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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

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いかん、ますますリズムが狂ってきた。昼夜「半」逆転状態になりつつある。

昨日もいつもと同じように23時頃に眠剤を飲み、寝ようとした。実際に寝ようとしたのは0時前だが、薬が効き始めるのが1時間くらい経ってからだから、そこで寝ても本来なら十分薬の効果は出るはず。なのだがやっぱり寝られない。眠くならない。眠剤が効かない。

それでも今までは何とか寝ようと横になっていたり、それに飽きたらちょっとだけPCに向かってまた寝たり、ということをして、あまり動き回らないようにしていた。が、昨日は1時過ぎだったろうか、なんとなくコンビニに行って、カップラーメンとチョコレートを買ってきて食べてしまった。もう寝るのをあきらめてしまったのだ。いや、本当にあきらめたわけではないのだが、じっとしているのに飽きたのだ。本来寝ないといけない時間に薬を使っても眠れなくなって、しかもどんどん行動が拡大していくのはどういうわけだ?しかも夜中にラーメンとチョコを食べるなんて、ダイエットしないといけない自分にとってはもっての他の行動だ。しかし、何か自分の中で抗しがたい欲求があったのだ。それが何かはわからない。禁を破って飛び出していきたい何か。それは何なのだ?夜中にコンビニ、ラーメン、チョコというのは単なるシニフィアンでしかない。そのシニフィエは?

そういやシニフィアン、シニフィエという言葉は学生時代のフロイトの講義で出てきた。フロイトの夢判断。私の夢にはしばしばずっと昔の友人やら景色やら、今は離れて住んでいる家族やら実家が出てくる。日ごろ頻繁に会っている人たちや、今現在自分が住んでいる場所や自分が置かれている状況がそのまま出てくることはない。これはどういうことなのだろうか?

結局昨日は3時過ぎに寝たと思う。起きたのは8時頃。そしてまた寝た。昼過ぎに起きる。あとはいつもと同じ日常。満たされない日常。夢の中だけが満たされる場所なのか。夜中のコンビニは実は白昼夢なのか。

昨日は珍しく普通に眠れた。朝は何時に起きたっけ?4時とか5時とか、そういう早い時間ではなくて、普通に起きた気がする。午前中はぼ〜っと過ごし、10時からTBSの「サンデージャポン」を観る。この1週間の話題が次から次へと流れていく。今日は白装束集団の話題はでてこなかった。白装束というと、以前町のいたるところで別の白装束集団が「無料お試しキャンペーンです」とか言ってただでモデムを配っていたが、あれはもう終わったのだろうか。

昼前に彼女からメールが入る。「今起きたところ」彼女は今日は寝坊らしい。「起きているけどぼ〜っとしている」と返事を打った。少しして彼女がうちに来て、一緒にパンを買って来て食べた。

今日は、「中華街に行ってタピオカ入りココナツミルクを飲むぞ」という予定だった。前々から行こう行こうと言っていたのだが、ずっとのびのびになっていたのだ。彼女は行く気満々だったが、実は私はあまり調子がよくなかった。あいかわらず頭はぼ〜っとして体がだるかった。だが、最近彼女と外へ遊びに行ってなかったし、来週の土日も彼女がバイトなので、無理を承知で行くことにした。

が、やはり調子が悪いものは悪い。駅で電車が来るまでベンチでぐったり座ったり、石川町の駅から中華街へ歩くまでもふらふらだった。西門の近くに雑貨屋さんができていて、彼女が「ちょっと見ていきたい」というので、彼女がお店を見ている間、店の前にあったベンチでまたまたぐったり。その後、店頭で売っているタピオカ入りココナツミルクを買って西門の手前で飲む。門から先に行くつもりは到底なかった。見ると、中華街の大通りは原宿並の人込みだった。調子が悪くなくても避けたかもしれない。ココナツミルクを飲み干してから回れ右し、帰途に着く。

家へ帰ってから、やっぱりしんどいのでしばらく寝ていた。クライミングジムに行った夢を見た。ガバホールドをがしがしつかんでは初心者向けのルートをハーネスもつけずに上っていく。前に室内クライミングをしたのはいつだったか。もう2年くらい前だっただろうか。今のこの弱りきった体では、すっかり肥えてしまったこの体では、到底クライミングなんかできそうにない。おそらくハーネスもウェストが入らないだろう。目標のルートを完登したときの達成感。あれはもう味わえないのだろうか。トップロープでなんとか5.10aを登れるかどうか、というレベルで止まってしまった。次にやるときはエイトノットからやり直さなくてはなるまい。

私が寝ている間、彼女は漫画を読んでいて、いつの間にか買い物に行ってきた。夕食にスパゲッティーを作ってくれて、それを食べながらテレビを見る。今日は夜、ずっとテレビを見ていた。「あるある大辞典」では「軽うつ」がテーマだった。

鬱のCMをやっていたり、最近ではマスメディアでも取り上げられることが多くなった。私が最初に鬱の症状を発した頃、こういう番組はやっていただろうか?少なくとも私は「うつ病」という言葉は聞いたことはあってもどういうものか全く知らなかったし、自分がどういう状態でどこへ行って誰に相談すればいいかもわからなかった。あの頃、こういう番組を見て何らかの予備知識があれば、最初に適切な治療を行っていれば、こんなにも苦戦しなくてもすんだかもしれない。

ストレスの多い現代社会に数多く存在すると思われる「うつ病予備軍」に「うつ病」というものの認知度を広げるこの手の番組はよいと思う。実際には、健康ブームに乗っかって「健康」をテーマにした番組を続けてきて、「体の病気」があらかたテーマとして片付けられたので、「心の病気」が採り上げられるようになったのかもしれないが。

今日は9時半から栄養相談の予約が入っていた。9時過ぎに家を出る予定で、8時50分頃に彼女が家に来て一緒にタクシーで行く約束をしていた。

が、朝は完全にグロッキーだった。彼女が来てくれたものの、全く動くことができない。いつもならこの時間はとっくにグロッキーで寝てしまっているのだが、無理に起きて動こうとするとこんなにつらいものだとは。

結局起き上がることすらできず、何とかキャンセルの電話だけ入れて、そのまま眠ってしまった。眠ったと言うより気を失ってしまった、という感じだったかもしれない。

昼過ぎに起きてもまだ気分がすぐれない。しばらく起きていたが、またいつの間にか寝てしまった。今日は昼からのバイトだった彼女が、夕方バイトが終わってから電話してきた。その電話で目が覚めたがしばらく動くことができなかった。夢を見ている真っ最中に現実に引き戻されたのだが、目が覚めてもしばらくは現実感がなく、体も重かった。目が覚めたときはかなり夢の内容を覚えていて、現実世界との違和感を感じた。目が覚める直前の自分は、古い木造アパートの2階の狭苦しい部屋にいた。こんなところで生活できない、と途方にくれていた。なぜあんな夢を見ていたのだろう。自分の居場所がとても狭いと無意識に感じているのだろうか。物理的に、ではなく、社会的に。生きていて窮屈な思いをしているのだろうか。

朝早く起きたが朝食を食べてまた寝てしまった。いつもと同じである。

そして昼頃目が覚めた。今なら午後のプログラムには間に合わなくとも15時からの英検クラブには顔を出せる。そんなに調子は悪くなさそうだ。動けそうだ。そんな感じなのに、なぜか動かない。ぜんぜん動く気が起きない。なぜなんだろうか。行こうと思えば行けそうなのに、どうして行けないのか。こういう中途半端なときは自分でもどかしい。誰か首に縄をつけて引っ張ってくれれば行けそうなのだが、人に引っ張ってもらうのではだめだ。自分でなんとかしないと。

しかし健闘(していないが)むなしく、また寝てしまい、起きたら15時半。なぜなんだ。今日もいっぱい夢を見た。小学生の頃の友達やら職場の前の部署での先輩やら、いつものことではあるが懐かしい人が出てくる。スーツを着ようとしてどうしてもうまく着られない、というところで目が覚めた。何かを暗示しているのだろうか。「起きて行かないといけないのに動けない」という、そのまんまの夢を見ることも前は多かったが、もっと漠然とした「何かをしようとしているのに、うまくできない」夢もみるというのは、何か心理的に意味があるのだろうか。何かの強迫観念にとらわれているのだろうか。

夜、彼女と話をしていて、どういう脈絡だったか忘れたが「もし余命1年と言われたらどうする?」と聞かれた。「海外ボランティアでも行こうかな」と言うと、とても不思議そうな顔をしていた。自分だったら好きなところに行って好きなものを食べて過ごす、という。普通はそうなのだろうか。そんなことをしたらますます死ぬのが惜しくなるだけではないか。あと1年しか生きられないとわかった時点で、いつ死んでも惜しくないようなことをしよう、とは思わないのかなあ。治安が悪かったりたいへん貧しかったり、「自分も死んだらどうしよう」と思うような場所へ行って、たとえば地雷撤去なんかを手伝う、というようなことを私の場合まっさきに思いついた。どうせもうすぐ死ぬんだから多少無茶をしてもかまわない。どうせ死ぬんだったら、代わりに誰かに生き延びてほしいものだ。

今日は雨が降って寒かった。元気なら横浜へ出て買い物に行こうと思っていたが、雨が鬱陶しかったのと、また鼻がぐずぐず言いだしてちょいと風邪気味だったのでやめた。昼食のパンを買いに行ったときと、スーパーへ夕食の買い物に行った以外は外出していない。その2回の外出も寒くて凍えそうになった。

起きたのは5時頃だったろうか。しかし昨日と同じように昼過ぎまで寝ていた。一日中音楽を聴いてテレビを観て過ごしていた。何も変わらぬ日常。これでいいのだろうか。

やけに首が凝っている。普段から首や肩が異常にこるが、風邪気味のときは独特のこり方をする。今はその状態だ。やはり風邪気味のようだ。念のために風邪薬を飲んだ。

そう言えば今日も夢に家族が出てきた。私の夢には、日ごろ親しくしている人や身近に接している人はあまり出て来ずに、疎遠になってしまってしばらく会ってないひとや連絡を取ってない人がよく出てくる。大学時代や高校時代の友達はしょっちゅうで、小学生の頃の友達なんかが出てきたりする。夢に出てきたことで卒業以来はじめて思い出す、というようなこともある。そしてとりわけよく出てくるのが家族である。

実は私は家族と疎遠なのだ。早くから崩壊していた家族で、あまり私は自分の家族を好きではなく、特に父親と話していると、いや同じ空間にいるだけで生理的な嫌悪感を感じ、わけもなく怒ったり情緒不安定になったりする。兄弟ともあまり仲良くない。仲が悪いというわけでもないが、赤の他人のような存在だ。家族と連絡を取ったのは、1年くらい前に退院したときに、電話で父親に「退院したから」と話したときが最後である。両親には「用があるときはこっちから連絡するから、電話をかけてこないでくれ」と言ってあるのでそれ以来音沙汰なしである。入院していたときにいろいろな患者と話をしたが、家族と何らかの問題を抱えている人が非常に多かった。家族との関係に問題があると精神的な病にかかりやすいのだろうか。

そして普段は家族のことを思い出すことはまずない。だが夢にはしょっちゅう出てくる。自分の無意識では家族のことが気にかかっているのだろうか。