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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:日々の出来事

今日は久しぶりに7時前に起きた。そして二度寝も昼寝もしなかった。午前中はずっと調子が悪い状態が続いていたが、少し復調したのか?いやいや、調子の波に一喜一憂してはいかん。

それにしても、全国各地で大雨洪水の被害がものすごい。金閣寺が浸水している映像をテレビで見て唖然。私の住んでいる横浜ではあまり激しい雨は降らなかったのだが、被害にあわれた方々にはなんと声をかけてやっていいやらわからない。天災は忘れた頃にやってくる、というが、最近は頻繁にやってくるような気がする。

口蹄疫で殺処分された牛の処理やら土砂災害での行方不明者の捜索やら、自衛隊や消防隊が大活躍しているのだが、全国各地で今回のような大雨もしくは台風と同時に大地震がやってきたら、日本はどうなってしまうのだろうか。そんなことを考え出すと、ねじれてる場合ではないと思う今日この頃である。

ワールドカップが終わってしまった。選挙特番を観てからそのまま決勝戦を観戦するつもりだったのだが、これは体がもたん、と思って1時くらいに寝た。妻を起こしては悪いから、と思って目覚ましはかけずに、決勝戦の開始時刻の3時半くらいに目がさめるのを祈って布団に入った。

しかしそう甘くはなかった。目が覚めたら5時半。ああ、選挙特番なんか適当に切り上げてさっさと寝ればよかった、と思いつつ、延長戦になっているならまだやっているかも、と思って急いでテレビをつけた。なんと延長戦の前半0-0。そこから最後までおいしいところだけを観て満足し、また寝たのであった。

それにしても参議院選挙は、あそこまではっきりと明暗が分かれるとは思わなかった。私が投じた2票は死票にならずに済んだのは嬉しかったが、それよりもタコの予想が当たった方がなぜか嬉しかった。そう思うのは私だけだろうか。

選挙に行ってきた。この一票で何がどう変わるかわからないが、今夜は選挙速報から目が離せないであろう。そしてそのままワールドカップの決勝戦を観る。昼間のうちに寝ておくか。

それはそうと、新聞の折り込み公告に入ってた求人情報のチラシに、私が3月まで勤務していた独立行政法人の事務職のパート募集が載っていた。

仕事:人事事務サポート。人事事務に伴う書類作成・データ入力・ファイリングやコピー
資格:英語力(読み・書き・会話)・PCスキル(ワード・エクセル・パワーポイント・Eメール必須)
給与:時給900円

おいおい、確かにあの研究所の1割は外国人だから英語力は必須であるが、英語の読み書き会話のスキルまで求めて時給900円かい。独立行政法人は事業仕分けの煽りをくらってどこも予算が削られている。本当に人が必要なところにお金が出せないんだな。

事業仕分けの結果、直接その恩恵を受けた人よりも、職を失った人、収入が減った人の方が多いに違いない。

投票は明日だというのに、まだどこに投票すればいいのか決められん。
消去法で候補を絞ろうとして、全部消去された場合はどうするのか。
いやいや、全部消去するのでなく、最後に残った1つを選ぶのが消去法だが、その最後の1つさえ自分の中で納得できないでいる。

決められた枠
の中から選択する、というのが政治に参加する唯一の手段なのか。もちろん白票を投じるということはできるが、とても虚しい。自分が立候補するという手段はハードルが高すぎる。

もう少し悩むか・・・。

そう言えば、大相撲の名古屋場所も、参院選とワールドカップの決勝がある7月11日からだった。何の因果か、決戦の日曜日になってしまったな。ま、相撲はダイジェストしか放送されないし、そもそもあまり興味ないし。

チケットの払い戻しが相次いでいるらしいが、初日のチケットだけは売れているという。テレビのインタビューに答えた人は、

「最初にお偉いさんがどんな挨拶をするか聞きたい」

だとさ。それはダイジェストかニュースで放送してくれるのかなあ。確かに、自分もそこだけ興味はあると言えばある。

ぶっちゃけ、強い力士はほとんど外国人だし、暴力団ともつながってるのは明白で、完全に関係と断ち切れるのは(断ち切ったと証明するのは)難しいだろうし、国技として認めるのはやめたら?なんて思っているうちに、そう言えば「国技」って何かの法律で正式に決められているものなのだろうか、という疑問がわいたので検索してみた。Wikipediaから引用すると、

一般に日本では国技と言えば相撲
指すと思われている。しかしその意味するものは極めてあいまいなものとなっている。

国技が相撲であるという考えが広まることになった起源は、1909年(明治42年)に両国に初めて相撲常設館が完成した際、それが「国技館」と命名されたことであるとされている。これは3代尾車
方(
大戸平廣吉)が命名委員会(会長:板垣退助)に提案し、了承されたものであるが、それは6月2日に行われた開館式で作家の江見水蔭が執筆した披露文に「相撲節は国技である」という内容が書かれていたことにヒントを得たということ
に過ぎない。

その後、国技=相撲という考えは国民の間に浸透していくことになるが、国の機関によって相撲が正式に国技と認められたことはない(ただし、国によっ
てそれと認められる国技自体が少数派である)。

なんだなんだ、つまり「相撲イコール国技」てのは、みんなそう思い込んでいただけなのか?
ますます、毎場所ごとにNHKが中継をする意義を感じなくなって来た。