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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:メンタルヘルス

ぐっすり眠ったと思って目が覚めて時計を見たら1:30。その後は4:00前だったか、やはり2回くらい目が覚める。その後も時計を一回見たが、5:00くらいだったっけな。6:00ちょっと前に起きて洗面する。6:00というのに外はものすごく暗い。日の出が遅くなったのもあるが、今日は曇っているせいだろう。今日で入院100日目か。だからといって、特に何か感じることがあるわけではないが。

またまたメールがたくさん来ている。せっせと返事を書く。4通書いた。2通は山岳会の運営会MLに向けて。1通は昨日手紙をくれた女性へ。もう1通は、学生時代につきあっていた女の子で、昨日の夜にメールが来ていたのでその返事。彼女とは今でもけっこうメールのやり取りをしている。

雨がけっこう降っている。なんだか元気がなく、音楽を聴きながら横になる。隣のベッドのSさんがものすごく調子が悪そうで、何か不安の発作で苦しそうだ。看護士が来て注射を打っている。彼はかなりあせっているように見える。閉鎖病棟からこの病棟に移ってきた頃の方がずっと調子がよかったように見えた。どんどん悪くなっているようだが、それなのに早くここを出て仕事に戻ろうとしている。

作業棟に行く。体力テストはまあまあだったが、一般トレーニングの値は低かった。どうも気分が乗らない。1セット終わった後、そそくさとトレーニング後の体重を量って病棟に戻る。その時の体重がなんと、63.8kg。ついに63kg台をマークした。何年ぶりだろうか。

Wさんが奥さんと一緒に帰っていった。「また会うかも」彼はそう言った。同じ病院の同じ医者から紹介されてきたので、私が退院したら、その病院の外来でまた会うかもしれない。今日は親しい人が2人も抜けて、本当に寂しい。

昼はひたすらだらだら過ごす。入浴以外の時間はずっとCDを聴きながら横になる。

Sさんが主治医から「電気ショック療法」というのを試してみますか、と言われたらしい。電気ショック療法というのははじめて聞いた。長期の患者を短期で治療するときに使う手段で、奥さんと相談して、家族の了解を得てからでないとできないらしい。その療法について何か知らないか、と聞かれたのでネットで検索して調べると、効果的な薬が開発されて薬物療法が広まる前の時代によく行われていたものらしく、確かに一時的に記憶を飛ばしたりする、ということらしいが、それによる脳障害などもあり得るという。厚生労働省では医療行為として診療報酬3000点と定めているらしい。少し、というかかなり怖い療法だなぁ。そんなものまであるのか。それを医者が勧めるというのは、相当Sさんはあせっていて早く出たいと訴えているのか。E氏がうちの病室に入ってきて、しばらく3人で話をする。「焦らない方がいいと思うけど」「今この状態で出ていって会社行っても、仕事なんかできないでしょう」と2人で言うが、いろいろ事情はあるのだろう。どうしても早く仕事に戻りたいようだ。どんどん状態はひどくなっているというのに。会社の人と話をするために外泊するらしいが、医者としては外に出したくないらしく、どうしてもと言うので「自殺をしないと約束」させられて、奥さんに迎えに来てもらって外泊許可を得たらしい。大丈夫だろうか。

話しているうちに20:00を過ぎてしまった。さっさと就寝準備をする。なんだか今日は暗い一日だったような気がする。

昨日は寝付きは若干時間がかかったかもしれない。夜中は2:00前、4:00前、5:30に目が覚めた。5:30から後は寝たり起きたり、と言った感じか。6:00の起床のアナウンス直前に起きる。目覚めはまあいい方かな。割とすっきりしている。そこそこ熟睡もできたような気がする。

今日は朝から皮膚科に行って、そのまま家に戻ってまた「少しだけ片づけ」をする予定。今日は何をどう片づけようか。とりあえず乱雑に散らかっているものを、「片づける」前に「分類」してかためることにしよう。後はロフトベッドの下の収納BOXを引き出して掃除機でもかけるとするか。

8:00に外出し、皮膚科の診察を受けてから家へ帰る。予定通り、床に散らかったものをコンビニの袋やなんやらに「分類」して放り込んでいく。「もの」そのものが散らかっていた状態から、袋がたくさん並んでいる状態になった。これだけでもちょっとすっきりした気がする。続いて掃除機をかける。コンビニ袋で整理して広くなった床の埃を吸い取り、続いて机の下、ロフトベッドの下に置いてある収納BOXや机の引き出し、その奥の段ボール箱を動かして埃を吸い取る。かなりの埃がたまっていた。自分が吸い込むと嫌なので、部屋に入ったときからずっとマスクをしている。そしてまだ整理していない部屋の奥の方も、見える部分だけはちょいちょいと掃除機をかける。使い捨てのペーパー雑巾でいろいろなところの誇りもふき取る。今日はこのくらいにしておこう。なんだかんだやっているうちに2時間くらいかけてしまった。その間にシェーバーとCDプレーヤーの充電もやった。アマチュア無線の本とスペア眼鏡をデイパックにしまい、12:00過ぎに家を出る。今日はさっさと病院に戻ろう。15:00のシャワーも浴びたい。

さっさと帰ってくると、病院の最寄り駅の前で年賀はがきを売っていたので買った。今年は出そうかどうか迷ったが、とりあえず毎年出している連中には出そう。山岳会のメンバーには出さない。なんせ、去年全員に送ったのにわずかしか返ってこなかったから。

病棟に戻ると、私宛に手紙が来ている。なんと、前にオカリナを聴きに後を追いかけてきた女の子からだ。最近見かけないなあと思っていたら、11/2に退院していたらしい。「さよならの挨拶ができなかったので手紙を送りました」と書いてある。封筒にメールアドレスまで書いてあったので、思わずメールを送った。ちょいと長々と書いてしまった。

これを書いているときに掃除のおばさんが入ってきて、このハンドヘルドPCを見て、「それ何?」と聞くので、いろいろと話をする。なんでも、息子さんが大学生の時に「学校で必要だから」とか言われてPCをデスクトップとノートと2台、それにデジカメまで買わされたそうだ。まあ、今の大学では本当に必要なんだろうが、2台必要なのかな?家にもパソコンはあって自分もワープロ機能くらいなら少しは使えるが、あとはゲームしかできず、娘にからかわれている、と言っていた。

16:00からリラックス体操&自律訓練法をまたまたじっくりやる。最後の自己催眠状態のところで夕食のアナウンスがあった。もう17:00なのか。1時間近くやっていたことになる。覚醒暗示を自分に与え、起きて出ていく。

明日はWさんが退院する。ぜひ夕食のときに挨拶をしてもらいたいと思っていたが、夕食が始まってもその気配はない。Kさんが私をつついて看護婦に言ってきて、みたいな感じだったので、ナース室に行ってその旨を告げると、意外にも看護婦は記録を見て「全員が予定通り退院するとは限らないので現状維持」と書いてあるので、それは無理です、と言う。おかしい、私の認識と違う。婦長さんは前向きなご意見として伺っておきます、というようなことを言っていたはずだ。そもそも「予定通り退院するとは限らない」のなら、なおさら確実に退院する前日に挨拶してもらうべきだろう。今週の金曜日に退院する予定だから火曜日に挨拶したら、事情で退院が一週間延びた、というような場合は翌週の懇談会にもまた出てもらうことになる。事情がよくわからないが、どうも記録ではそうなっているらしいし、婦長はその場にはいなくて、看護婦は記録に書いてあるのを読んでそう言ってるだけなので、その看護婦に文句を言ってもしかたがない。その場はひきさがった。

その後、A看護婦が私のところに来て「やっぱり挨拶してもらうことに決まったから」と言った。ちょうどナース室にいた看護婦は懇談会にいなかった人ばかりなので事情がわからない。が、たまたま懇談会に出席していた医師がナース室にいたので、その医師に聞いたところ「挨拶してもらうようなニュアンスで話していたけど」と言ってくれたので、急遽そうなったらしい。その医師がいてくれてよかったが、きちんと記録してもらわないと困るなぁ。そもそも「患者主体」の懇談会の記録を看護婦がつけるのはいいとして、それならばその査収は患者が行うべきなのだが、その辺は看護婦は認識しているのだろうか。来週の懇談会で質問してみよう。

夕食後にメールチェックすると、昼間にメールを送った女性から返事が来ている。また返事を書く。メールが来たのでびっくりしたようだ。私が何気なく書いた言葉に励まされた、と書いてあって、自分もとても嬉しい。彼女は退院した後も自助グループやデイケアに通っているらしい。

夜、Uさんと昔のパソコンの話で盛り上がった。PC-98や一太郎の話からどんどん話はさかのぼり、BASICマシン全盛期の頃の話になった。この手の話題についてこれる人は少ないので、とても楽しかった。私がモトローラ系(680x)の方がマシン語としてはザイログ系のZ80より優れていた、と言うと「みんなそう言うね」と言っていた。彼はマシン語には少し手を出したが、自分には向かないと思ったらしい。BASICではプログラミングしていたようだ。「BASIC自体が悪いんじゃないけどね。やはりサブルーチンでローカル変数が使えないので、いいプログラムを書きにくかったんじゃない」という点で意見が一致した。

これを書いているうちに20:00をとっくにまわってしまった。今日は卓球をしなかったので汗もかいてない。さっさと着替えて就寝準備をしよう。

ようやく睡眠が安定してきた。昨日は寝付きはそこそこよかったと思う。夜中も一回目が覚めて、時計を見たら2:45だった。次に目が覚めたときは4:30だった。そこからは浅い眠りで断続的に寝たり起きたりを繰り返しつつ5:30くらいまでは寝て、その後はもう眠れなくなったので、「目覚めのヨーガ」を布団の中でもぞもぞやり、5:50くらいに起きて喫煙所に出てきた。そこでメールチェックすると、先日メールを送った女性が出張先から携帯でメールをくれている。「ノートPCのバッテリが切れたのでお返事ができませんでした。金曜日までお待ちください」とのことだ。返事がなくて、どうしたのかな、と思っていたのでほっとする。

朝食後、コーヒーをいれて飲んだ後、シーツ交換を済ます。その後日経バイトを読み出そうとすると、隣のベッドのSさんがいろいろ話しかけてきて、しばらく自分の病気の経過などについて話す。そのうち看護婦がシーツ交換を自分でやってない人の分をやりに入ってきて、そのときにI看護婦がいろいろ話しかけてきたので、カウンセリングの話なども含めていろいろ話をした。そう言えば今日はいい天気なのに散歩に行くのを忘れていた。ま、いいか。また昼にでも行こう。今日は体重測定のはずだが、10:00を過ぎた現在、まだアナウンスはない。

11:00の服薬後、体重測定があった。64.2kg。また減った。先月は65.6kgだったから1kg以上減ったことになる。順調だ。このまま入院中に標準体重までもっていけるといいのだが。

今日は午後からここの病棟のOBが3人も来ていた。私の隣のベッドにいたHさん、先月退院したO嬢、その前に退院したA君、みんな元気そうだ。喫煙所は同窓会のようだった。最近患者の入れ替わりが激しく、この1ヶ月半くらいの間にかなりの患者が入れ替わり、私と同年代の人が少なくなって平均年齢がぐっとあがってしまっている。久々に同年代の連中と楽しくおしゃべりできた。A君は引っ越し屋のバイトをしつつ、テレビ番組制作会社のADも受かったらしく、今でもちょこちょこやっているらしい。来年の4月から本格的にやるそうだ。目が輝いていて、とても元気そうだった。明後日はWさんとIさんが退院する。私より後に入った人が先に出ていくのを見送るのは何回目だろう。

昼間、日経バイト10月号を読んでいると、掃除のおばさんが入ってきて掃除機をかけているので、ついでにベッドや床頭台を動かし、それらの下の埃を吸い取ってもらった。アトピーなんで埃ができるだけない状態にしたいと話すと、そのおばさんの息子さんもアトピーらしく、よくわかると言ってくれた。わざわざ床を拭くような道具を持ってきて床を磨いてくれた。親切な人だ。

今日は散歩に行ってないので、入浴後15:40くらいにオカリナを吹きに病棟を出る。16:00の服薬までには戻らないのであまり時間がないが、久々に海の見える丘へ行って何曲か吹いた。病棟に戻ると、Uさんが自分の病室まで聞こえたと言った。けっこう遠くまで響くようだ。

16:00の服薬の後は、リラックス体操と自律訓練法を念入りにやった。1時間近くかかった。最近これ自体がとても充実した時間となっている。やった後は本当にリラックスできて気分がとてもいい。これを書いているうちに17:00になった。もう外はかなり暗い。日が暮れるのが早くなった。

日経バイト10月号も読んでしまった。これでコンピュータ雑誌は全部読んでしまった。これから何を読もうかな。そうそう、まだ買ってから読んでない小説が2冊ある。次の雑誌が届くまではそれらを読むとするか。そう言えばマーフィーの奇跡の本も途中までしか読んでなかった。

夜はまた卓球したり雑談したりして過ぎていった。毎日が同じパターンだ。少し変化を持たせたいな。

まだ汗がひいてない。例によって体の火照りが冷めるのを待ってから就寝準備をして、マーフィーの本でも読むとするか。

昨日も寝付きは悪く、1時間以上かかった。今日の懇談会の司会が結局決まったのか、寝る前に看護婦に聞いてみたら、決まってないと言ったので、もし調子がよかったら自分からやってみようと思ったのだが、その場合、何をどうやって進めていったらいいか、あれこれと考えていたせいもある。でも夜中は結構深く眠っていたかもしれない。一度目が覚めて、時計を見ると2:30だったと思う。次に目が覚めると4:30で、それから寝付けなくなったので5:00頃起きてホールに出てきた。この時間に起きてくるのは久々だ。早朝覚醒が復活した。

起きてきて喫煙所で早朝組といろいろ話をする。懇談会の司会を務めることになった場合、こういうことを最初に決めていきたい、と言うことをその場にいる人に話をすると、その場にいる人が賛同してくれた。とりあえず事前に看護婦、特に婦長とすりあわせをやっておいた方がよさそうだと思っているが、婦長にその時間はあるだろうか。

喫煙所でこの日記を書きながら、懇談会のレジメのドラフトをまとめた。仕事をしているみたいだ。今日も朝から雨だ。今日は洗濯をしようと思っていたが、これでは干せない。6:00過ぎに洗面を済ませた後、洗濯機を回し、乾燥機で乾かすことにする。ラジオ体操が終わった後、ちょうど残り10分の注水だったのでバケツで水を足して時間短縮する。これで朝食までに終わるはずだから、その後90分乾燥機で回そう。作業棟へ行くまでに乾燥が終わるだろう。

乾燥機に100円取られてしまった。入れても回らない。ときどきあるそうだ。もう一回コインを入れてまた取られると嫌なので、隣の乾燥機に中身を移して回す。あとから看護婦に「乾燥機に100円取られちゃいました」と言ったら「コインランドリートラブル連絡帳」なるものに記入してくれた。業者が回収に来たときに返してくれるそうだ。

昨日話があった懇談会の司会の件について、今日は調子は大丈夫そうなのでもし他にいなければやりますけど、と看護婦に言ったところ、じゃあお願いします、ということで引き受けることになった。最初なので、どういう風に進めていったらいいかある程度決めておく必要があると思っていて、それを自分なりに考えているので事前に婦長さんとちょっとお話したい、ということを伝えたら、そういう時間を取ってもらうようにお話しておきます、ということだった。

8:00から作業棟の裏でオカリナを30分くらい吹く。相変わらず雨が降っている。思わず一発目にただたけの「雨」を吹いてしまった。病棟に戻って乾燥機から洗濯物を取り出し、ベッドの上で畳む。少し熱っぽさを感じるけど、大丈夫かな?

9:00を過ぎてしまった。今朝の看護婦の話だと、午前中に婦長の時間が空いたら事前の打ち合わせをしてもらえるかもしれないし、内科医の面談もあるので、その時点で作業棟へ行くのはあきらめる。書き終えて喫煙所で一服していると、9:30頃にN看護士が来て「今ちょうど内科の先生来ているので、そこで待っていて」と言うので待つ。婦長が出てきて「ちょっと忙しいので打ち合わせは13:00頃からお願いできる?」と言われた。まあいいか。

呼ばれてナース室の奥へ入る。今日は男性の医者と女性の医者が2人とも来ている。甲状腺ホルモンの検査には異常がなかったそうだ。抗原検査ではハウスダストやダニが反応を示しているというが、そんなことはわかりきっている。男性の医者は喘息に関してはアレルギーの可能性が高い、などと言うが「アトピーとか持ってない?」と聞かれた。先週話さなかったかなぁ。抗原検査もやったことがあるというのも先週言ったのに。とりあえず結論としては「異常なし」ということらしい。頻脈もそれから来ているのではないかと言う。それならそれでいいのだが、あまり納得がいかないという顔をしていると、心エコーと呼吸器の検査をやりましょうということになった。

内科医との面接が終わったら10:00だった。婦長も忙しいし、今からならまだ作業棟へ行って1セットくらいはできる、と思って作業棟へ行く。Wさんが外泊でいないので正常な方のマシンで体力テストをやると、「エラー1」が出て結果が表示されなかった。作業療法士と一緒にマシンの取説を見たところ「体力テストの結果のVO2Maxの値が異常に高い」ということらしい。珍しいエラーだそうだ。まあ、それはいいやと思って一般トレーニングを30分1セットやったら189.7kcal。190kcalは超えなかったが、まあいい数字が出た。

13:00過ぎに婦長が帰ってきたので、自分の考えた枠組みについて説明する。婦長はかなりの面で納得してはくれたが、現状ではいきなりいろいろなことを行うのは無理があり、とりあえずは先週までの連絡会の延長、というか拡張版のような形で、患者からの意見、要望を婦長と医師が直接聞き、それに回答するという形で進めましょうということになった。以前とあまり変わらないが、医療スタッフの中核とダイレクトコミュニケーションを取れるようになっただけでも進歩と言えよう。

13:30から患者懇談会を行う。そつなく司会を務めた、と思う。患者のいろいろな要望、というより不満や意見を聞き、それに対して主に婦長が答えていった。私が補足して改めて婦長に質問することによって引き出したいと思っていたことは、他の患者が全部質問として出してくれた。まあ司会と言ってもたいしたことは結局やってない。人をあてていっただけだ。最後に入退院の患者の挨拶で終わり。楽勝だ。

Kさんから「司会、上手ですね」と言われて、思わず「何年ビジネスマンやってると思ってるんですか」と言ってしまった。まあ、普通の主婦は会議なんか慣れてないから段取りよく進めてるなぁと感心するのかもしれないが、会社にいれば下手すると一日中会議の連続ということもある。会議慣れして当然だ。

金曜日から外泊していた同室のSさんとWさんが帰ってきた。Wさんは部屋探しをしていたが、部屋が見つかったのでもう今週の金曜日に退院するという。またこりゃ急な話だ。木曜日の夜に挨拶してもらわなくっちゃ。奥さんと別居することになったそうだが「1年の猶予つき」だそうだ。なんとか踏ん張ってほしいところだ。彼も入院は2回目なので、もうぶり返さないといいが。前は退院してすぐに復職したが、今回は1ヶ月のリハビリ期間を見ているという。それくらい慎重な方がいいだろう。

日経バイト9月号の無線LANの記事を読んで、その後喫煙所でだべる。途中から卓球モードに入る。最近は毎日卓球だ。これもいい運動になる。KさんやSさんに「彼女できそうなのに」とか言われるが、何年もできないことを話す。やはり「短期間では理解しにくい人間」なのだろうか。Kさんは私のことを「知れば知るほど味がある人」と言ってくれるし、Sさんは「奥が深い人」と言ってくれるのだが。

そんな話をしているうちに20:00になったので引き上げる。あれ、今日コードを預けたかな?と思って引き出しの奥を見ると、鎮座まします状態なので、「すみません、預け忘れてました」と言って看護婦に預ける。例によってまた体が火照ってる状態。消灯準備をして、日経バイトの続きを読もう。

なんだか変だ。いや、昨日は寝付きはよかった方で夜中もそんなには目が覚めなかったが、起床の放送で起こされて、まるで起きる気がしなかった。「もっと寝ていたい」「夢の続きを見ていたい」「自分の空想の世界に浸っていたい」そういう感じが強く、ずっと布団の中にいた。看護婦が脈を計りに来てと言うので仕方なく出ていって計る。80だった。戻ってきて着替える。が、何かやる気が出ない。これを書いてるが、この後もまた寝てしまいそうだ。また何かが不安定なのか。とりあえずメールチェックすると山岳会の仲間が結婚するとの報告。「会員同士の結婚」は私が入ってからはじめてだ。こうやって仲間がどんどん結婚していくのを見ていると、焦るわけではないが、なんだか寂しいしうらやましい。

また寝てしまって、薬の時間になっても朝食の時間になっても起きていく気がしない。看護婦が呼びに来て、ようやく食事に出ていく。外部からトリガーを与えられると何とか動けるようだ。

朝食後、喫煙所で調子が悪いことをKさんに話す。Kさんはいろいろ話してくれて、私の話も「よくわかる」と聞いてくれた。「いい子」「いい人」を演じ続けて来た自分の中に抑圧された何かが出てきそうになっている。それに対して「よくわかる」と言ってくれたのだ。Kさんは私を、最初はとっつきにくいと思ったが、ずっと一緒にいると「とてもいい人」だと思うようになってきたらしい。「いい人」というのはときどき言われる。「すぐにはよさがわからないけど、だんだん味が出てくる人」というのも何回か言われたことがある。人から見るとやはりそうなのか。「彼女作りなよ」そう言うKさんに対して「できないんですよ」と答える。本当に何年も彼女もできない。友達はたくさんいるのだが。基本的に寂しがりやの自分にとって、とにかく誰か、あるいは何かに頼りたくなることがある。すがりつきたくなることがある。昨日は久々に学生時代の友達に会えてとてもうれしかった。その反動が来たのだろうか。昨日も日記に何度も書いたが「寂しい」のだ。

その後もまた横になる。散歩に行く気力もない。9:00になって、少しましになったのか、よっしゃと起きあがって作業棟に行く。体力テストはまあまあだったが、30分の一般トレーニングを始めたら、すぐに気が滅入ってきてやめたくなった。なんとか「あと少し」「あと少し」と踏ん張って30分乗り切ったが、心の調子は体に現れるのか、数値は低い。もうそれ以上やる気力がなかったので病棟に引き上げてきた。

昼食までまたCDを聞きながら横になる。最近は6月のコンサートのCDを聴くことが多い。自分の下手さにうんざりする。思った通りにぜんぜん歌えていない。音の立ち上がりは不安定で、ピッチも狂い気味。他のグループはとてもうまい。

昼食後、今朝の「結婚報告」をした2人におめでとうメールを送ったあと、Pocket Outlookの「連絡先」に山岳会の新メンバーでまだメールアドレスを登録していなかった人を追加していく。この「連絡先」もどんどん膨らんでいく。

入浴後、15:00からカウンセリングに行く。カウンセラーに「今日は元気なさそうだね」と言われたので、先週に薬を減らし、土曜日から不安定になったことを話す。他にも昨日学生時代の友達と久しぶりに会って楽しかったが、帰ってきてからひたすら寂しいと思って、また不安定になったこと、土曜日に母親から電話がかかってきてからやはり不安定になったこと、本を読んでいる間は集中してそういうものを抑えていられるが、本を読むのをやめるとまた不安定になってくること、そういうことを話した。

20分くらいその話をした後、先週の続きで高校時代からのことを話す。続いて浪人時代、大学時代のことについて話した。大学時代は合唱にのめり込んでいて、一般教養はぜんぜん講義に出なかったこと、そのために留年したこと、自分は他の人がやるのを見てその通りにやっている癖がついていて、何か「お手本」がないと自分では何も判断できず、逃げるようになってしまったことなどを話す。高校の頃は女の子と話すのが苦手だったが、大学に入って合唱団に入ってから普通に話せるようになったこと、彼女ができたことも話した。就職する頃の話になりそうなところで16:00になった。「時間がかかりますねえ。まあ、ゆっくりやりましょう」カウンセラーは言う。やはり私は抱えている問題が相当大きなようだ。普通はもっと自分の話をする時間は短いのだろうか。

病棟に戻ってくると、やはり不安定だ。なんだかぶるぶる震えそうになる。なぜだ、なぜだ。看護婦から明日の第1回患者懇談会の司会をお願いされるが、最近不安定なので、と断る。普通だったらやってもよかったが、今の状態では明日司会ができる精神状態かどうか定かではない。

主治医と面談する。先週からの経過を話し、最初は調子がよかったが土曜日から調子が悪くなったことを話す。どう表現していいかわからないが、とにかく精神的に不安定なことを話した。「不安」とも「焦り」とも言えない、とにかく何かおかしい、いつもの自分の精神状態ではない。抑圧した何かが出てきそうになっているのを必死に抑えているような気がする。そういうことを話した。主治医は、カウンセリングによって過去の自分や家族との関係について掘り返していくと、そういう風に調子が悪くなることはある、と言った。それはカウンセラーにも一番最初のときに言われた。そのせいなのか。それくらい精神的な動揺を伴うものでないと、逆にカウンセリングの意味がない、とも主治医は言った。なんとなく納得できた。今の自分の不安定さは、今まで背負ってきたものを乗り越えるための試練なのかもしれない。私が不安定なのを見て、他の患者は「薬をもらったら」と言う。それも主治医に伝えて「私としては精神的な依存性ができるのが嫌なので、できれば薬には頼りたくないんですけど」そう言うと「それはもっともです」と主治医も言ってくれた。よかった、簡単に薬を出すようだと逆に怖かったかもしれない。これくらいの不安定さならなんとかなる。だけどこれがどんどんひどくなって、希死念慮が出てきたりするのが怖い。そう訴えた。「あまりひどくなったら薬を出します」そう医者が言ったので、とりあえず今の状態ならまだ自分でなんとかできる。どうしようもなくなったら薬をもらおう。そう思って診察室を引き上げた。

ホールに出ていくと、私が入院したときに隣のベッドにいたKさんが遊びに来ている。懐かしくていろいろ話をする。いつの間にか不安定さは収まっている。卓球台がいつの間にか出て卓球をやっている人がいる。Fさんがやってみたいというのでみんなで順番に相手する。Fさんは体育館レクを見ていてもかなり運動神経がいいので期待していたところ、やはり結構上手だ。どうも看護婦に「卓球大会に出るように」と言われたらしい。よし、これから毎日彼を特訓しよう。動いて汗をかいたら、もやもやした気分はますますすっきりして消えていった。

20:00前まで卓球して病室に引き上げる。汗をかいて暑い。最近首の周りがアトピーで少しやられていて、汗をかくと火照って暑かゆい。そろそろ就寝準備をしよう。明日は元気でいられるかな。