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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

5月11日火曜日のことである。久々に8時間も熟睡できて朝目覚めたら、体が軽く、心も穏やかで、数年ぶりに心にかかっていた霧が晴れたような気がした。元気になっていろんな人と話すようになり、以前のように頭が速く回転し、話をしていても言葉がぽんぽん出てくるようになった。そしてその状態は先週いっぱい続いた。今までとは違う。これは一歩前進した。今度こそいけるかも。そんな感じだ。今の調子が続けば早くて今月いっぱい、遅くとも来月いっぱいには退院できる見通しである。そして退院して1ヶ月くらい様子を見て復職できそうである。明後日の火曜日に会社に行って、復職に向けて人事部と面接をする予定である。

しかしながらこういう病気は再発性が高い。今回よくなったからと言って、いつまた調子を崩すかわからない。いくら自分で気をつけていても、季節の変わり目などにホルモンのバランスが崩れたりして調子が悪くなることはいくらでもあることだそうだ。いつ爆発するかわからない爆弾を抱え込んでしまったようなものだ。だから私はもう以前の私ではない。前の私には戻れないのだ。今まで「なんとかしてこの病気が治らないかなあ、いつになったら治るのかなあ」と思っていたが、これからは「治そう」というのではなく、「うまく病気とつきあって生きていこう」、そういう考え方になった。

そして私は「精神障害者保険福祉手帳」を取ることになった。主治医に書いてもらった診断書を持って明日区役所に行って手続きをしてくるつもりだ。つまりそれは、「こころの病気」というハンディキャップを持った「精神障害者」として生きていくことになったことを意味する。なった、というか自分で選択したのだが。

これからは障害者の立場から「こころのバリアフリー」を提唱していこうと考えている。退院して落ち着いたらもう一つHPを立ち上げようかなあとも思っている。精神的な病気を持った人にとっての一番の障壁(バリア)とは何か。それは「社会の人々の偏見、理解のなさ」である。車椅子の人には優しくできても、どうしてこころの病気の人には優しくできないのか。そういうことを綴っていこうかと思っている。

とりあえず今日は、彼女が仕事から帰ってきたら久しぶりに焼肉を食べに行くことにしているので、それが楽しみである。彼女の仕事が終わるまで、冬のソナタを見ていたところだ。実は先月ついに光ファイバーがうちに来たのだ。有線ブロードネットワークのBROAD-GATE01である。うちは無線LANだが、有線で実効速度を計測してみたら54Mbpsも出て超感激である。無線だとさすがに10数Mbpsに落ちるが、それでも充分である。そしてUSENが今、BROAD-GATE01加入者を対象に「冬のソナタ」全20編を無料配信しているのだ。それを観ていたのだが、Windows Media Player でノンフレームモードにすれば、まるで液晶画面がテレビになる。それで冬のソナタを観ていたのだ。みんな言っているが、はっきり言って「くっさ〜」というドラマである。しかしはまってしまいそう。

日記を書くのは久しぶりだ。調子が悪くて日記を書くのもしんどいというのもあったが、そもそも「1行でもいいから絶対毎日書かなくては」とかいう自分に対する制約、自由度のなさが調子を悪化させているかも、と思って無理に書かないようにしていたのだ。自分で自分の首を絞めていたのだ。

毎週末は外泊して家に戻っている。土曜日の昼前に帰って来て、月曜日の昼過ぎに病院に戻る。そんな感じでやっている。

今の状態は、4月の終わりに躁転して躁状態になっている。躁状態は鬱のまるで逆で、とにかく突っ走って突っ走って動き回って止まらなくなる。適度な休憩を入れることもなく、体がへとへとに疲れているのに自分で自分を止められない。制御不能なのだ。いろんなことがはかどるのはいいとして、体がぶっ倒れるまでやってしまう。

何とか自分をコントロールしようとして、今はタイマーを使っている。たとえば次の活動時間を50分とセットしておき、アラームが鳴ったら強制的にやっていることを休止して休む。そして今度は10分にアラームをセットし、それが鳴るまでは、早く続きがやりたくてうずうずしているのを我慢して体を休める。そんなことをやっているのだ。そんな機械に頼らずとも自分をコントロールできればいいが、まあ何もやらないよりかはましだろう。そうやって徐々に自分でできるようになっていけばいい。

病院の都合で4月から主治医が変更になった。この医者が当たりで、患者の状態に応じてダイナミックに薬を変えてきたりする。内科や外科などの普通の医療現場では、血液検査やレントゲンなど、客観的なデータを用いて医師は診断を下す。しかし精神科の場合、ほとんどの場合が自己申告の世界なのだ。診察といっても、患者が「ぜんぜん動けなくて、気分が落ち込んでいて」とか「ぜんぜん眠れなくて」とか話すのを聞いて医師は診断をくだす。

しかし、心の様子は見た目にも現れる。めつき、かおつき、姿勢、体の動きなどで心の状態がわかるのだ。そして、今度の主治医は患者のそういう点をよく観察している。入院病棟では、みんなでレクリエーションをやったりするが、今までの主治医はそういう場に顔を出すことはなかった。しかし、今度の主治医は顔を出すばかりか自ら参加したりする。そして、ただ参加するだけでなく、そこで患者の様子を事細かに観察しているのだ。私はこの先生についていくことに決めた。この先生が他の病院に移ったら、私も病院を移ろう。そう思わせるほどの名医だと思う。実際、看護師や他の患者からも評判がいい。

さてさて、昨日は友達の結婚式で疲れたのだが、なんとか自分をコントロールできて、チャペルの式から披露宴、二次会までもつことができた。めでたしめでたし。それでは今日はもう少ししたら病院に戻るのだ。

ううむ、おとといから今日まで外泊で家に戻っていたのに、調子が悪くてずっと寝ていた。日記も満足に書けなかったし、ボーカルアンサンブルの練習にもいけなかった。やばいのだ。

先週の水曜日に薬が変わってからずっと低調が続いている。多分薬の副作用だと思うのだが、なんだか現実感がない。皮膚の感触は自分の皮膚ではないような感じがするし、ずっと頭がくらくらして胸がむかむかして乗り物酔いしているようだ。金曜日の夜、寝る前には嘔吐してしまった。外泊中も寝てばかりだった。

今まで飲んでいた薬であまり調子があがらなかったから、4月から交代した新しい主治医が薬を総とっかえしたのだが、それで今は苦しんでいる、という、感じだ。もっとも、抗鬱剤は効果が現れるまで2〜3週間かかるが、それより先に副作用が現れるので、最初は副作用を我慢しないといけない。今はその時期なのだろう。しかし、いつまでたっても副作用が消えなかったらその薬は中止しないといけない。消えてくれるのだろうか、この気持ち悪さは。

昨日は22時半頃寝たが、2時頃目が覚めてしばらく眠れなくなったので、追加眠剤を飲んでまた寝た。しかし朝は6時頃目が覚めてしまった。病院では5
〜6回目が覚めるので、やはり家の方が落ち着いて眠れるようだ。

朝からコンビニに行って楽譜をコピーし、帰って来てから製本したり、病院までのバスの時刻表をExcelで作ったりといろいろ忙しく雑事をしている。実は何か集中してやっているときが私は一番調子がいいのだが、それは誰でもそんなものだろうか。

昼までなんだかんだしたりうだうだしたりして過ごす。さて、もう少ししたら病院に戻らなくては。ああ、家はやっぱり落ち着く。早く退院したいよう。

1週間ぶりの外泊だ。家の方が居心地がいいし、調子が悪かったので先週の日曜日は病院に戻りたくなかったのだが、戻らないと大変な事態になってしまう。少なくともしばらくは外泊はできなくなってしまうので、やっとの思いで戻った。

 先週は調子が悪かった。外泊から戻った次の日の月曜日は割りと調子がよく、朝から作業療法でエアロバイクを漕いだりしていたのだが、火曜日からどうも不調になって、少なくとも午前中は寝ていることが多かった。夜中に5回も6回も目が覚めるので、眠りが浅く、それで寝不足な気がする。金曜日は彼女が面会に来てくれて午後はずっと一緒に話したり、病院内の敷地を散歩した。

どうも3〜4日おきくらいに好調と不調を繰り返している感じだ。まだまだ安定しない。今回の入院は今までよりも安定するのに時間がかかっている。退院までいったい何ヶ月かかるのだろう。彼女に会えないのもつらいし、さっさと退院したいのに、そう思って焦るとよけい逆効果なのだ。いったいこの病気は治るのか。金曜日に主治医と面談し、月曜日から薬が変わることになった。アナフラニールからアモキサンに変更。薬がうまく効いてくれるといいのだが、抗鬱剤は効き目が現れるまで2週間くらいかかるくせに副作用はすぐ出るというやっかいものだ。しばらくは辛抱かもしれない。それから、寝る前にリーマスという薬を追加してみます、と言われた。催眠作用があるので睡眠障害の改善になるでしょう、と言われたが、家に帰って薬の本で調べたら「抗躁剤」と書いてある。躁状態を抑える炭酸リチウムらしいのだが、そんな薬飲んで大丈夫なのだろうか。「薬の効果の出る量と副作用の発生する量とがあまり離れていないため、厳格な管理が必要な薬です」などと脅し文句が書いている。怖いなあ。

土曜日、9時過ぎに病院を出て日吉の散髪屋に向かう。頭がいいかげんにぼさぼさになっていたのですっきりしたかったのだ。13時からボーカルアンサンブルのジョイントコンサートのの合同練習が都立大学であるので、途中で寄るのにちょうどよかった。12時前に散髪屋を出てから都立大学へ移動し、マックで昼ごはんを食べたあと、駅前で誰かを待ち伏せする。練習会場の名前はわかるのだが、病院から直行なので地図をプリントアウトできず、どうやって行くのかわからなかったので、ここで待ってたら誰か来るだろうからついて行こうという算段だったのだ。ほどなくしてボーカルアンサンブルAのYちゃんが来たので練習会場へ。久々に合唱の練習をした。発声練習からまじめにやったのは何ヶ月ぶりだろうか。予習不足だったが、まあなんとかなった。今回新たに参加したS-Wafnaの人たちはとても頼もしい。彼らがいなかったら今回の合同演奏はかなり苦しかったろう。

16時頃に練習を終えて駅前でお茶する。17時過ぎになってみんな飲みに移動するようだったが、私は疲れたので家に帰ってきた。彼女はバイトが18時までの予定だったが、他のバイトの人が体調不良で帰ってしまったので急遽20時までになった、とメールがあったので急いで帰る必要はない。横浜でぶらぶらして松屋の「豚めし」を食べて、ヨドバシで単3電池を買い込んで帰ってきた。

家に帰ってきたらやることがいっぱいたまっていた。まず大量のレシートやメモ書きを家計簿につけていく。できるだけ正確に家計簿をつけるようにしているのだ。病院ではそんなにお金は使わないが、それでも節約をこころがけなくては。