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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:日々の出来事

どうやら世間ではゴールデンウィークらしい。
私はずっとゴールデンウィーク状態。ようやくいい天気が続きそうでどっかに遊びに行きたいところだが、下手に観光スポットなぞにでかけない方がよいかもしれない。5月6日のハローワークの説明会まで求職活動は動くに動けない状態だから、今のうちに遊んでおきたいのだが。まあ、体調自体がまだ求職活動をできる段階ではないけど。

体調は、悪くはないと自分では思っているが、やはり躁気味だと妻は言う。少しいらいらしていたり、テレビを観ていてやたらテンションがハイになったり、疲れた顔をしているのによく喋ったりしているらしい。自覚症状はない。だからこそ躁は面倒なのだ。

数日前の日記で書いたセルフレジのスーパーに行ってみた。品揃えが充実しているし、近くのスーパーより野菜が安いし新鮮なのだ。そして今日もセルフレジ。先日の日記では現金は使えないと書いたが、それは勘違いだったことが判明。ちゃんと現金でも払えるようだ。しかし私は「できるだけ現金では買わない」主義である。同じ買うなら何らかのポイントがつく買い方をする。

たとえばSuicaならSuicaのポイントがつくし、クレジットならカードのポイントがつく。私はヨドバシのクレジットカードを使っているので、クレジットで払ったらその1%はヨドバシのポイントになる。携帯Edyを使うと、Edyのポイントもつく。Edyのポイントはヨドバシポイントに還元されるようにしてあるので、

「買い物はできるだけ携帯Edyで決済し、Edyのチャージにはヨドバシのカードを使う」

のが今のところ一番お得な買い方である。

しかし、そうするとヨドバシで買い物をするときに、ポイントカードとしてクレジットつきのヨドバシのカードを出して、だけど決済はカードでなくEdyで、と携帯を取り出すことになる。しかしそれもなんだかなあ、と思ってヨドバシではカードで払っている。そこで携帯を取り出す勇気はまだ私にはない。

体重がどんどんリバウンドしている。

理由は・・・・・・、

自分でもわかっている。

どうにかしないとなあ。

今日は体調はまあまあ。と言うか少し躁が入っているらしい。昼過ぎに皮膚科に行ったのだが、その時に天気が悪くて雨が降っているのに、「自転車で行く」とか私が言って、その時の目が「躁」の目だった、と妻が言っていた。

皮膚科へ行って薬局へ行って、処方された薬を受け取る。今回は試しに飲み薬をジェネリックに変えてもらったら、だいぶ安くなった。躁鬱病でメンタルクリニック、糖尿病で内科、アトピーで皮膚科に通院している私は医療費がけっこうな負担になっている。

今回ジェネリックに変えてみた理由は先月に遡る。先月、メンタルクリニックの近くの薬局で、「ジェネリックに変更できる薬がありますが、どうしましょうか」と言われた。今までそんなことを言われたことがなかったので、「主治医と相談してからにします」と言って、そのときは処方箋どおりに薬を出してもらった。

次の診察時に、ジェネリックに変更することに関して主治医と相談した。ジェネリックは成分が同じでも、粗悪なものもあるという話を聞いたことがあるからだ。主治医曰く、これらの薬のジェネリックでは、変更して調子が悪くなった、という話はあまり聞かない、とのこと。「変えてみて問題なければそれでいく」ことにした。

それでもって、今のところ問題はない。メンタルクリニックでは大量に薬を処方されていたので、それがだいぶ安くなって大助かりである。そういうことで、皮膚科の薬もジェネリックに変えてもらった。内科の薬は元からジェネリックである。

実は、薬剤師がジェネリックに変更するか尋ねてきたのには、明確な理由があることをメンタルクリニックの主治医から聞いた。厚生労働省の方針として、医療の現場ではできるだけジェネリックを使用するように、との指示が出されたそうなのだ。医療費の増大は我々の家計を圧迫するだけでもなく、7割分を負担している自治体だか国だかの家計も圧迫する。医者や患者が安いジェネリックを選んでくれるとお上も助かる、ということらしい。

しかし、みんながジェネリックを使うと困る人たちが出てくる。それは当然ジェネリックのオリジナルの薬を開発し、販売している会社であるが、将来的には私たち自身の首を自分で締めることになりかねない。

新薬の開発には多額の研究開発費がかかる。だから特許で守られており、新薬で稼いだ分をまた次の薬のを開発するために費やす。20年経って特許が切れたら、ジェネリックの参入によって収入が減少するが、継続的に新薬の開発に成功していれば、特許が切れた頃に新薬の認可が下りたりしてうまくまわりそうなものだ。

しかし、1990年頃からあとは、大きな収益源となるような新薬はあまり開発されていないらしい。これは2010年問題として知られているが、新薬が開発されないのも、それはそれで治療を受ける側にとっても当然困ることである。ジェネリックを使うべきか、将来のことを考えてジェネリックを使わないか、なんだか究極(でもないか)の選択を強いられているような気がする。

今日も起きたのは遅かったが、起きてからはなんとか体は動いた。今日は妻が15時から診察の予約。先週調子が悪かった妻の通院に私もついて行った。

病院の帰り、今まであまり利用したことのないスーパーに行ってみた。割と大きいのだが、自宅からはバスで行かないといけない。私も妻も福祉乗車券を持っているのでバス代はかからないが、やはりめんどうである。しかし近くのスーパーに売ってないものを買いたい用事があり、そのスーパーの近くのホームセンターに行った帰りに寄ってみた。

そのスーパーではじめて私は「セルフレジ」というものを体験した。文字通り、レジに店員がいなくて、自分でバーコードをスキャンしてお金を払う。スキャンしたら隣のスペースに口を広げて置いている袋の中に入れていく。バーコードのついてないお惣菜や野菜は、液晶ディスプレイのボタンを押して選択する。

スキャンした商品を置く隣のスペースで重さを量っているらしく、そのシステムを知らない私たちは、置いた商品を会計前に妻が取ってエコバックに入れたら、画面が「店員をお呼びください」になりちょっとパニック。どうやら重量が軽くなったので「返品しようとした」ことになったらしい。多分商品ごとの重さのデータが入っていて、スキャンした商品と増えた重さを比較して不正を防止しているのではないかと推測。

決済はクレジットか電子マネー。クレジットカードを入れて、暗証番号を入れようと液晶ディスプレイの画面を見ていたら、「お買い上げありがとうございました」と表示されてカードとレシートが出てきた。おいおい、サインも暗証番号もなしに買い物ができるのかい。いやいや、便利だけどデンジャラスでもある。

全部のレジがセルフではなく、10個くらいあるレジのいちばん端にセルフレジが4つくらいあった。万引きとかかご抜け(レジを通らずにそのままサッカー台に行って何食わぬ顔をして商品をかごから袋に詰める万引き手法)のリスクはないのかなあ、と思ったが、それは当然監視しているに違いない。バックヤードでの監視カメラや、監視用の店員がいるのだろう。4つレジがあっても監視する人は4人もいらない。その分人件費が浮く。

なるほどなあ、よく考えているな、と思った。現金の決済でないからつり銭を補充するような手間も要らないし、重さを量ることにより不正をある程度防止できる。私はスーパーやコンビニでの勤務経験がないので、バーコードを「ピッ」とスキャンするのは実は人生はじめての経験であった。なんだかちょっと嬉しい。

レシートにはレジの担当者が普通は印字されるが、このスーパーの場合、

coala.jpg

ということになっている。

それはそうと、最近はエコバッグを利用した万引きが増えていると聞いた。確かにああいう肘からかけるのに調度いいトートバッグは、万引きするにはもってこいのものかもしれないが、何か悲しいものを感じる。もはやエゴバッグである。

事業仕分け第二弾が今日から始まった。今回は独立行政法人をターゲットに絞っている。4月1日の日記でも書いたが、私は3月まで独立行政法人で派遣のITエンジニアとして働いていた。政権交代が行われていなかったら、私はまだその職場で働けていたかもしれない。

不必要な事業に公金を使うのは税金の無駄遣いだから、それらを精査するということ自体に異論を唱えるつもりはない。しかしその結果、真っ先に煽りを食らうのは、たとえば私のような障害を抱えた派遣社員、という末端の人員であり、再就職困難者である、という現実を問題として認識している政治家は、いや政治家以外の人たちも含めてどれくらいいるのだろうか。

「コンクリートから人へ」と掲げるのであれば、今までおいしい思いだけしていた天下りは置いておいて、事業仕分けの結果、食うに困ってしまった末端の労働者の生活を守ってほしい。事業が仕分けられるということは、その事業の中でさらに何かが仕分けられるということなのだ。「削れるところから削る」とは私が4月16日の日記で書いた言葉であるが、削られた自分がここにいる。仕分けられた自分がここにいる。仕分けられた私は自分の生活を仕分けている。しかし、貯金は順調に減るばかりである。同じ境遇にいるのは私だけではないだろう。

どこかの誰かが何度も「いのちを守りたい」という言葉を連呼していた場面を思い出す。どうか「自らのいのち」を仕分ける人がいないことを願うばかりである。