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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:メンタルヘルス

昨日は病院と同じように21:00過ぎには寝た。その前に、ネットサーフィンしようとして友達のHPを久々に覗くと、数週間前に鬱に陥ったようなことが書いてあり、数日前に「今は大丈夫です」と掲示板に書いてある。心配なのでメールを送った。その後寝たのだが、何回か目が覚めた。眠りも浅いような気がする。いつも通りか。4:30過ぎに起きてPCの電源を入れた。

その後ネットサーフィンをやったりメールチェックをしながら朝食のパンを食べた。が、6:00過ぎになんだか眠たいや、と思って寝てしまった。夢を見た。昔職場に来ていた派遣の女の子と肩を組んで歩いている。別に彼女に恋愛感情を持っていたわけでもないのに。なぜだろう。心が寂しがっているのか。いつもそうだが夢の内容はわけがわからない。断片的にしか覚えていないが、会社に行ったがエレベータに乗ると自分の降りる階のボタンがなかったり、そんな夢も見た。昔読んだ小説を読み返すと「うつ病」のことが書かれている、という夢も見た。

いつの間にか半覚醒状態に陥っていて、起きて時計を見てはまた寝て夢を見て、また起きて、というのを15分単位くらいで繰り返していた。そして少し鬱だ。病院にいるときは規則正しい生活をしているのに、家に戻ると入院前の状態に戻ってしまったかのようだ。

今は8:48。さっきなんとか起きてきてこれを書いている。眠い。今日は会社にちょっと顔を出す予定。それだけで、前と同じような状態になってしまったのか。あ、乾燥機に放り込んでおいた洗濯物をたたんで袋につめなきゃ。これを持って帰るのを忘れると大変だ。

なんとか洗濯物をたたんだが、それで疲れてしまい、またベッドに横になってしまう。鬱で会社に行けないパターンと全く同じだ。10:00が過ぎる。11:00が過ぎる。会社に電話して、ちょっと顔を出す予定だったが無理だということを伝える。もう何回もすっぽかしている。そして12:00過ぎ、ようやく起きて家から出てきた。忘れ物がないか今回はチェックした。雨が降ってきて、それだけで陰鬱な気分になる。

電車に乗って乗換駅まで来て、その駅ビルのお好み焼き屋で昼食を摂ることにする。今はそれが出てくるのを待っている状態。頭は相変わらずぼ~っとしている。人混みが気になる。そうそう、乗換駅で電車を降りたとき、そこの電鉄会社で働いている車掌姿のNちゃんに会ってちょこっと話した。山岳会の仲間で、久々に会った。忙しそうだったから一言二言話しただけだけど、それだけでもとても嬉しかった。

電車を乗り継ぎ、やっと病棟に帰ってきた。いろいろ買い物をしたかったのだが、疲れてできなかった。病院の最寄り駅の地下のスーパーでちょっとしたものを買うのが精一杯。ちょっと歩いたドラッグストアで買いたいものがあったのだが、そこまで行くのもしんどいと思った。病棟に帰ってからお風呂に入らせてもらった。本当は外出した人は入浴できないが、私はアトピーだし、また蕁麻疹が出たことも告げたらOKが出た。今日は男性が先で、女性が入っているところだったので、女性が全員入浴を済ますのを待ってから入った。

しばらくオカリナのCDを聴きながらベッドで横になり、神経を休める。しばらくして「医者からもらった薬がわかる本」を取り出して、自分の飲んでいる薬を調べてみた。この本は結構くわしく薬のことが書いてあって、作用や副作用はもちろん、飲みあわせや海外での評価、1錠の単価まで書いてある。眠剤に関してはこの間読んだ「今日の健康」と同じ内容だが、自分の飲んでいる薬の中に海外評価「0点」というのがあった。けっこうみんな処方されている薬なのだが。神経に作用する薬は「依存性が強い」と書いてある。「神経系の薬の依存症は医者が作り出している」と著者は書いている。大丈夫かいな?

18:00から連絡会までの間、リラックス体操をやってみた。神経が疲れたときには効果的かもしれない。そう思ってやってみたら、ちょっとすっきりした。深い呼吸をして、体を伸ばす。運動までしなくとも、体操だけでもやらないよりかはだいぶましかもしれない。

夜、ACの本を読み進めようと思ったが、疲れていて読めない。ベッドにそのまま横たわり、体と心を休める。そのうち20:00になった。今日は疲れたから、早めに眠剤をもらって早く寝ることにしよう。

昨日昼寝したせいだろうか、昨晩は寝付きが悪かった。いつもなら聞いているCDが最後まで終わる前に寝入ってしまうのだが、昨日はもっと時間がかかった。寝付けなくて時計を見て22:10だったのは覚えている。その間、ずっと夢を見ては起きたり、というのを繰り返したような気がする。浅い眠りが多かったと思うが、その中に深い眠りは含まれていたのだろうか。結局5:00過ぎに起きてホールへ出てきた。今日は早朝組が外泊でいないので、2人しかいなかった。

散歩に行く。昨日と同じように「音楽堂」に行ってオカリナの練習をする。下のGの音をはずす癖がある。気をつけなければ。小指の押さえが甘いのだ。

その後はまたまた昨日と同じように山の中をぐるぐる歩き回る。ゴミがたくさん捨ててあるのがとても気になる。この辺はゴミの不法投棄も多いらしいが、患者が捨てたのか、外部の人がわざわざここに来て捨てたのか。確かに外の一般道からすぐ入ったところなので、目立たないところに不法投棄する人にはうってつけかもしれないが、こういうのを見るとどうにも悲しくなる。ゴミを不法投棄する人というのは、いったいどんな神経をしているのだろうか。

散歩から帰って少し休んでから出発。バスに乗り、駅から電車に乗る。運良く座ることができたので、今これを書いている。今のところまだ疲れはない。

駅に着いた。ここから歌の練習会場まではさらに電車を乗り継いで行かないといけないが、ここの駅ビルの本屋は広くて充実していて、しかも混んでないので私のお気に入りなので、そこに寄っていく。ほしかった本がいくつもある。「医者からもらった薬がわかる本」とかヨガの本とか、あいだみつをの本とか。時間があるので端からぶらぶらブラウジング。前にも書いたかもしれないが、本屋ブラウジングは楽しい。タイトルを見て興味を持って手にとってぱらぱらと眺めてみて、次から次へと読みたい本が出てきて、買いたい欲求を抑えるのに大変だ。それでも目的の本以外に「これは読みたい」とつい手が伸びてしまった本がいくつかあって、結局8千円以上も本を買い込んでしまった。いかんいかん、また病室の狭いスペースがますます窮屈になる。

気がつくともう11:00をまわっている。おっと、そろそろ行かなくては。練習は13:00からで、練習会場までは1時間ほどだが、途中で昼食を食べてゆっくりしたい。とりあえずまた電車に乗って練習会場の最寄り駅まで行く。途中で乗り換えが一回あるが、その乗り換え駅に行く電車で座れたので、今これをこうして書いている。今のところ神経の疲れはさほど感じない。だいぶ慣れてきたのか、あとから疲れが出てくるのか。

12:20頃、練習会場の最寄り駅に着いた。ここから会場まで歩いていく途中の、お気に入りのうどん屋に寄って昼食を食べていけばちょうどかな、と思って歩いていくと、なぜか今日は休みだった。近くにめぼしい店もない。しかたがないのでコンビニで弁当を買い、練習会場に行って一人で食べる。なんで外出したのにコンビニ弁当を食わなきゃならんのか。

ヴォーカルアンサンブルの練習は久しぶりだったが、思いのほか声が出た。特に低い方の音がいつもより鳴るのには自分でも驚いた。最近歌っていなかったのに。毎日体操しているおかげで、筋肉がやわらかくなったのかな。「よく鳴っている」N氏もそう言ってくれた。練習前にオカリナを吹いてみた。屋外で吹くのとはまた違って、いいホールなのでとてもよく響く。と同時に自分の演奏の「荒さ」が目立つ。少しのミスが目立ってしまうのだ。たとえば、曲の最後の音の切り方が、唐突だったり、逆に息を弱めすぎてピッチが下がってしまったりとか。

練習中は楽しかったし疲れを感じなかったが、みんなと別れて電車で一人になると、なんか「どっと」というほどではないが、「じわじわ」と神経の疲れが滲み出てくるような気がする。ゆっくり休もう。

家の最寄り駅のそばのラーメン屋で夕食を済ませ、明日の朝食をコンビニで買って家へ帰る。病院から持って帰って来たものをデイパックから出し、洗濯をしながら雑事を済ませる。部屋は相変わらず散らかっているが、とりあえず見えるところだけでも掃除機をかける。また腕がかゆくなってきた。また蕁麻疹か?前ほどひどくはない。これはストレスによる軽いじんましんかアトピーだろう。部屋に埃がたまっているせいかもしれない。思ったよりも神経は疲れていないように思うのだが。体は危険信号を出しているのだろうか。

昨日は20:45分に眠剤をもらって飲み、21:00就寝。寝付いたのは多分21:30頃。ぐっすり眠ったと思って目が覚めて時計を見ると23:00。1サイクルしか眠ってない。その割に「ぐっすり」感があったのは、1サイクルでもその間に熟睡はあったのだろう。その後、目が覚めると2:00。2サイクル眠れたか。その次目が覚めると5:00。もう2サイクルだ。そこで起きてホールに出てきた。

Wさんは睡眠障害ひどいらしく、昨日も今日もほとんど眠れてないらしい。入院したときは髭もじゃだったのに、昨日髭を剃ってさっぱりした顔になっている。「高校の先生だそうですが、何の教科ですか?」と聞くと「恥ずかしくて言えません」そんな教科あるのかな。何だろう恥ずかしいって。美術だと思ったけど、そんな恥ずかしいわけではないと思うけど。「保健体育かしら」誰かがそう言った。

朝食後、少し音楽を聴いてから散歩に行った。昨日と同じように「音楽堂」へ行ってオカリナを吹いてみようと思った。昨日とは逆回りの道から行くと、また別の道を発見し、音楽堂へたどり着いた。そこから、まだ行ったことのない道が続いていたのでそこを歩いてみた。途中で中年男性のK氏に出会った。彼も山登りが趣味で、やはり病気になるまでは結構山を歩いていたそうだ。

「情報セキュリティアドミニストレータ」の参考書の「情報セキュリティ対策の全体像」の章を、技術的な部分を一部除いて読み終えた。さくさく頭に入っている。最近は割と調子がいい。ハイテンションになり過ぎてないか、ときどき自分でチェックする。多分今は大丈夫だろう。

10:00頃から参考書を読んでも内容が頭に入らなくなってきた。何度も何度も同じ箇所をリングワンデリングしている。頭が疲れてきたか。この状態で読んでも無駄なので、本を閉じて音楽を聴くことにする。しばらくするとWさんが「読みますか?」と言って週刊誌を貸してくれたので、それを読む。これくらいの内容だとさらさらっと読めてちょうどいい。

昼食にグレープフルーツが出た。先日買った本「今日の健康」に「神経に作用する薬はグレープフルーツジュースと相性が悪い」と書いてあったが、これは食べていいのだろうか。ジュースにすると量的に「薬と合わない成分」が多くなるので避けた方がよいが、ジュースじゃなくて果実を2切れくらいなら問題ないのかもしれない。そこまで栄養士が考えているのかな?栄養士は「薬との飲みあわせ」まで考えて献立を考えているのか知りたくなってきた。

昼食後、Sさんと卓球をした後、KさんとSさんが卓球を始めた。そこにCちゃんが入っていった。Cちゃんは運動神経がいい。スポーツをやっていると、とても楽しそうに笑っている。もっと笑えばいいのに。最近彼女は少しずつ変わってきたみたいだ。

喫煙所に行くと、WさんがMacの雑誌を読んでいる。彼はMacintosh使いらしい。やはり美術の教師なのかな?

13:00過ぎから勉強を始めたが、またしても頭に入ってこないので音楽を聴いていると、いつの間にか寝てしまった。途中何回か目が覚めて、ああカラオケやってるな、とか3時過ぎちゃったシャワー浴び損ねた、とか思ったが、何とも昼寝は気持ちいい。最近、できるだけ有意義な時間を過ごさないと罪悪感を感じてしまう傾向があるのだが、「今日は土曜日だし」そう思って自分を納得させる。

今日は外泊者が多く、夜はとても人が少ない。いるメンバーで卓球をしばらくやっていたが、「欽ちゃんの仮装大賞」をテレビでやっていたので、途中からそれを見る。この番組はけっこう好きだ。独創性があったり創意工夫があったり、ときには芸術性の高いものも出てきて感心させられる。私みたいに人まねばかりしてる人間は、こういう番組を見ると「自分ももっと独創性を発揮したいなぁ」と啓発される。もう20:00になったので、この日記を推敲して就寝準備をした後は、最後までこの番組を見てから寝よう。

う~ん、昨晩は何回も目が覚めたぞ~。6回くらいは覚めたかもしれん。最初に目覚めたら23:00。21:00に眠剤もらって寝てから、多分寝付いたのがその30分後くらいだと思うから、1サイクルか。あとは毎回時間は確認してないが、まだ2:00か、と思った記憶はある。5:00に起きようかと思ったけど、これだけ目が覚めると眠りは浅いだろうから、ぎりぎりまで寝ようと思い、6:00の起床を知らせる放送で起きた。「全身の細胞よ、目覚めよ!」一瞬くわっと念じたら、今日は割とスパっと起きることができた。

朝食後、相田みつをの本を広げる。最後まで読んでしまった。「七転八倒」という言葉に添えられたエッセイを読んで「なるほど」と思った。「七転び八起きではありません。人生は転んだり倒れたりの連続です。でも、転ぶのも倒れるのも、具体的に行動に移さないと起きません」その通りだ。転んでも倒れてもいいから、とにかく前へ進もう。

その後に出てきた「バランスの図式」も「なるほど」と思った。
「心」× 「技術」 = 「作品」
 9 ×  1  =  9(失敗)
 8 ×  2  =  16
 7 ×  3  =  21
 6 ×  4  =  24
 5 ×  5  =  25(最高)
 4 ×  6  =  24
 3 ×  7  =  21
 2 ×  8  =  16
 1 ×  9  =  9(失敗)
というもので、「心」と「技術」のバランスが取れて、はじめて最高の作品ができあがる、というものだ。これはぜひこれからこころがけよう

8:00くらいまで休んでから、昨日発見した「音楽堂」へ行ってみようと思い、病棟へ出た。病院の敷地内の山道を通っていき、音楽堂へ。そこのステージでオカリナを吹いてみた。コンサートで演奏予定の5曲を通して吹いたあと、「竹田の子守歌」の最後の部分、3度のポルタメントの練習をする。少しこつがつかめてきた。あとは繰り返し練習だな。

オカリナを吹いたあと、昨日とは別の方向の道に進む。はじめて歩く道だ。それにしても、病院の敷地内にこんな山道があるなんて。他の病棟や海が見える見晴らしのいい山道に出たあとは、クモの巣だらけのヤブこぎ道。こんなところまでちゃんと整備されているはずはなく、生い茂った草で道がよくわからず、一度は「登山道」からはずれてしまい、引き返して来たりした。「ひょっとしてこっちかな?」とわずかなトレースを頼りにヤブを漕いでいくと、普通の山道に出た。そこを下っていくと、グランドから音楽堂の方面へ出る道への分岐点に出た。久しぶりに山を歩いたみたいで嬉しかった。

散歩すると調子がいい。今までは散歩と言っても、すぐそばのグランドに行ってオカリナを吹いて戻ってくる程度だったが、これくらい歩くと体が目覚めるようだ。今まで「作業療法まで体を休めよう」としてたが、これからは散歩してアップすることにしよう。

作業棟へ行って、基礎データを計る。あれ、心拍数104?もっと正常値に近いと思ったのに、やっぱり100を超えている。しばらくじっとしていたが下がりそうにないので、体力テストを始める。すぐに心拍数が上がっていったので、これはまた悪い結果が出るな、と思ったら、途中で打ち切られて「6段階中の1。劣る」が出た。通常は10分の測定なのに、最初から心拍数が高いと途中で打ち切られることがあるのだ。前も一度あった。少し休んでから、もう一度体力テストにトライすると、今度は「6段階中の3。普通」だった。うむ、散歩くらいではアップにならんか。今日はその2回目のデータを元に、20分2セットを漕ぐ。割といい数字が出た。インターバルでのひねりを入れた腹筋も忘れずにやった。

病棟に戻ると、昨日までHさんがいたベッドに新しい患者が入っている。閉鎖病棟から移ってきたそうだ。大柄でおだやかそうな人だ。大いびきをかかなければいいが。どうやら閉鎖病棟からこの開放病棟へ移ってもいい患者はまだいるそうなのだが、順番待ち状態らしい。

入浴の前、畳のところで順番を待っていると、看護婦のTさんがHさんの髪を切っていた。Hさんは多分20代の女性だが、いつも無表情で一言もしゃべらない。そしていつもゆっくりと廊下を行ったり来たりしている。Tさんが「これでどう」?と彼女に尋ねると、低い声で「見えない」ぼそっとそう言った。彼女が喋るのをはじめて聞いた。Tさんは「そうねぇ、美容院みたいに大きな鏡じゃないからねぇ」と言ったが、そこではたと気づいた。「大きな鏡」これは精神科の病棟に置いたら、何か効果があるのではないだろうか。

飛び込み自殺が多い駅では、プラットホームに鏡を置いたら、自殺者が減ったという話を聞いたことがある。また、エレベータを待っている人がいらいらするのを解消するため、エレベータホールに鏡を設置することによって、いらいらする人が減ったという話も聞いたことがある。鏡は自分の姿を客観的に映し出す。いずれも鏡に映った自分の姿を見て、自分は本来の自分を取り戻す、つまり「我に返る」ということだったと思う。別に自殺を防がなくても、鏡に映った自分の暗い顔を見て「あ、いかんいかんもっと笑顔にならなきゃ」そうやって無理にでも笑顔を作っているうちに、心が明るくなってくることはあるかもしれない。そういうのを取り入れている精神科というのはあるのだろうか?

そして、以前思いついたことで実行しなかったことを思い出した。「枕元に鏡を置いておいて、朝起きたらまず自分の顔を見て表情をチェックし、笑顔でその一日をスタートしよう」そうだ、今からでもやってみよう。鏡を買ってこなくちゃ。

入浴後、喫煙所でKさんがOさんに「この辺、おもしろいよ。読んでみて」と文庫本を渡す。森田療法の本だ。それからいろんな療法についての話になった。世の中には心の病を回復するための、○○療法と名のついたものが、医学的に認められたものから胡散臭いものまでたくさんある。みんな自分のことだけに、私のように本をいろいろ読んだり、心理療法士や精神科医の指導を受けたりと、いろんな療法に詳しい。話をしていて意見が一致したのは、結局どの療法が正しいとか正しくないとか、一番いいとか悪いとかそういうのはなくて、「自分にあってるかどうか」というのが重要なんだね、ということだった。それはおそらくその通りだろう。だから、手当たり次第に自分にあうものを見つけていろんな療法を試してみるのも悪くはないかもしれない。とは言え、そんなにすぐに自分で始められるものばかりではない。医師や指導者などの適切な指導の元で行わないといけないので、そんなに手当たり次第に、ということはできないだろう。前にも書いたが「インチキでないのなら」催眠療法は一度試してみたいと思っている。

情報セキュリティの参考書を読み進める。「管理的セキュリティ対策」を読んでいるところだが、主に人間系のセキュリティ対策だ。内部犯罪のリスクを軽減するために「予防牽制機能」という言葉が出てきた。うわ、試験でこの漢字書けるかな。それはおいといて、いやでもちゃんと書く練習をしとかないと試験で困ってしまう。えと、それはそれとして、その内部犯罪予防の基本は「従業員の心の健康状態を定期的にチェック」だそうだ。おお「心の健康状態チェック」ぜひやってもらいたいものだ。内部犯罪の牽制のみならず、精神的な病気の兆候をも発見できることだろう。

喫煙所で話をしていて、今度は薬の話になった。薬を飲んでいる間は男も女も子供を作ってはいけないそうだ。何か影響があるらしい。それだけでなく、薬を飲まなくなってもよくなっても、何か影響が残るため、その後5年間はやはり子供を作ってはいけないらしい。さらに、再発を防ぐために治っても5年間は薬を飲み続けさせる方針の医師もいるらしい。と言うことは、10年は子供を作れないという可能性もあるということか。子供を作るのはあきらめた方がよさそうだ。それ以前に嫁さんが見つからないとしかたがないが、これでまた結婚が遠のいた。

夜、ACの本を読み進める。自分を変えていくプロセスが次々と出てきて、本当はそのプロセスを書かれている通りに進めていく必要があるのだが、全部読み流す。が、今からでも始められることがあれば、すぐに始めよう。

と書いているうちに20:00になった。就寝準備をしてから、寝るまでこの本を読み続けるとしよう。

う~ん、眠いぞ頭がぼ~っとしてるぞ~。5:30くらいから目は覚めてたが、しゃっきり起きることができずにそのままベッドの中にいて、6:00の起床の放送がかかってもすぐには起きられず、6:05頃にやっと起きてきた。別に鬱ではない。ただ眠いだけだ。洗面してもコーヒーを飲んでもラジオ体操をしてもまだ何となく眠い。眠剤が残っているのか?それにしては夜中に2,3回目が覚めた。時間はチェックしなかったが、中途覚醒は続いている。夜中に目が覚めなかったことは入院してから一度もない。中途覚醒があるというのは、眠剤の効果がそこで切れているのだろうか。まあ、朝寝ぼけてるけどちゃんと起きてるし、それは普通の人と同じかもしれない。

朝食をはさんで、私よりも軽いけど、やはりうつ病を抱えた友達からのメールに返事を書く。一週間以上も返事を出すのを忘れていた。彼女は月に2,3回休んでしまうものの、なんとか職場にいっているようだ。無理をしないといいが。

今日は8時に病棟を出て皮膚科に行く。バス停まで行くのに近道をしようとしてグランドを周回する道を通らずにグランドを横切って行ったら、その道に出ずに山の中の仕事道に入っていってしまった。まあいいや時間に余裕はあるし、そのうち普通の道に出るだろうと思って歩いていたら、以前に聞いた「音楽堂」なるものを発見した。そうか、ここにあったのか。石造りのちょっとした舞台と十数人も座ればいっぱいの観客席。ここで何かコンサートできないかな。オカリナの練習をするにはうってつけかもしれない。

皮膚科は、建前上は8:30受付開始で9:00診察開始だが、ちょうど8:30に着いたところ、すでに開いていてたくさんの人がすでに待合室にいる。診察券を入れ、「来た順番通りに診察しますので、お名前をお書きください」と書かれた紙に名前を書く。私はもう診察の必要はなく、薬だけもらえばいいので「飲み薬のみ」と付け加える。

バスに乗って病棟に戻ると、ちょうど9:30で体育館レクにみんな出発するところだった。今日はちょっと人数が少なく、前半のドッヂボールはあっけなく終わってしまった。そして後半は、なんと「フォークダンス」だった。10月10日に「運動会」があるそうだが、それに向けての練習らしい。「マイムマイム」と「オクラホマミキサー」を踊る。実は「マイムマイム」は私ははじめてやるのでステップがわからなかった。そういうMIMEはRFCで定義されていないので私は理解できない。いやそうではなくて「パントマイム」なら多少できるのだが…。でも簡単なのですぐに覚えられたが、これがどうして、ずっと続けてやっていると結構疲れる。改めて子供の頃は体力があったんだなぁと実感する。「オクラホマミキサー」はみんなうろ覚えで、しかも人数が少なくて2重の輪になるのが難しく、なんかてんでばらばらだった。この歳になってフォークダンスをやるとは思わなかったが、やってみると結構楽しかった。

週刊アスキーを読んでると、100GBのHDDで29,500円というものが紹介されていた。この急速な大容量化はなんなんだ。100GBもあって何に使うんだろう。そういやHDD内蔵テレビなんてのが発売されているが、あれみたいに「PCでビデオ録画」なんかをやっちゃう日が来るんだろうか。

Kさんが退院の準備で荷物の整理をしている。余っている箱ティッシュと電池をもらった。Hさんは荷物の整理が終わっているようで、大きなバッグが置いてある。2人とも同時にいなくなってしまうのは寂しい。

KさんとHさんをみんなで見送りに行った。Hさんは近くに住んでいるので自転車で帰っていった。その後Kさんをバス停まで見送った。いい人ばかり退院していく。と言うか、ここの病棟はいい人ばかりだ。「今はここ穏やかでいいね」誰かが以前に言った言葉だ。その人が前に入院していたときは、「仕切り屋」みたいな性格の人がいて、ちょっと雰囲気が悪かったらしい。今はこの病棟はとてもなごやからしい。

見送りの帰りに売店によると「今日の健康」という雑誌に眠剤の解説や、商品名で眠剤の種類を分類している記事があったので買った。私は財布を持ってなかったが、他の人も読みたいというので、じゃあみんなで回し読みしましょう、ということで他の人がお金を払った。

2人と入れ替わりで、私と同じ病室に新しい患者が緊急入院してきた。緊急入院というと、普通は閉鎖病棟に入るような気がする。外来で来てそのまま帰らせずに入院させるらしいが、それは「措置入院」ではなく「任意入院」なのだろうか。「措置入院」だったら間違いなく閉鎖病棟行きだが、そうでないと言うことは任意入院なのだろう。それでもって緊急性を要するというのは、どういうことなのかよくわからない。

テレビを見ていると、「オータムジャンボ宝くじ」なるものが発売されたらしい。なになに、またジャンボ宝くじが増えたのか。う~ん、また買ってしまいそう。宝くじは私がやる唯一の「ギャンブル」だ。まあ、「ギャンブル」とはちょっと違うんだろうけど。負け続けて金をつぎ込む、ということはなく、1年に何回、1回にいくら、と決めてやっているので「依存症」ではない、うん。「夢を買う」くらいの楽しみはあってもいいだろう。

情報セキュリティアドミニストレータの参考書を読み進める。暗号、認証関係のところだけでもかなりの量だった。なんかものすごく複雑で、暗号化した署名をつけた本文をさらに暗号化して…、とそこまでやらないといけない世の中なんだなぁ。そしてその次の章「情報セキュリティ対策の全体像」に入る。まだ読んでいる途中だが、私にとっては常識のことばかりなのでさくさく読んでいく。

新しく入ったWさんは高校の教師らしい。同室のRさんが「あ、お久しぶりです」と言っていたので、はじめての入院ではないらしい。長髪で髭を伸ばしていて、一見して美術の先生かな?と思ったら、奥さんとの会話で「絵の搬入がどうのこの」と言っていたので、どうやらその通りらしい。緊急入院しただけあって、ずっと寝ている。

依存症の本を読み終える。世の中には様々な依存症があるが、病気として認識されているのはごく僅かであること、自分は依存症に陥りやすいタイプであること、依存症にならないように注意することなどが学べた。「依存症にならないように注意すること」は、ほとんど「うつ病にならないように注意すること」と同じだ。

先週から今週にかけて鬱の波が多少あったが、昨日今日は落ち着いている。この状態が持続できればいいのだが、次の日曜日に久々に歌の練習に出るために外泊するので、そこでまた調子を崩さなければいいが。久々の外泊だが、以前よりストレス耐性はできているだろうか?

外泊していたKさんが帰ってきて話をする。退院は10月15日の予定だそうだ。O嬢も同じ日に退院するらしい。Mちゃんは今日から4泊の外泊に出ており、それが成功すれば退院だと言っていた。この間も2泊して、それが成功すれば退院だとか言っていたが、もう少し様子を見ることになったのだろうか。外泊の成功、それはうつ病の場合はうつ状態に陥らなかったり、鬱が出なくても私みたいにストレスでやられたりしなかったり、Mちゃんの場合は不安から来るリストカットをしないことを意味する。アルコール依存症患者の場合はもちろん「飲酒しないこと」である。

読むのを中断していた「アダルト・チャイルドが自分と向きあう本」の続きを読み出す。この本は、ただ読むだけでなく、その中に出てくる「ワーク」をやっていかなくてはならない。その中の「原家族ワーク」で以前私は落ちてしまった。このワークをちゃんとやるには、自助グループなりカウンセラーなり、他の人とそのワークで出てきた感情をわかちあわなければならない。それがきっかけでカウンセリングをお願いしているのだが、心理の方からまだ返事は来ていない。とりあえず、「ワーク」自体はやらずに読むだけ読んでみる。まじめにやると、また落ちそうだ。

読み進めていくと、「自分の感情をありのままに受け止める」というために「日記をつける」というワークがあった。なんだ、これなら毎日やってるじゃないか。自分が感じたこと思ったこと、ありのままの自分をそこにさらけ出す。「感じたことが『正しいかどうか』を評価する必要はありません。この一日、たくさんのことを感じた自分をほめましょう。」そう書いてある。「自分をほめましょう」この本で何回も出てくるフレーズだ。ACは本来の自分の感情を押し殺して生きている。そして「自分がいけないんだ」というのが根底にある。自分をほめるのが下手なのだ。「あなたが悪いわけではない。もっと自分をほめていいんだよ」それがACである自分から自分「インナーチャイルド」へのメッセージだそうだ。

さらに読み進める。「親との関係を作り直す」実際の親との関係というより、自分の中で親に対して抱いている感情を再構築するようなイメージだ。「ワークを通じて親への怒りを感じても、それを直接親にぶつけてはいけない」う~ん、ワークを通じてではないが、この間ぶつけてしまったぞ。でも親は親で、家族に問題があること、それがどういう問題であるのかを認識してもらいたい。いったいどうすりゃいいのか。やっぱこの本を送ってみるかな。書き込みはなしで。

タイムリミットだ。現在8:50。一服してから眠剤を飲んで寝よう。