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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:入院生活

昨日もよく眠れた。20:00に眠剤を飲んだ後は、日記の推敲をしてすぐに就寝し、3:00頃までは眠っていた。その後は何回も目が覚めたので、5時前くらいにホールへ出ていくと、もうかなりの人数が喫煙所で喋っている。昨日入ってきたおばさん、すごい大声でしゃべっている。いや、大声じゃなくて普通の声なのだが、まだ夜なのでみんなひそひそ喋っているのに、自分一人普通の声で喋っている。たまりかねて看護婦が注意に来た。

OさんやTさんが、看護士のNさんからショックなことを言われた経験を話す。だから二人はNさんに好印象を持ってない。私はNさんはいい人だと思っていたので、話を聞いて「そんなこと言う人だったのか」という反面、Nさんが自分に重なって見える。本人は悪気はないのだろう。むしろ、冗談で言ったことが、自分の思惑とは違って相手を傷つけてしまっていた、そういうことは誰にでもあるだろう。本当の善人とか本当の悪人なんて存在しない。Oさんにそう言うと、でも彼女は彼のその一言で彼を嫌いになってしまったらしい。もっと寛大な心を持てればいいのだが、心の病気で入院している彼女にその余裕はない。

いったん部屋へ戻ってもう少し休み、再びホールへ出ていて目覚めのコーヒーをいれて飲む。Tさんが泣いている。「せっかく仲良くなったのに、お別れなんて」どうやら、昨日入ったおばさんと同室で仲良くなれたのに、そのおばさんはもう別の病棟に移るのか、と思いきや、やはり同室のおばあさんのいびきがうるさいため、別の部屋に移るだけらしい。それだけでわんわん泣くなんて、やっぱり繊細な人なんだ。

台風が来ている。今も外は雨風が強く、これから暴風雨圏内に入ってきそうだ。今日1日がヤマだろう。外出予定の木曜日の天気が気になる。この台風はもう行ってしまっているのでそれは大丈夫だろうが、次の台風が来ているという。ただの雨だったらいいけど、台風はやだなあ。プロトレックで現在の気圧を見ると983ヘクトパスカル。やはりかなり低い。プロトレックは気圧の推移をグラフ表示してくれるが、昨夜から今朝にかけて急下降している。

はじめて「意見箱」に投書してみた。ここには、病院や医師、看護婦に対する意見や苦情などを入れる意見箱が設置してあるのだ。もちろん匿名である。私が書いた内容は、ここの看護婦は、環境を改善しようと思って患者が提案することをに耳を貸してくれない、というものである。例として、私が他人の洗濯物を濡らしてしまったときに「洗濯機が空であることを確認してからコインを入れてください」という貼り紙をしてはどうか、という提案をしたのに無視されたこと、それから、薬を待つ行列がいつも長いが、それは看護婦が患者に薬を渡すときに、その患者の薬を探し出すのに時間がかかってるからで、はじめから五十音順に並べておけばいいのに、という二つをあげた。さあ、何か反応があるか、変化があるか楽しみだ。意見箱は毎週一回、婦長がチェックするそうだ。それにしても雨風の音が激しい。本格的に台風が襲ってきた。

作業棟にチャリ漕ぎに行く準備をして、その前に一服しようと思って喫煙所に出てきた。と、いきなり電気もテレビも消えた。停電だ。あらら~、こりゃだめだ。作業棟のエアロバイクも電源が入らないと使えないな~。いくつかの電灯はついていて、その直後にナースステーションの電気はついた。これらは非常電源で通電するようになっているようだ。と思っていたら、5分くらいしてから停電は復旧して電気がついた。よかった、これでチャリ漕ぎもできる、と思いきや「玄関の前や廊下がかなり水浸しになっていて危ないので、みなさん病棟から出ないでください」とのお達し。「作業棟へ行くのも無理ですか?」と尋ねると「作業棟へも行かないでください」だとさ。「本日の外出・外泊もすべて中止します」との放送が入った。まあ、こういう日もあるさ。おてんとさまには逆らえない。「急に暇になっちゃったなあ。本でも読むか。晴耕雨読だよね」と言うと、「お、プラス思考ですね」と言われた。うん、プラス思考に考えられる癖がだんだんついてきている。いい傾向だ。

その後、「ただ今の停電は、地域の故障により電力会社で切った停電で、また停電があるかもしれないのでご了承ください」との館内放送が入った。続けて「外来診療も中止します」との放送。通院患者もこの台風じゃ大変だろうに。でも、やっとの思いで来たのに「休診です」と言われた人は、さぞかしかわいそうに。

自分のベッドで本でも読もうと「こころの処方箋」を広げるが、隣のベッドでHさんと、別室のEさんがぺちゃくちゃ話をしていて集中できない。耳栓をするが、こんなに隣でしゃべられていては効き目がない。すぐ隣のベッドで本を読んでいる人がいる、ということに気がついてないのかな。まあ、私も以前に同じようなことをやってしまったので、ここはひとまず退散し、耳栓をつけたままホールに行く。

ホールの自分の席に座って本を読むが、やはりホールもいろんな人がしゃべったりしてるので、集中できない。と思ったらまた停電だ。やはり電力会社が切ったのか。暗いので、もう読書どころではないなあと思ったら、風呂場の入り口の所の非常灯がついている。しかも南側に窓があり、かなり明るい。そこへ行ってしばらく本を読む。うん、なかなか快適だ。お先真っ暗と思っていても、探せば灯りはあるもんだ。

本を読んでいると、なんだかホールがあわただしい。この病棟は古いので、海側の部屋やホールの窓を閉めていても、たてつけが悪く、すきまから雨が吹き込んできているのだ。みんな大慌てで、看護婦や患者、看護実習生も総出で、窓の隙間にタオルや新聞紙をつめたりする。バケツを持ってきて、タオルをつたって浸みてきた水が溜まるようにする。こういう非常時に人を観察しているとおもしろい。やたらうろうろしているけど、実は何もしていない人。「昼御飯ちゃんと来るのかなあ」とただ食事の心配をしている人。ああしろこうしろとうるさいが自分は何もしない人(こういう人も必要だと思うが)。そして作業を手伝いながらそれとなくマンウォッチングをしてる人。自分のことだが。

今度の停電は長い。どうしたのであろうか。機械の故障を修理しているのだろうか。もう1時間半くらい続いている。今回も電力会社が切ったのだと思うが、いつになると復旧するのだろう。私はホールの浸水対策が一段落してから、また風呂場の入り口の場所でしばらく本を読んでいたが、みんなが喫煙所に集まってラジオで台風情報を聞いているようなので、そこに行ってみた。だが、電池が弱いのかラジオの出力が弱いのか、よく聞き取れない。そこで私が自分のラジオを持って来てスイッチを入れると、結構大きな音が出たのでしばらくそれを聞くが、台風によって影響の出ている交通機関の情報は放送しているのに、なかなか台風自体の情報が流れない。と思ったら通常のニュースに移ってしまったので、ラジオは切ってしまった。

昼食はちゃんと運ばれてきた。よかったよかった。ここは1階ではないので、厨房から病棟までは何とか運べても、その後はエレベータで運ぶ。その食事運搬用のエレベータは非常電源では動かなかったらしいが、どうやって運んだのかな。人力かな。何にせよ、「食事」は重要なので、そこも非常電源で動けばいいのにねえ、何とかならないのかしら。私でなく、婦長の言葉である。別に急にオカマになったわけではない。

14:00頃、ホールに行ってみる。まだ停電は続いている。ちょうど病院の自警団(?)ぽい人が何人か来て、婦長さんと一緒に雨漏りのする窓などをチェックしていた。ついでなので「いつまで停電が続くのか、病院側から電力会社に問い合わせたりしたのでしょうか」と聞いてみたら「この停電は電力会社が切ったものではなく、病院側が非常電源にすべて切り替え、病棟を一つずつチェックしながら通常電源に切り替えている」ということらしい。うちの病棟は端っこだから復旧が遅かったのかな。「もう復旧作業に入りますから」それを聞いて安心した。人間、なにか辛いこととかしんどいことがあっても、それが「いつまで続く」ということがわかっていれば、案外不安は感じないものだが、「いつまで続くかわからない」場合は極端に不安が増す。軍隊の行進も、「いつまで歩くか知らされていないとものすごく疲れるが、あと1時間などとわかると元気が出てくる」そうだ。山登りなんかは、自分で地図を見ながら現在地を確認しながら登っているので、そういう不安は一切感じない。

戒厳令が解除された。と言うと大袈裟だが、病棟から外に出てもいいというお達しが出た。ただ、まだ外は雨が降っているし、売店も営業してないという。「自販機くらいは使えると思いますよ」そう言う看護婦さんの言葉を信じて自販機へ行くと、「停電なので使えませ~ん」という売店のおばちゃんのお言葉。「全館停電なの。病棟で説明されなかった?」おいおい、説明されてないぞ。私が個人的に聞いてやっと知ったくらいだ。それに、どうもさっきは説明を聞き間違えたようで、まだ病院内はどこも復旧してないようだ。全部のチェックが終わってから復旧されるらしい。やれやれ。まだ雨は降っている。夕方にはあがるだろう。その頃には停電も復旧しているだろうから、自販機で飲み物を買って、どこかでオカリナでも吹こう。ちなみにさっきの「自警団」のような人達は、病院の管理職らしい。それで婦長が「この有様を見てください」と強調してたのか。

15:00にシャワーを浴びようとしたとき、全館放送が入った。「停電の復旧は16:00頃になる見込みです」まだそんなにかかるのか。お湯も出ないかもと思ったら、案の定…あらら出た出た。はて、やっぱガスで沸かしてるのかな。だが、シャワーの水圧が異常に低く、ちょろちょろとしか出ない。ここは非常電源で動いていて、その電圧が低いのかな。

入浴後の私の楽しみの一つが最近増えた。それは「綿棒」である。そう、あの、うどんを作るときにころころ転がす…、そりゃ「麺棒」やっちゅうねん。いやいや、一人ボケつっこみはおいといて、元々耳掻きの好きな私、普段もしょっちゅう愛用している金属製の耳掻きを突っ込んでは耳血を出していたりするが、お風呂上がりは特にこの「綿棒」が気持ちいい。右の耳に突っ込んでそのままぐりぐりやってると、あまりの気持ちよさにそのまま左の耳から出てきそうになる。耳の話で思い出したが、よく女性が「男の人に話しかけても、片方の耳から入って片方の耳へ抜けてしまう」という言い回しをすることがある。これはけっこう知られているが、それに対する男性の反論というのはあまり知られていないようだ。「女の人に話しかけると、両方の耳から入って口に抜けてしまう」というものなのだが。

16:00過ぎ、そろそろ復旧する頃だと思っているところに、また全館放送。「停電の復旧は16:40頃になる見込みです」おいおい、また延びるのか。まあここは文句を言わずに、復旧する方も全力でやっているのだろうから、見えないところで頑張っている人達に「頑張って」とエールを送ることにしよう。ただ、病棟から外に出られるのが17:00までなので、それまでに自販機に行って飲料を買いたいなあ、そう言うとKさんが「売店は営業再開してるよ。でも、レジが使えないから手書きでやってて、店内には2人までしか入れないらしいけど」お、それはいいこと聞いた。さっそく売店に行くと、もう閉まりかけていた。「まだやってますか?」と聞くと「暗くて周りが見えないから、もう閉めるところだよ」「ジュース一本だけ買いたいんですけど」「ああいいよ」てなわけで滑り込みセーフでゲットできた。

夕方、雨があがったのでグランドへ言って、久々に歌を歌った。Tちゃんに借りたカシューナッツ、ではなくて歌集を持ち出すのは、Mちゃんの転院騒動の際に「今日の日はさようなら」を歌ったとき以来だ。グランドで一人で歌っていると、一人の若者が近くに寄ってきて、歌い終わると「お上手ですね」と誉めてくれた。「ええ、一応合唱団に入ってるので」と言ってから、続けて「今日はすごかったですねえ」「ええ、一日停電していましたねえ」というような会話の後、「どちらの病棟ですか」と聞いたところ「あ、私は作業療法士の実習に来てるんですよ」とのこと。この病院にはよく実習生がくるもんだ。でも、今日はどの病棟も外出禁止だったので、作業棟には誰も行っていないはず。「今日は実習にならなかったでしょう」と聞くと、「ええ、一日中暇でした」そりゃそうだろう。聞けばちょっと離れた県の大学から2ヶ月間の実習に来ていて、今は病院内の施設に寝泊まりしているらしい。そこから朝の8:30頃に作業棟へ来るだけで、びしょびしょになってしまったとか。まあ、そりゃそうだわな。そういうときこそゴアテックスのレインウェアが役に立つのだが、そんなもの普通の人は持ってないか。

「こころの処方箋」を読み終えた。うん、とてもおもしろかった。谷川俊太郎の解説もよかった。これは「こころの病」を持っている人でなくても、誰にでも薦めたい良書だ。自分にとって「これはためになる」という箇所には赤線を引いて、赤線を引いた章は目次に丸をつけておいた。読み返したい本の一つになったが、全部を読み返す暇がなくても、この部分だけは読み返そう。ところで読んでいる途中で気がついたが、以前書いた、宗教関係の本を薦めてくれた(送ってきたのはその家族が勝手に、であるが)知り合いの医者が、もう一冊お薦めしたい本がある、と書いていたその本があったのだが、それがまさにこの本だった。まったくの偶然で、私は外出したときに立ち寄った本屋でたまたま見つけたので買っておいたのだが、その医者には「お薦めいただいた本、買って読んでみました。とてもいい本をご紹介いただき、ありがとうございました」と返事を出しておこう。

それにしても、入院生活は暇かと思っていたら、とても忙しい。まだまだ読みたい本が山積みになっている。アダルト・チルドレン関係の本や会社から送られてきたコンピュータ関係の雑誌が多数。コンピュータ関係の雑誌は「読まなければ」という義務感でなくて、自分が好きで読んでるものなので、暇があったら読みたいのだが、今まではなかなか暇がないか、あっても調子が悪くて寝ていた。今日は調子がよくて暇だったので、日経コンピュータの記事にも目を通せたし、「こころの処方箋」も読み終えることができた。そうそう、例の宗教関係の本も、一通りは目を通してみようかな。まだ半分くらいで止まっている。それはそうと、10月に情報処理技術者試験があるので、その勉強をしようと思っていたのに、それも全く進んでいない。これからはそれを優先させよう。もちろん、自分の心の問題を解決させ、自分を変えるための活動や読書などの方が優先だが、それだけをやらなければいけない、ということもないだろう。この業界は進歩が激しい。勉強は私がスムーズに社会復帰、というより今の職場に復帰するためには欠かせない。これを利用して、普通に働いている人よりもたくさん勉強して試験に受かってやる。見てろよ~、だてに休んでるわけじゃぁないんだ。

夜はまた卓球。最近また夜の卓球ができるようになって嬉しい。みんなもレベルがあがってきて、白熱した試合が繰り広げられる。最後には看護士のIさんまで混じってた。おかげで、「これくらいにしておこう」と思っていったん汗を拭いてシャツを取り替えたのに、せっかくIさんが出てきたので一戦交えて、また汗をかいてしまった。もう遅いから、シャツは取り替えずに、体が冷めたらパジャマに着替えよう。

20:00になって就寝前の服薬。アトピーの薬も忘れずに飲む。実は、つい昨日までずっと飲むのを忘れていたのだ。普段は自分で意識して飲んでいて、アトピーの薬を飲み忘れるなんてことはなかったのに、ここに入って「薬の時間ですよ~」と言われてから薬を手渡されて飲むようになって、「自分で薬を飲まないといけない」という意識が薄くなってしまったような気がする。これも広義では一つの「マインド・コントロール」に入るのではないだろうか。な~んちって、そんなたいそうなものではないか。でも、「他人が決めたスケジュールにしたがって行動」していくと、主体性がなくなっていくのは確かのようだ。他のことに関しても、そうならないように、常に主体性を持って行動しなくては。とか考えつつ、そろそろ体も冷めてきたのでパジャマに着替えるかな。それにしても、今日は読書もできたし好きな雑誌も読めたし歌も歌えたし卓球で汗も流せたし、とてもバランスの取れた充実した一日だった。台風さまさまかもしれない。

昨日は消灯後、22:30、つまり眠りの1サイクルでいったん目が覚めたが、追加眠剤はもらわずにまた寝たら、朝の5時過ぎまで眠れた。最近はよく眠れているような気がする。

ホールに出ていくと、外は暴風雨で荒れ狂う海が見える。台風が来ているのだ。Kさんが今日外出するというのに折り畳み傘しか持ってないと言う。ほとんどの患者がそうだ。「病院の置き傘借りていったらいいんじゃないですか?」そう言うと「I看護士が処分しちゃったのよ」と言う。なんだなんだ、そんな話、一言も聞いてないぞ、と言うと「いつだかの連絡会、じゃなかった食事中かな、Iさんがみんなの前で言っていたよ」と教えてくれた。そんな、一回言うだけじゃその場にいない人には伝わらないじゃないか。多分私が外泊していたときに言ったのだろう。もし私が名前を書かずに傘を置いていたら、知らずに処分されてしまっていたところだった。「そうとわかっていたら、一番いい置き傘に自分の名前書いておいたのに」そう言うと、TさんもKさんも「あ、そりゃいいね」と笑ってくれた。ちょうどそのときにI看護士が来たので、「置き傘処分の件、私は知らなかったんですけど、一回言うだけじゃなくて、せっかくホワイトボードにお知らせ欄があるんだから、そこに書いておいてくれたらよかったのに。もし私が自分の傘を名前を書かずに置きっぱなしにしてたら、知らずに処分されてしまってところでしたよ」そう言うと、I看護士は「あ、失礼しました」と謝ってくれた。これからはもう少し患者の立場にたって、どんなことにしろ「より良い方法」を考えてくれるかな。

朝食後、喫煙所で眠剤の話になった。私が「最近はよく眠れるようになったのに、朝ぼ~っとしてることが多い」と言うと、「それは、眠剤が残っているんじゃないですか?」そう言われた。そうだ、眠剤には「残る」という作用があるのだ。私は今まで睡眠障害がひどくて、眠剤もどんどん増えて、追加眠剤をもらっても眠れず、ということもあったため「残る」ということを経験したことはなかったが、睡眠障害が緩和されてきて、今は逆にぐっすり眠れる代わりに眠剤が残っているのかもしれない。主治医と相談したいが、水曜日までいないという。困ったものだ。分裂症でサイレース(ロヒプノール)を10年以上服用しているSさんが、睡眠薬依存症の話をしてくれた。2~3日わざと眠剤を飲まずに、自然に眠気が来るのを待っていたら、手が震えたりしてきたそうだ。依存症の禁断症状らしい。彼は通常1mg処方されるサイレースを、2mg~4mg飲んでいる。同じくサイレースを10年服用しているYさんも、眠剤を飲まなかったときに幻聴が聞こえたらしい。私も聞いていて少々不安だが、医者は「依存症にならないように量は考えてだしてますから」と言っていた。確かに、私の場合7錠も眠剤を飲んでいるとはいえ、純粋な眠剤だけでなく、睡眠誘導効果のある安定剤や抗鬱剤も混ざっている。一種類の薬の量を増やすのでなく、そうやっていろいろな薬を混ぜているので、依存症にはなりにくい、とは思う。ただ、サイレースはハルシオン同様、今の日本では最も一般的に使われている眠剤の一つだが、依存性が強く、アメリカでは使用禁止になっているらしい。逆に抗鬱剤であるSSRIなんかは、ずっとアメリカで使われていて日本では使用が認められてなかったのに、去年になって日本でも処方されるようになった。この辺のギャップはなんだろう。日本は薬の扱い方に関して、まだまだアメリカに遅れをとっているということか。それにしても、こういうときこそ主治医に相談したいのに、水曜日までいないというのは残念だ。しかも、木曜日は私は外出予定にしている。木曜日の16:00以降に主治医に時間を取ってもらえればいいのだが。

雨風がひどいので散歩もできない。「こころの処方箋」を読み進めようかと思ったが、頭がぼ~っとして内容が頭に入ってこない。おとなしく作業療法の時間まで休むことにしよう。何か音楽をかけながら。だが、この後は眠るのでなく運動するので、単なる癒し系の曲よりも、多少元気な曲の方がいい。山下達郎の「On the street corner I」をかけることにした。

アダルト・チャイルド関係の本を売店で買ってきた。今までは借りた本を読んでいたが、自分でマーキングしたり書き込みをしたり付箋を貼ったりしたいので、結局自分で買うことにし、借りてる本は返した。ただ、この本は慎重に読み進めなければならない。この間も「原家族ワーク」をやってる途中で、すごく気が滅入ってきて、そして猛烈な腹痛が始まり、次の日の午前中まで軽い鬱状態が続いた。カウンセラーと相談しながら読み進めていこうと思っている。この本も、自己変革を行うのに大きな手助けとなってくれることだろう。

作業棟へ体力トレーニングに行く。またもや平常時心拍数が高く、100を軽くオーバーしている。体調が悪いときは、なぜ心拍数があがるのだろうか。酸素の供給が追いつかないのか?眠剤が残っていて、体がまだ眠っているのであれば、逆に心拍数は低くなってもいいような気がする。この辺はよくわからないが、なにか複雑なメカニズムでそうなっているのだろう。その状態で体力テストを行うと、「6段階中の1。非常に劣る」と出た。トホホ。体調によってこんなに結果に差が出るのだったら、毎週月曜日に体力テストを行っている意味がない。やるなら毎回体力テストやろうかな。とりあえず今日はそのテスト結果で出てきた数値を基準に設定して、20分1セットだけエアロバイクを漕いだ。その後は腹筋。この間より多い回数をこなせた。

ぺちゃくちゃしゃべりながら猛烈にエアロバイクを漕いでいるいつものおばさんが、隣のおじさんに「水は飲んじゃダメ。漕ぎ終わってから飲みなさい!」」と、また間違ったことを言ってる。それは昔の話で、今の運動生理学では否定されている、ということをそのおばさんに教えてあげようかと思ったが、下手に反感を買うと嫌だったので、作業療法士に言ってみた。「あのおばさん、水飲むなって言ってますけど、今は違いますよね」作業療法士は、「うん、それはわかってるんだけどね。でもスポーツ選手や、本格的なトレーニングをする人達と違って、あのおばさん達の運動量くらいだと、たいした汗はかいてないし、漕ぎ終わった後にちゃんと水飲んでるから大丈夫だよ。下手に口出しても、あのくらいの年代だと反感を買うかもしれないし、言う方も言われる方もそれなりに納得しているんだからいいんじゃない?」なるほど、ちゃんとそこまで考えているのだ。この辺はさすがプロだな。直接言わないでよかった。ここでは「患者同士ができるだけ直接関わり合いになることを避ける」ことに気をつけないといけない、ということを改めて認識した。

私がエアロバイクを漕いでいる横でMちゃんが血圧を計っている。「ねぇ、これ低いかな」の声に私が振り向くと、血圧計の表示は、上が83、下が49。「すごく低いんじゃない、それ。大丈夫」という私に対して「血圧上げる薬、飲んでるんだけどな」と言っているが、薬を飲んでその値なのか。血圧は高すぎるともちろん良くないが、低すぎるのも多分よくないのだろう。低すぎる場合、どういう影響があるのだろうか。

エアロバイクを20分1セットだけで済ませたので時間が余った。今日は雨で散歩にも行けなかったので、オカリナを吹けなかった。この作業棟でなら吹いていいかな、ピアノも弾いてることだし。そう思って作業療法士に「オカリナ吹いていいですか」と聞くと、ピアノのところか、その隣の部屋なら吹いてもいいという。ピアノのところはすぐ横でみんながエアロバイクを漕いでいて、「ピ、ピ、ピ」というピッチ音が気になるので、隣の部屋で吹いた。誰か聞いているかもしれない、というか聞こえているだろうが、周りに誰もいないと自由に吹けて楽しい。

「こころの処方箋」を読み進める。うん、この人の書いたことには共感がもてる。いろいろなトピックについて書いてあるが、すべてに共通していることは「決して断定していない」ことだ。これは、「○○は△△だ」と断定した文章よりも信頼できる。著者も書いているが、心の問題は複雑で、決して「これはこうだ」と断定できるようなことはありえない。だからこそ、別に断定口調を避けて反論されたときの責任逃れをしているわけでなく、本当に断定できないからそう書いてあるのだ。逆に、心の問題について触れた文章で断定口調のものがあれば、それは警戒して読まなければならないだろう。

夕方の薬を飲んだ後、リラックス体操&自律訓練法をやった。この時間に行うのが日課になってきた。別に毎日やっているわけではないが。「毎日やらないといけない」と思いこんでしまうと、それはまたそれで自分を縛ってしまう。他に用事がなかったらできるだけ続けよう、それくらいの気持ちで楽にやっている。やると、やはり気持ちいい。

「日経コンピュータ」が病院に送られてきた。ちょこっと目を通す。前に会社から送ってもらったのもぜんぜん読んでない。1日2記事ずつくらいは目を通していこう。それはそうと、3誌の継続の購読料をまだ払ってない。早く払わねば。

連絡会の司会を務める。司会と言ってもノートに書いてある通り読むだけだ。関西弁でやろうか迷ったが、とりあえず普通にした。最後の日だけ「いたちの最後っ屁」みたくやってみようかな。「皆さんからのご意見、ご感想などありましたらお願いします。はーい」と言って即座に自分で手を挙げて意見を言ったりしてみた。いや、ジョークではなくて、本当に意見があったのだが。午前中トイレに行ったときに、ちょうど掃除が終わった後だったようなのだが、トイレのスリッパがびしょびしょに濡れていたので困りました。掃除の人は気をつけてください。それだけの意見だ。

夜は「こころの処方箋」を読み進め、その後はまた卓球した。Kさんはなかなか悪い癖が抜けない。S君と勝負したが負けてしまった。S君は本来の実力を発揮してきたようだ。今までは素人相手に手を抜いてばかりいたので、手を抜く癖がついていて、私と対戦するときもなんとなく隙だらけだったのが、構えに隙がなくなってきた。それに、マジで読みが難しいサーブを出してきて、それにかなり苦しめられている。うん、好敵手になってきて、これからがおもしろそうだ。

これを書いてるうちに20:00になった。眠剤を飲む。今日もよく眠れるといいが、翌朝また眠剤が残るかな?ま、残っても昼頃には回復することがわかってきたので、あまり心配しないようにしよう。

昨日は腹痛が大変だった。腹が痛くてまともに歯を磨くこともできず、就寝前に看護婦さんに何とかならならいか相談したら、ちょうど当直の医者がいて、下痢止めをもらうことができた。おかげで昨日の日記の最後は尻切れトンボだ。

でも、睡眠はとれた。21:00就寝で、起きたら3:00だった。6時間も連続で寝ていたことになる。喫煙所に行ってみるとMちゃんがいる。戻って来たはいいが、昨日からずっと元気がない。「何かショックなことがあったの?」そう聞くとうなずく。その後はまた眠くなってきたので再び病室に戻って寝た。5:30くらいまではまた眠り、うとうとしたまどろみの状態を感じつつ、6:00の起床を知らせる放送で起きて、着替えて洗面を済ました。最近睡眠は取れているのにだるい、そういう日が多い。腹痛はまだ少し残っている。これはやはり「原家族ワーク」をやったせいか。

だるい。朝からこんなにだるい。というか少し鬱が入っている。ここへ入院してきたときのように、朝から調子が悪い。最近こういう傾向が続いている。なぜだろう。睡眠は以前よりも取れているのに。朝食後もすぐ横になり、9:00過ぎまで寝ていた。起きてきてあったかいコーヒーをいれ、喫煙所で煙草を吸いながら飲む。少しは体が目覚めてきただろうか。

MちゃんがHさんを探している。が、Hさんは外泊でもう出ていってしまった。Tさんが「何の用事なの?」と聞くと「携帯取り上げられちゃったので、借りたかった」そう、彼女はここに再入院する条件として「携帯電話は使わない」ということを約束させられた。それまで携帯を隠し持っていたことは、医師は知らなかったと思うが、親はもちろん知っていた。隠し持つことに荷担していたのだから。しかし、今後はそういう条件が提示されたため、親も荷担することはできない。こっそり携帯を渡す、ということをしてくれない。それで、Mちゃんは誰か隠し持っている人から借りたいのだろう。実は、他にも隠し持っている人は知っているが、私は言わない。再入院の条件が「携帯を使わない」ということは、「携帯を使うことが、病気の治療の妨げになる」という医師の判断なのだろうから、私がMちゃんに携帯を持っている人を教えるということは、「Mちゃんの治療の妨げになる行為に荷担する」ことになるからだ。Tさんは言う。「公衆電話からかけりゃいいじゃない」そうなのだ。公衆電話ならOKと医師は言ったらしい。なぜ携帯がだめで公衆電話がOKなのか、それは私にはわからない。

10:40頃、一人でオカリナを吹きに行く。一人で吹きたかった。もともとオカリナを吹くのは誰のためでもない、自分のため、自分を癒すためなのだから。人が聞いていると緊張する。それが自分にとってストレスになる。

グランドのベンチに座って一人でオカリナを吹いていると、S君がやってきて隣に座る。「調子悪いですか?」と尋ねる彼にうつむいて「調子、悪い」それだけ答える。「一人になりたいですか?」と聞くので「うん」と答える。「じゃあ、たばこ吸ったら行きますから」そう言って彼はたばこを吸って行ってしまった。私はその間一人うなだれていた。彼が去った後、またオカリナを吹き始めた。自分の好きな曲を自由に、そして、どんな曲でもない、自分の心にうかんだメロディーを好きなように即興で吹く。もともと私は何かの曲を吹く、というより、そのときの自分を表現するために、自分の中の何かを外へ出すために、自由にオカリナを吹くのが好きだった。最初の頃、そう、オカリナを吹き始めた頃はずっとそうしていた。

河合隼雄の「こころの処方箋」を読み始める。以前、駅前の本屋で買ってからまだ読んでなかった本だ。河合隼雄の本は、カウンセリング関係の本なら何冊か読んだが、実際に悩みを持った人向けの本は始めて読む。この本も何かの救いになってくれるだろうか。本だけに頼ってはいけないが、読むことによって開けてくる道もきっとあるだろう。

読んでいると、卓球をしている音が聞こえてくる。少し元気が出てきたのと、今なら汗をかいても3時にシャワーを浴びれるので、マイラケットを持ってホールに出ていく。S君とKさんの勝負が終わるのを待って、S君と軽く打ち合った後、試合をするが、2セットとも負けてしまった。いつもより集中力も運動能力も衰えているようだが、まあ、それはそんなものだろう。調子が悪いのはわかっているのだから。大事なのは、今自分にできることを、自分のペースでやることだ。少し汗をかいたくらいでやめておいた。無理は禁物だから。

S君とKさんの試合を見ているとき、Y看護婦が来て「あら、起きました?」さっき病室を巡回しているときに、私が寝ていると思ったらしい。別に眠っていたわけではないのだが。特に様子を聞いたりするわけではないが、ちょっと様子を見にきていただけだという。ついでなので、聞いてみた。「この病院でカウンセラーにカウンセリングをお願いすることはできるんですか?」昨日の「アダルト・チャイルドが自分と向き合う本」の中でやった「原家族ワーク」で、自分が書き出したことは必ず誰かと共有してください、そう書いてあったのだが、誰と共有すればいいかわからない。そこで、カウンセリングを受けて、カウンセラーと共有できないか相談しようと思ったのだ。看護婦によると、医者からの依頼でカウンセラーにお願いすることは可能だが、私の主治医は水曜日まで用事があって病院に来ないらしい。木曜日以降に面談をして、カウンセリングをお願いしよう。今現在患っているの「うつ病」を治すだけでなく、またそういう病気に陥らないようにするためには、自分の中で何かを変えなくてはいけない。この本はそのきっかけになるかもしれないし、そのためにはカウンセリングも有効な手段だと思うから。

会社でも、産業カウンセラーにお願いして2年くらいカウンセリングを続けていた。それで、少しは自分のことが客観的にわかり、どうすればいいかわかっていった。だが、状態はまた悪化した。会社のカウンセラーにその旨を告げて「いったいどうすればいいでしょう」と相談しても、「どうすればいいか、前も言ったでしょ」としか言わない。会社のカウンセラーとは、もういくらカウンセリングをしても煮詰まってしまっている。今度はこの病院のカウンセラーとうまくいくといいのだが。

煙草を吸おうとホールに出ていくと、I看護士に呼び止められて、「来週一週間の連絡会の司会、お願いできるかな?」と聞かれた。司会と言ってもノートに書いてあることを読むだけで、たいしたことはない。「あ、いいっすよ」そう答えてから、冗談で「でも私がやると、関西弁でやりますよ」と言ってやったら「あ、たまにはそういうのも、いいんじゃないですか」と言った。ほんとかな?明日の連絡会の直前に、そのときにいる看護婦か看護士に聞いてみて、いいと言ったら本当にやってみよう。

この日記を書いてると、S君が「カラオケやりますよ」と声をかけてきた。もう13:30か。調子があがってきたので参加する。今日はけっこう歌った。「桃色吐息」を歌ったら、えらく低音の渋い?吐息になってしまったので、キーを変えずに2番をオクターブ上げて歌ったら、「器用だね~」と言われた。まあ、だてにヴォイトレは受けてない。あ、今はほんとに受けてない。また受けたいなあ。

同室のYさんが、私がこのハンドヘルドPCでネットをやっていることを知って、KさんのHPを見たいという。Kさんは私の一つ年上の会社員で、3年ほど前に自分のHPを作ってみたものの、それから全く更新していないという。HPを作る人は、最初はおもしろがって作るがそのままほったらかしにしてしまう人が多い。HPはマメに更新しないと誰も見てくれなくなる。だから、HPを立ち上げるという場合、最初はいいのだが、その後コンテンツを随時更新していくという「マメさ」が必要である。世の中にはそういう「デッド」なHPがごろごろ転がっている。そういう私も、自分のメインのHPはそれに近い状態である。自分が管理している、内輪のHPはマメに更新しているのだが。

話がそれたが、YさんがKさんに「HPのアドレス教えて」と聞くと、Kさん自身覚えてないという。「でも、たいした内容じゃないっすよ」そういうが、Yさんが見たいというので、HPのタイトル名から私が検索して見せてあげた。「○○のホームページ」というタイトルがあって、顔写真があって、自己紹介が2行くらいあって、次のページをクリックすると、いきなり「ご意見、ご感想をお願いします」というアンケートのページに飛ぶ。それだけのHPだった。本当にたいした内容じゃなかった。ほとんどコンテンツも何もないのに、「ご意見、ご感想を」と言われても、「なんじゃこりゃ」と言うしかないだろうが。ちなみにそのHPのアクセスカウンタは、3年かかって306だった。

「こころの処方箋」を読み進める。うん、かなりいいことが書いてある。読んだからすぐに自分の問題が解決されるわけではないが、いろいろなことに対する「こころ構え」の基本的なところに関して、これからの自分のものの考え方の指針にできるだろう。繰り返し読み返したい本の一つの仲間入りだ。河合隼雄の文章はとても読みやすくて、文章の書き手としても参考になる。

昼間に卓球をやったとき、汗をかいてもそんなにかゆくならなかったので、夜も久々に卓球をする。かなり調子は戻っている。久々に思い切り卓球ができて嬉しかった。また上り調子になっていってくれるといいが。

夜は喫煙所でACの話になる。私が昨日、「原家族ワーク」をやっていて落ちてきた話をすると、アルコール依存症で入院している中年女性のKさんが、自分の経験を語ってくれた。Kさんも、その本を読んでではないが、自分の過去の棚卸しをやったときに、部屋で一人でわんわん泣いたそうだ。看護婦さんがそれを見て、誰かにひどいことでも言われたかと思ったのか「話を聞きますよ」と言ってくれ、Kさんが「実はこういう理由で涙が出てきたんです」と説明すると、「よく気づきましたね。その『気づき』が大事なのですよ」と言ったそうだ。その看護婦さんは若かったが、自分自身が「機能不全家族」で育ち、苦しい思いをしてきて、そして早くにその「気づき」を体験し、看護婦の道を目指したらしい。そういう看護婦さんばかりだといいのだが。Kさんは言う。「自分の親や環境は変えられない。変えられるのは自分だけ」そう、そうなのだ。それは私もわかっているつもりだ。一昨年に受けた「タイムマネジメント」の研修でも講師が同じことを言っていた。「変えられるのは自分だけ。他の人に対しては、せいぜい『影響を与える』ことしかできない」「私も自分自身を変えていこうと思っているんですよ」私がそう言うと「1年も2年もかかるよ。でも、1日1日の積み重ねだからね。自分に対する『気づき』を経験すると、自分自身がこれからどうしていけばいいのかがわかってくる。でも、それを実行するのは難しい。1日1日の積み重ねで、1年も2年もかかって変えていかないといけないよ」Kさんはそう答える。私も入院中にどこまで自分を変えていけるかわからないし、多分、理想的な自分というものにはなることは一生かかってもできないかもしれない。どこかで見切りをつけて、うつ病の症状が治まって普通の社会生活ができるようになったとき、その「自己変革」を1日1日、積み重ねていけるだろうか。

20:00になって、眠剤を飲む。パジャマに着替えて就寝準備。そろそろ半袖の薄手のパジャマだと肌寒い。次の木曜日は皮膚科に通院するので、そのままいったん家に戻って、いろいろ秋物を取って来ようか。それができるかどうかわからないが、この間は駅前周辺の買い物で割と平気だったので、次のステップとして「電車を乗り継いで家へ帰る」ことを日帰りでやってみようと思っている。

眠剤を変えた効果だろうか。随分よく眠れたような気がする。21:00の消灯後、4:00前に目が覚めるまで、1回か2回、目が覚めただろうか覚えてない。1回くらい目が覚めて時間を確認した覚えはあるが、よく覚えていない。それだけよく眠れていたのだろう。

ホールへ出ていくと、TさんとIさんしかいない。全館の冷房が9月5日で切れてしまったため、窓を開けていたら今度は少し寒い。Iさんは鼻をすすっている。Tさんは自分と同じ病院からここを紹介されてきたのだが、そこの先生について「突き放したようなものの言い方するよね」と意見が一致。Tさんは何度もぶっ倒れて点滴をうけたが、そのうち「点滴依存症」にもなりかけたそうだ。それがないと不安だ、それがないと正常な自分を保てない、「それ」に該当するものは、どんなものだってありうる。

話しているとあくびが出てきた。充分睡眠をとったつもりだったが、まだ眠気が残っているのか?そう思ってもう一度病室に戻り、横になる。

朝食後もなんだかだるい。「眠い」のでなく「だるい」のだ。肌寒いので長袖を着てベッドに横になる。と、S君が「いっこく堂のビデオ見てもいいですか」と聞いてきたので一緒に見る。いっこく堂は本当にすごいと思う。今までの腹話術界では「絶対に無理」と言われていた口唇破裂音「バ行、パ行、マ行」を、口を動かさずに発音するのだから。いっこく堂は、「不可能」にあえて挑戦し、5年かけて独自の方法でそれを腹話術で発音する技術を会得したという。「不可能」に挑戦するという勇気は賞賛に値するだろう。単なる一劇団員から、「腹話術師」への転向。そして、それで食べていくための、まさに自分の人生をかけ、自分を追い込んでの努力の積み重ね。それは並大抵の努力ではなかったはずだ。

しばらくビデオを見ていると、いつも無表情でテレビを見ているP君がテレビのあたりをうろちょろしていた。と思ったら、ホール中のいすを動かしてぎいぎい音を立てだした。彼もまた一言も喋らない人だ。我々は、テレビを見たいことを彼がアピールしているのだと判断し、ビデオを止めてその場を去った。P君はその後だまってテレビを見ていた。

今日はずっとだらだらしている。元々土日は何の予定はないので暇なのだが、外出、外泊している人も多く、閑散としている。私もベッドでだらだら本を読む。

昼過ぎもだらだら。S君がいない。聞くところによると、急に外出したそうだ。外出届は一日前に出さないといけない。緊急で外出するときには医者、それも主治医の許可が必要だ。今日は土曜日なので当直しかいない。よく外出許可が出たものだ。よっぽど急な用事だったのか、と思っていたら、Tさんが「別に用事なんかないよ。急に外へ出たくなっただけよ」そう言っている。「看護婦には嘘をついて届けを出したのよ。帰ってきたら、なんて嘘をついたのか聞いてやろ」本当なのだろうか。

カラオケの音が聞こえている。ああ、CDを聞きながら少し寝ていたら、もうカラオケの時間になっている。S君もいないし、Eさんもいないし、今日は人が少ないなと思っていたら、2人の声が交代で聞こえてくる。2人でやってるのかな?ちょっと参加してこようかなぁ。でも、今日は別の病棟から新しめのディスクは借りてきてないしなあ。

ちょいとホールへ出て行ってみた。なんだ、4人くらいはいるじゃないか。他の病棟からディスクも借りてきているじゃないか。とりあえず、オフコースの「さよなら」を歌わせてもらう。順番待ちまで煙草を吸おうと喫煙所に行くとMちゃんが一人で座っている。元気なさそうだ。「元気、なさそうだね」「うん」、「いつも部屋では何してるの」「泣いてるか寝てる」そんなものなのか。他に気を紛らわすものはないのだろうか。「またやっちゃった」絆創膏が彼女の腕に貼られている。「部屋でやったの」「うん」彼女はまだまだ落ち着いていない。ここへ戻ってきた昨日はずっと元気に見えた。が、一晩寝たらもうこれだ。やはり大丈夫なのだろうか。心配はつきない。一曲歌ったが、だるいのでまた病室へ戻ってきた。夕方になったら散歩にでも行ってオカリナを吹こう。そう思いながら、CDを聞きながらまた横になる。

夕食前だというのに、外出から帰ってきたS君が喫煙所のテーブルに買ってきたお菓子を広げている。最近ここへのチェックが厳しいので、こっそり広げているが、そこまでしなくても、もうすぐ夕食だから連絡会の後にでもすりゃいいのに。あ、今日は土曜日だから連絡会はないや。それはともかく、最近チェックが厳しい。この間までは、喫煙所のテーブルに私物を置きっぱなしにしないでください、くらいだったのに、今は「ここでものを食べないでください」「人に食べ物をあげないでください」もうるさい。まるで動物園の「餌をあげないでください」みたいだ。「アルコール依存症や糖尿病で、食べたくても食べられない人もいるので、お菓子をみんなの前で広げたりすることはダメ」ということらしい。なので、昨日のMちゃんの再入院祝いも、看護婦の体制が薄くなる時間を狙い、看護婦の目を盗んでこっそりやった。なんかだんだん窮屈になってくる。

ずっと借りっぱなしだった本「アダルト・チャイルドが自分と向き合う本」の続きを読み始める。「現在うつ病などの治療中で現在の状態が安定していない人は、次を読み進めるのを待ってください」と書いてある。「大きな感情の揺れを伴うので」そう説明があるが、勇気を出して読み進めていった。

「読む」というより「原家族ワーク」という、自分が育った家族「原家族」がいったいどんな家族だったのか、どんな問題があったのか、「機能不全家族」なのか、それを探るために自分の子供の頃の記憶を呼び覚ます「作業」は、とてもつらかった。途中でとても気が滅入ってきて、泣きそうになった。この章の最初に書いてある「原家族ワークに入る前の3つの約束」の一つ「つらくなった無理をしない」にしたがって中断した。自分でも、こんなに昔のことが、次から次へと出てくることに、とても驚いていた。自覚していないトラウマをたくさん抱え込んでいたんではないのか。そう感じた。

自分が思って書き出したこと、それを添え、うちの家族に当てはまる部分にマーキングをして、家に送ろうかと思った。だけど、そうすべきか迷っている。まだ判断するべき時期ではないだろう。それはともかく、「書き出したことは必ず誰かとわかちあってください」とある。いったい誰と分かち合えばいいのだろうか。

気分転換に喫煙所に行って「あの本読んでたら、すごい気が滅入ってきたよ」そう言う。病院の売店にたくさん並んでいる本なので、みんな知ってるのだ。「あの、読んじゃいけないってとこ読んだの」「うん、読むっていうか、自分の子供の頃の記憶をひもといていく作業をやってるとさ、あんなこともあった、こんなこともあったって、何年も忘れていたようなことが次から次へと頭に浮かんできて、それ書いてるたびにだんだん気が滅入ってきてさ」そういう会話をしていると、今日はずっと元気がない無表情のMちゃんがすっと立ち上がって去っていった。彼女の心の傷に何か触れてしまったかもしれない。Yさんは、「読んじゃだめってとこは適当に流して読んじゃったよ。今さら過去がどうのこうの言ってもしょうがないじゃない」確かにそれはそうで、そのことはその本にもちゃんと書いてある。じゃあ、これから僕たちはどうしたらいいんだろう、それはその本の続編にある、と書いてあった。だから、今はつらくとも、時間をかけても、この一冊目を読んでいこう。それはそうとして、急に腹が痛くなってきてトイレに駆け込む。精神的な動揺は体にすぐ現れる。

喫煙所に煙草を吸いに行って、おなかが痛いという話をしたら、何回トイレに行ったかという話題になって、私が「Yさんいつも次の日の分まで書いてますね」と言うと「よく気がついたね。誰が言うだろうと思ってた」と言ってのける。彼は「快食快便」を豪語していて、常に安定しているため、書き忘れをしないように次の日の分を書いているそうだ。「看護婦に言われるかと思ったんだけど、看護婦は言わないんだよ」う~ん、あの表はちゃんとチェックしてるのか?いや、まあチェックしているのだろうけど、彼の場合は次の日の分を書いていても、毎日数字が1なので、特に問題視してなかっただけだろう。それにしてもまたおなかが痛くなってきた。記入した後にまたトイレにいった場合、どうすればいいんだろう?次の日に繰り越すのかな。

昨日もよく眠れた。追加眠剤をもらわずに、1、2回は目を覚ましたが、時間を確認した瞬間にすぐ寝入ってしまって、4:00くらいまで眠れた。熟睡感を感じる。

ホールへ出てくる。いつもならMちゃんもこの時間にはこの場所にいるのだが、今日からはいない。昨日はこれを書いているうちに去っていってしまったのか、まだ面談が続いていたのか、最後を見送ることもできなかった。「昨日まではMちゃんもいたのにね」私がそう言うと、Tさんが「Mちゃん、結局ここに戻ってくるそうよ」へっ???「医者と家族と本人と話し合った結果、結局そうなったんだって」なんだなんだ。Mちゃんが「どうしてもこの病院にいたい」と粘ったため、実はそういうことになったらしい。話が二転三転するが、彼女がまた戻ってくるというのは嬉しいという反面、「また問題を起こさないといいが」という懸念、そして自分が「巻き込まれる」ことを避けないといけない、という複雑な思いが頭をかけめぐる。一度自分の中で「訣別」したものが、あっと言う間に目の前に現れる。それはなんだか拍子抜けというか、肩すかしをくらったというか、とにかく今の私の心境は「嬉しい」と「心配」が入り交じっている。

充分睡眠はとったつもりなのに、なんだか気分はすぐれない。朝一番に、上に書いたような複雑な心理が頭を駆けめぐったせいであろうか。朝の散歩も行かず、無理をせずにベッドに横になる。作業療法の時間まで休もう。

メールチェックすると、昨日の晩に「また会う日まで」という件名でMちゃんに出したメールの返事が来ている。早朝に書いたようだ。「歌ってくれてありがとう。これからもオカリナ散歩しようね。」そう書いてある。「また会う日」がこんなに早く来るとは思わなかった。

作業棟で体力トレーニング。最初に心拍数を測定するが、またまたはじめから高い。しばらく休んでからもう一度計るが、やはり高い。どうやら調子が悪いときは、正常時心拍数がかなり高くなるようだ。無理は禁物なので、負荷を低めに設定し、年齢はさばを読まずに入力し、ただし時間は20分といつも通り。有酸素運動は少なくともこれくらい継続してやらないと意味がないからだ。漕いでる途中、Mちゃんが家族と一緒に作業棟にやってきた。「お帰り~」そう言うと、彼女は笑ってまた別の場所に行ってしまった。

病棟に戻ってからしばらく休んで喫煙所に行くと、「今晩Mちゃんの再入院祝いやるから」とTさんが100円ずつ集めてる。S君が午後外出したときにケーキを買ってくるらしい。100円くらい快く出すが、「再入院祝い」という言葉は、とても不思議に感じる。いや、もちろん転院が取りやめになってこの病院に残れた、という意味なので、本人を含め、みんなも喜んでいるのだが、本人にとってそれが本当にベストだったのかは誰もわからない。

昼食後、喫煙所でMちゃんがつぶやく。「また、入院の挨拶するのかな」そう、ここでは連絡会の時に、入院してきた人、退院する人は一言挨拶する。昨日、彼女は泣きながら「皆さん、お世話になりました」そう挨拶したばかりだ。「一週間あいて、とかならまだしもさぁ、昨日の今日だから、どうするのかなぁ。これじゃ出戻りじゃん」Mちゃんは照れくさそうに言う。

私がベッドに寝転がって、昨日買ってきたコンピュータ雑誌を読んでいると、看護婦から「面会の方がいらっしゃいましたよ」と告げる。誰だ?今日誰か来るなんて聞いてないぞ?しかも平日だし。ホールに出ていってみると、両親だった。なんでいきなり来るんだ。外出とか外泊してるかもしれないのに、来るなら来るで連絡くらいしろっつーの。どうやら、父親が仕事の都合で近くに来るから、ついでに病院に寄ってみようと思い、それならとついでに母親もついてきたらしい。病院には昨日までに連絡を取って、13:00に私の主治医とアポを取って、面談をしていたそうだ。全く知らなかった。せっかく来たから、ということで私に会いに来た、ということだ。両親を前にして私の一言目は「来るなら連絡くらいしてよ」だった。

両親、特に父親とは話していて全くおもしろくない。相変わらず「うつ病」について正しく理解しているとは思えない話の内容、そして相手を全く無視したしゃべり方。話題が私の兄の現在の仕事の話になって、それがいかにも自分が手を貸してやったからうまくいってる、というような自慢げな口調で話し続ける。私が話に飽きてきて、全く横を向いてしまい、食べていたプリンの容器のシールをはがしたりして、いかにも興味がないような素振りをしても、全くそれを無視して、とにかく自分の言いたいことだけしゃべり続ける。私が母親と少し会話をしていると、その流れを全く無視し、いきなり会話に割り込んできて別の話をしゃべり続ける。この際だから私ははっきり言ってやった。

「なんで人が興味を持って聞いているかどうかを全く無視して一方的にしゃべるんだ?」

本人は「そんなつもりはない」としか言わない。そう、彼は自分の非を絶対に認めない。
そして、こうも言ってやった。

「自分の子供が4人いて、2人精神科にかかっていて、1人は全く社会に適応できなくて、残りの1人はまるで非常識な性格になった現実を見て、何が原因かわからないのか?」

両親は、「まあ、そりゃ、家庭環境が何か悪かったんだろうけど…」と、一応自覚しているようだ。だが、何がどう悪かったということはさっぱり自覚してないし、それについて調べたり考えたりしようともしていないようだ。兄弟4人が4人とも父親を嫌悪していて、話をするのを嫌がっている、という現実も最近になってようやく気づいたようだ。私はさらに続ける。

「僕はお父さんとお母さんが、仲のいい夫婦に見えたことはなかった。いつもお父さんは自分の非を認めずに、僕らから見たら明らかにお父さんが悪いと思うことも、ぜんぶお母さんに『お前が悪い』と言っていた。そしてお母さんも、いつも『はい、私が悪いんです』で済ましていた。僕の目からは、いつもお父さんがお母さんを虐待しているように見えた」

これには父親は驚いたようだ。子供の目に自分たち両親がどう映っているか、考えたこともなかったようだ。父親は言葉に詰まった。私は続ける。

「だから今どうしてくれ、というものじゃない。昔のことはどうにもできないから。でも、僕は今こうやってお父さんと話しているだけで、ものすごいストレスを感じている」

母親が私に言う。「今、お父さんやお母さんにできることは、何かない?」私はきっぱり言う。「二度とここには来ないでください」

2時間くらいしゃべっただろうか。本当にストレスでぶっとびそうになった。一応、病院の玄関まで両親を見送っていったが、二人から解放されて、やっと一息つけた。信頼できる両親の元で育った人が、心底うらやましいと思う。今から両親に対するトラウマ的感情を何とかしろ、と言われても、今の自分にはどうにもできない。父親の顔を見るだけで生理的な嫌悪感を感じるのだから。

私と同じうつ病で、一つ年上のKさんが、社会復帰に向けて体力をつけるために、これから毎日「1日12キロ歩け」と医者から言われたそうだ。彼はかなり体力が落ちていて、エアロバイクの体力テストでも「10段階中の2。かなり劣る」と出たそうだ。やはり体力は基本なのだろう。私もそのうち同じようなことを言われるのだろうか。私は幸いなことに体力はそんなに落ちてなく、人並みにはある。時速4キロで歩いたとしても、12キロだと3時間。山を登るのに較べれば平地を歩くのなんか楽勝だ、と言いたいところだが、平地の方が精神的につらいかもしれない。山を登っていると、体力的にはきついが、心は癒される。この辺で平地を歩くとなると、どこを歩くのだろう。ここから町の中へ出ていって、適当なところで引き返してくるか、どこか巡回してくるのか。どちらにしろ、「ただ平地を歩く」のを3時間続けるというのは精神的には苦痛かもしれない。だからこそ、社会復帰の訓練になるのかもしれないが。

新しい患者が閉鎖病棟から移ってきた。一見、どこも悪くなさそうに見える。話を聞くと、「風邪薬の飲み過ぎで幻覚が見えるようになった」ため、緊急入院し、閉鎖病棟に3週間いて、状態がよくなったのでこちらに移ってきたらしい。別に死のうとか思って風邪薬を飲んだ訳でなく、本当に風邪をひいて薬を飲んだが、なかなか良くならず、4日間寝込む間に飯も食わずに体が衰弱していくところに、治そうと思って風邪薬だけばんばん飲んだそうだ。こういうパターンもあるんだ。風邪薬だと言ってばかにはできない。そう言えば、風邪薬をビタミン剤だかなんだかと偽ってずっと飲ませ、ついに死に至らしめた事件もあった。閉鎖病棟に3週間で済んだのだから、ここも短期間で出られるだろう。こういう急性の患者にははじめて出くわした。

連絡会で入退院する患者の挨拶。だが、紹介されたのは閉鎖病棟から移ってきた彼だけだった。Mちゃんの転院とりやめは、もうみんなわかってることなので省略されたのだろうか。「せっかく言うこと考えていたのに、挨拶したかったな」Mちゃんはつぶやくが、顔は嬉しそうだ。

19:00から喫煙所でMちゃんの「再入院祝い」。S君が、外出届けを出してないのに散歩時間をごまかして散歩簿に記入し、駅前まで行って買ってきたケーキを出す。Mちゃん感激!と思いきや、うん、感激していた。が、みんなでびっくりさせようと思ってたのに、Tさんが「ケーキ用意してあるから」とつい口を滑らせてしまっていたため、実は知っていたらしい。でも、チョコレートに書かれた「Mちゃんへ」という一言に「じ~んときた」と言っている。昨日のこの時間はまるでお通夜のようだったのに、今はほんわか気分で、みんなでケーキを切りわけて食べる。糖尿病でケーキを食べられないおばあさんも、みんなを羨ましそうに見つつ、その場で一緒に祝っていた。向こうの方では、例の気の早いおじさんが、今日は40分も前から薬を待って並んでいる。

その祝いの席には、いつもペンギンみたいなよちよち歩きで一言もしゃべらず、普段は煙草を吸っては帰って行くだけの、Kちゃんと呼ばれているお爺さんもいた。ヘッドギア3人衆、いや今では2人衆の1人で、入院歴は30年と言われている。いつもお菓子があると食べたがるので、歯がなくても食べられるものならあげていた。いつもKちゃんは何の表情も示さなくて、感情を失っているかのようだ。今日は歯のない口でケーキをもぐもぐやっている。てっきりケーキがあるのが目に入ってやって来たのだと思っていた。

だが、あとからS君から「Kちゃんが、小銭を持ってきて俺に手渡そうとするんだ」と聞いてみんなびっくりした。感情を失っていて、何もわかっていないようなお爺さんだと思っていたのに。「みんなでお金を出し合って買ったから、自分もお金を出さないと」そういうことがちゃんとわかっているのだ。この光景を見てTさんは泣き出してしまったそうだ。必死に「いいよいいよ」とお金を返そうとするS君に、どうしてもKちゃんは小銭を渡そうとするので、Tさんが「じゃあ、Kちゃんの気持ち、もらっておくよ」そう言って小銭を受け取り、看護婦に「Kちゃんのお金ですから」と言って預けたらしい。今回の祝いの席で、みんなが一番感動したのはKちゃんのその心遣いだった。

20:00になった。7粒の眠剤を見るたびに、「自分は大丈夫なのだろうか」不安がよぎるが、それを無理矢理払拭し、明日のために今日は寝る。