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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

調子が悪く、ボーカルアンサンブルAの練習に行けなかった。3月14日に本番があるのに、そしてそれまでもう練習はないというのに、非常にやばい。出番は10分くらい、3曲歌うだけだし、去年の年末のコンサートでやった曲ばかりなので、まあなんとかなるだろうとは思うのだが、今回はマイクを使っての演奏だし、できれば暗譜しよう、という話になっていたので、ちょっと不安である。

昔買いあさったアカペラ関連のCDを聞きまくっている。
Western WindのCDはやっぱりいい。このCDに入っている「In My Room」と「Sh’boom」を歌いたいのだが楽譜が何とか手に入らないだろうか。「In My Room」は楽譜があることは知っているのだが、日本では入手困難なのだ。

ちなみに今日は17時くらいまで寝ていた。

今日も結局デイケアに行かなかった。

昼間、行けそうだった。11時半ころにパンを買いに外に出ても大丈夫だった。家に帰ってきてパンを食べた。体調は大丈夫そうだった。その時間から行っても充分間に合うはずだった。でも、なぜか「行かなきゃ」という気にならず、結局ずっと家で過ごしてしまった。

なぜだろう。なんなんだろう。腰が痛いのでフットワークが重くなっているというのはちょっとあるのだが、そんな問題ではないことは確かだ。

いかん、このままではいかん。もうデイケアに行かないこと、というのが日常化していて当たり前となってしまっている。そしてそういう自分に慣れてきてしまっている。だめだだめだ。何とか喝を入れなおすのだ。そう思って昨日「明日こそは、午後からでも最後ちょっとだけの参加になってもいいからデイケアに行こう」そう思ったのだった。

昨日はなぜか寝つきが悪く、2時くらいまで眠れなかった。そして目が覚めたのは5時。いったん起きてPCに向かうが、また寝てしまう。いくらなんでも出かけるには早すぎる。

その後はどうしただろうか。結局10時くらいまで寝ていたのだった。そして起きて着替え、今からなら充分参加できる、と思って行こうとしたとたん、「それ」は襲ってくる。いつもと同じ離人感。私はうずくまって、そしてそのまままた寝てしまったのだった。

12時前に起きた。しかしまだデイケアに行く元気は出ない。おなかがすいたのでパン屋へ行ってパンを買ってきた。パン屋へ行くことはできたが、それだけでなんだか「へとへと」なのだ。パンを食べてまた寝てしまった。

かくして今日もデイケアに行くことは叶わなかった。明日はどうだろうか。「行かないことに慣れてしまう自分」を認めるわけにはいかないが、「行けない自分」を責めてもいけない。今日はだめだが明日がある。明日がだめでも次がある。そう思って毎日トライしていくしかないのか。

今日も昼過ぎまで寝ていたが、3時前に起きて、なんとか近くの整形外科へ行った。腰の痛みはあいかわらず変わらない。

レントゲンを5枚撮ったが、骨などには異常なし。いわゆる「ぎっくり腰」ですね、と言われた。いわゆる「ぎっくり腰」というのは、実は名前はよく聞くがどういうものかよく知らなかった。医者からもらった紙を見たところ、

「重い物を持ち上げようとしたときや、中腰になったときに、急に腰が痛くなり動けなくなってしまう状態をぎっくり腰と呼んでいます。脊柱を支えている筋肉、椎骨、椎間板を痛めた状態です。」

と書かれていた。重い物を持ち上げようとしたりしたわけではないのだがなあ、と腰が痛くなったときのことを改めて思い出すと、そうそうソファに寝転がっていて、起きようとしたときに腰に痛みが走ったのだった。つまり、寝てばっかりいるので筋肉が弱ってしまい、自分の体重さえも支えられなくなってしまったというわけか。とほほ。

10日くらい腰に負担をかけないように安静にしていれば治るでしょう、ということだった。そしてまた「腰痛体操」の冊子をもらったのだった。痛みが取れたらちゃんと体操して筋肉を強化しないと、腰痛が癖になってしまうかもしれない。それは嫌だなあ。治るまでは湿布を貼ってコルセットをはめることになった。生まれて初めてコルセットをはめた。確かにぎゅっと締め付けられて楽なのだが、ずっとはめていると筋肉がそれに頼ってますます衰えていくらしい。

乾燥して肌もぼろぼろだし、満身創痍だ。早く人間に戻りたい、という感じである。