TOPに戻る
鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:入院生活

今日無事に退院したのだ。最初の1ヶ月くらいはなかなか調子がよくならなくて、うわーんこのままだと半年コースかぁ?と覚悟していた(1回目の入院は7ヶ月ちょっとだった)のだが、躁転して2週間くらいして落ち着いて、それから安定してきたので無事2ヶ月と1週間くらいで退院できたのだ。今回は無事軟着陸できた、という感じだ。このまま行けば8月くらいには3年ぶりに職場復帰できそうだ。

それはそうと帰ってきてまずやったのは、ウォシュレットの取り付けなのだ。なぜウォシュレットかというと、退院とは全然関係ない。先週の土曜日に彼女とその友達と一緒に夕飯を食べていたときに、私は今まで勘違いをしていたことを知ったのだ。それは、ウォシュレットというのはトイレを改造するもので、賃貸の住宅やマンションでは取り付けられないものだと思っていた、ということなのだ。そうではなくて、便器の蓋は簡単に取り外しができて、そこにかぽっとはめるだけで済むもの、つまりは賃貸でもつけられる、ということを話の流れで知って、前々からウォシュレットつけたいと思っていた私はさっそく日曜日にネットで安い店を調べて注文し、昨日までには自宅に届いていた、というわけだ。取り付ける際にちょっと工事が必要になるが、ネットで調べたところそんな難しい工事ではないようで、自分でできそうだった。

しかしいざやってみると、一番最初のステップで降参してしまった。タンクの横にある止水栓というのを締めて、そこからタンクにつながっている給水管というのをまず外すのだが、そのために回さないといけないボルトを回せない。タンクと壁の間が狭すぎてレンチが入らないのだ。他の工具でもあれこれ試したが、あまりの狭さにどうしようもできず、これは電動レンチなどの専用の工具がないとだめだぁ〜とお手上げ状態になったのだ。それでどうしたかと言うと、結局業者に頼むはめになった。TOTOのHPから取り付け工事ができる店を検索できたので、そこから自宅に近い業者を見つけ、連絡したらすぐ来てくれた。こういう水回りのトラブルなどを専門にやっている業者は足回りがいい。

というわけでこれから快適なトイレライフを楽しむのだ。それにしてもウォシュレットは最近進んでいるなあ。昔はコントローラが便器の横にどかっと突き出していて幅をとったものだが、今(というか私が買ったやつ)はコントローラがワイヤレスになっていて、ペーパーホルダーの上につけられるようになっている。便器周りもすっきりなのだ。

と言っても日本代表のことではない。いや、そっちも盛り上がっているが、今日は別のバレー大会があったのだ。今日は神奈川県のデイケア対抗のバレー大会があり、今日から外泊の私も一緒に応援に行って帰ってきた。夕方になって家に帰ってきたらくたくたである。いったん荷物を家に置いてから再び家を出て横浜に出て、久しぶりに寿司を食べて足裏マッサージをして帰ってきた。足裏も久しぶりである。今日は彼女が友達の家に遊びに行っているので夜も暇だ。男子バレーを見ていたらカナダに負けてしまった。今日はバレーの日なのか。

ここ最近7時間くらい連続して眠れるようになってきた。とは言えまだベゲタミンAもイソブロもロヒプノール2mgも飲んでやっと7時間眠れているから、まだまだ睡眠障害としてはかなり強い方だろう。テンションが上がりすぎて躁になることはなくなってきた。今日もハッスル(死語?)したが、テンションは上がりすぎることはなかった。今回の外泊も3泊4日で、月曜日に病院に戻る。特に問題がなければ来週中には退院できる見込みだ。やっとここまできた。ここに来て焦ってはいけない。ゆっくりと行こう。

先週まで毎週末に土、日、月と2泊3日で外泊訓練をしていたのだが、今週から3泊4日になった。今日は外泊初日で家に戻ってきたのだ。あと何回か外泊して病院の外での生活を落ち着いて送れることを確認し、退院する予定だ。

入院中に書き溜めた今までの経緯などを元に、自分のHPの「カミングアウト宣言」の部分をリニューアルした。タイトルを「自律神経失調症/うつ病」から「躁鬱病」に変え、内容もかなり細かいものになった。

今夜は知人がやっているアカペラグループのライブに行く予定なのだ。楽しみなのだが、体がもつか心配である。

5月11日火曜日のことである。久々に8時間も熟睡できて朝目覚めたら、体が軽く、心も穏やかで、数年ぶりに心にかかっていた霧が晴れたような気がした。元気になっていろんな人と話すようになり、以前のように頭が速く回転し、話をしていても言葉がぽんぽん出てくるようになった。そしてその状態は先週いっぱい続いた。今までとは違う。これは一歩前進した。今度こそいけるかも。そんな感じだ。今の調子が続けば早くて今月いっぱい、遅くとも来月いっぱいには退院できる見通しである。そして退院して1ヶ月くらい様子を見て復職できそうである。明後日の火曜日に会社に行って、復職に向けて人事部と面接をする予定である。

しかしながらこういう病気は再発性が高い。今回よくなったからと言って、いつまた調子を崩すかわからない。いくら自分で気をつけていても、季節の変わり目などにホルモンのバランスが崩れたりして調子が悪くなることはいくらでもあることだそうだ。いつ爆発するかわからない爆弾を抱え込んでしまったようなものだ。だから私はもう以前の私ではない。前の私には戻れないのだ。今まで「なんとかしてこの病気が治らないかなあ、いつになったら治るのかなあ」と思っていたが、これからは「治そう」というのではなく、「うまく病気とつきあって生きていこう」、そういう考え方になった。

そして私は「精神障害者保険福祉手帳」を取ることになった。主治医に書いてもらった診断書を持って明日区役所に行って手続きをしてくるつもりだ。つまりそれは、「こころの病気」というハンディキャップを持った「精神障害者」として生きていくことになったことを意味する。なった、というか自分で選択したのだが。

これからは障害者の立場から「こころのバリアフリー」を提唱していこうと考えている。退院して落ち着いたらもう一つHPを立ち上げようかなあとも思っている。精神的な病気を持った人にとっての一番の障壁(バリア)とは何か。それは「社会の人々の偏見、理解のなさ」である。車椅子の人には優しくできても、どうしてこころの病気の人には優しくできないのか。そういうことを綴っていこうかと思っている。

とりあえず今日は、彼女が仕事から帰ってきたら久しぶりに焼肉を食べに行くことにしているので、それが楽しみである。彼女の仕事が終わるまで、冬のソナタを見ていたところだ。実は先月ついに光ファイバーがうちに来たのだ。有線ブロードネットワークのBROAD-GATE01である。うちは無線LANだが、有線で実効速度を計測してみたら54Mbpsも出て超感激である。無線だとさすがに10数Mbpsに落ちるが、それでも充分である。そしてUSENが今、BROAD-GATE01加入者を対象に「冬のソナタ」全20編を無料配信しているのだ。それを観ていたのだが、Windows Media Player でノンフレームモードにすれば、まるで液晶画面がテレビになる。それで冬のソナタを観ていたのだ。みんな言っているが、はっきり言って「くっさ〜」というドラマである。しかしはまってしまいそう。

日記を書くのは久しぶりだ。調子が悪くて日記を書くのもしんどいというのもあったが、そもそも「1行でもいいから絶対毎日書かなくては」とかいう自分に対する制約、自由度のなさが調子を悪化させているかも、と思って無理に書かないようにしていたのだ。自分で自分の首を絞めていたのだ。

毎週末は外泊して家に戻っている。土曜日の昼前に帰って来て、月曜日の昼過ぎに病院に戻る。そんな感じでやっている。

今の状態は、4月の終わりに躁転して躁状態になっている。躁状態は鬱のまるで逆で、とにかく突っ走って突っ走って動き回って止まらなくなる。適度な休憩を入れることもなく、体がへとへとに疲れているのに自分で自分を止められない。制御不能なのだ。いろんなことがはかどるのはいいとして、体がぶっ倒れるまでやってしまう。

何とか自分をコントロールしようとして、今はタイマーを使っている。たとえば次の活動時間を50分とセットしておき、アラームが鳴ったら強制的にやっていることを休止して休む。そして今度は10分にアラームをセットし、それが鳴るまでは、早く続きがやりたくてうずうずしているのを我慢して体を休める。そんなことをやっているのだ。そんな機械に頼らずとも自分をコントロールできればいいが、まあ何もやらないよりかはましだろう。そうやって徐々に自分でできるようになっていけばいい。

病院の都合で4月から主治医が変更になった。この医者が当たりで、患者の状態に応じてダイナミックに薬を変えてきたりする。内科や外科などの普通の医療現場では、血液検査やレントゲンなど、客観的なデータを用いて医師は診断を下す。しかし精神科の場合、ほとんどの場合が自己申告の世界なのだ。診察といっても、患者が「ぜんぜん動けなくて、気分が落ち込んでいて」とか「ぜんぜん眠れなくて」とか話すのを聞いて医師は診断をくだす。

しかし、心の様子は見た目にも現れる。めつき、かおつき、姿勢、体の動きなどで心の状態がわかるのだ。そして、今度の主治医は患者のそういう点をよく観察している。入院病棟では、みんなでレクリエーションをやったりするが、今までの主治医はそういう場に顔を出すことはなかった。しかし、今度の主治医は顔を出すばかりか自ら参加したりする。そして、ただ参加するだけでなく、そこで患者の様子を事細かに観察しているのだ。私はこの先生についていくことに決めた。この先生が他の病院に移ったら、私も病院を移ろう。そう思わせるほどの名医だと思う。実際、看護師や他の患者からも評判がいい。

さてさて、昨日は友達の結婚式で疲れたのだが、なんとか自分をコントロールできて、チャペルの式から披露宴、二次会までもつことができた。めでたしめでたし。それでは今日はもう少ししたら病院に戻るのだ。