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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

今日もめんどくさい。最近、夜は眠れるようになったものの、朝起きてもやっぱり動く気がしない。鬱とか以前に、やはりこれは単に「めんどくさい」が強いのか。日記を書くのもめんどくさくなってきた。今日はまた1日寝て過ごしてしまった。

この間ピアニカを買いに横浜のYAMAHAに行ったときから、いろんな楽器が欲しくなってしまった。目の前に並んでいるといじりたくなるのだ。今はギターが欲しいなあ。中学時代に家にあったクラシックギターでなんとかコードを覚えようとしたけど、よくあるパターンだがFのコードで挫折した。クラシックギターとフォークギターの違いなんかその頃は知らなくて、フォークギターだともっと弦が押さえやすいということを知ったのは大学に入ってからだったろうか。今からでもやりたいなあ。お金に余裕があった頃だったら迷わず買っていたろうが、今は節約をこころがけないといけないので、もう少しよく考えてからにしよう。

何もかもめんどくさくなってきた。
そして、それを必死に否定していた自分に気がついた。
心の風通しはその分よくなったのだろうか?
そうして自分の内面と対峙して、これから前進できるだろうか。

今日はただただめんどくさい。
これ以上書くのも。

昨日は予想外に早く体が復活して、昼過ぎには元気になった。日記にもそう書いた。

が、今日は一日中寝ていた。そうだ、私は疲れが遅れて出る傾向があるのだった。復活してなかったのだ。疲れがまだ表に出ていないだけだったのだ。

朝、何時頃だったろうか。5時か6時か7時か、とにかくいったん起きてコーンフレークを食べ、薬を飲んでまた寝た。

その次は昼だ。12時半頃起きてパンを買ってきて食べた。そして薬を飲んでまた寝た。

14時半、目が覚める。実は14時半から歯医者の予約があったのだ。あ、行かなきゃ、そうかすかに思いつつも、とても行く気がせずにそのまま寝てしまった。

彼女からの電話で目が覚める。いつの間にか17時をまわっていた。でもまた寝てしまった。その間に彼女がいったん家に来てから買い物に行き、夕食を作っていた。

「ご飯できたよ」の声で起こされる。目が覚めると18時過ぎ。本当に一日中寝てしまった。ご飯を食べてからはテレビを見てのんびりするが、どうもまだ体中がだるい。本当の疲れは今日に出てきたようだ。そしてまだ回復していない。明日は動けるだろうか。

昨日は疲れていて、まあ普通に眠れたようだ。寝つけなくて困った、という記憶がない。すぐにすやすや眠れたっけ?そして朝は何時に起きたっけ?それがとんと覚えていない。いったん起きたのだ。コーンフレークを食べた「かすかな」記憶があるのだ。食べたあとの皿もあるのだ。でもそれが何時ごろだったかぜんぜん覚えてない。なんか怖いのだ。

合宿の疲れで今日一日は体が動かない、ということを覚悟していたが、それほどでもなかった。昼過ぎには普通に起きた。今までと別に変わらない。いや、いつまでもそれじゃ困るのだが、とりあえず自分の予想よりも早く回復した、疲れが残ってなかった、ということでプラス材料としよう。

15時過ぎに整形外科へ行って、腱が切れた小指を見せる。最近では寝るときだけギプスをつけていたが、夜の間に固定してまっすぐになっても、ギプスを外しているとすぐに指が少しだけ曲がってしまう。結局それ以上は伸びない、ということで治療は終了となった。左手小指の第一関節はこれから一生15度くらい曲がったままである。まあ、日常生活にほとんど支障はないからいいか。オカリナも吹けたし。

今日、合唱団Pの合宿から帰ってきた。いや〜歌って飲んで遊んで疲れた疲れた。場所は甲斐大泉の音楽団体用ペンション。

<初日>
学生時代の後輩が運転するレンタカーでに4人相乗りしてペンションへ。朝8時半集合だが、起きたのは朝の5時。いつもならまた寝てしまうところだが、眠ったら最後と思い、必死に起きているためにブラームスの曲をMIDIに打ち込む。あ、これは3日の日記に書いたっけな?その後、体が動くうちに早目に家を出て、日吉のスタバで時間をつぶしてからみんなと合流。同乗者は学生時代の合唱団Hの4年後輩のS君、6年後輩のU君、合唱団H出身ではないが、同じ大学出身で6年後輩のYさん。同窓カーになってしまった。最近合唱団PのH出身人口がますます増加している。会社の後輩でもあるU君の的確な判断の元、車はGWにもかかわらず渋滞に一度もひっかからずに時間までに目的地へ着いた。14時から練習開始。モテットを2曲、プーランクを2曲やって午後の練習は終わり。夕食の後、夜の練習はブラームスを2曲。疲れたが、なんとかまだ体力はもっていた。宴会に途中まで参加して、0時前に寝た。

<2日目>
5時に目が覚める。あれだけ疲れていてもこの時間に目が覚める。外をぶらっと散歩してから戻ってきてまた寝た。朝食は8時から。
午前中の練習は、ブラームスをちょこっと全体でやってから、男女に分かれてパート練習。ブラームスを1曲とプーランクを2曲、音取りの難しい曲をやった。1人ずつ歌わされる場面もあり、なかなか有意義だった。昼食後はまたパート練習の続き。プーランクの続きをやった。実はこの時点で私はかなり疲れを感じていて、発声もままならない状態だった。なんとかパート練習を終えたあとは、全体練習を休んで夕食まで部屋で寝ていた。やはり人並みの体力は回復していない。夕食前には少し喘息も出てきた。
夕食後、夜の練習は、ブラームスを2曲、そして久しぶりにネーニエを歌った。休んだおかげで体力も回復して無事練習に参加でき、0時過ぎまでの宴会にも参加。
宴会後、眠剤を飲んで寝ようとするがなかなか眠れず。少なくとも2時過ぎまでは寝つけなかった。これだけ疲れているのに。昼間寝たせいだろうか。

<3日目>
5時前起床。3時間も寝てないじゃないか畜生。5時半頃またまた散歩に出る。天気もよく、空気もすがすがしく、小鳥の鳴き声も美しい。周りはペンションや別荘だらけだ。ぐるっと一周して帰ってきて、今日は二度寝せずにホールで過ごす。
朝食後、最後の練習。まずはモテットをさらりと流す。そしてモンテヴェルディのマドリガルを1曲。私はこの曲は初見だったが、うむ難しい曲がまた出てきたわい。まあ、音は難しくはないのだが、歌いまわしとかがねえ〜。
解散後、同窓カーは渋滞を避けるべく、合宿地の周辺で遊んでから夕方に帰ることに決定。11時半頃から移動し、なんたら山の頂上まで車で行ったり、リフトに乗って標高1900メートルまで上がってのんびりと景色を楽しんだりしていた。15時頃に再び移動し、いったん高速に乗るものの渋滞情報で240分などという数字を見てあっさりと降り、河口湖と山中湖に寄って夕焼け空を楽しむ。そしてそのまま山中湖から丹沢の裏手を通って相模湖近辺を経由し、20時頃横浜に戻ってきた。ファミレスで22時頃まで飯を食いつつ音楽談義。自宅まで車で送ってもらってさようなら。帰ってきたとたん疲れがどばー。ああ、はよ寝よ。