一度目の休職
産業カウンセラーがある日、「一度お父さんと話をしてみたい」と言った。自分は「父親から見て息子はどういう性格か、幼少時はどうだったか」というようなことをカウンセラーが聞きたいのだろうと思った。父は仕事でときどき上京することがあったので、都合をつけて会社に来てカウンセラーに会ってもらうことになった。自分はその場にいなくていいと言われた。
そして実際に父が来社すると、部長、課長、カウンセラー、そして人事部の人がいて、「息子さんを休ませるように説得してください」という話をされた。結局それで観念して、3ヶ月間会休職し、実家で療養した。社会人になってまで親が呼び出されるなんて、自分が情けなくてしかたがなかった。
明確な躁転
会社を休んでいる間、1ヶ月くらいたって突然調子がよくなり、がんがん動けるようになった。そして会社に復帰し、快調に仕事をこなしていた。私が無理をしないように気をつかってくれた課長が、業務命令で「18時になったら帰れ」と言ったのが自分には物足りなく、朝7時に出社して仕事をしていた。今まで休んだ分を取り戻したい、そういう思いでいっぱいだった。
元気になっただけではなく、自分は人が変わってしまっていた。会議の場で皆の前で不満をぶちまけたり、先輩に「このやり方は自分のポリシーに反します!」などとたてついたりしていた。
あきらかに躁状態であった。その頃は「躁状態」という概念を知らなかった。「めちゃくちゃ調子いい」としか思っていなかったのだ。
再発、そして再びの休職
しかし再び3ヶ月くらいたつとまた徐々に調子を崩し始め、少しずつ以前のように休んだり午後出勤が多くなった。そしてドクターストップがかかり、再度休職して実家で静養することになった。しかし、1回目と違ってなかなか調子がよくならなった。2ヶ月たっても3ヶ月たっても寝てばかりの状態が続いた。父親からは「えい!と気合でなんとかならないのか」と言われたが、なんとかなる病気ではない、ということはわかってもらえなかった。
今とは違って、まだまだ理解を得られる病気ではない、そういう時代だった。