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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:メンタルヘルス

昨日は21時半に寝た。寝付きは良かった。夜中もよく眠れた。目を覚ますと7時15分。ほぼ10時間ノンストップで寝た。またもやトトノエライトと反対方向を向いて、背中から光を浴びていた。そのまま寝て7時半の目覚ましが鳴ったが、眠くて眠くて起きれず、20分くらいしてやっと起きれた。こんなに寝たのになんでまだ眠いの?眠いが調子は大丈夫そうだ。

出勤して仕事。今日も体調はよく、ドキュメント作成をさくさく進める。1つ目のドキュメントはやっと終わった。30ページにもなってしまった。もっとコンパクトにしたい・・・が、このブログのように私は要点を簡潔にまとめるのが下手なのだ。少し時間を置いてから見直してみよう。

2つ目のドキュメント作成をさくっと完了。これは2ページちょっとで終わった。そして3つ目のドキュメントに取り掛かる。これが一番むずかしい。去年私が秋ごろに、あーでもないこーでもないと試行錯誤してようやくたどり着いたその内容から書かないと、わけがわからない。しかしその解説を書くのが、やってみるとかなり難しい。まあとりあえずドラフトに、と思ってだーっと途中まで書いてみたが、ドラフトの段階で何をどう書いたらいいのかわからない。どこまで詳しく書いたらいいのだろう。

とかやっているうちに定時になったので帰ってきた。今日は要所要所でブレイクも入れられたし、こういう習慣をできるだけ忘れないようにすべし。

昨日は21時半に寝た。寝付きはよく、夜中もよく眠れて一度も目をさますことなく、7時半の目覚ましで起きた。今日は反対画を向いて横向きに寝ていたのでトトノエライトの光に気が付かなかった。ちゃんと正面から光を浴びないといけないんだろうけど、後ろから照らされるのは意味があるのだろうか。ちょっとしんどかったが、なんとか10分くらいして起きた。昨日の夜の感覚では、また不調がぶり返しそうな気がしていたのだが、落ちてなくてよかった。マイナスを覚悟しているとプラマイゼロでもラッキー感満載である。自分に期待しない人生は幸せなのか不幸なのか。

出勤して仕事。今日はもうちょっとで完成しそうなドキュメントの最後の仕上げをやっている途中で定時になった。調子がいいときでも、少し「調子が悪い時に意識したこと」を意識できるようになってきた。水の呼吸である。ただし集中はするが全集中はしない。没頭はしない。突っ走らない。

今日はそんな感じで終わった。明日は次のドキュメント作成にとりかかれるかな。

昨日は20時半に薬を飲んで寝た。その前もずっと横になっていたのだが、さすがに疲れたら夜は寝る。しかし寝付けなかったので、1時間ちょっと経ってからいったん起きて、ホットミルクとチョコをちょこっと。その後は眠れて8時起床。少し疲れが残っている。最近入眠が悪いな。寝てしまえば起きれるのだが、先週辺りまで入眠もよかったので、まだまだ要注意だ。

今日はずっと横になってスマホで漫画を読んでいた。「左ききのエレン」を24巻まで全部読んでしまった。と言っても完結ではない。まだこの漫画、連載中なのだ。あー続きが気になる。あいかわらず刺さるセリフが多い。自分も頑張らなくては、と思えてくる。

この前のっけたのと同じセリフがまた出てきた。この主人公の熱さは、自分の暑苦しさみたいである。

オレたちは無力じゃない

それだけで今日は終わったが、満足である。以前は「漫画読んだだけで終わった」と思ったかもしれないが、今はそれでいい。幸せになりたければ幸せのハードルを下げなさい、ということだ。

昨日は22時過ぎに寝た。21時半に寝る予定で、21時に眠剤を飲んだのだが、その後調べ物をし始めたら止まらなくなってしまい、気がついたら22時を過ぎていたので慌てて寝た。

そこから体がおかしくなった。眠れないのはともかく、寒気がするのか暑いのかよくわからない状態になり、吐き気がしてきた。なんだこれは。我慢して横になっていたら、突然鼻から何か垂れてきた。鼻血かと思ったが、違った。胃液だった。逆流性食道炎だろうか、胃液が上ってきて口を通り越して鼻から出てきた。慌ててトイレに行ったが、それ以上は何も出なかった。胃酸で喉が痛い。

眠剤を飲んだ後にずっと起きていたからか、体がおかしくなってしまったのか。しかたがないから洗面器とタオルを枕元に用意してもう一度寝た。あいかわらず気分が悪かったが、こういうときは最近はまず「覚悟を決める」ことにしている。これは夜中の0時を過ぎても1時を過ぎても眠れない時に編み出した(というのも変だが)自分の対処法で、「今夜は一睡もできないかもしれないが、それはもう想定の範囲内で、一晩中でも起きている覚悟をする」ことによって、つらくても多少精神的に楽になるというものだ。昨夜も「気分悪いけど、明日の朝まで我慢すれば大丈夫だ。それよりも前に眠れたら儲けものだ。今は耐えるべし」という覚悟をもって寝てみた。いつの間にか眠れて、朝になると気持ち悪さはなくなっていた。

覚悟を決めた人間は強いと思っている。「最悪の事態を想定して、それを受け入れる心の準備ができたら怖いものはない」というのはデール・カーネギーの「道は開ける」という本に書いてあった言葉だが、これはいろんな場面で応用できると思う。「ぼんやりとした不明瞭で不安な未来に怯える」という状態から「どんな未来も受け入れる。覚悟を決めた」状態まで進化できれば、また少し未来へ行けると思う。

そう言えば昨日書いた「受け流す」というので思い出したが、昔読んだ本に「流動的思考」という言葉が出てきた。いろんな外部からの刺激があるが、不要な刺激や情報は受け流して気に留めないようにする、ということである。動線がめちゃくちゃで人がいろんな方向に行き交う、渋谷よりも歩きにくいと言われる横浜駅でも「ちくしょう、あちこちから人が来て邪魔だな、よけるのめんどくせえ」と思うのでなく、遠くの方と全体をぼうっと眺めて、よけいなことを考えずに力を抜いてするすると避けていくと負担が少ない、というようなことだったと思う。

昼前に家を出て福祉施設へ行った。少ししんどかったが、「しんどくても動きながら休む」の休日版をやってみようと思ったのだ。疲れても明日の日曜日に休めばいい。ということでいろんなことを受け流しながら福祉施設へ。

一昨年まで私の担当で、去年の1月から産休で休んでいた職員が去年の秋に復帰したのに、まだまともに話ができていない。妻が先日自分の担当職員と面談に行った時に、私の元担当職員がいたので話をしたらしいが、私のことを聞きたがっていたという。タイミングが合えばつかまえて話ができるかな、と思ったが今日は休みだった。しかし来週の水曜日、祝日は出勤らしい。そうだった、祝日という手があった。また水曜日に行こう。この施設は日曜日以外、土曜日も祝日もやっている。職員は大変だ。

その後はラーメンを食べに横浜駅に出た。少ししんどかったが、これもまた訓練。疲れないように行動するにはどうすればいいか。まだまだ模索中だ。行きも帰りも横浜駅は混んでいた。コロナ流行前ほどではないが、そこそこ人がいる中で、気がついた時に力を抜いてみた。流動的思考である。とりあえずは視野を広げて遠くの方と全体を見るのだ。何も考えないわけではない。受け流しながら考えて行動するのだ。雑踏はいい訓練場かもしれない。

バスに乗ってても、ふと気がつけば力が入っている自分がいて、「受け流すんだった」と思い出す。そういう風に自分で思い出す、気づくのが大事。気づきを大切に。

昨日は19時半に寝た。しかし眠れない。21時前にいったん起きて牛乳を飲んでバタピーを食べて、これも眠れないときのルーティーンとなっている。その後は眠れることが多いのだが、昨日はそれでも眠れなかった。ずっと布団の中でじっとしていた。寝付いたのは何時頃だろう。睡眠の質も悪く、夜中にたびたび目が覚めた。しかし朝は起きれた。7時半の目覚ましが鳴って、ちょっとつらくて「もうちょっと」と布団の中にいたが、20分経ってようやく起きれた。昨日のブログの続きだが、ほんの少し未来へ来たかもしれない。

出勤して仕事。今日は調子がいい。圧倒的に仕事をした(少し日本語がおかしい)。ずっと作っていたドキュメントがもう少しで完成というところまで来たが、あと2つドキュメントを作らないといけない。

単に仕事をしているわけではなく、昨日の午後に少し意識した「受け流す」を今日も意識。竈門炭治郎のセリフを引用したが、けっしてネタというわけではなく「受け流す」というのがけっこう重要なキーワードのような気がした。「受け流す受け流す」と思っていたら、疲れのたまり具合が少し違ったような気がする。

定時になったので内科に寄って帰ってきた。あまり疲れてない。うむ、やはりほんの少し未来へ来れたかもしれない。これを忘れないように。自分で編み出したものは自分の身になるが、無意識にできるようになるためには、最初はしつこいほど意識的にやらないといけない。

これからも受け流す。