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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

今日はデイケアのイベントで、鎌倉に散策に行くはずだった。

「はずだった」と書いているからには当然行ってない。なぜ行かなかったのか。

朝は6時に起きてしばらくPCに向かっていた。お弁当を持っていかないといけないので彼女に頼んでおいた。彼女が起きる6時半ころ寝室に戻ったそのとき、急に何かが頭をよぎった。何と言うのだろうか、「今日は行かない方がいいような気がする」というか「今日は何となく行きたくない」と言うか。なんとも微妙なのだが、何かが自分にストップをかけている。昨日まで行く気まんまんだったのに。眠たい、というのもあったが眠気は気合でなんとかなりそうな程度だった。

起きたばかりの彼女にそのことを話す。「予期不安じゃないの?」そう言われればそんな気もする。今日の鎌倉散策は3つのグループに分かれるが、私は切り通しハイクのコースで、もっとも長い距離歩くし、そもそも山道を歩くから途中で調子が悪くなるとやばい。それで予期不安が生じたのだろうか。それならそれで納得いくのだが、なんか今日は微妙に納得がいかない。なんか「虫の知らせ」っぽい嫌な予感がするのだ。「お弁当どうする?」と尋ねる彼女に「いい、今日は行かないことにする」と言ってそのまま寝てしまった。

そして昼前に彼女と一緒に買い物に行ったら外は雨が降っていた。鎌倉組はどうしているだろうか。雨が降ったら中止で代わりにカラオケに行く予定だったが、朝9時過ぎに欠席の連絡をしたときは中止とはいってなかったから決行したのだろう。その頃はまだ雨は降ってなかっただろうし、降水確率は20%だったし。おそらく病院バスが鎌倉に着いた時点か、そこからみんなが出発した後から振り出したものと思われる。もし参加していたら、雨の中傘をさして山道を歩いていたかもしれない。ゴアのレインウェアなどのちゃんとした装備なんか持って行くつもりはなかったから。

予感はこれだったのだろうか。最近ずっと鼻がぐずぐずしているので、この寒い日に雨の中を1日歩いたら風邪をひくこと間違いない。(by長井秀和)今日はゆっくりと休んで昼寝もして夜はテレビを観てまったりと過ごした。明日も天気は悪そうだ。やだなあ。

今朝はばっちり起きてしばらくメール処理した後、朝食を食べてちゃんと着替えて、あともう少ししたらデイケアへ行こうとした。あとちょっとだった。が、しかし、なぜかまた寝てしまった。なんでやねん。やはり眠気が強いのか。鬱という感じではないのだが。

結局12時前に家を出て13時過ぎに病院に着いた。デイケアにしばらく顔を出した後、今日は診察があるので途中で抜けて外来へ。ドグマチールを飲みだしてから異常に眠たいことや、最近はその眠気も少しはましになってきたこと、全体的に調子はあがってきて今週は午後からだがデイケアに行けていることなどを話した。薬はもう少し様子を見たほうがいいのでとりあえずそのまま続けることになった。

デイケアに戻ってからゲームに合流し、帰途に着く。帰るとまたいっぱいメールが来ているのでしばらくその処理に追われた。明日はデイケアのイベントで鎌倉散策に行く。楽しみなのだが、果たして朝ちゃんと行けるだろうか。

今日はなんだかわからないが、行けなかった。いや、行かなかったのか。どうなのか自分でもわからない。

動けそうな感じだった。彼女も「今日は元気そうだから行ったら?」と言った。確かに動けそうだった。でも「めんどくさい」そう言ってまた寝てしまった。なぜ?めんどくさい?そう、布団から出るのも着替えるのもめんどくさかったのだ。

本当に調子が悪いときは、本当に動けない。なんとか着替えて外に出られる格好になったとしてもせいぜい徒歩30秒のコンビニくらいまでしか行けない。そこから先、駅に行って電車に乗って…、ということは到底無理そうに思える。

が、今日はそういうのではなく、「そこから動くこと」そのものがめんどくさい、と感じたのだ。デイケアに行くことが嫌とかそういうのではなく、プレッシャーがどうのとかそういう以前の問題のような気がする。今日の場合、もしその場で布団から出てパジャマを着替えていたら、そのままデイケアにも行けていただろう。でも、めんどくさかった。今日のプログラムはけっこう楽しみだったのに。午前中はソフトボール、午後はみんなで持ち寄ったお薦めの1曲を聴く予定だったのだ。

プレッシャーでもなく行くのが嫌なわけでもなく、ただそこから動くのがめんどくさい、これはどういう心理の働きによるものか。また課題ができてしまった。単に寒くなったから布団から出るのが億劫になっただけなのかもしれないが、そんなことでぬくぬくと寝っぱなしになるような自分ではなかったはずだ。

自分探しの旅はまだまだ続く。

今朝はいつものごとく、6時頃起きてはPCに向かい、そしてまた寝てしまった。今日は昨日ほどの重さはない。ただ眠い。

昼前に彼女に起こされたが、まだ眠い。彼女は昼食のパンを買ってくると言って家を出た。眠いが起きれないこともない、そう思ってもそもそと起きてのろのろと着替えた。なんとなく、今からなら行けるんじゃないかと思って準備した。彼女が帰ってきて一緒にパンを食べた後、家を出てデイケアに向かう。今日は昨日ほど行くのはつらくない。

午後からデイケアに合流。今日は散歩で、海沿いをずっと歩いていった。デイケアのメンバーが勝手に「エーゲ海」と呼んでいるこじゃれた場所まで行ってのんびりする。何がエーゲ海なんだかわからんが、ベンチがあったりテラスがあったりしてちょっと雰囲気がいい。しばらくそこにいた後、来た道を帰って病院に戻る。久しぶりにいい天気で暑いくらいだった。なによりの散歩日和でよかった。

家に帰ってからまたメールと格闘。昨日から今日にかけてメールの数が半端ではない。これは11月末締め切りだった懸賞の当選発表が大量に来ているからだ。せっせと処理しているうちに彼女がバイトから帰ってきて夕飯を作って、そしてまだ作業の途中だけど夕飯を食べてしばらくテレビを観た。その後もちょっとかかってようやくメールを処理し終えた。1ヶ月に1回くらいこういうピークがあることになるなあ。まあいいか。そう言えば今朝、懸賞で当たったワインが届いた。私は酒のことはよくわからんが賞品にするくらいだから多分いいワインではないかなあ。

今日は昨日よりも軽い気分でデイケアに行けた。これを積み重ねていきたい。「社会復帰のための訓練」などと身構えずに、ふらりと遊びに行く感覚でまずは行くのだ。昨日よりも今日はそれができていた。明日は午前中からソフトボールだ。久しぶりにソフトボールやりたいなあ。

昨日のもくろみは見事に失敗した。

朝は早くに起きていつものごとくPCに向かっていた。しかし、いつもより気が重い。

そして、着替えようと、タンスのある寝室に入ったところで、「がまんができない」そういう感じで布団に潜り込んで寝てしまった。

今日は「眠い」のではない。「重い」のだ。

この重さはなんだ。

昼前に起きて、のろのろと着替える。なんとか動けそうだったのでとりあえずそのまま家を出る。横浜駅でまずいカレーを食って病院へ。

デイケアではミーティングをやっていたが、私はそこに辿り着くだけでかなり消耗したのでしばらく部屋の隅で横になっていた。ミーティングでは忘年会で作る食事の相談をしている。

カウンセリングでこの「重さ」について話す。歌の練習に行ったり彼女と買い物に行ったりするのは平気でできる。もっと調子が悪いときはそれすらままならないが、少なくとも昨日は平気で外出していた。それらは「軽い」のだ。

しかし、「デイケアに行く」となるととたんに「重く」なる。鬱が入りこんできて体を心を蝕む。

カウンセラーは、デイケアに来ることが社会復帰のためのステップであるからではないか、と指摘する。デイケアに来ることイコール会社に行くことなのだ。そして私はまだ休職のリミットまで1年以上あるにもかかわらず、そのリミットにしばられて焦っている。無意識に焦っている。「早く復帰しなきゃ」「そのためにデイケアに行って訓練しなきゃ」そういう思いが帰って自分を縛り上げる。

カウンセラーは言う。逆説的だが、いったんそのリミット、つまり「会社」という枠を取り払って考えられるようになれば、ふっと軽くなるのではないか。枠を取り払うとはどういうことか。休職の期限が過ぎて会社に戻ることが叶わなくとも、幸い自分はエンジニアだし、他の会社へ行ったり独立開業したりして食っていける、漠然とでいいがそういう自信を持っていれば、「今の会社の休職のリミット」を意識しなくてもよくなり、心は軽くなるのではないか、というのである。

これはこれで難しい課題だなあ。「難しく考えないでいい」カウンセラーは言う。「デイケアに遊びに来る感覚でいい」そうも言う。社会復帰のための訓練とかそういうつもりでなく、家にいてごろごろして昼夜逆転したりしてむちゃくちゃになるよりかは、外へ出て遊んだ方がまだましだ。それくらいのつもりで軽く来たらいい、そう言う。

できるかなあ。