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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:健康

先週から内科の薬がジェネリックに変わった。

最近の薬には名前が印刷されているんだな。落っことしたとき便利かも。

「僕のフェノフィブラート、見かけませんでした?」

 

また体のトラブルの話。

昨年の5月頃、急に声が枯れるようになった。すかすかな声しか出ず、妻にも「なんて言ってるかわからない」と言われる始末。こんな生活なのであまり人と話す機会はないのだが、それでも飲食店でオーダーすると「え?」と聞き返されるし、医者と話すのも一苦労という状態だった。

耳鼻科に行って診てもらうと、「アレルギーですね。お薬出しておきますから吸入していってください」と言われた。それから飲み薬を飲み、トローチを舐め、2週間おきに通院したのだが良くならない。2ヶ月くらい経った頃、「まだ良くならないんですかねえ」と話すと、「もう少しですねえ。アレルギーだから、荒れやすいんですね」との答え。

4ヶ月ほど経ってもまだ良くならない。調剤薬局で薬剤師の方が「調子はどうですか?」と聞いてきたので、これまでの経緯を話したら、難しい顔をして「4ヶ月経って良くならないのはおかしいですね」と言われ、薬の副作用とかいろいろ調べてくれた。それでもわからなかったので、「喉専門の他の耳鼻科に行ってみたほうがいいですよ」と言われた。「声が枯れるということは、単なるアレルギーではなくて声帯自身に何らかのトラブルが起きている可能性がありますから」とのことだった。それは自分も考えていた。

それで、10年ほど前に1回だけ行った、声楽家を兼業としている耳鼻科に行ってみた。声の専門の先生で、カメラを使って直接声帯を見てくれる先生だ。発声に関するアドバイスもくれる。前回も撮影した写真を自分にくれた。果たして今回の結果は、何も異常はなかった。普段の話し方も腹式呼吸を意識してみると、多少聞きやすい声が出るでしょう、と言われた。

その後、もう放ったらかしにしていたら、いつの間にか治った。いったいなんだったんだろう。それにしてもはじめに行った耳鼻科、近いことだけが取り柄で評判はすこぶる悪かったのだ。また何かあったときに、耳鼻科に行くのが嫌だなあ。この辺には他に評判のいい耳鼻科はないのだ。先の声楽家の耳鼻科も通うにはちょっと遠い。いい病院できないかなあ。

毎月内科に通っている。診察では血圧を計るのだが、血圧計には心拍数も表示される。去年の9月だったか、その心拍数が37だった。60~70が標準で、40を切ると危険らしい。ここ最近は不整脈が多かったので、その場で心電図の検査をした。やはり不整脈だったので、久しぶりに24時間心電図検査をやることになった。小型の心電計を体に貼りつけて24時間行動し、その結果を解析して異常がないか調べる検査である。検査結果によっては大きな病院で診てもらう必要があるかもしれない。

その結果、24時間の間に心拍数が30まで落ちている時間帯が2回あった。1回目は夜に寝ているときだったが、2回目はお昼の12時。ばりばりに活動しているときだ。脈が極端に遅いと、脳に酸素が行き渡らなくなって意識がなくなり、いきなりバタンと倒れたりして大変危険とのこと。最悪の場合、心臓ペースメーカーを埋め込まないといけないかもしれない、と言われていてちょっとびびっていた。とりあえず今はめまい、ふらつきなどの自覚症状がないので経過観察となった。また不安要素が増えちったよ。

心臓がさぼってるのか?

一昨年の7月頃だったか、いきなり右膝が痛くなった。曲げるとめちゃくちゃ痛い。整形外科に行ってレントゲンを撮ったのだが、その結果の画像を見て医者が、

「始まってるなあ」

と言った。な、何が始まってるんだ~。

どうやら軟骨がすり減ってきてるらしい。ずっと寝てばっかりいるせいで筋力が衰え、骨に負担がかかっているのだろうか。「変形性膝関節症」と診断された。それからしばらくリハビリに通い、装具も作ってロボットのような足で歩いていたりした。リハビリはめんどくさいのでそのうち行かなくなってしまったのだが、幸い少しずつ膝の痛みは和らいでいた。今はだいぶ良くなったが、まだ走ったりはできない。

 

一昨年の9月頃だったか、いきなり腰が抜けた。ぎっくり腰というやつだ。前から腰は悪かったが、ぎっくり腰はぜんぜんレベルが違う。本当に動けないのだ。これはこれは困った。なんとか数日で回復したが、またなったときのことを考えると非常に怖い。

 

一昨年の11月頃だったか、左腕が上がらなくなった。上だけでなく、いろんな方向に大きく動かそうとしても痛くて動かなくなった。医者には四十肩と言われた。それからとても不便になった。一番難儀なのが着替えることである。特に前開きのシャツを着るのにものすごく苦労する。外に出るのにまず着替えないといけないが、そのハードルが上がってしまっている。

 

去年の7月頃だったか、右腕が上がらなくなった。上だけでなく、いろんな方向に大きく動かそうとしても痛くて動かなくなった。医者には五十肩と言われた。ああ、四十肩と五十肩が同時に来てしまった。これら2つの違いは、特にない。呼び方の違いだけである。幸い左肩はだいぶ良くなっていたが、右肩は今でも良くなっていない。相変わらず着替えるのが非常にめんどうだ。夏になるとずっとTシャツ一枚で過ごせるので楽なのだが、この季節はそうはいかない。

 

なぜこんなに関節ばかりやられるのか。アラフィフとなった今、「老い」は容赦ない。

昨日は雪だったが、今日はいい天気。日差しは暖かいが、空気は冷たくて風が強く、外は寒い。

 

今日は眼科で半年に1度の視野検査。実は自分、自他ともに認める緑内障なのだ。2001年の人間ドックではじめて「視神経乳頭陥凹拡大」と診断され、緑内障予備軍となって以来、定期的に視野検査をしてきた。まだ大丈夫でしょう、まだ大丈夫でしょうと言われ続けること幾年月、ついに1年半ほど前の検査で「緑内障でしゅ」と診断された。それ以来、2ヶ月おきに眼科に通院し、眼圧の検査をしている。また半年に1度視野検査もして、視野欠損が大きくなってないか調べる。今日の検査結果は現状維持だった。

緑内障は視野が欠けてくる病気で、最悪の場合は失明に至る。視野が狭くなる、とは少し違う。見えている部分が断片的に欠けてくるのだ。普段は両目で見ているから見えてないところは互いに補い合い、また片目で見ていても、視野欠損が小さければ周りの情報から自動的に脳が情報を補完するので、なかなか自分では気が付かない病気である。

眼圧が高い人に多い病気だが、正常な眼圧の人がかかる場合も多い。治療法は基本的には点眼で、正常範囲内の眼圧を目薬でさらに下げる。今より良くなることはなく、進行を遅らせることしかできない、と聞いたが本当だろうか。手術もあるという話も聞いたことはあるが。

1日1回の緑内障の目薬と、4回のアレルギーの目薬。めんどくさいったらありゃしない。

 

道端にあった何らかのオブジェ。

何かしらのオブジェ