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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:お仕事

今日はいきなり30分残業してしまった。仕事を教えてくれる30代前後とおぼしき女性が、多分彼女も派遣なのであろう、小さい子供がいるから毎日16時に帰ってしまうのだ。今日中にこれこれをやっておいて、そう言われたことが定時までにできなかった。30分残業したけど、聞かないとわからないことがあり、つまづいたので帰ってきた。

とは言え、まだ仕事らしい仕事はやっていない。やっているのは、仕事をするためのPCのセットアップ。この作業にずっとはまっている。ネットワーク管理のために、たくさんのソフトをインストールしないといけないのだが、それを海外のサイトからダウンロードしてきて英語の説明を読んでインストールして設定して、ああうまく動かないなんでなんで?そんなことを繰り返していた。そして、それがまだ終わってないのだ。

今日は2台目のPCがデスクに来たのでそのセットアップもやっていたのだが、

「これだけじゃ足りないよね。次のPCは何がいい?」

と聞かれた。うわあ、まだ増えるの?と思ったら隣のブースの人は4台のPCを並べている。デイトレーダーのようだ。

OAで使っているのは1つで、後はネットワーク監視用にずっとログを流しているとかそんな感じなのだ。全部別のVLANにつながっている。

「UNIX環境もあった方がいいから、次はDELLでも買ってLinuxでも入れる?」

うむ、ではそうしようか。Macを使っている人もいれば、Intel MacでBSDを使っている人もいる。う〜んなかなかマニアック。大学の研究室を思い出す。

ネットワーク管理というのは、今やかなり重要なセクションである。単にこのLANからこのLANに何番のポートを通したいのだけど、とか組織変更があってここにVLANを追加したいのだけど、と言うような要望に対応するとか、あとはトラブル対応だけかと思っていた。が、それだけではない。

今日は先ほど書いた女性と一緒にGメンをやった。ネットワーク監視ソフトがP2Pソフトと思われる通信を検知したのだ。Winnyでなく、Linuxのバイナリを配布する用途などにも使われているBitTorrentというソフトのパケットである。そういう用途で使われることも多いので違法性が高いとは限らないのだが、一応P2Pソフトは禁止されている。

そしてIPアドレスを元にしてログを追跡していき、MACアドレスからL2スイッチのポートまで特定する。ここから先は、どこの居室に接続されているか、ということまでしかわからず、その居室の誰が使っているのかはわからない。そこで我々が乗り込む。

「情報基盤センターの者ですが、ここでP2Pソフトを使われていることが検知されました。どなたかお使いですか?」

との女性の言葉に、1人が

「あ、私がCD-Rを焼くために使ってましたが…、だめなんですか?」

と1人が答えた。

「ファイルの中身まではわかりませんが、違法なファイルなども出回っていることが多いため、基本的に禁止しているんですよ。どうしても代替手段がなければ届け出を出していただけばお使いいただけますが、他の方法でできませんか?」

「わかりました、他の方法を探してみます。それにしても、すぐにわかっちゃうのですね」

「最近はP2Pソフトで情報が流出する事件なども多いので、厳しく監視しています。ご協力をお願いいたします」

そうして我々はその居室を後にしたのであった。う〜ん、ちょっとかっこいい?

ウィルスやSPAM、P2Pなど日々新しく出てくるネットワークの脅威に、我々は迅速に対応し、先手を打たなければならない。縁の下の力持ちではあるが、なかなかやり甲斐のある仕事のようだ。

今日から新しい職場へ出勤である。今まで「転職活動」というカテゴリで書いていたが、新たに「お仕事」というカテゴリーを追加した。

ぬるい職場である。前の会社の仕事のスピードが嘘みたいである。やはりこれは民間企業と、特殊な研究所という環境の違いだろうか。おそらく両極端なのだろう。

それに、すごく個人のスペースがすごくゆったりしている。一人一人がパーティションに囲まれていて、それがネットカフェの個室の様な窮屈なものでなく、机がへの字型ででかい。

そのでかい机の上に、みんな2台ずつPCを置いて仕事をしている。これは仕事の性質上2台必要なのだ。1つはOA用。そしてもう1台は研究所の各所のLANにつなげられるように切り替えられるPCである。ネットワーク管理チームなので、それが必要なのである。

午前中はPCのセットアップなどをして、研究所全体のネットワーク構成の説明を受けたり、所内のイントラの説明をしてもらった。昼食は所内の食堂でみんなで食べた。工業地帯の中にぽつんとある研究所。外に出ても食べるところはない。しかし、ちゃんとした定食を食べて380円。これは安い。売店もあったが、これはちょっとしょぼかった。

午後からは実際にネットワーク構成図を見ながら、それぞれのネットワーク機器がどこにあるか、実際の場所を案内してもらった。これが大変だった。なんせ、広いのだ。

そして、その後はなんだかんだしているうちに終わってしまった。SSHで通信するために暗号化しているのだが、そのための公開鍵と秘密鍵を作ったり(本物の鍵ではない)、いろんな管理サイトやツールに登録してもらってはログインしていろいろ試したり、いろんなアプリをインストールしたり。

そして定時になって帰ってきた。いや〜今日は初日だったからか、楽だった。でも、みんな特に忙しそうでもなく、いつもこんな感じのようだ。しかしながらテクニカルな知識は要求される。我ながらおいしい仕事に就けた。苦労した甲斐があった。明日から仕事に行くのも楽しみだ。

と、安心して無理をしないように気をつけなくては。

今日は業務としては最後の日だった。

引き継ぎも終わったし、資料で修正しないといけないところを直して、あとはPCのお掃除。自分で勝手にインストールしたアプリを削除したり、不要なファイルを削除したり。それから身辺整理。各種資料などを片っ端から捨てていった。私物の本がかなり大量にあり、それは宅配便で自宅宛に送った。

なんか、肩の荷が下りたような気がする。でも、情け容赦なく人生はこれからも続くのだ。

今日はなんとか会社へ行って、もう身辺整理状態。昔懐かしの資料などが出てきたりしたが、片っ端から捨てて行く。PCの中もお掃除。自分でインストールしたアプリなんかを消していく。あとは引き継ぎをやって、ちょっと引き継ぎ資料を修正しないといけないが、それは明日にまわして病院へ。

病院はめちゃくちゃ混んでいた。年末年始を挟むからしかたがないが、診察でも待って、その後院外処方の薬局でも30分くらい待って、待ちくたびれた。思わず帰りはタクシーで帰ってしまった。へとへとだった。

あと、少しの辛抱だ。年が明けたら、思う存分に休むがよい。

日記を書くのは久しぶりだ。

結局会社は12月いっぱいで辞めることになった。

限界だった。

12月に入って調子を崩し、1週間会社を休んだ。
やっと出てきたものの、体調はずっと悪く、だましだまし通勤していたものの、遅刻したり早退したり、遅刻してきて早退したり、ずっとしんどかった。医者はすぐに仕事を休め、とは言わないが、できるだけ無理をしないでくださいと言った。

でも自分ではわかっていた。

「今休まなければやばい」

私も患者歴はそこそこ長い。今までのパターンから言って、ここまでの状態に陥ったら、決して無理をしてはいけない。今はまず休んで、とりあえずは体調を回復させることに専念しないと、ますますダメージは大きくなって、あとから取り返しのつかない状態まで病状が悪化するおそれがある。

傷病欠勤と休職期間を使い切っての復職だった。それからたった半年である。当然再度の休職は認められない。

しかも、なんだかんだ会社を休んだので、残りの年次有給休暇は3日しかない、という状態。人事部との面接で、その3日を超えて休んだらどうなりますか、と改めて確認したら、その時点でアウト、ということである。これは9月の面接でもわかっていたことだった。サドンデスな状態だった。

無理である。どう考えても無理である。今の体の状態で、今年度、つまり3月まであと3日の休みだけで乗り切るのは、自分にとってかなり無理をして、重い体をひきずっていかないといけないことになる。それはとても無理だ。ありえない。絶対にどこかで力尽きるであろう。そして私はぼろぼろになるだろう。

それに加えて、そんなやめ方をしたら周りにも迷惑がかかる。十分な引き継ぎもできないまま、突然いなくなるというのは、会社にとても迷惑をかけてしまう。それだけは避けたい。そんな迷惑な辞め方だけはしたくない。

と言うわけで、12月いっぱいで退職します、ということにした。12月いっぱいを待たずしても、3日以上休んだらその時点でアウトなわけなので、とにかくきっちりと引き継ぎができるよう、だましだまし出勤する状態だった。結局1日休んだだけで、あとは一応曲がりなりに出勤はしている。来週は月、火と出勤して最後の引き継ぎ、身辺整理をしてから水、木と残り2日の有給休暇を消化し、30日の金曜日に最後の退職手続きである。

とりあえずしばらくは休んで、体調が回復してから次の仕事を探さないといけない。こういう病気だとなかなか難しいかもしれないが、正攻法以外にもいろいろコネを当たっていたりする。4月に職場復帰してから7ヶ月ちょいくらいか、とりあえずまだ自分のスキルは通用することがわかった。それなりに仕事ができることもわかった。それで十分である。体さえ動けば、手に職を持っているので、それで食っていける。だから、今は体を休めよう。

ふぅ、疲れたよ。
お疲れ様。
自分に言ってみる。