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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:メンタルヘルス

今日も昨日とほぼ同じ一日を過ごした。
つまり、朝いったんは起きたものの、デイケアには行かずに14時頃まで寝て、その後起きても部屋の片付けをすることもなく、かといって他に何もするわけでなく、なんとなく時間が過ぎていってしまった。昨日と違うこと、それは昨日は最初からデイケアに行く予定ではなかったが、今日はデイケアに行く予定だったことだ。

なぜデイケアに行けないのだろうか?それはまだ休職する前に、なぜ会社に行けないのだろうか?と自問自答したのと同じ問いだ。一年のカウンセリングを経てこの答えはなんとなくわかっている。いや、「わかっているつもり」で、それを実感として捉えられているわけではない。あくまでもカウンセラーに指摘されたことだ。早い話、自分では「会社に行きたくない」という無意識が働いているということだ。

会社に行っていた頃、たびたび繰り返し見る夢があった。それは、朝になって「起きなきゃ、起きなきゃ」と思っているのになかなか起き上がれない。目が覚めているのに体が動かない。そしてえいっと気合を入れてなんとか起き上がることができ、そのまま会社に行く。という夢で、しばらくすると自分がまだ寝ていることに気づき、「しまった、さっきのは夢だったのか」と思ってもう一度「起きなきゃ」と思って、えいっと起き上がる、がまたそれが夢だった…、というのを10回くらい繰り返すのだ。

その話をカウンセラーにしたところ、ものすごく強い強迫観念に取りつかれていて、本当は会社に行きたくないのにそのことに自分自身気がついてない、と指摘された。「会社に行かなければ」という「超自我」の束縛を、疲れ果てて悲鳴をあげている心と体が必死に夢の中でブロックしている、そういうことらしい。

そして今、そういう夢は見ていないが、デイケアに行けない、かといって他に何か有意義なことをしているでもない自分がここにいる。状況は全く同じである。自分としてはそんなに強いうつ状態に陥っているわけではないと思っているが、どうにも体が動かない。本当にデイケアに行きたくないのだろうか。だとしたらそれはなぜなのか。あるいは単に外に出るのがめんどうなのか。人と会うのが嫌なのだろうか。もっと単純に、ただ寝ていたいだけなのだろうか。いつもわからなくなる。考えはループする。いや、ただループするだけでなく、回りながら落ちていく。スパイラルに下降していく。

今日もデイケアはお休みした。と言っても調子が悪くて行けなかった、というわけではない。今日は他の病院とバレーボールの対抗試合だったのだが、私は最近バレーは全く参加してないし体力も落ちているので、最初から不参加表明をしていたのだ。

と言うことで、久々に散らかった部屋の片付けでもしようかと考えていたのに、結局何もできなかった。不覚にもまた14時過ぎまで寝てしまった。昨日ほど体が疲れているわけではないし、眠たくてしょうがないというわけでもないのに、布団から出ることができないのだ。こういうときに自分がわからなくなる。果たしてこれはうつの症状なのだろうか。明らかに「鬱が襲ってくる」という調子の悪さとは違って、微妙に何もやる気がしない、というようなことがたびたびある。これが軽い程度の鬱なのか、単なる怠け癖なのか自分でも判断できない。「今日もだめだったか」という自己嫌悪だけが後に残る。

今日はデイケアに行けなかった。
なんとか毎日行こうと思っているのだが、週に2,3日しか行けていない。2日続けて行くことがなかなかできないのだ。今日も朝は早く起きたのだが、昨日の疲れが残っていて体が動かなかった。うつの症状ではなく、肉体的に疲れていたのだ。情けないことに昨日のスポーツの準備運動だけでかなり消耗し、筋肉痛も少し出ている。準備運動といっても、ストレッチはまあいいとして腹筋、背筋、腕立てふせを20回ずつやるのがけっこうこたえる。

結局また寝てしまい、途中何回か目が覚めたものの14時ころまで寝てしまった。これだけ寝ると過眠なんじゃないかと思うが、ひょっとして眠剤が残っているのではないのだろうか。今は短期間作用型のロラメットと中期間作用型のサイレース2mgを服用しているが、サイレースは1mgに減らしてもいいかもしれない。

常連になった近所のパン屋に行ってお気に入りのパンを買い、家に帰って食べる。いつのまにか天井の蛍光灯がちかちかしている。どうやら玉が切れたようだ。近所の電気屋に行って蛍光灯を買ってきた。どうも外に出て歩くたびに体のだるさを感じる。身体的な疲労だけでなく、少し鬱が入りかけているみたいである。

また横になって目を閉じる。「マタサボッテルノカ」(さぼっているわけじゃない、調子が悪いんだ)「ソレガイイワケカ」(言い訳じゃなくて本当なんだ)心の中で自分の思考と行動を支配する超自我の声と、普段は封印している本音がぶつかりあう。何かうしろめたい感じがしてくる。何に対して?何もしていない自分に嫌気がさす。わけのわからない罪悪感、自己嫌悪を感じる。「ネテバッカリイヤガッテ」自分が自分を叱る声がする。

今日は久々に朝から調子がよく、デイケアに午前中から行くことができた。午前中のプログラムはスポーツだったが、最近かなり体力が落ちていて、まともに参加すると午後から動けなくなるかもしれなかったので、準備運動だけやってあとは見学していた。うちの病院のデイケアは県下一厳しくて、スポーツもかなりハードなのだ。県の病院対抗のデイケアバレーボール大会では毎年優勝しているらしい。

午後のプログラムも終わり、その後は週に一回のカウンセリングだった。先週の月曜日が体育の日で休みだったので2週間ぶりである。先月も三連休が2回あったため2回飛んでしまった。来月も祝日が1回ある。月曜日はただでさえ日曜の振り替え休日が入るのに、ハッピーマンデーでさらに休みが多くなってしまった。月曜日というのはとかく損だ。

入院中から続けているカウンセリングも、もう1年になる。うだうだと悩み事をカウンセラーに聞いてもらってすっきりする、というような生易しいものではなく、どっぷりと自分の心理分析をしている。自分の話をし、それに対してカウンセラーが「そう思ったのはなぜですか?」などと突っ込みを入れてくる。そしてその答えを必死に考える。それがかなり辛い。なかなか言葉にならない。言葉にならないのは、それが無意識下にあるからで、言語化することによってそれは意識上に上ってくる。自分で自分の深層心理を必死に探っているのだ。そうすることによって自覚していない本当の自分を知り、自分を変えていくことができるという。

1年も続けてやっと少し自分がわかりかけてきたのだが、カウンセラーの指摘する「自分の姿」が自分で思っているものと食い違うためにいつも違和感を感じる。自分のことを自分では「甘えすぎ」といつも思うのだが、カウンセラーは「自分に厳しすぎ」というニュアンスで捉えているようだ。このギャップが自分を苦しめているのだと思うのだが、それを実感として自覚できるまでには至っていない。いつの日か悟りは開けるのだろうか。

嫌な夢を見た。

重い荷物を持って山を登っている。山登りは好きだが、そういうのではなく、何か瓦のようなものを両手で抱えて登っていく。周りの人たちが軽快に自分を追い越していく。そのうち持っている荷物はどんどん重くなっていき、ゴール地点まであとわずか、石段のようなところを登っているところで力尽きて動けなくなった。そこで目が覚めた。5時半だった。3時過ぎに一度目が覚めた。目覚めが悪い。

今日はずっと低調だった。昼からビデオを借りてきて映画を観ていたが、疲れて途中で休憩をいれた。2時間ほどの映画でも、CMが入らずにずっと連続して観ているとけっこう神経が疲れる。ちなみに観たのは北野武の「その男、凶暴につき」。私が入院していた、そして今も通院している廃墟のような病院がロケで使われているという話を前々から聞いていて、観てみようと思っていたのだ。実際に出てきたのはわずかだったが、ちゃんと精神病院という設定で出てきた。おんぼろではあるが、初代院長がなだいなだ氏だという由緒正しい(?)精神病院なのだが。

夕方が一番低調で、ずっとテンションが低く寝たきりであった。鬱の闇が軽くジャブをしかけてきた。ヨガの体操をやって少し落ち着いた。ヨガにしろ自律訓練法にしろ呼吸法にしろ、継続してやらないといけないのだが、ついついさぼりがちになる。