TOPに戻る
鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:メンタルヘルス

昨日はおとなしく0時ごろ寝て、朝は6時頃起きた。うん、きわめて健康的だ。朝食を食べてしばらく起きていようとしたが、また寝てしまった。

起きたら13時近かった。ありゃ、まだ10時頃だと思ったのに。まあいいや。いつものごとくパンを買ってきて食べ、いろいろと用事を済ます。ヤフオクで落札したCDの代金を振り込みに郵便局へ行ったり、家賃を振り込みに銀行に行ったり。たいした用事ではないが、なんとなく歩いていて気が重い。少し、ほんの少しだが鬱気味のようだ。オンラインショップで購入したアカペラの楽譜が届いて、それを見て喜んでいたりした。今日はその他には特に何もなく、のんびりした一日。派手に動き回ることはできなくて、近くへぶらぶら、というので精一杯。いいのだ、精一杯やったから。

昨日は夜遅く、ヴォーカルアンサンブルのチャットルームにメンバーTちゃんのお姉さんのNさんが登場し、夜中までチャットしてしまった。そのせいで寝るのが1時頃と遅くなってしまった。だが、まあ寝つきはよかった。起きたのは5時頃だったっけな。今日の予定としてはデイケアに行けたら行く、でも無理はしない、であった。朝起きても昨日の疲れが取れてなかった。全身軽い筋肉痛だ。やはりいきなりスポーツをするとダメージが来る。おとなしくまた寝た。体を休めよう。

昼頃起きてパンを買ってきて食べたものの、疲れがまだ取れなくてまた寝てしまう。なんとそれから夜までずっと寝てしまっていた。いつの間にか彼女が買い物に行って夕食を作っていた。いや〜、今日一日寝倒した。おかげ様でこれを書いている今はようやく元気になった。これから寝るというのに元気になってもしかたがないが、まあいいや。

そういや先週の診察で「体が疲れやすく、ダメージが残ってしまう」と言うと、肝機能が落ちているせいかもしれない、と言われて血液検査をした。結果は来週だが、別の病院でも検査をして肝臓が悪いことはわかっている。それがどれだけ直接体に影響するかはわからないが、やはり最近の疲れは「高度脂肪肝」も関係しているのだろうか。そうすると、やせないといけない、だから運動しないといけない、でも疲れててできない、どうすりゃいいのじゃああこりゃこりゃ、ということになる。まあ、少しずつ、少しずつだな。

昨日も少し寝つくのに時間がかかったような気がするが、以前ほどではない。朝は6時くらいにすっきり目が覚めた。すっきりと朝食を食べ、すっきりとゴミを出し、ついでに溜まっていた雑誌類なども一気に処分し、なぜかすっきりと朝っぱらから掃除機をかけたり雑巾がけをしたりしていた。うん、今朝はすっきりだ。いつもの頭の重い感覚がない。こんな感覚は久しぶりだ。いつもなら二度寝してしまうようなところが、今日はすっきりと家を出てデイケアに行った。

デイケアに朝から参加するのはいつ以来だろう。もうかなり来ていなかった。3ヶ月ぶりくらいだろうか。前に参加したときに、バレーボールで左手小指の靭帯を損傷した。それ以来だ。今日も午前中はまたバレーボール。6月の神奈川県精神科デイケア対抗バレー大会に向けてみんなはりきっている。私は、というと久しぶりだし体力も落ちている、ということもあって動きが鈍い。3試合をこなしてくたびれてしまった。ふぅ。

そのおかげですっかり疲れてしまい、昼食を食べた後、デイケアルームの和室の隅っこで眠ってしまった。気がつくと13時半を過ぎている。寝たいときに寝れるスペースがあるのがいい。普通に外出しているとそうはいかない。和室ではいつも午後からゲームをするのだが、みんな和室に集まってはいるのに何もする気配がない。どうやら今日の午後は特に何をするというわけでもなく、雑談をして終わりらしい。それから月曜日の定例であるミーティングをして掃除をして、「今日の一言」というのをやっておしまい。久しぶりにデイケアにフルで参加したぞい。

そしてこっちも久しぶりだが、カウンセリング。夜に眠れなくなって昼夜逆転に近い状態がかなり続き、2回連続で診察にも行けなくて自分では「入院寸前かも」と覚悟したことなどを話す。

カウンセラー曰く、「要は体の調子が悪かったってことでしょ」そうなのだ。どうも自分は「うつ状態で動けない」「疲れ果てて動けない」という、「動けない」という状態になったときに「心理的に何かある。自分の行動を妨害する何かが自分の心の奥底に眠っている」と考えがちであった。いや、それは正しいときもある。カウンセリングを通じてそれがわかってきたのだから。

かと言って、何もかもそれが当てはまるとは限らない。昨日か一昨日か、「鬱を語るのに心理的アプローチだけでは不十分なのか」とか書いたが、そんなもの当たり前なのである。もともとうつ病とは脳の病気なのである。脳内の神経伝達物質であるセロトニンやらノルアドレナリンの分泌が異常をきたして起こる、「心の病気に見えるけど実は体の病気」という感じのものなのだ。そんなこと、腐るほど本を読んできた自分は当然知っていたのだ。知っていたのだが、カウンセリングで「心理的な問題点」を指摘されたら、視点がそこばかりに行ってしまっていたのだ。完全に視野狭窄に陥っていた。

そもそも眠剤が効かなくなってきて夜眠れなくなってきた時点で脳が正常な働きをしていないのだ。その時点で身体的症状が出てるのだ。今思えば、それは心理的にどうのこうのいう問題ではなかったので、実はさっさと入院していればもっと早く対処できたかもしれないのだ。まあ、これは結果論だが、「再入院はごめんだ」という一心で何とか自力で克服しなきゃ、と思っていた自分を反省。今後、また調子を崩して診察さえ自分で行けなくなるような状態に陥れば、とっとと入院することにしよう。こうやって試行錯誤していきながら、自分の状態に応じて臨機応変に対応していけるようになれば幸いかな。

とにもかくにも、夜は眠れるようになったし今日はすっきりデイケアに行けた。とりあえず好調が維持できることを願うばかりである。

昨日は寝つくのに少し時間がかかった。0時前には寝ようとしたが、1時間くらいでは眠れなかった気がする。眠剤を増やしたところなのに、もう睡眠障害がひどくなりつつあるのか。先が思いやられる。ま、あまり気にしないことにしよう。

今日は友人のグループが出るアカペライベントを聴きに行くつもりだった。13時から鶴ヶ峰。余裕だと思っていた。が、今日も動けず行くことは叶わなかった。例によって寝てしまっていたのだが、そろそろ行かなければ、という時間になっても、不思議と「行かなくちゃ」という思いも「行きたい」という思いも湧き上がってこなかった。これはいったいどういうことなのか?自分の中で感じている「行きたい」は、本当は誰かにコントロールされた意図なのか。

半年以上精神科に入院していたので、私はいわゆる「統合失調症」と呼ばれる(以前は「精神分裂病」と呼ばれていた)病気であると診断された患者とたくさん話をした。彼らの症状の多くは「幻聴」であり、さらに「幻覚」「妄想」と広がっていく。幻聴は症状としてはポピュラーで、ありもしない人の声が聞こえる、という。「聞こえる気がする」ではなく、はっきりと「聞こえる」らしい。これは脳の情報処理が完全に混乱しているためで、実際に幻聴が聞こえる患者の脳波か何かを調べると、幻聴が聞こえているときに、脳の聴覚に関係する部分が活性化している、との実験報告もある。自分の頭の中で作り出された「架空の声」が、実際に音声として耳から聞こえるように「脳が認識」してしまうのである。

そして、その聞こえる声は、自分では考えもつかないようなことであるらしい。ちょっと考えると不思議であるが、自分が見る夢のストーリーがいつも不思議な突拍子もないものであることを考えると、何となく理解できる。

しかし幻聴が聞こえている本人は理解できない。みんな「誰かがわけのわからないことを自分の脳に直接話しかけている」状態で、まともな精神状態を保つのが難しくなる。そして、「これは地球よりも高度に文明が発達した宇宙人の仕業だ」とか「誰かが自分に電波を送って遠隔操作しようとしている」などという妄想に発展する。これらは実際に患者の口から聞いた言葉である。みんななんとか自分を納得させるための説明を考え出して、必死に正気を保っている、という感じである。

なぜこんな話になったかというと、私は別に幻聴が聞こえるわけではないが、自分の「意思」は、いや「意思」と思っているものは、実は本当に自分がしたいことではなく、何かしら自分の中で作り上げてしまった「虚像の自分」の意思であるのではないか?そういう考えが頭をよぎったからである。要するに「今日はアカペラライブに行きたい!」と思っていた自分の意思は、実は作り物で、本当は「今日は1日寝ていたい」というのが自分の本音であり、自分の中の「1日寝ていたいなんて怠惰な人間は許さない」という「建前」の部分が「お前は『ライブに行きたい』と思うのだ」と命令しているような、そんな気がしたからである。

話が複雑になってわかりにくいかもしれないが、要は「本音の自分」を「建前の自分」が抑え付けているのだが、体は正直に「本音の自分」にしたがってしまう。そこでギャップを感じて悩んでしまうのではないか。

自分の中から発せられる「本音の自分」。幻聴となって他人の声として聞こえるのも怖いが、何も聞こえずに体だけが支配されるのもまた怖い。催眠療法でも使って自分が心の奥底で何を考えているのか知りたいぞ。

昨日も割りと早く寝つけたかと思う。0時頃に寝ようとして、1時間以内で眠れただろう。そして起きたのは5時半。早く目が覚めるのは相変わらずだ。朝食を食べてぼ〜っとし、6時半から「ポンキッキーズ」を見る。途中まで見てから眠くなったのでテレビを消して寝たっけな。

昼頃目が覚め、パンを買って来て食べる。今日の予定は16時から池袋で友人のアカペラライブを見に行き、その後は合唱団Pの練習へ。ネットで調べると14時半の電車に乗ればよいはずだ。家を出るまで1時間半ほど余裕がある。ちょっと調子がいまいちだから、それまで寝ていよう。ちょっと寝たら回復するだろう。

しかし、その見通しは甘かった。家を出ないといけない時間になっても動けなかった。眠たいわけではない。体が疲れているわけでもない。鬱である。軽いが鬱である。何とか頑張れば動けなくもなさそうな、誰かが手を引っ張ってくれれば動けそうな、でもやっぱり動けない、そんな感じである。「あ〜、楽しみにしていたのに…」そう思いつつ横になったまま、また寝てしまった。

そして今度は17時過ぎ。ライブには行けなかったが、合唱団Pの練習には今起きて行けばちょうど間に合う。まだ少し鬱だ。だがさっきよりましだ。今度はなんとか起き上がり、準備をして家を出た。動き出したらなんとかなる。その程度の調子の悪さだ。最初の「動き出す」をクリアすればなんとかなる。

合唱団Pの練習は、ブラームスを割りと気持ちよく歌った後はプーランク。これが滅法難しい。ものすごく集中力を要するというか、神経を使うというか、音と歌詞を楽譜どおり歌うだけでも精一杯なのに、それをどのように歌えばいいか自分の中で見えていない。指揮者の要求も自分の中で消化しきれてない。自分のキャパシティーをオーバーしているが、なんとか頑張った。

練習後、みんなは飲みに行く。経済的なこともあるが、私は今日は疲れ果ててしまったので帰ることにした。が、本音はみんなについて行きたい。軽く飲んでおしゃべりして盛り上がりたい。行くべきか行かざるべきか、自分の中で葛藤する。やっとの思いで「今日は帰ります」と行ってみんなと別れる。そう、無理は禁物だ。無理を感じたら思いとどまるのも一つの勇気。何も考えずにふらふらとついていって、これ以上調子を崩したらしゃれにならない。

それにしても、今日のライブに行けなかったのは悔しい。ずっと楽しみにしていたのだ。ライブ自体も楽しみだったし、いろいろ友達に会えると思っていたので、それも楽しみだったのに。心理的に「実は心の奥底では行くことを拒否している」というパターンに今回が当てはまるとは自分では到底思えない。誰かに行けと言われたわけでもなく、自分で行くことを決めて楽しみにしていたのに。鬱を語るのに心理的なアプローチだけではやはり不十分なのか。それとも自分の深層心理は想像以上に複雑なのか。「行きたい」と思っている自分は、実は見えない糸で操られているだけなのか。