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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:日々の出来事

今日、やっとこさ初詣に行った。妻が風邪をこじらせていて、正月からずっと寝込んでいた。ようやく外に出られるようになったので、毎年行っている弘明寺へ初詣。身代わり地蔵の頭をなでて、自分の身代わりに鬱になっておくれ、と手を合わせる。毎年同じことを書いているような気がする。

おみくじをひくと、今年は吉。

おみくじ

吉だが、書いている内容は大吉でもよさそうな大盤振る舞い。何もかも全てうまくいくようなことが書いてある。去年は大吉だったけど、けっこう大変だったぞ。ちなみに妻は凶。ちょっとへこんでいた。私は2006年、2008年、2010年と隔年で凶が出ていたので、去年(2012年)も出るかも、と思ったが大吉だった。今年も吉だったし、どうやら引きが弱くなったようだ。そういう問題ではないか。

 その後、メンタルクリニックに移動。今年最初の通院。いよいよ減薬がスタートする。診察で主治医と話した結果、ノリトレンを1日100mgから70mgに減らし、寝る前に飲んでいたデパス細粒3mgを、錠剤2mgに減らしてくれた。まずはこれで調子がどうなるか、様子を見ていこう。焦らないように気をつけなければ。

デパス

今まで寝る前に毎日飲んでいたデパス細粒3mg3mgというと1日のMAXである。それを錠剤でなく、細粒で飲んでいたというのが怖かった。闇で売りさばいたら高く売れるかもしれない危険な薬だった。やっとこさ、こいつからおさらばできる。しかし、デパスは依存性がある。そう簡単にいくのだろうか。

自分が風邪をひいたあと、妻がノロにかかって、その後また風邪をひいて、今夜になってようやく落ち着いた。自分も風邪は治ったのに今ひとつ調子が出ない。気がつけば今年も残すところあと一日。大掃除も何もやっていない。

思い返せば、年末年始はいつも調子を崩している。今年の場合は、年始から年末まで、という感じだが。まあ、要するにコンスタントに調子が悪かったのだ。

それにしても今年は慌ただしかった。県営住宅の抽選に当たって引っ越したものの、手続きやらなんやらが煩雑で、書類を山のように提出して、さらに、今では当たり前に備えつけられている類のものが片っ端からないので、自腹で風呂を設置したり、網戸は自分で作ったり、もう大変だった。

その頃は必死で何とか引越しまで終えて、その後の新生活の準備で足りないものを買ったり、まだ今より元気だった。一段落して新しい環境に慣れたらまた職探しを始めようと思っていたのに、その後はずっと調子は悪いし、挙げ句の果てに自殺未遂もしたりして、散々な一年だった。来年は少しでも事態が好転することを願う。

一年後の自分は、いったいどういう生活を送っているのだろうか。まるで見当がつかない。自殺未遂の発端となったあの日から、今でもまだ自分の精神状態は不安定だ。また希思念慮に襲われたらどうしようか、自分を見失って何かやらかさないか、今から不安である。

とにかく、一日一日を大事に過ごす。それで精一杯なのだから。

前々から、貯金はあと数ヶ月しかもたない、と書いてきた。貯金がなくなったら、もうあとは生活保護に頼るしかない、と書いてきた。

改めて生活保護について調べてみた。現金や貯金を全部集めても10万円以下にならないと申請できない、それは前から聞いていた。人生綱渡り状態。だけど、先日うちに来てくれた友だちから、実は前借りもできると教えてもらった。まだ調べつくしてないことがある。

それで、改めていろいろ調べてみると、高価な宝飾類や車、不動産などは売却指導が入る、つまりそれらを売っぱらって、それでも金がなければ、ということは知っていたのだが、貯蓄型の生命保険に入っていると、それを解約しなければならないこともわかった。

それで、私はもう生命保険は解約してしまっているのだが、妻の方の保険はまだ解約していない。いま解約すると、いくらくらいの解約返戻金が戻ってくるのか妻が問い合わせた。

すると、

あと1年くらいはしのげるくらいの、予想よりかなりいい金額が返ってくることがわかった。

経済的な面でプレッシャーを感じていたので、少しだけ肩の荷が下りた。しかし、私と同じく妻も病気を抱えているため、保険は解約すると二度と入れない。これは最後の最後にとっておく手段である。その大前提としては、何らかの理由で障害年金の支給が停止されないことであるが、これはまあ大丈夫だろう。

そして、「これで最後の大きな買い物」として、二人して欲しがっていた(いや自分だけ?)iPadを買ってきてしまった。贅沢である。むっちゃ贅沢である。だけど、どうしてもほしかった。以前の自分なら発売されたら真っ先に飛びついていただろうが、今では喉から手が出るほどほしかったのに、こんなの贅沢だから、とずっと我慢していた。しかし、まだ経済的な猶予が多少生まれた、ということで、つい誘惑に負けてしまった。

買ってきてさっそくいじくり回す。おもしろくて仕方がない。買ったからには使い倒す。大事に大事に使い倒すのだ。

昨日は友だちのホームパーティーへお誘いを受けていたが、ノロにかかった妻一人を残して旅立つわけには行かないので、やむなく欠席した。本当に久しぶりの人ばかり来る予定だったので残念だったが、少しだけだがSkypeのビデオチャットでみんなとやり取りした。懐かしい山の仲間たちの顔ぶれが液晶モニタの向こう側に並ぶ。同時にその小さなお子様たちも。

私が山岳会で実質的に活動していたのは、もう10年くらい前のことだ。あれからみんな変わってないように見えるが、あの頃はみんな独身だったのに、今はみんな結婚して子持ち。ほとんどが山岳会の仲間どうしの結婚。合唱団もそうだが、サークルって結局出会い系になるんだよな。

昔は山に登って火をおこしてご飯を炊いていた仲間たちだが、今では子ども連れのホームパーティー。Skypeで話す友だちの声よりも、その後ろで高周波を発生させるギャングたちの声のほうがうるさいくらい、元気な子どもたちだった。

またいろいろイベントにも声をかけてもらいたいし、家にも遊びに来てもらいたい。せっかく人様をお呼びできるくらいのところに引っ越せたのだから。

先日ひいた風邪はすっかりよくなった。医師は勝手にノロだと決めつけてたが、結局ノロではなかった。

しかし、事態は思わぬ方向へ。

昨晩、妻がいきなりトイレで嘔吐した。その後もトイレを行ったり来たり。

「間違いなくノロ」

彼女はそう言いきった。実は2006年にノロが大流行したときにも、妻はノロにやられているのだ。そのときと全く同じ状況であった。

私が風邪をひいたときには、妻は一生懸命看病してくれたが、自分は今何もできない。熱を出して寝込んでいるわけでもなく、要は食中毒のようなものだから、ノロには太刀打ちできないのだ。

今日になってもまだ症状は続いている。あまり続くようだと、病院へ行って点滴をうってもらわなければ。前回も2日目の夜になってから、マーライオンのようにがばーっと嘔吐してしまい、妻はそれですっきりした、と言っていたが「いやいやいやいやダメダメダメダメ」とタクシーを呼んで夜間急病センターに連れて行った。そこで点滴を受けて回復した。出すものを出しても、今度はすぐに常食を食べられるわけではないので、点滴で栄養補給しなくてはいかん。

そして自分は必死に手を洗い続けるのであった。ノロウイルスにはアルコール消毒も効かない。ひたすら石鹸と水で手を洗うしかないのだ。ただひたすらに。ひたすらに。

と昼間にここまで書いたが、夜になって落ち着いたようだ。とりあえず一安心。とんだクリスマスイブになった。