今朝の朝刊を見て唖然とした。1面トップに
柔道男子、初の「金」ゼロ
である。なぜそんなに金メダルにこだわるのか。柔道は日本のお家芸と言われているが、とっくの昔から「JUDO」として世界的に盛んに行われている競技の一つとなっている。海外の選手だって切磋琢磨している。「柔道発祥の地」だからと言って、金メダルをとって当たり前というのは、選手にとって本当に酷である。
銀メダルだって銅メダルだって、世界の2位、3位である。実に立派なものである。数だけで言えば、柔道男子は7階級のうち4階級でメダルをとっている。他の競技ならこの数は大健闘である。金メダルこそなかったものの、メダル4個というのはアトランタ、シドニー、アテネと同じである。北京大会では金メダル2個だったが、メダルはその2個だけであった。十分まだ日本の柔道は強いと思う。
それなのに、「金」ゼロのニュースが新聞の1面トップを飾り(もちろんアーチェリー古川選手の銀メダルも大きく取り上げられているが)、
北京五輪後、指揮官に就いた篠原信一監督は「私の責任」と認めるが、どう解決するかが問われる。
などと報じられている。「金ゼロ」が責任問題に発展するほど深刻な問題なのだろうか。銀メダル、銅メダルをとった選手だって十分立派なのに、その健闘が讃えられないような気がして気の毒だ。