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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:IT関連

昨日は夕方から用事ができて遅くなってしまい、23時45分頃寝た。もちろんデパスも飲んだ。これで寝つけるかと思いきや…、そうは問屋が卸さない。昨日はいっぱい考え事や心配事がありすぎて、デパスでは追いつけないのか、寝ようとしてもあれはどうしよう、これはどうしようと頭に次から次へと心配事が襲ってくる。デパスも私の悩み事にはかなわないのか。

1時間半にセットしていた扇風機のタイマーが切れて、ありゃそんなに時間が経ったのか、と思っていったん起きた。デパスは1日3mgまでなので、もう1錠飲んでもよさそうだが、あまり時間をあけずに飲むのは血中濃度が上がってあまりよくはない。とりあえずいつもの追加眠剤を飲んでみた。

それから、悩み事はとにかく外に出して整理してみればいい、と思ってPCに向かい、とにかくば〜っと頭の中でぐるぐるまわっていることを書き出してみた。少しはすっきりしたかもしれない。体調を回復させるには、いったい今何をすればいいのだろう。そして貯金が底をついたら、自分と彼女はどうやって生きていったらいいのだろう。

考えても結論は出ないのでそこはとりあえず置いておく。まずはもう少し安定したら働くことだ。その「働く」というのが精神障害者にとっても狭き門。どういう仕事があるか、就職するのにどういう手段があるか、いろいろ具体的に書き出してみた。

そもそも自分はSEだった。今も今後もそのつもりだった。ずっとそれにこだわってきた。またエンジニアとして頑張りたいと思って、新しい知識や技術を身につけないと、と思って、LinuxをインストールしていじくったりPHPを勉強してみたり、つい最近までそんなことをやっていた。

しかし、IT業界は多少差はあってもどこへ行ったって厳しい。どこへ行ったって、エンジニアとして働くのであれば、過酷な労働環境は覚悟しないといけない。しかし、それは自分にとって身の破滅につながる。私は考えた。どうやって生きていったらいいか。

「細く長く」

それが自分の今のキーワードである。去年一時的に回復して、毎日会社に行っていた頃。そのときは1日7時間半の労働だったが、仕事の内容としては、やはりエンジニアというのは厳しい。明日までにこれを調べて資料を作って、チームの人や協力会社の人とのミーティングをセッティングして、やることは山のようにあって、そして調整調整また調整、まあきりがないのだが、とにかくストレスがかなり溜まる仕事である。そして時間では区切れないところがある。

「細く長く」

これを考えると、もっともっとハードルを下げないといけない。そう考えると、まだまだプライドにしばられていた自分がいることに気がついた。そしてたどり着いた選択肢の一つが、

「エンジニアとしての仕事はストレスが大きすぎるし、時間も不規則だったりするので、それはあきらめる。9時−17時の派遣社員で、一般事務やOA業務、または入力などのルーチンワーク」

である。とにかく時間を区切らなければ。だから残業はしない。定時で必ず帰れる仕事。半ば正社員などになると、残業はしません、というのは通用しない。だからあえて派遣社員。それも、少なくともSEよりは(多分)ストレスの少ない簡単な仕事。給料は少ないかもしれないが、彼女と2人で細々と生活できればそれでいい。

他にも仕事はいくらでもあるが、とりあえずこういう方向で考えるようにしよう。自分としてはハードルをだいぶ下げたつもりだ。昨日の夜は、じゃあ派遣会社に潜り込む(?)にはどういう方法があるだろう、というのをリストアップしていた。

精神障害者が就職活動するとき、病気のことを面接で話して入ることを「オープン」、隠して入ることを「クローズ」という呼び方をする。もちろんクローズの方が入りやすい。というかオープンにした時点で相当狭き門になる。精神障害者をわざわざ雇う会社はなかなかない。

しかし、私はできるだけオープンで行きたい。もちろん職にありつくのは厳しくなる。いくら学歴や職歴が立派でも、そういう病歴があって、現在も通院中だ、と言うとどこの会社も「それではちょっと…」と言うことになる。そもそも私の学歴と職歴で、上に書いたような仕事を希望する時点で、どこの会社の人間でも「こいつ、何かあるな」と、すぐばれることだと思うのだ。人事部の人間の目は鋭い。

とにかく、私はこの病気とずっとつきあっていくつもりである。完璧に治そうと思っていないし、治ると思っていない。完璧はないのだ。たとえ病状が安定しても、いつまたぶり返すかわからない。そう、去年のように。

だけど、この病気とずっとつきあっていくには、自分だけでなく、私を取り巻く他の人たち、そして社会全体が一緒につきあっていってもらうことが必要不可欠である。病気のことを隠してがんばるのでなく、こういう病気なので無理はできないけど、できる範囲のことをやらせてください、それを理解してくれる環境であり、会社でないと続けていけないだろう。

「細く長く」

コネも含めて仕事を探す方法についてあれこれ書いていて、障害者向けの就職サイトを検索して見つけ、読んでいると2時くらいに。あれあれ、またこんな時間か、やばいと思って寝た。今度は眠れた。

そして朝は7時過ぎに自然に起床。割と調子がいい。最近朝が調子がいい。朝の調子というのが私にとって一番のバロメータなので、これはいい傾向である。

しかし、午前中にPCでAccessで適当なアプリを作っているうちに寝てしまった。起きたら11時40分。何時から寝ていたんだろう。

実はAccessは昨日から触り始めた。会社ではAccessでの開発経験はないのだ。OfficeのPersonal Editionには入ってないこのソフト、Accessくらい当たり前のように使えなきゃ、と思ってずいぶん前に買ったものだった。しかし、買っただけの状態になって埃をかぶってた。上に書いたように一般事務やOA業務とか、そっちに方向転換するなら、PHPとかやってるより、Excelを小さな小技まで使い倒せるとか、Accessでちょこっとしたものでも作れた方がいいよな、そう思ったのだ。

しかし、まあとにかく見よう見まねでやってみるか、と思ったけど、う〜ん、なかなか思うようにいかない。オンラインヘルプも便利そうなのだが、閲覧性にかけるし、やっぱ何か一冊本を買ってきてやってみるか。

と言うわけで昼過ぎに家を出て横浜へ。昼飯を食べた後、まずはダイソーでお買い物。欲しいものが2つあったのだが、1つがいくら探しても見あたらない。しかたがないからあきらめたが、でも他に予定外の商品を3ち買ってしまった。100均には気をつけなければ。

その後、ヨドバシの書籍コーナーに行って、Accessの本を1冊、Excelの本を2冊買った。それからぶらぶらしたり散髪に行ったりして、夕方帰宅。今日はけっこう動いた。それにしてもめちゃくちゃ長い日記になってしまった。最後まで読んでくれた人に感謝。

昨日は22時半頃就寝。眠剤が変わってはたして眠れるか、どうだろう。結果は、いつもと変わらなかった。横になって1時間、眠気が来ないのでしかたがなく起きて追加眠剤を飲んだ。

その後、ベーシック認証を用いたアクセス制限つきのサンプルページを作ったりしていた。知人から昨日電話で「限られた人しか見れないホームページを作りたいんだけど」ということを相談されていたので、電話越しであれこれ聞いてみたが、何をやりたいのかいまいち要領を得ない。あまりこの方面は詳しくないようで、コンテンツがスタティックなもので共通のユーザ名、パスワードでいいのだったらベーシック認証で簡単に済む。なのでちょっとそのサンプルページを作って、こういうのがやりたいの?と聞いてみる。

内容がスタティックなものでも、共通のユーザやパスワードにせず、オンラインで入会、退会をするとかなると話はややこしくなってくる。要はJavaScriptなどでクライアントサイドで処理できるものならともかく、フォーム一個使った時点でサーバサイドでの処理が必要になる。そうなるとプロバイダの提供しているWebスペースなどでなく、レンタルサーバなどのCGIなりPHPなり使えるサーバでないといけない。しかしどういうコンテンツなのか、話してもよくわからない。

ということで、サンプルページを作っているうちに1時くらいになってしまい、あああまた今日もだよ、と思って寝た。眠れないな〜と思っているうちに眠ってしまった。

そして朝、起きたのは7時20分。割と頭もスッキリしている。おお、寝つきは悪いが朝は前よりよくなった。少しは薬を変えた効果があったようだ。そして午前中はいろいろ電話したり、なんだかんだして過ぎた。割と調子がいい。

調子がよくて早く起きると、午前というのはこんなに長いのか、と思う。結局部屋の掃除をしたりした他、だらだら過ごしたのだが。調子がよくなったと思って急に飛ばすと必ず反動が来る。慎重に行こう。

少しでも支出を切り詰めるために生命保険の減額をすることにし、私の担当のおばちゃん、もといニッ○イレディに電話した。もうけっこうなお歳のはずだが、マイペースで押しの強い女性である。前の会社にいたときから何度もお世話になっており、3回も入院給付金を受け取っているので、私の病気のことも知っているし、私が入院していた病院のことも知っている。知人のお見舞いに行ったことがあるらしく「あそこはいい病院よねえ、環境がよくて」と言っていた。

しかしながらうつ病に関してはあまりご存じないようで、電話の最後に「気持ちの問題なんだから、頑張って病気を治しなさいよ」と言われた。それは言ってはいけない言葉でしょう、の見本みたいな一言である。まあいいけどね。

昼過ぎ、バイトが休みの彼女と一緒に彼女の実家へ。お姉さんも仕事が休みなので、遊びに行っていろいろ話をした。お姉さんの娘(彼女の姪)の友達も来ていて賑やかだった。夕方になって帰宅し、ぬるぬると過ごす。夜になるとちょっと眠たくなってきたよ。やっぱ寝不足かな。

昨日の女子バレーは観ていてどきどきはらはらした。しかしポーランド相手に3−0と快勝して思わずばんざいであった。

バレーの試合が終わったのが23時。それから寝支度をして、ちょっとだけゲームをして寝たのが23時半。しかし、またもや眠れない。なんで眠れないのだろうか。1時間くらいして眠れないから、いつものごとくまた起きて追加眠剤を飲み、PCに向かう。眠くなってようやく寝たのは2時頃だったか。そして朝は10時20分まで寝ていた。どんどんリズムが乱れていく。やばい、なんとか食い止めなければ。

調子はあまりよくないが、お昼を過ぎて少し回復してきたので、バスに乗って横浜へ行き、ヨドバシへ。ノートPCでテレビが観れるようになるブツを買ってきた。え〜と、「TVチューナー&MPEG2キャプチャBOX」というBUFFALOの製品である。これはPCでテレビが観れるようになるブツである。あ、さっき書いたか。

と言うのも、引っ越す前はテレビは2台あったが、今は1台しかない。自分と彼女と観たい番組が別々で同じ時間にかぶったとき、今まではどちらかがビデオ録画で我慢してきた。もう1台小型のテレビを買うにも、もう1部屋には薄型テレビさえ置くスペースもなさそうだし、テレビのアンテナ端子もないし、という悪条件。

しかししかし、ノートPCをテレビにしてしまえばいいではないか、と思いたった。調べてみて見つかったのが今日買った製品。ロッドアンテナもついていて、1万円を切る値段だったので「これだ」と思って買ってみた。

しかし現実は甘くない。帰ってきてPCに接続したが、映らない。そう言えばこの辺りは難視聴地域で、共同アンテナがどうのこうの、と言うのを聞いたことがある。試しにテレビ端子からビデオにつながっている同軸ケーブルを引き抜いてブツに接続してみると、おおお、PCでテレビが映るではないか。あああああああ、と言うことは、やっぱりこのロッドアンテナではだめなのかあ。となると、なんとか同軸ケーブルを隣の部屋へ引っ張るしかない。

しかし、同軸ケーブルは太い。分配機から同軸ケーブルを引っ張るとしても、部屋の奥から観音開きの押し入れの扉を避けるように押し入れの上を這わせ、部屋を横断して扉から出してキッチンを通って隣の部屋の扉を通って…。

ちょっと無理っぽい。

電気工事をして隣の部屋にテレビ端子を増設する、というのがまっとうな方法な気もするが、アパートだし大家さんに許可を得て電気屋に依頼して、というのも、ちょっとなあ。そこまでしなくても、という感じである。

ネットでいろいろ調べたら、ロケーションフリーだとか、テレビアンテナがなくても無線LANを利用してテレビを観るための機器はいろいろ出ている。しかし、高い。バブリーな頃ならお手頃価格だと思ったかもしれないが、今となっては高くて手が出ない。薄型の同軸ケーブルもあったが、50センチで3000円以上する。まともに配線したら5メートルでも足りないだろう。

さてさて、どうしようかなあ。「隣の部屋でテレビ」はあきらめるしかないか。

昨日は少し早く、22時頃寝ようとしたのだが、やはり眠れない。23時過ぎまでねばったが、やっぱり眠れないのであきらめていったん起きて追加眠剤を飲む。そしてまたPCにしばらく向かった後、クーラーの効いたその部屋で眠った。もう、最初からこの部屋で寝ることにしようかなぁ。夜中3時頃目が覚めて寝室に戻ってまた寝た。

朝、7時半頃起きてゴミを出したり朝食を食べたり、よし、今日は早起きできたぞ、と思っていたが、すぐにしんどくなってきて、そのまままた寝てしまった。11時前になるまで動けなかった。相変わらず午前中はだめだめだ。

12時頃昼食を食べたあとも、またしんどくて横になってしまい、寝てしまった。気がつくと14時半。バイトが休みの彼女と、今日は「ゲド戦記」でも観に行こうか、と話していたのに動けず。彼女は一人で横浜へ行ってしまった。なんでこんなしんどいんだろう。

起きてからはしばらく夕方までPHPの勉強。PHP5になってオブジェクト指向の要素が大幅に追加されたようだ。懐かしいなあ、オブジェクト指向。C++とかJAVAとかでない、Cのプリプロセッサに皮をかぶせた自社開発のオブジェクト指向言語で、UNIXで分散システムの運用管理ツールを開発していた頃が懐かしい。そうだ、C++もJAVAもちょこっとかじった程度だったから、PHPをある程度勉強したら、C++とJAVAもやり直そう。

昨日も22時半頃寝たが、またまた眠れない。23時半頃にいったん起きて追加眠剤を飲む。その後、また性懲りもなくPCを立ち上げて昨日と同じくSELinuxについて調べ始めてしまった。SELinuxの設定をするにはいくつかのパッケージをインストールする必要があること、しかしSELinuxの設定はかなり煩雑というか難しくて、それを簡略化してGUIで設定できるツールが作成されつつあること、ということがわかった。昨日はそれがわかったところで寝た。1時くらいだったろうか。

朝は6時、7時くらいに目が覚めたが動けず。8時くらいから断続的な眠りに変わり、起きなくては、と思いつつなかなか起きれない。結局9時起床。朝食を食べてから、まだ体もだるく頭もぼ〜っとしているにもかかわらず、昨晩調べたSELinuxの設定をしてみようと、まずパッケージをダウンロードした。しかし、必要な4つのパッケージのうち2つがネットで見つからない。なぜ見つからないのだろう。このパッケージがないと設定ができないようなのだが、なぜか見つからない。

重たい頭でさらに調べたが、よくわからないのでそっちは置いておいて、SELinuxの設定をGUIでできるツール「SELinux Policy Editor Project」のページを開いてそのツールをダウンロードした。先月にリリースされた「再設計、再実装された新バージョン(Ver2.0)」とのことで、利便性は向上しているかもしれないが初期バグがたくさんありそうなバージョン。とりあえずインストールしてみた。インストール後リブートしろとドキュメントに書いてあるのでリブート。全ファイルに制御ラベルを自動的に付与されるので時間がかかる、とのこと。確かに数分待たされた後、自動的にまたリブートされた。

すると、今まで出ていたブート時のエラーが出なくなった。おりょ、何もしてないけど、ひょっとしてイニシャライズで適切にセキュリティのポリシーが設定されたのか?syslogを見てみたら今までのエラーが出ていない。ひょっとしてSambaの件もこれで解決か?と思い、クライアントPCを起動して「マイネットワーク」を開く。Linuxサーバが見えていて、フォルダもプリンタも見えている。前はここから先のアクセスが不可能だったのだが、あっさりと接続できてフォルダの中が見れた。クライアントから印刷してみたら、見事にサーバのプリンタから印刷された。いやいや、これでまた一歩前進したかな。

なんだかんだやっているうちに今日は終わった。午後は寝てはいなかったが、だらだらモード。ちょっとしんどい状態が続く。まだまだ一日を通してフル活動できない。もう少し調子はあがってくれないかな。