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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:音楽

相変わらず眠れない。頓服全部飲んでしまおうとと思ったけど、2日分でやめておいた。

 

もうこんな生活嫌だ。楽しいことなんてひとつもない。何をやってもつまらない。お金がないから電車代がかかるところにも行けないし、お金がかかる遊びもできない。何より体調が不安定だし、妻も去年から病気が増えて、外出があまりできなくなった。ちょっと離れたところにはでかけられないし、電車にも乗れない。常に何かを我慢する日々を送る毎日。

 

昔はよかった。

日々充実していた。

 

歌いたい。

大規模な合唱団で、オケ付きでミサ曲やレクイエムなどを歌いたい。

小規模な合唱団で、いろんな曲を歌いたい。外国曲から邦人曲までいろいろと。とにかく歌いたい。

男声合唱をやりたい。昔は少数精鋭の男声合唱団で多田武彦とかいろいろ歌っていた。あの合唱団は楽しかった。

少人数のアンサンブルをまたやりたい。1人パートで、楽譜に書いてある音を出すのでなく、全体を聴きながら「そこにハモる音」を出す快感。ハモりたい。ハモりたい。ハモりたい。

 

 

登りたい。

木漏れ日が射す緑に囲まれた山道を、一歩一歩自分の足で登りたい。そして頂上についた時の達成感を味わいたい。北アルプスを中心に登っていたが、南アルプスは登ったことがない。日本で二番目に高い山、北岳にはずっと憧れがある。

山小屋泊と違ってテント泊で、自分たちで飯盒炊爨。みんなでご飯を作って食べて、ランタンを消したら辺りは漆黒の闇。寝っ転がって満天の星空を眺めながら、流れ星の数を数えたい。

沢を登りたい。ジャブジャブと沢を遡行していき、岩をへつり、滝を登り、最後はやぶこぎ。真夏のシャワークライミングは最高だった。山岳会の沢の師匠と仲間で「ドブ沢三人衆」とか言われながら、よく沢登りにいった。

クライミングをしたい。さすがに本ちゃんの岩場はやったことないが、岩場で実際に登っていくのが楽しい。登るのも楽しいが、懸垂下降でするすると降りてくるのも好きだった。

インドアクライミングもやりたい。入念に30分近くストレッチをして、ムーブの練習をした。トップロープで上まで登り切った時の達成感がたまらない。その後するすると降りてくるのもまた好きだった。初めてリードで登った時、途中で落ちた。あれは肝を冷やしたが、ビレイヤーがベテランで助かった。「腕がプルプルしてたので、そろそろ落ちるかな、と思っていた」と言っていた。自分はトップロープのビレイしかできない。あれは岩登りと違って、また別のスポーツである。

 

装備を揃えるのに50万はかけただろうか。全部売っぱらってしまった。ハーネスもたくさんあったカラビナやヌンチャクも、クライミングシューズも渓流シューズも、ハイカットの靴もアプローチ用の靴も趣味で集めていたザックもシュラフ2つもコッヘルのセットもポールも、全部売ってしまった。もうどこにも登れない。

近くの手近な山でハイキングくらい、という人もいるが、関東平野は広い。アプローチまでが大変なのだ。そしてアプローチに金がかかる。その時点で今の経済状況では無理である。そして、なまじっか山岳会で山の厳しさを叩きこまれたため、軽い装備で山に登るということが怖くてできない。途中で足をくじいた。痛くて下りてこれない。日が暮れた。真っ暗で動けない。それはもう遭難なのだ。

 

 

スポーツをしたい。

卓球をしたい。テニスをしたい。バレーボールもしたいしソフトボールもしたい。体を動かすのは好きなのだ。運動神経はないが、スポーツは好きなのだ。いつぞやかのように、スポーツジムでもくもくとエアロバイクを漕いだりマシンで筋肉を鍛えるのもまたよし。自分を極限まで追い詰めたい。

 

もう自分は何もできないのか。

今日は、妻の姪からお誘いを受けてカラオケに行った。妻の姪は血が繋がっていないから、義理の姪という言い方をするのかな、な、な。どうやらそのようだ。メンバーは自分と義理の母、義理の姪、義理の妻、あ、いやいや妻は義理ではない。実に2年ぶりのカラオケ。

以前は妻と2人でときどきカラオケに行っていたが、近年は緊縮財政と、2人とも歳とともにパワーダウンしたため、全く行かなくなった。妻の家族からはたまに誘われるので、そういうときだけご一緒している。

家の中では日常的に、適当な歌を適当に歌っているが、2年ぶりにちゃんと「歌う」ということをしてみると、自分があまりにも衰えていて愕然とした。まず、次の音、次の次の音、次のフレーズを一歩二歩、先に頭の中にイメージしながら歌うということが下手になっている。自分の頭の中にある音がその通りに声にならない。実声とファルセットの切り替えがスムーズに行かない、等々。

天性のものではない能力は、それを使わないと衰えてしまうのはしかたがないのか。合唱活動もヴォーカルアンサンブル活動もだいぶ前にやめてしまったが、カラオケなども含めて「2年も歌わない」という期間はなかった。そうすると、こんなに後退してしまうのか。なんかとほほである。

終わってから妻に「英語の曲と、『千の風になって』がよかった」と言われた。あんなに歌ったのにその2曲かい。英語の曲というのはカーペンターズの「Yesterday Once More」で、かなり抜いてほとんどファルセットで歌った。「千の風になって」は、最後にノーマイクでベルカントで気持よく歌ってみたのだ。どちらも他の曲と歌い方が違う。どうやら自分、気合を入れるとだめらしい。

日常は基本的に喉声の自分にとって、合唱とは全然発声の違うカラオケは苦手。すぐ喉に来る。でも合唱の発声でカラオケを歌うと、「何か変」とさんざん言われてきた。どう歌えばいいのか自分でもよくわからん。歌う曲のキーが高過ぎるのも歌いにくい一因だろう。最近の曲はみんなキーが高過ぎる。平井堅とかしんどいよ。でもキーを下げるのは嫌い(←なら歌うな)。

結局自分、歌うのは好きだが、下手くそなんだよなあ。合唱は練習したからある程度上達したが、そうするとマイクを通して歌うのが下手になってしまった。まあ、歌いたい歌を好きなように歌えばいいのだ、カラオケなんて。

おまけ。

平井堅の「センチメンタル」をリモコンに入力して検索ボタンを押すと、1件もヒットしなかった。よく見たら「センメンタル」になっていた。なんだよ「洗面樽」て。

学生時代のことだが、映画「ホーム・アローン」を観に行った。その映画の中で、主人公の男の子が教会に入っていく場面がある。中には確か、お年寄りが一人いて、聖歌隊が何かの曲を歌っていた。その曲が印象的で気にいったのだが、当時は曲名がわからず、ずっと知りたいと思っていた。だが、そのうちにそんなことは忘れてしまっていた。

それから5~6年経った頃だろうか、偶然にもその曲が「Carol of the Bells」だということを知った。BSで放送されていた海外のクリスマス・コンサートで演奏されているのを観て、初めてわかった。それ以来、改めてこの曲のファンになった。

という訳で、「Carol of th Bells」のいろいろなアレンジを紹介しておこう。

まず最初は一番オーソドックスな、おそらくホーム・アローンでも使われていたと思われるアレンジ。

お次は天使の歌声、と言ってもウイーン少年合唱団ではない。イギリスの少年合唱団「Libera」の演奏。ここからはフルスクリーンとヘッドホン推奨である。

次は、一見「ちょいワル系」のようなアカペラグループ「Pentatonix」。最近ちょっとお気に入り。

最後はちょっと変わり種。「The Piano Guys」 という音楽集団なのだが、この曲ではチェリスト1人しか出てこない。そもそもこのアレンジは「for 12 cellos」と書いてあるので、多重録音によるものだろう。

他に好きなクリスマス・ソングにはいくつもあるが、自分が演奏した曲は特に思い入れが強い。学生時代、初めての定演のアンコールで歌った「Little Drummer Boy」、3回生のときの定演のロビーコールで歌った「O holy night」、10年前にアンサンブルグループの演奏会で歌った、トライトーンアレンジの「The Christmas Song」。

クリスマス・ソングには名曲が多い。それだけ皆の思い入れが強いということか。

へいやーすれすれー

へいやーすれすれー

あーまぐーもーびょーぶー

おもたーくとーざーしー

 

そのぜったんにー

そのぜったんにー

そのぜったんにー

 

 

いきなりガッ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕映えの富士

ゆーばえーのーふーじー

ゆーばえーのーふーじー

ゆーばえーのーふーじー

ゆーばえーのーふーじー

ゆーばえーのーふーじー

ゆーばえーのーふーじー

ゆーーーばえのふじーーーー

 

 

うむ、美しい。

 

手前の三角屋根さえなければ・・・。

作曲家の三善晃氏が亡くなった。

一般の人はあまり聞き覚えのない名前かも知れないが、合唱関係者にはお馴染みの名前である。彼の曲を一般の人が知っているとすれば、アニメ「赤毛のアン」の主題歌くらいかもしれない。

学生時代に自分が所属していた合唱団は、三善晃が大好きだった、在籍した5年間(なぜか奇数)の間に、3回演奏会で歌ったし、社会人になってからも、最初に入った合唱団で歌った。

彼の書く曲は、緻密で難解であり、繊細だった。楽譜の「<>」という記号は「三善アクセント」と呼ばれていたが、検索したら全国区の言葉のようだ。音取りには苦労したが、練習を重ねてアンサンブルが形になってくると、その音楽性の高さを肌で感じるようになる、そんな印象だった。自分が歌っていたベースは「ルルルル」とか「ロロロロ」とかが多かったので、よけいにそう感じたのかもしれない。

自分が歌ったのは、「クレーの絵本第一集」「地球へのバラード」「クレーの絵本第二集」「5つの動画」(演奏順)の4組曲だけだった。もっと歌いたかったなあ、と合唱界を離れて10年以上たった今、しみじみと思う。

武満徹氏が亡くなったときにも感じたのだが、

「もうこれ以上、彼の新しい作品は生まれないのか」

と思うと、とても寂しい。

 

心よりご冥福をお祈り申し上げます。