TOPに戻る
鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:メンタルヘルス

今日は午後からだがデイケアのプログラムに参加することができた。
昨日に「休む」と決めて1日完全に休んだのが功を奏したのだろうか、朝は調子がいまいちだったが、「行く気になったら行く」というスタンスで今日は寝ていた。11時ごろ、ふと体が軽くなり、「チャンスだ」と思って、できるだけ余計なことを考えずに機械的に身支度を済ませて外に出た。あれこれ考え出すと、またマイナス思考に陥って行けるものも行けなくなってしまうかもしれないからだ。途中、乗換駅のホームで「やっぱ調子悪いかも」と思ったが、行けるところまで行ってしまえ、そう思い直し電車に乗った。電車とバスを乗り継いで病院に到着した頃にはすっかり気分はよくなっていた。

午後からのプログラムは散歩だった。どこへ行くとも決めず、みんなでのんびり歩いていき、分かれ道に来たらさいころやジャンケンで行く方向を決める、といういきあたりばったりな散歩。たわいのないことだが、こういうのは案外楽しい。「出るらしい」と噂に聞いていた暗くて長くて細いトンネルをはじめて通ったり、児童公園でブランコに乗ったり、童心に返ったように楽しめた。爽やかな秋の風と少し汗ばむような太陽の陽気が肌に気持ちよかった。今の自分にとって、最高のリフレッシュになったかもしれない。

明日はどうしようか。今日行けたから、明日は無理していけなくてもいい。上り調子だから、自然と行けるかもしれないし、行けなかったらそれでもいい。30%の確率で行けたらいいかな、という感じである。あさってはハイキングの予定で、それは80%くらいの確率で行けたらいいと思っているので、明日は温存するかもしれない。だがあさっての降水確率が70%なのだ。誰が作ったのか、デイケアの部屋に大き目のてるてる坊主が首を吊っていた。いやいや、首を吊ってるのは当たり前というか、てるてる坊主を普通に作るとそうなるのだが、精神科の病院の中でそういうものを見るとちょいと不気味なものを感じてしまう。

仰々しいタイトルをつけてみたが、そんなたいそうなことはしていない。
単に堂々巡りで調子が悪くなっていくのを防ぐため、あえて思考と行動をストップしてみた。何のことはない、今日は一日何もやらないと決めて、何もやらなかっただけである。よけいなことは考えず、ただ横になる。何かしようと思ってそれができないと、「何でできないんだろう」と考え出し、思考がどんどんマイナス方向に流れていく。そうするとよけいに体が動かなくなって、ますます何もできなくなる。だから、あえて立ち止まる。あえて何もしない。あえて何も考えない。これは今まで散々悩み苦しみあえいできた自分ができる、一つの解決法なのだ。森田療法の最初のステップに似ているような気もするが、別にまねたわけではない。

はたしてこの状態を打開することは可能だろうか?それは明日にならないとわからない。明日は明日の風が吹く。

だめだった。
行けなかった。
一日中、ふとんをかぶって寝ていた。
デイケアもカウンセリングもすっぽかした。
認めたくない現実から目をそむけるがごとく、午後からはアイマスクをして寝ていた。カーテンの隙間からさす薄明かりが自分を非難しているような気がして、真っ暗闇に逃げ込みたかった。

自分は本当は何がやりたいのか。デイケアに行くのがめんどうなのか。カウンセリング行くのが怖いのか。人と係わるのが怖いのか。単に外に出たくないだけなのか。その場から動くのが嫌なのか。自分で何をどうしたいのかわからないまま、ただひたすら逃避行動に入る。鬱という免罪符を片手に、現実から目をそらしているようだ。鬱ではない。少なくとも今日は。ただの引きこもりだ。なぜ逃げるのか。何から逃げているのか。「マタヤッテシマッタ」自分で自分をひたすら責める声がする。「コノナマケモノ」そうだ、怠け者なのだ。すっかり自分の殻に閉じこもるのが癖になってしまっている。本当の鬱で動けないときも確かにある。でも今日は明らかに違う。それを自分でわかっていながら目をつぶっている。現実から目をそむけている。この世から消えてしまいたいという思いに駆られる。最初から自分なんて存在しなければよかったのに。毎日つらい思いをしてあとどれだけ生きなければいけないのだろうか。

今日はボーカルアンサンブルAの練習だったのに、行くことができなかった。ここ1ヶ月くらい、風邪をひいて治ったと思ったらぶり返して、というのを繰り返している。ここ2,3日鼻がぐずぐずいっていたのだが、今日は喉も痛く、体もだるかった。13時からの練習に出るためには11時半くらいに家を出ないといけないが、起きたら13時過ぎ。風邪の症状と、鬱っぽいだるさも感じたのでメンバーに電話して練習を休む旨を連絡した。月2回の少ない練習で、前回も腹痛で欠席したので悔しい。

その後、彼女に電話して昼ごはんを買ってきてもらった。徒歩3分という近所に住んでいるので頼りになる。電話したときは自分で買いに行けそうにないと思ったのだが、電話を終えたら普通に動ける自分に気がつく。一昨日のデイケアと同じ状態だ。電話で話す、ということが何か切り替えスイッチの役割を果たしているのだろうか。

13時に起きたと書いたが、それまでずっと寝ていたわけではない。いつもの通り朝は早く起きてPCを立ち上げ、メールをチェックしたりしていた。が、昨日と同じく断片的な記憶しかない。朝食を準備していなかったのでコンビニまで買いに行った。あれは何時頃だったろうか、レシートを見るとどうやら8時過ぎだったらしい。彼女が10時半頃に私にメールした、と言うが記憶にない。まだ見てないのかと思って携帯を取り出すと、ちゃんとその頃にメールが来ており、しかも既読になっている。どうやら自分で読んだらしいのだが、さっぱり覚えてない。読んだことだけ忘れていて見たら思い出した、というのでなく、文面を見てもさっぱり読んだ記憶がない。またこれも眠剤の副作用による記憶障害だろうか。午前中の記憶がさっぱりない。

風邪と鬱で低調と思いきや、それほどでもなかったので練習の最後くらいに顔を出そうかとも思ったが、無理して明日病院に行けなくなると困るのでやめておいた。明日は月曜日、カウンセリングの日だ。明日は休むわけにはいかない。

今日も調子はいまいちだった。
はっきりと記憶があるのが14時過ぎ以降。とは言え、それまでずっと寝ていたわけではない。朝4時だか5時だかに目がさめ、メールを読んだり朝食を食べたりテレビを観ていたりした記憶がある。そうそう、6時半からポンキッキーズを観ていた。10時頃には彼女から電話があった。そのときははっきり起きていて話をした覚えがある。

しかし、それらの前後の記憶がないのである。ずっと起きていたわけではなく、寝たり起きたりを繰り返していたのだが、何時ごろにまた寝てしまって何時ごろにまた起きたのか、さっぱり覚えていない。上記のように覚えているときにしたことを断片的に覚えているだけだ。

おそらくこれは眠剤の副作用だと思う。眠剤にはその効果が切れるまでの副作用として一時的な記憶障害というのがあり、その間にしたことを忘れてしまうことがあるのだ。私はこの副作用に悩まされた人を入院中に何人も目撃している。自分のコップをどこに置いたか忘れてしまっていつも探し回っている人なんかもいた。

14時以降は起きてばりばり活動していたかというと、そうではなく、今週ずっとそうであったように、何もやる気がしなくて、ただ音楽をぼ〜っとしていただけだ。しないといけないことは山積みである。が、何にも手につかない。明らかな鬱ではないのだが、気合が入らない。自分の内部からパルスを発するのは難しい。