないのであればまだ注文をつけられるはずだった。安易に妥協するのはやめて「NO」とはっきり言える人間になりたいものだ。が、なかなかどうして周りに流されやすいこの性格、いろいろ気をつかってしまってなかなか周囲に強く出ることができない。今日みたいに自分が客の立場であっても、である。

この性格のせいで、仕事でもずいぶん胃の痛い思いをした。SI企業のSEという立場でベンダーにクレームをつけるのが苦痛だったのだ。少しこちらの言い分が強引だったりもするのだが、「客」という立場で少しごねてみる、という人間を演じるのが苦痛だったのだ。もう少し図太くなりたいものだが、こういう性格は実は私の生い立ちと深い関係があることが、今までのカウンセリングを通じてわかってきている。それは私がある種のAC(アダルトチルドレン)であることと関係している。私の性格の「八方美人」「誰に対しても『いい人間』であろうとする無意識」な部分が「やっかいなことを言ってくる客」を演じることに拒否反応を示すのだ。この性格は他にも仕事をする上で他にも重荷にのしかかってきた。「できません」と言うことができないのである。結果、どんどん仕事を引き受けたり、抱えてる仕事があふれそうになっても、やはり「できません」ということができずに、結局は破綻してしまう。そうして積み重なって「鬱」が出てきた。そういう自分を少しでも変えていかないと、この病気は治らない。あとどれくらい時間をかければ、どれくらい変わるというのだろうか。