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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:日々の出来事

昨日、妻が毛布を洗濯機で洗おうとしたときのことである。

「なんかおかしいから見て」

そう言われて、見てみた。

確かにおかしい。

電源を入れると、通常こういう状態になる。

洗濯機

 

この状態から「コース」ボタンを4回押すと、「毛布」のモードになる。1回だけ押すと、

洗濯機

 

もう1回押すと、

洗濯機

 

となるのだが、それから何回押してもここから進まないのだ。タッチパネルの問題のようであるが、全く反応がないというわけでもない。

さて困った。普通の洗濯はできるが、それだけでは不便である。オートメニューでなく、マニュアルモードで細かく設定すればなんとかなるかもしれないが、タッチパネルの故障だとしたら、更に他のボタンもおかしくなる可能性がある。

しかたがないのでお客様相談室に電話して、今日修理に来てもらった。見てもらったところ、タッチパネル部分の基盤交換になるというが、その基盤が今は在庫切れで、15日にならないと入ってこないという。10日以上先ではないか。普通の洗濯はできるのでまだ助かったが、下手したらコインランドリー通いになるところだった。修理の日をリスケして、今日はおしまい。

延長保証なんてとっくに過ぎているので、有償での修理となってしまった。見積額は、16,000円あまり。痛すぎる。あまりにも痛すぎる。新品を買うよりは安いが、なんで電子レンジといい洗濯機といい、こんなに次々と壊れるかなあ。

できるだけ支出を抑えようとしているのに、なぜこう臨時出費が続くのか。また一歩崖っぷちに近づいた。

前々からときどき、ネットが切れることがあった。

うちのネット接続は、B-FLET’SマンションタイプのVDSL方式であるが、ネットが切れる時は、モデムのVDSLランプが点滅している。たいていは1分くらいで復旧するのだが、一度現象が現れると、それからちょくちょく切れるようになる。しばらくすると安定する。

自分がインターネットに接続して何かするだけだったらまだいいが、このサイトは自宅サーバで運用しているため、ネットが切れると、このサイトに外部からアクセスできなくなる。そっちはそっちで困る。

VDSLは光配線方式よりも不安定なのかなあ、こんなものなのかなあ、と思っていたのだが、先日NTTに電話して調べてもらうことにした。その日のうちにNTTの人はやって来て、いろいろ調べてもらった結果、

「ケーブルの不具合」

だったことが判明。

なんてこった。

初歩の初歩ではないか。

NTT側の機器や配線などの問題であれば、料金は無料だったのに、こちら側の問題の場合、料金が7,875円かかるのだ。まさかのそのパターンだった。てっきりVDSLモデムか、その先の問題と思っていたのに、がっくりである。最初からVDSLモデムに付属していたケーブルを使えば問題なかったのだが、それができなかった経緯がある。

この団地に引っ越すとき、あまりにも何もないのでびっくりした。なんせ、モジュラージャックもなかったのだ。築30年の団地なので、建設された時はモジュラージャックなどなく、壁から直接黒電話への線が出ている状態だったと思われる。モジュラージャックにするにはNTTの工事が必要だが、退去時には「原状回復義務」により、わざわざ撤去しないといけない。入居者が変わるたびに、延々とそれが繰り返されている。呆れた話である。

全くお役所ってやつは。

同様に「風呂がない」という呆れた状態でもあった。入居するときには自分で風呂釜を設置し、出るときには原状回復のために撤去しなければならない。もちろん全部自腹である。そんな不合理が何十年も繰り返されていたのだ。

風呂の件は置いておいて、NTTに工事はしてもらったものの、宅内配線をしてモジュラージャックを壁に設置してもらうことはできなかった。なぜなら、宅内配線工事をするには「県に模様替申請書を提出して、承認してもらう」必要があったからである。

全くお役所ってやつは。

そういうわけで、最初はモジュラージャックは壁からぶらーんとぶら下がった状態であった。この状態ではVDSLモデムに付属していたケーブルでは届かない。しかたがないので、ADSL時代に使っていた長めの電話線ケーブルを掘り出してそれで接続した。

宅内配線とモジュラージャック設置の工事は、後日電気工事店にお願いしてやってもらったが、そのままそのケーブルを使い続けていた。それが、どうやら不具合の原因だったようだ。部屋またぎのための薄いフラットケーブルだったのが災いした。

それにしても、仕事でネットワーク管理をしていた身。ケーブルの不具合という最も初歩的なところを疑わなかったとは、プロ失格である。本来ならVDSLモデムに付属していたケーブルに交換して終了だったのに、高い料金を支払うはめになってしまった。

先月は電子レンジが壊れるし、泣きっ面に蜂である。

昨日、友だちからメールが来ていた。何やら悩み事があるようだったので、自分でよければ相談にのるからメールでも電話でもください、と返事をしたら、電話がかかってきた。内容としては、自分の将来を左右する急ぎの判断を迫られる話が突然降ってきたのだが、人にはあまり相談しにくくて、意見を聞きたい、ということだった。話を聞いて自分なりの意見を言ってみたりして、1時間くらい話をした。

今日になって、昨日はありがとう、あの件はこうすることにしました、とメールが来た。うんうん、今の段階ではそれは懸命な判断ではないかな、と思って読んでいた。

そのメールの返事に、ふと「前からぼんやりと思っていた」ということを初めて明文化して書いてみた。この日記にもまだ書いてない(と思う)ことなので、頭を整理するつもりで、改めてここに記すことにしておく。

 

自分は、昔から何らかの世話役やら運営やら、あるいは雑用的なことにすぐに首を突っ込んでしまう。今も学生時代の合唱サークルの同期の取りまとめ役として、現役のOB係と連絡をとったり、名簿の管理をしたり、メーリングリストの管理をしたりしている。高校時代の部活の仲間でも、特殊な機能のついた掲示板を自宅のサーバで運営したり、ファイルアップロードのためのグループウェアなんかも作っている。上京してすぐに入った合唱団や、かつて所属していた山岳会でも、入ってからすぐ運営に首を突っ込んだりしていた。そこでも名簿の管理をやっていた。

なんでそんなことにすぐ首を突っ込むのか、雑務をわざわざ引き受けるのか、実は自分でもよくわからなかった。そういうことが好きだから、としか言えなかったが、最近自分の内面についていろいろ考えていて、自分でも「これかな?」という答えが見つかった。

表向きの理由としては「みんなの役に立ちたい」のだが、なぜそう思うのか。それは、「自分を必要としてもらいたい」ということで、必要としてもらうことによって、自分の存在を肯定することができる、という構造が自分の中にあるからだと思う。結局のところ、エゴである。

だから、私はどこへ行っても自分の居場所、というか「自分の存在理由」を無理やり作り出しているのだと思う。そしてそれが、仕事においては裏目裏目に出て、鬱という病に陥る原因ともなってしまったような気がする。勝手に自分で抱え込んでしまうのだ。

今回、友だちが自分にヘルプを求めてきたことが、純粋に嬉しかった。友だちは自分に「ありがとう」と言ってくれたが、自分こそ「必要としてくれてありがとう」と言いたい。持つべきものは友かな、とつくづく思う。
(去年からこのパターンで終わることが多い)

それは19時頃、夕食でさんまを食べている時に起こった。

「ん?喉が痛いな。さんまの小骨でもささったか?」

ま、小骨だしそのうち取れるだろう、と思って食事を終えたが、まだ喉に違和感がある、というか痛みが出てきた。

「やばい、まじで刺さった」

自分、魚が好きで骨までばりばり食べてしまうので、ときどき骨が刺さるが、たいていはすぐに取れる。しかし、今日は違った。さて困った。

魚の骨が喉に刺さった時の対処法として、一番正しいのは「病院に行く」である。昔からよく言う「ご飯を丸呑みする」というようなことは、絶対にやってはいけない。運が良ければご飯と一緒に骨が取れる場合もあるが、逆に押し込む場合もあって危険である。

しかたがないので、救急医療センターに行った。順番を待っている間、待合室で看護師さんに「どうされました?」と聞かれ、「魚の骨が喉に刺さりました」と答えた。すると、「何の魚ですか?」と聞かれた。そんなことまで聞かれるのか、まあいいや、と思って「さんまです」と答えた。

その後、妻と話をしていると、後ろから「ブリです」という声が聞こえてきた。もしかして、けっこう多いのか?

自分の名前が呼ばれて診察室に入り、医師が「口を開けてくださーい」と言うので開けたら、「あ、これは取れるわ」と言って、ピンセットで一瞬のうちに抜き取った。見せてもらったら、小骨ではなく、もう少し太い骨だった。うう、さんまとて侮るなかれ。

そして診察室を出るとき、看護師さんが大きな声で、

「さんま取れましたー!!」

と威勢よく言った。待合室にも筒抜けである。妻は必死に笑いをこらえていた。私は顔から火が出るほど恥ずかしかった。しかし、さんまの骨が取れたのは本人も医師も当然わかっている。あの看護師さんは誰に向かって言ったのだろう?

その後、お会計で呼ばれたので、窓口に行くと、こう言われた。


4,430円です」

 

(・o・)ハッ?


「よんせんよんひゃくさんじゅうえん!?」

 

びっくらこいた。そんなに治療費がかかるとは思わなかった。

診療費明細を見ると、

医療費領収書

た、確かに4,430円。おとなしく払ってから、改めて診療費明細書を見てみる。

 

 医療費領収書

手術・・・・・・

咽頭異物摘出術(簡単)、とな。

そっか、「処置」でなく、「手術」になるんだ。たった1秒でも。

 

 医療費領収書

その1秒で756点。金額にすると7,560円。その3割だから2,268円。たった1秒で・・・。
それに初診料、休日加算などがプラスされるが、これはまあしかたがない。

魚の骨が喉に刺さって病院に行ったのは、実にこれで3回目である。1回目は子どもの頃、2回目は数年前だが、そのときは行ってみたら骨は取れていて、刺さっていたところが傷になって痛かっただけなので、処置のみ。そのときはそんなに治療費がかからなかった。

それにしても、とっても高い1秒だった。かなりショックである。

最近はまた生活のリズムが乱れ始めていて、昨日も起きたのは10時前くらいだっただろうか。いつものようにスマホでニュースをチェックしたら、

「淡路で震度6弱の地震」

との文字が。

一瞬、かなり焦った。18年前のあの日のことを鮮明に思い出したのだ。

一昨年の3.11では横浜でも震度5弱とけっこう揺れたし、テレビで何回も見た津波の映像も強烈に脳裏に焼きついている。しかし、18年前の阪神・淡路大震災のときの「あの1秒」の衝撃は、それをはるかに上回る。

 

自分が就職して上京したのが1994年。翌1995117日、自分はインフルエンザで40℃の熱を出し、1日じゅう寮の部屋で寝込んでいた。夜になってからテレビをつけたら、何やら燃えている。画面全体が燃えている。火事?なんだろう?と発熱でぼんやりした頭でぼ~っとテレビを観ていて、そのうち「大変なことが起こった」とようやく理解した。

大阪出身の私は、京阪神地区にはたくさんの友だちがいる。みんな、無事なのか?心配になった私は、ふらふらな頭で友だちに電話をかけまくった。しかし、誰にもつながらない。そんなこと当たり前だった。そんなときに電話をするのは却って迷惑になる。そういうことも知っていた。でも電話をせずにはいられなかった。少しパニックになっていたのだろう。振り込め詐欺に騙されてしまう人も、このように冷静さを失ってパニックに陥ってしまうのだろうか。

翌日も熱が下がらず、会社を休んで部屋で寝ていた。テレビはベッドの後ろに置いていたので、寝ている状態では映像は見えないのだが、状況が知りたくて、テレビをつけっぱなしにして音声を聞いていた。

やがて、テレビでは死亡が確認された人の名前が読み上げられていった。そして不意打ちのように、その名前が耳に入った。

「神戸市○○区 ○○☓子さん」

 

神戸に住んでいる学生時代の友だちの名前だった。自分は脊髄反射のごとくベッドから飛び起きてテレビを見た。

 

・・・・・・別人だった。同姓同名だが、名前の字も年齢も違った。

人生であんなに焦った瞬間があっただろうか。あのとき、名前が聞こえてからテレビを見るまでの、わずか1秒ほどの瞬間は、今でもスローモーションのように鮮明な記憶となって脳裏に焼き付いている。

その夜だったか、次の日だったか、その友だちの安否が確認できた。彼女はひとり暮らしだったが、実家に電話をかけてようやく無事がわかった。彼女は神戸市の職員だったので、当時はかなり大変だったらしい。

昨日の淡路での地震のニュースを見た瞬間、18年前の「あの1秒」の記憶と、その時の衝撃が一瞬のうちに自分の中に再現された。

今も神戸に住んでいるその友だちにメールをしたところ、神戸は震度3くらいだったとすぐに返事が返ってきた。大丈夫だろうとわかっていても、心配なものは心配なのだ。

震災というのはこんな形でもトラウマを残すのか。そもそも、これはトラウマと呼べるのだろうか。