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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:メンタルヘルス

昨日はぐっすり、とはいかなかった。20:30には就寝して、2:00頃には目を覚まし、その後何回も目を覚まして、3:00過ぎからは、眠いのに眠れず、結局4:00前にはホールに出てきた。出てきたときは少しぼんやりしてるかな、と思ったが、すぐに頭がすっきりしてきた。

今日は珍しく分裂病のSさんがいる。Sさんは「分裂病」と診断されていながら、ものすごく自分のことを客観的に分析し、理路整然とものを話す。ぜんぜん分裂病には見えず、他の人からもそう言われるという。彼が通っていた開業医からも、「あなたはとても理路整然にものを話す」と言いつつ、診断では「分裂病」だったそうだ。彼は自分が本当に分裂病かどうか悩んでいるが、でも病名なんてどうだっていい、とにかく治ればいいんだ、そう言ってる。本当はどこからどこまでが何の病気か、なんて明確な境界線はない。でも医者は診断書を書くのに、何らかの病名を書かないといけない。理路整然と話はできるとは言え、「幻聴」「妄想」という分裂病特有の症状を示す限り、医者は「分裂病」と書かざるを得ないのだろうか。彼は20年くらい前から症状が出始め、いろいろ薬を試したそうだが、効果はなく、却って副作用の方が大きいので、今では眠剤だけ飲んでるそうだ。

外で雷が光ったと思ったら、雨が降ってきた。やだなあ、今日は外出なのに。ネットの天気予報サイトでチェックすると、今日いっぱいは降水確率10%となっているのだが。昨日の23:00時点の発表だから、6:00になればまたチェックしよう。

朝から外出の準備。今日は8:00には出るので、早めに準備をしよう。パジャマから普段着に着替えて、半袖のパジャマをデイパックに突っ込む。CFカードやP-in Comp@ctも巾着袋につめる。今使っているハンドヘルドPC「シグマリオン」の後継機種「シグマリオン2」がどうしてもほしくなったので、今日買ってくるつもりだ。シグマリオン2、売ってるかな~?すでに在庫切れの可能性が高いなあ。

どうしてもシグマリオン2がほしくなった理由は、今の私はこのマシンを「サブ」ではなく、普通のPC代わりに「メイン」として使っているため、かなりヘビーな使い方をしているからだ。今ではファイルシステムに割り当てたメモリの容量を気にしつつ使いながら、その一方で「メモリが足りません。アプリケーションを終了してください」というように実行時にもメモリ不足が発生する。それに、ときどき「あら、フリーズした?」と思うほど動作が遅いこともあり、本当にフリーズすることもある。

朝食前に体重を測定する。また最低記録更新だ。少しずつ痩せていきつつある。いい痩せ方だと思うので安心だ。腹も以前に比べるとかなりひっこんだ。4年くらい前だろうか。うつ病の前兆とも思える胃痛が始まったときの頃の話。胃腸科の病院に行って、仰向きに横になって触診を受けた後に、医者に「いつもおなかはこんな感じですか?」と聞くので、何かやっぱり悪いところがあったのか、と思いつつ「はい、こんな感じです」と答えると、「腹が…」なに、腹がどうしたんだ。なんだなんだ。「出てますね」なめとんのか、おい。

8:00になるのを待って外出。バスに乗る前から、なんだかしんどくなってきた。大丈夫かいな。バスに乗ってヒーリングのCDをかけ、目を閉じる。皮膚科の診察は9:00からだが、受付は8:30から。8:32に皮膚科に着いたら、すでに先客が4人ほどいた。話に聞くと、地元の人が診察券だけ出してそのままいったん家へ帰り、また来る、ということをしているそうなので、実際にはもっとたくさん先客がいるかもしれない。どうせ薬を出してもらうだけなので、「薬だけでお願いします」と言うと、「2回目なので薬だけ、というのはできません。診察でお願いします」と言われた。1回目も全く診察なんかしてないで、私の言いなりで医者は薬を出したんだけどなあ。ま、そんなことを受付の人に言ってもしかたない。ゆっくり音楽を聴きながら待つことにしよう。あせらずあせらず。

と思ったら10分くらいで呼ばれた。まだ9時前なのに診察を開始しているようだ。良心的な病院だな。医者は2人いて、前回は女性の医者だった。「前回の女性の先生は、まだ来てないのですが、院長先生でもいいですか?」看護婦が聞くが、そんなのどっちでもいいから「はい、いいですよ」と答える。

あらためて医師にいろいろ説明し、薬さえあれば自分はコントロールできる旨を告げる。「普段かゆくなって掻くときも、爪を立てずに指の腹でこすった方がまだましですよ。そういう癖をつけておくと、寝てる間に無意識に掻いてしまうときも、爪を立てずに指でこするようになりますよ」それはいいことを聞いた。やはりいろんな医者にかかると、少しずついいことを教えられる。少しずつ悪いことも教えられている可能性もあるが。

皮膚科を後にし、電車に乗る。うわ、すごい混雑だ。通勤ラッシュか?いやラッシュの時間帯は過ぎている。よく見ると「すごい混雑」というほどでもなく、まあ座席が全部埋まっていて立っている人がたくさんいるだけで、電車としては普通の状態だ。これを「すごい混雑」と一瞬思いこんでしまうほど、やはり自分は人混みにストレスを感じてしまっている。座れないので、吊革につかまり、ヒーリングのCDをかけ、じっと目を閉じたり窓の外を流れていく景色を眺めたりした。景色といっても、街並みが過ぎていくだけで、おもしろくもなんともない。

電車から降りてからがすごかった。電車に乗っているときよりもすさまじい騒音。思わずCDの音量を最大にする。いつも病院内では、普通に聞くときは音量レベル8、寝るときなどにはレベル3で聞いているのだが、ここではレベルを最大の25にしても、それが周りの騒音にかき消される。耳からもこんなに感覚刺激を受けていたのか。すさまじいストレスだ。

何はともあれまずシグマリオン2だ。DoCoMoショップが開くのを待ち、まずそこで携帯を解約し、シグマリオン2の販売価格を聞く。オープン価格なので、とりあえずここDoCoMoショップでの価格が定価と思っていいだろう。54,800円だった。次に、PCショップへ行くと、店頭の携帯電話のコーナーにいきなり「シグマリオン2」とでかでかと書いてある。一言目に「シグマリオン2在庫ありますか?」と聞くと「ありますよ」おお、あったあった。こっちで買った方が安いに違いない、と思いきや、ここでも54,800円だった。発売されて1週間もたってない。まだ値下げしてないのだ。どうせ他の店へ行っても同じだろう。まあ、DoCoMoショップと同じ値段だが、ここで買うと店のポイントがたまる。即決で買った。

ところで、さっき「携帯を解約し」と書いたが、これは別に自分がずっと使っている携帯を解約したわけではない。入院して間もない頃、P-in Comp@ctの接続がたびたび切れるのに業を煮やして、「PHSだと電波が弱くて携帯じゃないとだめだ」と思ったのだが、携帯は取り上げられてしまっていたので使えない。そこで外出したときに、型落ちした一番安い携帯を通信用に買って契約しておいたのだ。そこまでやるか?と思うが、毎日日記をアップすることにしていた私は、通信ができないと非常に困る。それで、入院期間中だけの契約のつもりで買っておいた。

だが今では「PHSでも確実に電波が入るポジション」を発見したので、無用の長物だ。基本料金だけかかるのもばかばかしいので、さっさと解約してしまえ、というわけで解約したのだが、解約後DoCoMoショップのお姉さまは「では、これはお返しします」と言って携帯を返してくれた。どうやら、「機種変更」でなく「解約」では本体は引き取られるわけではないらしい。契約後一定期間内だけの話かもしれない。電話番号は抜かれているので、これは使いものにならない…、と思いきや、意図せずして以前の日記に書いた「ダミーの携帯」が手に入ったことに気づく。これを何食わぬ顔して看護婦に返せば、自分の携帯は手元に残る。それは、外出時にいったん返してもらって今ポケットにあるのだから。充電は、今ではコンビニで携帯用の使い捨て充電器が売っている。しめしめ、だ。

話がそれたが、今はともかくシグマリオン2だ。はやる気持ちを抑えて家路を急ぐ。家に帰ってさっそくセットアップを開始。と言ってもWinCEのセットアップなんて1分くらいで終わる。後はデータの移行。まず旧機とPCを赤外線接続して、ActiveSyncの機能を使ってPocket OutlookのデータをPCに落とし込む。そして、今度は新機とPCを赤外線接続して、同様にしてPCから新機にOutlookのデータを落とし込む。次は旧機のデータファイルをCFカードにバックアップし、新機に差し替えて落とし込む。その他、通信やその他の設定などは、両機を並べて見比べながら行っていく。なんて、なんて楽しい作業なんだ。こんな作業が「ものすごく楽しい」私は、やはり「コンピュータ依存症」の入り口にいるのであろうか。

その合間に、テプラで自分の名前シールを増刷したり、Mちゃんの名前のシールを作ったり(彼女に頼まれた)、改めてこのシグマリオン2に貼る「充電許可取得済み」というシールを作って貼る。マーフィーの法則をかばんに入れる。そうそう、生保の約款も、再度確認したいのでかばんに入れる。そして次は長袖のパジャマ…、あれ、パジャマパジャマ、パジャマでお・じゃ・ま。何を言ってるんだ。長袖のパジャマが見あたらない。しまった冬物だから奥にしまっているか。取り出すのは面倒だが、せっかく半袖のパジャマを持って帰って来たのでなんとか取り出そう、という気は起こらず、どうせもうよれよれだったから、帰りに買って帰ろう。

一通りの作業を終え、再び病院へ戻る。なぜか心が軽い。往路で通った人混みが、復路ではストレスに感じない。騒音もあまり気にならない。家に帰る途中はちょっと疲れたが、それによって少し「慣れ」てきたのか。そして家で「自分の好きなこと」をがんがんやっているうちに、精神的な安定さが増してきたのか。そう言えば、先日読んだばかりの「こころの処方箋」にも、「自分の好きなことをしているときには、エネルギーがいい方向に流れ、案外疲れないものだ」と書いてあった。そういう現象であろうか。ともかく、行くときのどんよりした気持ちはどこへ行ってしまったんだろう。

おっと、危ない危ない。思わず電車を乗り過ごすところだった。電車の中でこの日記を夢中になって書いているうちに、降りる駅に着いたことに、ドアが開く寸前くらいに気がついた。今度は駅ビルでお買い物。

買い物をしていると、まただんだん疲れてきた。いったん調子はよくなったものの、持続はしないようだ。買い物を終えてバスに乗る。だいぶ疲れが出てきたのがわかる。バス停につき、病棟に入り、病室へ帰った瞬間、どっと疲れが吹き出してきた。ああ、やはりまだまだだな。以前はましにはなったかもしれないが、まだまだだ。とにかく今日はゆっくり休もう。

と思ったら、YさんとRさんがでかい声で話している。同じ部屋でHさんが寝ているというのに。これじゃゆっくり休むこともできない。Yさんは、以前私とSさんが喋ってると「うるさい!」と怒鳴ったくせに。私が買ってきたものなどをのろのろと片づけている間もそのお喋りは続いていた。「Hさんが寝ているので、もう少し静かな声で話した方がいいんじゃないですか」私がそっと言うと、Yさんは「あ、すみません」と言って、本当に静かな声で話し出した。注意したらホールに行って会話してくれるかと思ったのだが、寝ている人がいても平気で話し続けるようだ。そもそも私に謝られてもしかたがない。あきらめてホールに行ってたばこを吸う。

16:00の服薬の時間になったので、コップを取りに病室へ戻ると、あきれたことに、今度はHさんが寝ているだけなく、Kさんが勉強しているというのに、2人のおしゃべりは続いていた。何を考えているのか、この2人は。何も考えていないのだろうか。

CDを聴きながらゆっくり休もうか、そう思ったとき、せっかく作ったテプラのシールと、CFカード&P-in Comp@ctを入れた袋を出すのを忘れていたのに気がついた。で、デイパックをあさるが、どうしても見つからない。しまった、家に忘れてきたか?およよ、P-in Comp@ctがなければ通信もできないし、CFカードがなければ、まだインストールしていないアプリケーションを入れられない。う~ん、困った。明日の外出届は出してないし、そもそも昨日の今日は疲れるので、あさってにでも何かの名目をつけて取りに帰ろう。そうだ、通信するなら、こういうときこそ隠し持てることになった携帯が役に立つではないか。は、は、は。P-in Comp@ctに比べて目立つので、見つからないようにしなければ。他の患者にも、だ。特にMちゃんには要注意だ。

あ、だめだ。携帯を使って通信しようと試みたが、こいつと携帯をつなぐケーブルも同じ袋に入れてあったので、やっぱり忘れてる。だみだこりゃ。しかし、携帯があれば、i-modeのリモートメール機能でメールチェックだけはできる。ふっふっふ、いろんな通信手段を持っているというのは便利なことだ。

疲れた頭で生保の約款を読み返す。1回の入院での保険金支払い限度は120日。つまり、4ヶ月を超えると保険金が支払われない。あせっちゃいかんが、お金の問題もそれはそれで心配だ。なんとか入院期間が4ヶ月以内で済めばいいが。その後、再入院した場合は、退院した日より180日経過していないと保険金は支払われないとも書いてある。復帰してから調子が悪くなっても、半年逃げ切ればいいのか、とふと思ったが、退院した後の逃げ道をはじめから考えているようなマイナス思考を自分がしていることに気がつき、これじゃいかんと思う。

Kさんに貸すつもりでもってきた「マーフィーの法則」、貸そうと思ったらKさんが見あたらない。読んだのはまだ学生時代だったか、内容を忘れているので、貸す前に自分で読み返そうと、ぼんやりした頭で読み出す。今読んでもなかなか愉快だ。何でも「こういう法則なんだ」で納得できたら頭の中で丸く収まるかもしれない。

20:00になって、寝ぼけた頭で眠剤を飲み、パジャマ代わりのスウェットに着替える。あ、あついぞ。スウェットはまだ暑かったか。上はTシャツで寝ようかな。今日は神経が疲れたが、それがどう睡眠に影響するか、きちんと観察しよう。

昨日は少し寝付きが悪く、30分くらいかかったかもしれない。22:30頃いったん目が覚めたが、その後は3:00に目が覚め、その後15分おきくらいに目が覚めるパターンに入り、眠りも浅くなってきて、いつも通り4:00にホールに出てきた。そんなに頭はぼ~っとしていない。喫煙所には今日は2人しかいない。TさんとMちゃんだ。Mちゃんは元気がない。昨日は18:00から寝ていたそうだ。2人でずっとぼそぼそ話している。私は13通来ているメールに目を通し、アメリカで大変な事件が起こったことに驚いている。5:00くらいになると人数が増えてきた。昨日入院してきた女性もきた。左手に包帯じゃないけどなにか白い布を巻いている。リスカの跡を隠しているのだろうか。日の出はまだだ。だんだん遅くなる。

6:00になった。起床時間になったのでテレビをつけると、さっそくアメリカの飛行機激突事件をやっている。今日一日はずっとこのニュースだろう。21世紀最初の「世界的な大事件」だ。今世紀の行方を示唆するようで、なんだかそら恐ろしい。「大惨事世界大戦」にならなければよいが。

ラジオ体操前にちょこっと日経コンピュータの短い記事を一つ読む。この手の雑誌は次から次へと来るので、全部は読まずにいくつかの記事をピックアップして目を通し、どんどん捨てていこうと思っていたが、その前に「残しておきたい」記事だけは切り取ってスクラップしていくことにした。それにしても、100円ショップで買ったおもちゃみたいな鋏だとどうも切れ味が悪い。明日家にいったん戻る予定なので、ウェンガーナイフを持って来よう。コーヒー用ミルクの小瓶を買ったときも、プラスチックのキャップを外すと、栓がしてあって困った。そのときは看護婦さんから栓抜きを借りたが、ウェンガーナイフが一つあればたいていのことには困らない。もちろん私が持っているのはサウスポー仕様である。しかし精神科病棟としては、持ち込まれるのが嫌な最も危険な道具の一つだろう。

「捨てる」というのは難しい。「捨てる技術」について説明した本も最近よく出ているそうだが本当に難しい。情報が氾濫している今の世の中、自分が必要なものだけをピックアップして、それ以外のものは片っ端から捨てていかないと、オーバーフローしてしまう。その見極めができないため、「捨てる」ことができずに何もかもがどんどん溜まってくる。「捨てる」というのは、本当に勇気がいる作業だ。本当は私がやり始めたスクラップもあとから全然役に立たないかもしれない。だけど、今は「全部捨てる」勇気がないので、まあ精神安定剤みたいな気持ちでスクラップしている。

環境整備で臓器が、もとい雑巾が出てきたので、身の周りの拭き掃除をする。今日は体調もいいし、ちょっと気合いを入れてやってみようかな。そう思ったのがまずかったのか、私の「やめられない止まらない」病が出てきてしまった。ベッドの隅の小さな埃や汚れがえらく気に入って、もとい気になって、「どんな汚れも見逃すまい」という感じで徹底的に拭き始める。

そのとき、ベッドについている、とある装置を発見してしまった。そう、ここのベッドは「パラマウント楽なベッド(手動)」だったのだ。その装置(と言ってもレバーだが)をぐるぐる回すと、おうおう頭の部分がぐい~んと持ち上がる。もう一つのレバーをぐるぐる回すと足のところがぐい~んと持ち上がる。しまった、こんな機能がついてるなんて知らなかった。これからおおいに活用しよう。と思いつつ、ふと持ち上がったベッドの下を見てしまったのが運のつき。「ほこりです。ほこりです。ほこりほこり、ほこりなんです」うお~、埃の大群だ。狂ったように拭き始める。あ~ん、いつまでたっても終わらないよう。まだ埃がある。まだ汚れがある。まだある。まだある。まだまだある。本当に「やめられない止まらない」これがいい面で出ればいいのだが、悪い面で出ると最悪なのだ。うつ病になった原因も、こういう性格が関係しているのかもしれない。

なまじっか学生時代に清掃のバイトを2週間くらいやった経験が活きて、細かいところの汚れの落とし方までわかっているため、普通なら途中であきらめられるところも、あきらめられずに徹底的にやってしまう。学生時代は家庭教師のバイトもやったが、他にも短期や単発でいろいろなバイトをやった。サークルの行きつけになっていたカレー屋でずっとバイトしていたのはいい経験になった。他にも引越とか配送センターでの仕分けなど、いろいろやった。その頃の経験は、少しずつ活かせることだろう。

結局、40分かけて拭き掃除を終えた。いや、終えたというより、「疲れ切ってやめてしまった」という方が正しい。そう、この「疲れ切るまでやってしまう」のがダメなのだ。全くもう。自分でわかっているのに、自分のエネルギーを使い果たすまでとことんやってしまうのだ。その結果がいい方にでることもあるが、もちろん悪い方に出ることも多々ある。

掃除で思い出したが、清水義範のエッセイでこういうのがあった。「筆者が子供の頃、新しい洗剤が発売されたというので買ってきて、それで電球を拭いたらものすごくピカピカになって、みんな喜んだ。でも、筆者はそのときふと、『これはつまり、新しい汚れが発明されたのだ』と思ったそうだ。つまり、電球はだんだん汚れていくが、それまでの洗剤で拭いてもどうしても落ちないものは、汚れというより、そう、年代を経て出てくる渋みみたいなもの、と思っていたのが、新しい洗剤の登場によって、そういうものは全て『汚れ』と認識されるようになってしまった」というものだ。新しいものがどんどん発明、開発される今日この頃、同時に新しい「汚れ」もどんどん生産されているかもしれない。

「日経オープンシステム」の「実践!セキュアなWebプログラミング」という連載記事を読もうとすると、第1回と第2回の分を掲載した号が手元にない。会社の人にメールして、コピーを送ってもらうようにお願いし、とりあえず第3回から読み始める。セキュリティに関しては私もかなり関心を持っていて、秋にも試験を受けるが、「試験勉強」としてやろうとすると、どうしても身構えてしまうので、こういう雑誌の連載記事なんかで、おもしろく読みながら情報収集したり知識を獲得していく方が近道かもしれない。

昼食前に、看護実習生が企画した「ボーリング大会」の説明があった。館内放送から説明まで、全部実習生がやっていた。とても緊張しているようだ。ボーリングと言っても、ボーリング場にいくわけでなく、この病棟のホールで、1.5Lのペットボトルをピンにして、何かのボールにを使ってやるそうだ。何のボールかは知らないが、ピン球でないことだけは確かだろう。残念だが開催日の明日は、私は外出なので参加できない。

「実践!セキュアなWebプログラミング」の記事を2回分読んだ。う~ん、おもしろい。セキュリティ対策をどうプログラムに組み込んだらよいか、丁寧に解説してある。ASPやJAVAのサンプルコードも載っていて、それを追いかけて解析するのも楽しい。他人の書いたプログラムを読んで解析するのが楽しい、という感覚がなければ、この業界の変化の速さに対応し、ついていくのは無理だろう。もうすぐ風呂の順番が回ってくるけど、それまでにもう1回分読めるかな?

ホールへ出ていくと、貿易センタービルに1機目の飛行機が激突した瞬間の映像がテレビで流れていた。テロリストのやり方にもほどがある。いきなり民間人を何百人も巻き添えにして死に至らしめるなんて、何を考えているのだろう。テロリストの根底にあるものはなんなのだろうか。そういう「攻撃的な性格をはらんだ排他的な思想」も、私が嫌悪する「排他的な宗教」と何ら変わりはない。精神的な病気を抱えた人間なんて、ぜんぜんまともだよ。彼らの方がよっぽど狂っている。

入浴後、テレビを見ていると株価も1万円を割っている。おいおい、経済もめちゃくちゃだよ。これから先どうなるんだろう。うちの会社でも安否が確認されていない人がいる。社内も混乱しているに違いない。「世界」という「地域社会」の中で、「一部のテロリスト」という「問題児」を社会全体がどう扱うのだろうか。バスジャックをした少年のように、精神鑑定を受けたり法によって裁かれたり、ということを行うためには、「世界」を包み込むメタレベルの「立法」「行政」「司法」が必要だろう。今は国連がそれを担っているのか。それにしても、こんなに大変なことが起こっているのに、何もできない自分が悔しい。「うつ病なんかで入院している場合じゃない!」そう思ってもどうしようもない。

「実践!セキュアなWebプログラミング」の最終回を読んだ。目から鱗である。こんなセキュリティホールがあるのか、むちゃむちゃやばいではないか。しかもクラックするサンプルコードまでご丁寧についている。この記事を読んですぐに対策を施す企業はいいのだが、そうでない場合はとてもやばい。悪意のある読者がこれを読めば、すぐにクラッカーになれてしまうからだ。こういう記事の危険性を改めて感じる。テレビでもよくスリや泥棒の手口を示してその対策方法を紹介していたりするが、あれも「悪事の手口を公開する」という危険性をはらんでいる点では同じだろう。しかし、スリや泥棒なら被害を受けるのはせいぜい数人から数十人程度だが、インターネットにおいてセキュリティホールをクラッカーに攻撃された場合、その被害者の人数は計り知れない。ところで、新しく発見したベッドの機能を使って座椅子に座っているような体勢でこれらの記事を読んでみたところ、「パラマウント楽(手動)」だったことを申し添えておく。

夕方、リラックス体操を行う。最近は自分で少し改良を加えた。この体操は「体を伸ばしながら、伸びている部分に意識を集中」して、それに慣れると瞑想状態に入るそうなのだが、どうしても私はやりながらいろんなことを考えてしまう癖があり、なかなか意識を集中できない。それで、自律訓練法で「右手が重た~い、右手が重た~い」という自己暗示をかけるのと同様に、たとえば左足が伸びてるときは「左足が伸びてる。左足が伸びてる」と心の中で繰り返すことにした。雑念は完璧には追い払えないが、前よりも意識が伸びている部分に集中できている気がする。続けていくと、効果が現れるかもしれない。

日経バイトの記事をふむふむと読んだあと、連絡会の司会を務める。今のところは標準語で通しているが、はたして最終日の日曜日はどうしようかな。まあ、それは追いといて、昼間は自分の好きな、というか仕事にも関係あるコンピュータ関係の本を読んだので、夜は「心」に関する書物を読もう。例の宗教関係の本を読み進める。まあ、いいことは書いてあるのだが、あいかわらず「神」の存在をことさら強調する理由がわからない。また、何度も何度も同じことを違う言い回しで書いていて、とても冗長に思える。う~ん、これがマインドコントロールの技の一つなのか?

夜、喫煙所でまたACの話。最近この手の話題が多い。中年女性のKさんは自分のことを喋り出すと止まらないが、しゃべることが一つの精神安定剤になっているのだろうし、経験談や自分の主治医に言われたことなど、参考になることもあるので、じっと耳を傾ける。その中の「私は昔から理屈っぽかった。でも、世の中『理屈じゃない』こともたくさんあることがやっとわかってきたの」という言葉に「私も理屈っぽいけど、理屈じゃ割り切れないことは、これは『法則』だと思うようにしてますよ」と私が言うと、「なるほど」と納得してくれた。「『マーフィーの法則』なんかおもしろいですよ」「それ知らない」ということなので、明日家に帰ったときに、「マーフィーの法則」を取ってくることにした。自分でも改めて読み返したい。

20:00になって眠剤を飲む。やっと明日は主治医が病院に来るが、果たして外出予定の私とスケジュールがあうかな?まあ、気長に行こう。

昨日もよく眠れた。20:00に眠剤を飲んだ後は、日記の推敲をしてすぐに就寝し、3:00頃までは眠っていた。その後は何回も目が覚めたので、5時前くらいにホールへ出ていくと、もうかなりの人数が喫煙所で喋っている。昨日入ってきたおばさん、すごい大声でしゃべっている。いや、大声じゃなくて普通の声なのだが、まだ夜なのでみんなひそひそ喋っているのに、自分一人普通の声で喋っている。たまりかねて看護婦が注意に来た。

OさんやTさんが、看護士のNさんからショックなことを言われた経験を話す。だから二人はNさんに好印象を持ってない。私はNさんはいい人だと思っていたので、話を聞いて「そんなこと言う人だったのか」という反面、Nさんが自分に重なって見える。本人は悪気はないのだろう。むしろ、冗談で言ったことが、自分の思惑とは違って相手を傷つけてしまっていた、そういうことは誰にでもあるだろう。本当の善人とか本当の悪人なんて存在しない。Oさんにそう言うと、でも彼女は彼のその一言で彼を嫌いになってしまったらしい。もっと寛大な心を持てればいいのだが、心の病気で入院している彼女にその余裕はない。

いったん部屋へ戻ってもう少し休み、再びホールへ出ていて目覚めのコーヒーをいれて飲む。Tさんが泣いている。「せっかく仲良くなったのに、お別れなんて」どうやら、昨日入ったおばさんと同室で仲良くなれたのに、そのおばさんはもう別の病棟に移るのか、と思いきや、やはり同室のおばあさんのいびきがうるさいため、別の部屋に移るだけらしい。それだけでわんわん泣くなんて、やっぱり繊細な人なんだ。

台風が来ている。今も外は雨風が強く、これから暴風雨圏内に入ってきそうだ。今日1日がヤマだろう。外出予定の木曜日の天気が気になる。この台風はもう行ってしまっているのでそれは大丈夫だろうが、次の台風が来ているという。ただの雨だったらいいけど、台風はやだなあ。プロトレックで現在の気圧を見ると983ヘクトパスカル。やはりかなり低い。プロトレックは気圧の推移をグラフ表示してくれるが、昨夜から今朝にかけて急下降している。

はじめて「意見箱」に投書してみた。ここには、病院や医師、看護婦に対する意見や苦情などを入れる意見箱が設置してあるのだ。もちろん匿名である。私が書いた内容は、ここの看護婦は、環境を改善しようと思って患者が提案することをに耳を貸してくれない、というものである。例として、私が他人の洗濯物を濡らしてしまったときに「洗濯機が空であることを確認してからコインを入れてください」という貼り紙をしてはどうか、という提案をしたのに無視されたこと、それから、薬を待つ行列がいつも長いが、それは看護婦が患者に薬を渡すときに、その患者の薬を探し出すのに時間がかかってるからで、はじめから五十音順に並べておけばいいのに、という二つをあげた。さあ、何か反応があるか、変化があるか楽しみだ。意見箱は毎週一回、婦長がチェックするそうだ。それにしても雨風の音が激しい。本格的に台風が襲ってきた。

作業棟にチャリ漕ぎに行く準備をして、その前に一服しようと思って喫煙所に出てきた。と、いきなり電気もテレビも消えた。停電だ。あらら~、こりゃだめだ。作業棟のエアロバイクも電源が入らないと使えないな~。いくつかの電灯はついていて、その直後にナースステーションの電気はついた。これらは非常電源で通電するようになっているようだ。と思っていたら、5分くらいしてから停電は復旧して電気がついた。よかった、これでチャリ漕ぎもできる、と思いきや「玄関の前や廊下がかなり水浸しになっていて危ないので、みなさん病棟から出ないでください」とのお達し。「作業棟へ行くのも無理ですか?」と尋ねると「作業棟へも行かないでください」だとさ。「本日の外出・外泊もすべて中止します」との放送が入った。まあ、こういう日もあるさ。おてんとさまには逆らえない。「急に暇になっちゃったなあ。本でも読むか。晴耕雨読だよね」と言うと、「お、プラス思考ですね」と言われた。うん、プラス思考に考えられる癖がだんだんついてきている。いい傾向だ。

その後、「ただ今の停電は、地域の故障により電力会社で切った停電で、また停電があるかもしれないのでご了承ください」との館内放送が入った。続けて「外来診療も中止します」との放送。通院患者もこの台風じゃ大変だろうに。でも、やっとの思いで来たのに「休診です」と言われた人は、さぞかしかわいそうに。

自分のベッドで本でも読もうと「こころの処方箋」を広げるが、隣のベッドでHさんと、別室のEさんがぺちゃくちゃ話をしていて集中できない。耳栓をするが、こんなに隣でしゃべられていては効き目がない。すぐ隣のベッドで本を読んでいる人がいる、ということに気がついてないのかな。まあ、私も以前に同じようなことをやってしまったので、ここはひとまず退散し、耳栓をつけたままホールに行く。

ホールの自分の席に座って本を読むが、やはりホールもいろんな人がしゃべったりしてるので、集中できない。と思ったらまた停電だ。やはり電力会社が切ったのか。暗いので、もう読書どころではないなあと思ったら、風呂場の入り口の所の非常灯がついている。しかも南側に窓があり、かなり明るい。そこへ行ってしばらく本を読む。うん、なかなか快適だ。お先真っ暗と思っていても、探せば灯りはあるもんだ。

本を読んでいると、なんだかホールがあわただしい。この病棟は古いので、海側の部屋やホールの窓を閉めていても、たてつけが悪く、すきまから雨が吹き込んできているのだ。みんな大慌てで、看護婦や患者、看護実習生も総出で、窓の隙間にタオルや新聞紙をつめたりする。バケツを持ってきて、タオルをつたって浸みてきた水が溜まるようにする。こういう非常時に人を観察しているとおもしろい。やたらうろうろしているけど、実は何もしていない人。「昼御飯ちゃんと来るのかなあ」とただ食事の心配をしている人。ああしろこうしろとうるさいが自分は何もしない人(こういう人も必要だと思うが)。そして作業を手伝いながらそれとなくマンウォッチングをしてる人。自分のことだが。

今度の停電は長い。どうしたのであろうか。機械の故障を修理しているのだろうか。もう1時間半くらい続いている。今回も電力会社が切ったのだと思うが、いつになると復旧するのだろう。私はホールの浸水対策が一段落してから、また風呂場の入り口の場所でしばらく本を読んでいたが、みんなが喫煙所に集まってラジオで台風情報を聞いているようなので、そこに行ってみた。だが、電池が弱いのかラジオの出力が弱いのか、よく聞き取れない。そこで私が自分のラジオを持って来てスイッチを入れると、結構大きな音が出たのでしばらくそれを聞くが、台風によって影響の出ている交通機関の情報は放送しているのに、なかなか台風自体の情報が流れない。と思ったら通常のニュースに移ってしまったので、ラジオは切ってしまった。

昼食はちゃんと運ばれてきた。よかったよかった。ここは1階ではないので、厨房から病棟までは何とか運べても、その後はエレベータで運ぶ。その食事運搬用のエレベータは非常電源では動かなかったらしいが、どうやって運んだのかな。人力かな。何にせよ、「食事」は重要なので、そこも非常電源で動けばいいのにねえ、何とかならないのかしら。私でなく、婦長の言葉である。別に急にオカマになったわけではない。

14:00頃、ホールに行ってみる。まだ停電は続いている。ちょうど病院の自警団(?)ぽい人が何人か来て、婦長さんと一緒に雨漏りのする窓などをチェックしていた。ついでなので「いつまで停電が続くのか、病院側から電力会社に問い合わせたりしたのでしょうか」と聞いてみたら「この停電は電力会社が切ったものではなく、病院側が非常電源にすべて切り替え、病棟を一つずつチェックしながら通常電源に切り替えている」ということらしい。うちの病棟は端っこだから復旧が遅かったのかな。「もう復旧作業に入りますから」それを聞いて安心した。人間、なにか辛いこととかしんどいことがあっても、それが「いつまで続く」ということがわかっていれば、案外不安は感じないものだが、「いつまで続くかわからない」場合は極端に不安が増す。軍隊の行進も、「いつまで歩くか知らされていないとものすごく疲れるが、あと1時間などとわかると元気が出てくる」そうだ。山登りなんかは、自分で地図を見ながら現在地を確認しながら登っているので、そういう不安は一切感じない。

戒厳令が解除された。と言うと大袈裟だが、病棟から外に出てもいいというお達しが出た。ただ、まだ外は雨が降っているし、売店も営業してないという。「自販機くらいは使えると思いますよ」そう言う看護婦さんの言葉を信じて自販機へ行くと、「停電なので使えませ~ん」という売店のおばちゃんのお言葉。「全館停電なの。病棟で説明されなかった?」おいおい、説明されてないぞ。私が個人的に聞いてやっと知ったくらいだ。それに、どうもさっきは説明を聞き間違えたようで、まだ病院内はどこも復旧してないようだ。全部のチェックが終わってから復旧されるらしい。やれやれ。まだ雨は降っている。夕方にはあがるだろう。その頃には停電も復旧しているだろうから、自販機で飲み物を買って、どこかでオカリナでも吹こう。ちなみにさっきの「自警団」のような人達は、病院の管理職らしい。それで婦長が「この有様を見てください」と強調してたのか。

15:00にシャワーを浴びようとしたとき、全館放送が入った。「停電の復旧は16:00頃になる見込みです」まだそんなにかかるのか。お湯も出ないかもと思ったら、案の定…あらら出た出た。はて、やっぱガスで沸かしてるのかな。だが、シャワーの水圧が異常に低く、ちょろちょろとしか出ない。ここは非常電源で動いていて、その電圧が低いのかな。

入浴後の私の楽しみの一つが最近増えた。それは「綿棒」である。そう、あの、うどんを作るときにころころ転がす…、そりゃ「麺棒」やっちゅうねん。いやいや、一人ボケつっこみはおいといて、元々耳掻きの好きな私、普段もしょっちゅう愛用している金属製の耳掻きを突っ込んでは耳血を出していたりするが、お風呂上がりは特にこの「綿棒」が気持ちいい。右の耳に突っ込んでそのままぐりぐりやってると、あまりの気持ちよさにそのまま左の耳から出てきそうになる。耳の話で思い出したが、よく女性が「男の人に話しかけても、片方の耳から入って片方の耳へ抜けてしまう」という言い回しをすることがある。これはけっこう知られているが、それに対する男性の反論というのはあまり知られていないようだ。「女の人に話しかけると、両方の耳から入って口に抜けてしまう」というものなのだが。

16:00過ぎ、そろそろ復旧する頃だと思っているところに、また全館放送。「停電の復旧は16:40頃になる見込みです」おいおい、また延びるのか。まあここは文句を言わずに、復旧する方も全力でやっているのだろうから、見えないところで頑張っている人達に「頑張って」とエールを送ることにしよう。ただ、病棟から外に出られるのが17:00までなので、それまでに自販機に行って飲料を買いたいなあ、そう言うとKさんが「売店は営業再開してるよ。でも、レジが使えないから手書きでやってて、店内には2人までしか入れないらしいけど」お、それはいいこと聞いた。さっそく売店に行くと、もう閉まりかけていた。「まだやってますか?」と聞くと「暗くて周りが見えないから、もう閉めるところだよ」「ジュース一本だけ買いたいんですけど」「ああいいよ」てなわけで滑り込みセーフでゲットできた。

夕方、雨があがったのでグランドへ言って、久々に歌を歌った。Tちゃんに借りたカシューナッツ、ではなくて歌集を持ち出すのは、Mちゃんの転院騒動の際に「今日の日はさようなら」を歌ったとき以来だ。グランドで一人で歌っていると、一人の若者が近くに寄ってきて、歌い終わると「お上手ですね」と誉めてくれた。「ええ、一応合唱団に入ってるので」と言ってから、続けて「今日はすごかったですねえ」「ええ、一日停電していましたねえ」というような会話の後、「どちらの病棟ですか」と聞いたところ「あ、私は作業療法士の実習に来てるんですよ」とのこと。この病院にはよく実習生がくるもんだ。でも、今日はどの病棟も外出禁止だったので、作業棟には誰も行っていないはず。「今日は実習にならなかったでしょう」と聞くと、「ええ、一日中暇でした」そりゃそうだろう。聞けばちょっと離れた県の大学から2ヶ月間の実習に来ていて、今は病院内の施設に寝泊まりしているらしい。そこから朝の8:30頃に作業棟へ来るだけで、びしょびしょになってしまったとか。まあ、そりゃそうだわな。そういうときこそゴアテックスのレインウェアが役に立つのだが、そんなもの普通の人は持ってないか。

「こころの処方箋」を読み終えた。うん、とてもおもしろかった。谷川俊太郎の解説もよかった。これは「こころの病」を持っている人でなくても、誰にでも薦めたい良書だ。自分にとって「これはためになる」という箇所には赤線を引いて、赤線を引いた章は目次に丸をつけておいた。読み返したい本の一つになったが、全部を読み返す暇がなくても、この部分だけは読み返そう。ところで読んでいる途中で気がついたが、以前書いた、宗教関係の本を薦めてくれた(送ってきたのはその家族が勝手に、であるが)知り合いの医者が、もう一冊お薦めしたい本がある、と書いていたその本があったのだが、それがまさにこの本だった。まったくの偶然で、私は外出したときに立ち寄った本屋でたまたま見つけたので買っておいたのだが、その医者には「お薦めいただいた本、買って読んでみました。とてもいい本をご紹介いただき、ありがとうございました」と返事を出しておこう。

それにしても、入院生活は暇かと思っていたら、とても忙しい。まだまだ読みたい本が山積みになっている。アダルト・チルドレン関係の本や会社から送られてきたコンピュータ関係の雑誌が多数。コンピュータ関係の雑誌は「読まなければ」という義務感でなくて、自分が好きで読んでるものなので、暇があったら読みたいのだが、今まではなかなか暇がないか、あっても調子が悪くて寝ていた。今日は調子がよくて暇だったので、日経コンピュータの記事にも目を通せたし、「こころの処方箋」も読み終えることができた。そうそう、例の宗教関係の本も、一通りは目を通してみようかな。まだ半分くらいで止まっている。それはそうと、10月に情報処理技術者試験があるので、その勉強をしようと思っていたのに、それも全く進んでいない。これからはそれを優先させよう。もちろん、自分の心の問題を解決させ、自分を変えるための活動や読書などの方が優先だが、それだけをやらなければいけない、ということもないだろう。この業界は進歩が激しい。勉強は私がスムーズに社会復帰、というより今の職場に復帰するためには欠かせない。これを利用して、普通に働いている人よりもたくさん勉強して試験に受かってやる。見てろよ~、だてに休んでるわけじゃぁないんだ。

夜はまた卓球。最近また夜の卓球ができるようになって嬉しい。みんなもレベルがあがってきて、白熱した試合が繰り広げられる。最後には看護士のIさんまで混じってた。おかげで、「これくらいにしておこう」と思っていったん汗を拭いてシャツを取り替えたのに、せっかくIさんが出てきたので一戦交えて、また汗をかいてしまった。もう遅いから、シャツは取り替えずに、体が冷めたらパジャマに着替えよう。

20:00になって就寝前の服薬。アトピーの薬も忘れずに飲む。実は、つい昨日までずっと飲むのを忘れていたのだ。普段は自分で意識して飲んでいて、アトピーの薬を飲み忘れるなんてことはなかったのに、ここに入って「薬の時間ですよ~」と言われてから薬を手渡されて飲むようになって、「自分で薬を飲まないといけない」という意識が薄くなってしまったような気がする。これも広義では一つの「マインド・コントロール」に入るのではないだろうか。な~んちって、そんなたいそうなものではないか。でも、「他人が決めたスケジュールにしたがって行動」していくと、主体性がなくなっていくのは確かのようだ。他のことに関しても、そうならないように、常に主体性を持って行動しなくては。とか考えつつ、そろそろ体も冷めてきたのでパジャマに着替えるかな。それにしても、今日は読書もできたし好きな雑誌も読めたし歌も歌えたし卓球で汗も流せたし、とてもバランスの取れた充実した一日だった。台風さまさまかもしれない。

昨日は消灯後、22:30、つまり眠りの1サイクルでいったん目が覚めたが、追加眠剤はもらわずにまた寝たら、朝の5時過ぎまで眠れた。最近はよく眠れているような気がする。

ホールに出ていくと、外は暴風雨で荒れ狂う海が見える。台風が来ているのだ。Kさんが今日外出するというのに折り畳み傘しか持ってないと言う。ほとんどの患者がそうだ。「病院の置き傘借りていったらいいんじゃないですか?」そう言うと「I看護士が処分しちゃったのよ」と言う。なんだなんだ、そんな話、一言も聞いてないぞ、と言うと「いつだかの連絡会、じゃなかった食事中かな、Iさんがみんなの前で言っていたよ」と教えてくれた。そんな、一回言うだけじゃその場にいない人には伝わらないじゃないか。多分私が外泊していたときに言ったのだろう。もし私が名前を書かずに傘を置いていたら、知らずに処分されてしまっていたところだった。「そうとわかっていたら、一番いい置き傘に自分の名前書いておいたのに」そう言うと、TさんもKさんも「あ、そりゃいいね」と笑ってくれた。ちょうどそのときにI看護士が来たので、「置き傘処分の件、私は知らなかったんですけど、一回言うだけじゃなくて、せっかくホワイトボードにお知らせ欄があるんだから、そこに書いておいてくれたらよかったのに。もし私が自分の傘を名前を書かずに置きっぱなしにしてたら、知らずに処分されてしまってところでしたよ」そう言うと、I看護士は「あ、失礼しました」と謝ってくれた。これからはもう少し患者の立場にたって、どんなことにしろ「より良い方法」を考えてくれるかな。

朝食後、喫煙所で眠剤の話になった。私が「最近はよく眠れるようになったのに、朝ぼ~っとしてることが多い」と言うと、「それは、眠剤が残っているんじゃないですか?」そう言われた。そうだ、眠剤には「残る」という作用があるのだ。私は今まで睡眠障害がひどくて、眠剤もどんどん増えて、追加眠剤をもらっても眠れず、ということもあったため「残る」ということを経験したことはなかったが、睡眠障害が緩和されてきて、今は逆にぐっすり眠れる代わりに眠剤が残っているのかもしれない。主治医と相談したいが、水曜日までいないという。困ったものだ。分裂症でサイレース(ロヒプノール)を10年以上服用しているSさんが、睡眠薬依存症の話をしてくれた。2~3日わざと眠剤を飲まずに、自然に眠気が来るのを待っていたら、手が震えたりしてきたそうだ。依存症の禁断症状らしい。彼は通常1mg処方されるサイレースを、2mg~4mg飲んでいる。同じくサイレースを10年服用しているYさんも、眠剤を飲まなかったときに幻聴が聞こえたらしい。私も聞いていて少々不安だが、医者は「依存症にならないように量は考えてだしてますから」と言っていた。確かに、私の場合7錠も眠剤を飲んでいるとはいえ、純粋な眠剤だけでなく、睡眠誘導効果のある安定剤や抗鬱剤も混ざっている。一種類の薬の量を増やすのでなく、そうやっていろいろな薬を混ぜているので、依存症にはなりにくい、とは思う。ただ、サイレースはハルシオン同様、今の日本では最も一般的に使われている眠剤の一つだが、依存性が強く、アメリカでは使用禁止になっているらしい。逆に抗鬱剤であるSSRIなんかは、ずっとアメリカで使われていて日本では使用が認められてなかったのに、去年になって日本でも処方されるようになった。この辺のギャップはなんだろう。日本は薬の扱い方に関して、まだまだアメリカに遅れをとっているということか。それにしても、こういうときこそ主治医に相談したいのに、水曜日までいないというのは残念だ。しかも、木曜日は私は外出予定にしている。木曜日の16:00以降に主治医に時間を取ってもらえればいいのだが。

雨風がひどいので散歩もできない。「こころの処方箋」を読み進めようかと思ったが、頭がぼ~っとして内容が頭に入ってこない。おとなしく作業療法の時間まで休むことにしよう。何か音楽をかけながら。だが、この後は眠るのでなく運動するので、単なる癒し系の曲よりも、多少元気な曲の方がいい。山下達郎の「On the street corner I」をかけることにした。

アダルト・チャイルド関係の本を売店で買ってきた。今までは借りた本を読んでいたが、自分でマーキングしたり書き込みをしたり付箋を貼ったりしたいので、結局自分で買うことにし、借りてる本は返した。ただ、この本は慎重に読み進めなければならない。この間も「原家族ワーク」をやってる途中で、すごく気が滅入ってきて、そして猛烈な腹痛が始まり、次の日の午前中まで軽い鬱状態が続いた。カウンセラーと相談しながら読み進めていこうと思っている。この本も、自己変革を行うのに大きな手助けとなってくれることだろう。

作業棟へ体力トレーニングに行く。またもや平常時心拍数が高く、100を軽くオーバーしている。体調が悪いときは、なぜ心拍数があがるのだろうか。酸素の供給が追いつかないのか?眠剤が残っていて、体がまだ眠っているのであれば、逆に心拍数は低くなってもいいような気がする。この辺はよくわからないが、なにか複雑なメカニズムでそうなっているのだろう。その状態で体力テストを行うと、「6段階中の1。非常に劣る」と出た。トホホ。体調によってこんなに結果に差が出るのだったら、毎週月曜日に体力テストを行っている意味がない。やるなら毎回体力テストやろうかな。とりあえず今日はそのテスト結果で出てきた数値を基準に設定して、20分1セットだけエアロバイクを漕いだ。その後は腹筋。この間より多い回数をこなせた。

ぺちゃくちゃしゃべりながら猛烈にエアロバイクを漕いでいるいつものおばさんが、隣のおじさんに「水は飲んじゃダメ。漕ぎ終わってから飲みなさい!」」と、また間違ったことを言ってる。それは昔の話で、今の運動生理学では否定されている、ということをそのおばさんに教えてあげようかと思ったが、下手に反感を買うと嫌だったので、作業療法士に言ってみた。「あのおばさん、水飲むなって言ってますけど、今は違いますよね」作業療法士は、「うん、それはわかってるんだけどね。でもスポーツ選手や、本格的なトレーニングをする人達と違って、あのおばさん達の運動量くらいだと、たいした汗はかいてないし、漕ぎ終わった後にちゃんと水飲んでるから大丈夫だよ。下手に口出しても、あのくらいの年代だと反感を買うかもしれないし、言う方も言われる方もそれなりに納得しているんだからいいんじゃない?」なるほど、ちゃんとそこまで考えているのだ。この辺はさすがプロだな。直接言わないでよかった。ここでは「患者同士ができるだけ直接関わり合いになることを避ける」ことに気をつけないといけない、ということを改めて認識した。

私がエアロバイクを漕いでいる横でMちゃんが血圧を計っている。「ねぇ、これ低いかな」の声に私が振り向くと、血圧計の表示は、上が83、下が49。「すごく低いんじゃない、それ。大丈夫」という私に対して「血圧上げる薬、飲んでるんだけどな」と言っているが、薬を飲んでその値なのか。血圧は高すぎるともちろん良くないが、低すぎるのも多分よくないのだろう。低すぎる場合、どういう影響があるのだろうか。

エアロバイクを20分1セットだけで済ませたので時間が余った。今日は雨で散歩にも行けなかったので、オカリナを吹けなかった。この作業棟でなら吹いていいかな、ピアノも弾いてることだし。そう思って作業療法士に「オカリナ吹いていいですか」と聞くと、ピアノのところか、その隣の部屋なら吹いてもいいという。ピアノのところはすぐ横でみんながエアロバイクを漕いでいて、「ピ、ピ、ピ」というピッチ音が気になるので、隣の部屋で吹いた。誰か聞いているかもしれない、というか聞こえているだろうが、周りに誰もいないと自由に吹けて楽しい。

「こころの処方箋」を読み進める。うん、この人の書いたことには共感がもてる。いろいろなトピックについて書いてあるが、すべてに共通していることは「決して断定していない」ことだ。これは、「○○は△△だ」と断定した文章よりも信頼できる。著者も書いているが、心の問題は複雑で、決して「これはこうだ」と断定できるようなことはありえない。だからこそ、別に断定口調を避けて反論されたときの責任逃れをしているわけでなく、本当に断定できないからそう書いてあるのだ。逆に、心の問題について触れた文章で断定口調のものがあれば、それは警戒して読まなければならないだろう。

夕方の薬を飲んだ後、リラックス体操&自律訓練法をやった。この時間に行うのが日課になってきた。別に毎日やっているわけではないが。「毎日やらないといけない」と思いこんでしまうと、それはまたそれで自分を縛ってしまう。他に用事がなかったらできるだけ続けよう、それくらいの気持ちで楽にやっている。やると、やはり気持ちいい。

「日経コンピュータ」が病院に送られてきた。ちょこっと目を通す。前に会社から送ってもらったのもぜんぜん読んでない。1日2記事ずつくらいは目を通していこう。それはそうと、3誌の継続の購読料をまだ払ってない。早く払わねば。

連絡会の司会を務める。司会と言ってもノートに書いてある通り読むだけだ。関西弁でやろうか迷ったが、とりあえず普通にした。最後の日だけ「いたちの最後っ屁」みたくやってみようかな。「皆さんからのご意見、ご感想などありましたらお願いします。はーい」と言って即座に自分で手を挙げて意見を言ったりしてみた。いや、ジョークではなくて、本当に意見があったのだが。午前中トイレに行ったときに、ちょうど掃除が終わった後だったようなのだが、トイレのスリッパがびしょびしょに濡れていたので困りました。掃除の人は気をつけてください。それだけの意見だ。

夜は「こころの処方箋」を読み進め、その後はまた卓球した。Kさんはなかなか悪い癖が抜けない。S君と勝負したが負けてしまった。S君は本来の実力を発揮してきたようだ。今までは素人相手に手を抜いてばかりいたので、手を抜く癖がついていて、私と対戦するときもなんとなく隙だらけだったのが、構えに隙がなくなってきた。それに、マジで読みが難しいサーブを出してきて、それにかなり苦しめられている。うん、好敵手になってきて、これからがおもしろそうだ。

これを書いてるうちに20:00になった。眠剤を飲む。今日もよく眠れるといいが、翌朝また眠剤が残るかな?ま、残っても昼頃には回復することがわかってきたので、あまり心配しないようにしよう。

昨日は腹痛が大変だった。腹が痛くてまともに歯を磨くこともできず、就寝前に看護婦さんに何とかならならいか相談したら、ちょうど当直の医者がいて、下痢止めをもらうことができた。おかげで昨日の日記の最後は尻切れトンボだ。

でも、睡眠はとれた。21:00就寝で、起きたら3:00だった。6時間も連続で寝ていたことになる。喫煙所に行ってみるとMちゃんがいる。戻って来たはいいが、昨日からずっと元気がない。「何かショックなことがあったの?」そう聞くとうなずく。その後はまた眠くなってきたので再び病室に戻って寝た。5:30くらいまではまた眠り、うとうとしたまどろみの状態を感じつつ、6:00の起床を知らせる放送で起きて、着替えて洗面を済ました。最近睡眠は取れているのにだるい、そういう日が多い。腹痛はまだ少し残っている。これはやはり「原家族ワーク」をやったせいか。

だるい。朝からこんなにだるい。というか少し鬱が入っている。ここへ入院してきたときのように、朝から調子が悪い。最近こういう傾向が続いている。なぜだろう。睡眠は以前よりも取れているのに。朝食後もすぐ横になり、9:00過ぎまで寝ていた。起きてきてあったかいコーヒーをいれ、喫煙所で煙草を吸いながら飲む。少しは体が目覚めてきただろうか。

MちゃんがHさんを探している。が、Hさんは外泊でもう出ていってしまった。Tさんが「何の用事なの?」と聞くと「携帯取り上げられちゃったので、借りたかった」そう、彼女はここに再入院する条件として「携帯電話は使わない」ということを約束させられた。それまで携帯を隠し持っていたことは、医師は知らなかったと思うが、親はもちろん知っていた。隠し持つことに荷担していたのだから。しかし、今後はそういう条件が提示されたため、親も荷担することはできない。こっそり携帯を渡す、ということをしてくれない。それで、Mちゃんは誰か隠し持っている人から借りたいのだろう。実は、他にも隠し持っている人は知っているが、私は言わない。再入院の条件が「携帯を使わない」ということは、「携帯を使うことが、病気の治療の妨げになる」という医師の判断なのだろうから、私がMちゃんに携帯を持っている人を教えるということは、「Mちゃんの治療の妨げになる行為に荷担する」ことになるからだ。Tさんは言う。「公衆電話からかけりゃいいじゃない」そうなのだ。公衆電話ならOKと医師は言ったらしい。なぜ携帯がだめで公衆電話がOKなのか、それは私にはわからない。

10:40頃、一人でオカリナを吹きに行く。一人で吹きたかった。もともとオカリナを吹くのは誰のためでもない、自分のため、自分を癒すためなのだから。人が聞いていると緊張する。それが自分にとってストレスになる。

グランドのベンチに座って一人でオカリナを吹いていると、S君がやってきて隣に座る。「調子悪いですか?」と尋ねる彼にうつむいて「調子、悪い」それだけ答える。「一人になりたいですか?」と聞くので「うん」と答える。「じゃあ、たばこ吸ったら行きますから」そう言って彼はたばこを吸って行ってしまった。私はその間一人うなだれていた。彼が去った後、またオカリナを吹き始めた。自分の好きな曲を自由に、そして、どんな曲でもない、自分の心にうかんだメロディーを好きなように即興で吹く。もともと私は何かの曲を吹く、というより、そのときの自分を表現するために、自分の中の何かを外へ出すために、自由にオカリナを吹くのが好きだった。最初の頃、そう、オカリナを吹き始めた頃はずっとそうしていた。

河合隼雄の「こころの処方箋」を読み始める。以前、駅前の本屋で買ってからまだ読んでなかった本だ。河合隼雄の本は、カウンセリング関係の本なら何冊か読んだが、実際に悩みを持った人向けの本は始めて読む。この本も何かの救いになってくれるだろうか。本だけに頼ってはいけないが、読むことによって開けてくる道もきっとあるだろう。

読んでいると、卓球をしている音が聞こえてくる。少し元気が出てきたのと、今なら汗をかいても3時にシャワーを浴びれるので、マイラケットを持ってホールに出ていく。S君とKさんの勝負が終わるのを待って、S君と軽く打ち合った後、試合をするが、2セットとも負けてしまった。いつもより集中力も運動能力も衰えているようだが、まあ、それはそんなものだろう。調子が悪いのはわかっているのだから。大事なのは、今自分にできることを、自分のペースでやることだ。少し汗をかいたくらいでやめておいた。無理は禁物だから。

S君とKさんの試合を見ているとき、Y看護婦が来て「あら、起きました?」さっき病室を巡回しているときに、私が寝ていると思ったらしい。別に眠っていたわけではないのだが。特に様子を聞いたりするわけではないが、ちょっと様子を見にきていただけだという。ついでなので、聞いてみた。「この病院でカウンセラーにカウンセリングをお願いすることはできるんですか?」昨日の「アダルト・チャイルドが自分と向き合う本」の中でやった「原家族ワーク」で、自分が書き出したことは必ず誰かと共有してください、そう書いてあったのだが、誰と共有すればいいかわからない。そこで、カウンセリングを受けて、カウンセラーと共有できないか相談しようと思ったのだ。看護婦によると、医者からの依頼でカウンセラーにお願いすることは可能だが、私の主治医は水曜日まで用事があって病院に来ないらしい。木曜日以降に面談をして、カウンセリングをお願いしよう。今現在患っているの「うつ病」を治すだけでなく、またそういう病気に陥らないようにするためには、自分の中で何かを変えなくてはいけない。この本はそのきっかけになるかもしれないし、そのためにはカウンセリングも有効な手段だと思うから。

会社でも、産業カウンセラーにお願いして2年くらいカウンセリングを続けていた。それで、少しは自分のことが客観的にわかり、どうすればいいかわかっていった。だが、状態はまた悪化した。会社のカウンセラーにその旨を告げて「いったいどうすればいいでしょう」と相談しても、「どうすればいいか、前も言ったでしょ」としか言わない。会社のカウンセラーとは、もういくらカウンセリングをしても煮詰まってしまっている。今度はこの病院のカウンセラーとうまくいくといいのだが。

煙草を吸おうとホールに出ていくと、I看護士に呼び止められて、「来週一週間の連絡会の司会、お願いできるかな?」と聞かれた。司会と言ってもノートに書いてあることを読むだけで、たいしたことはない。「あ、いいっすよ」そう答えてから、冗談で「でも私がやると、関西弁でやりますよ」と言ってやったら「あ、たまにはそういうのも、いいんじゃないですか」と言った。ほんとかな?明日の連絡会の直前に、そのときにいる看護婦か看護士に聞いてみて、いいと言ったら本当にやってみよう。

この日記を書いてると、S君が「カラオケやりますよ」と声をかけてきた。もう13:30か。調子があがってきたので参加する。今日はけっこう歌った。「桃色吐息」を歌ったら、えらく低音の渋い?吐息になってしまったので、キーを変えずに2番をオクターブ上げて歌ったら、「器用だね~」と言われた。まあ、だてにヴォイトレは受けてない。あ、今はほんとに受けてない。また受けたいなあ。

同室のYさんが、私がこのハンドヘルドPCでネットをやっていることを知って、KさんのHPを見たいという。Kさんは私の一つ年上の会社員で、3年ほど前に自分のHPを作ってみたものの、それから全く更新していないという。HPを作る人は、最初はおもしろがって作るがそのままほったらかしにしてしまう人が多い。HPはマメに更新しないと誰も見てくれなくなる。だから、HPを立ち上げるという場合、最初はいいのだが、その後コンテンツを随時更新していくという「マメさ」が必要である。世の中にはそういう「デッド」なHPがごろごろ転がっている。そういう私も、自分のメインのHPはそれに近い状態である。自分が管理している、内輪のHPはマメに更新しているのだが。

話がそれたが、YさんがKさんに「HPのアドレス教えて」と聞くと、Kさん自身覚えてないという。「でも、たいした内容じゃないっすよ」そういうが、Yさんが見たいというので、HPのタイトル名から私が検索して見せてあげた。「○○のホームページ」というタイトルがあって、顔写真があって、自己紹介が2行くらいあって、次のページをクリックすると、いきなり「ご意見、ご感想をお願いします」というアンケートのページに飛ぶ。それだけのHPだった。本当にたいした内容じゃなかった。ほとんどコンテンツも何もないのに、「ご意見、ご感想を」と言われても、「なんじゃこりゃ」と言うしかないだろうが。ちなみにそのHPのアクセスカウンタは、3年かかって306だった。

「こころの処方箋」を読み進める。うん、かなりいいことが書いてある。読んだからすぐに自分の問題が解決されるわけではないが、いろいろなことに対する「こころ構え」の基本的なところに関して、これからの自分のものの考え方の指針にできるだろう。繰り返し読み返したい本の一つの仲間入りだ。河合隼雄の文章はとても読みやすくて、文章の書き手としても参考になる。

昼間に卓球をやったとき、汗をかいてもそんなにかゆくならなかったので、夜も久々に卓球をする。かなり調子は戻っている。久々に思い切り卓球ができて嬉しかった。また上り調子になっていってくれるといいが。

夜は喫煙所でACの話になる。私が昨日、「原家族ワーク」をやっていて落ちてきた話をすると、アルコール依存症で入院している中年女性のKさんが、自分の経験を語ってくれた。Kさんも、その本を読んでではないが、自分の過去の棚卸しをやったときに、部屋で一人でわんわん泣いたそうだ。看護婦さんがそれを見て、誰かにひどいことでも言われたかと思ったのか「話を聞きますよ」と言ってくれ、Kさんが「実はこういう理由で涙が出てきたんです」と説明すると、「よく気づきましたね。その『気づき』が大事なのですよ」と言ったそうだ。その看護婦さんは若かったが、自分自身が「機能不全家族」で育ち、苦しい思いをしてきて、そして早くにその「気づき」を体験し、看護婦の道を目指したらしい。そういう看護婦さんばかりだといいのだが。Kさんは言う。「自分の親や環境は変えられない。変えられるのは自分だけ」そう、そうなのだ。それは私もわかっているつもりだ。一昨年に受けた「タイムマネジメント」の研修でも講師が同じことを言っていた。「変えられるのは自分だけ。他の人に対しては、せいぜい『影響を与える』ことしかできない」「私も自分自身を変えていこうと思っているんですよ」私がそう言うと「1年も2年もかかるよ。でも、1日1日の積み重ねだからね。自分に対する『気づき』を経験すると、自分自身がこれからどうしていけばいいのかがわかってくる。でも、それを実行するのは難しい。1日1日の積み重ねで、1年も2年もかかって変えていかないといけないよ」Kさんはそう答える。私も入院中にどこまで自分を変えていけるかわからないし、多分、理想的な自分というものにはなることは一生かかってもできないかもしれない。どこかで見切りをつけて、うつ病の症状が治まって普通の社会生活ができるようになったとき、その「自己変革」を1日1日、積み重ねていけるだろうか。

20:00になって、眠剤を飲む。パジャマに着替えて就寝準備。そろそろ半袖の薄手のパジャマだと肌寒い。次の木曜日は皮膚科に通院するので、そのままいったん家に戻って、いろいろ秋物を取って来ようか。それができるかどうかわからないが、この間は駅前周辺の買い物で割と平気だったので、次のステップとして「電車を乗り継いで家へ帰る」ことを日帰りでやってみようと思っている。