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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:日々の出来事

昨日は22時に寝た。相変わらずロシアの教会音楽をかけている。すっと眠れたような気がする。ほとんど音楽を聴いたのを覚えていない。夜中もよく眠れて朝方薄明かりがさす頃に目が覚めた。5時台だったか。それからまた寝て7時の目覚ましで起きたが、「もうちょっと」と寝てしまい、7時半に起床。疲れはあまり残っていないが、まだ左胸が痛い。なんなんだろう?

「疲れはあまり残ってない」と書いたのだが、PCに少し向かっているといきなり疲れが出てきた。今日は頑張る必要はない。いそいそと布団に向かう。2時間半くらい横になった。う~ん、やはりかなり無理をしていたような感じ。まあ休みの日だから存分に休もう。まだまだこれからだ。

起きたあとはこの前から妻に借りて読んでいた本を読んでいた。昼過ぎに帚木蓬生「閉鎖病棟」読了。

閉鎖病棟

昭和40年~50年代くらいの精神科病院を舞台にした小説。去年くらいに映画でやっていて見たいと思っていたのだが、妻が原作を買ってきて読んでいたので借りて読んだ。

暗い。暗いよ。そして悲しいよ。

昔の精神科病院てのは、こういう感じだったのかな。小説に出てくるのは、昔のイメージそのままの「精神病院」という感じなのだが、この作者は作家兼精神科医なので、プロなのだ。多分当時の病院のイメージ通りなのだろう。

それにしても暗い。そして悲しいよ。

映画ではこれをどう映像化してるのだろう。主人公は30年入院している患者で初老の男性なのだが、なぜかその役を綾野剛がやっているので、だいぶ原作にメスが入っているはずである。しかもWikipediaによると、「精神科治療を取り巻く環境を出来るだけ現代に近づけるため、時代設定を2006年 – 2008年に変更している」とのこと。精神科の入院環境は昔と今ではがらりと変わっているから、これは相当手が入っているんだろう。ちなみにタイトルは「閉鎖病棟」だが、舞台は開放病棟である。「なんで閉鎖病棟?」と思っていたが、それは読み進めていくとわかる。

笑福亭鶴瓶が演じる役柄が興味深い。死刑執行に失敗した元死刑囚。絞首刑になったのになぜか絶命せずに息を吹き返した。「死刑は二度執行できない」という法律により放免されたのだが、名前もなく戸籍もない、何者でもない人間となって、精神科病院に拾ってもらって暮らしていた。一番のキーマンである。

暗いよ暗いよ悲しいよ。

それは置いておいて、なんだかしんどいから今日は家でじっとしていた。昼過ぎからまた録画した「東大王」を見ていた。あまり好きではないコーナーを飛ばして見ていけばけっこう消化できる。やっと今年の1月分くらいまで来た。頭を使うのは楽しい。4回分くらい見たら夕飯の時間になった。明日の体調はどうだろう。無理はしないでおこう。来週から1ヶ月くらい予定が立て込んでいて忙しくなるのだ。

昨日は21時半に寝た。前の日がぜんぜん寝付けなかったので不安だったが、昨日はすぐに寝付けたようだった。朝は7時の目覚ましで目が覚めたのだが、寝ぼけて「その手には乗るか」などと思って止めてしまった。7時20分になって「おお、そうだ起きなきゃ起きなきゃ」と眠い目をこすりまくって起床。疲れは若干残っているが、昨日ほどではない。昨日はあの状態から体が動いた。今日はじゅうぶん大丈夫だろう。それはそうと左胸が少し痛む。心臓?いや、肋間神経痛かな。しばらく出てなかったのに。

少ししんどいながらも8時40分に家を出て作業所へ。途中セブンイレブンでお昼ご飯を買おうとしたら、麺類がの棚が空っぽだった。そう言えばいつも通勤してるときにちょうど補充しているところだったっけ。この時間だと麺類が買えないなあ。ラーメンが食べたいのに。しかたがないのでローソンで買った。

出勤して一息ついてから仕事に入る。今日もマスクの箱。もうこの仕事は私が卒業するまで続くのではないのだろうか。なんとか疲れないように気をつけていたら、疲れてはいるがそれ以上疲れが溜まらないような感じで仕事ができた。

今日のお昼ご飯。ローソンのコク旨味噌ラーメン。寒くなったらみそラーメンがうまい。急に涼しくなったが、もう少し厚手のシャツを出さなければ。

コク旨味噌ラーメン

午後も同じ調子で仕事をする。単調な作業なので、昨日も今日も音楽をかけておしゃべりをしながら仕事をしていたが、そのせいか気楽にできてあまり疲れは溜まらなかった。やはりこういう風に適度に息を抜かないと自分は過集中になってしまう。それにしてもCDをかけてもいいというのは緩い職場だ。来年からそうはいかない。こんなに喋りまくって仕事もできない。

今日はちょっと驚いたことがあった。私の隣で50代の若年性認知症の人が、私と同じく両面テープを貼る仕事をしていた。この人はかなり病気が進んでいて、教えたことはきちんと几帳面にできるのだが、それ以外のことは決まりきった日常的なことしかできないという。だから仕事についてもひとつひとつ一から教えないといけないし、機転が利くということもない。

と、思っていたのだが。

その人が手元のテープがなくなったので取りに行った。私ももうすぐテープがなくなるところだったのだが、戻ってきた彼が「どうぞ」と私の分もテープを渡してくれたのだ。

びっくりした。

ちゃんと私のテープがもうすぐなくなりそうだという周りの状況がわかって、それで私の分も持ってきてくれるという臨機応変なことができているではないか。ボスはその時外出してその場にいなかったので、戻ってきた後、終業後にそのことを話すとめっちゃびっくりしていた。

人間の脳は捨てたものではない。回復力は捨てたものではないと思う。

私もまだまだ回復できる。自分が信じなければ誰が信じる。

昨日は21時半に寝た。比較的早く寝つけたと思う。昨日は夜中はあまり目が覚めなかったが、5時頃に一度目が覚めた。必ずこれくらいの時間に目を覚ますような気がする。7時の目覚ましが鳴ったが、まあいいやもうちょっと、と思って7時20分に起きた。8時45分に家を出ようと思ったら、7時に起きたら時間を持て余すことが多い。必要以上に早く起きるよりも、少しでも睡眠時間を確保したほうがいいのか?よくわからない。

体調は十分に回復していない。しかしこれくらいで休むわけにはいかない。先週よりも5分早く8時40分に家を出た。9時15分ぎりぎりに着いてすぐに仕事に入るのはせわしない。やっぱり一息つかないといかん。ここで休まないと朝一番にミスをしたりするかもしれない。いや、この前ミスしたよ。

今日の作業はマスクの箱の両面テープ貼り。まだまだ大量にある。作業をしながら考える。疲れないようには当たり前だが、最初から疲れてるときに仕事をしながら「逆に疲れを抜く」ことはできないか。疲れている時に、体を動かすと疲れが抜けることが多い。それを仕事でやるのだ。体中の力を抜いて、自然体で手を動かす。時々腕をぐるぐる回したり席を外してストレッチをしたりする。ずいぶん体が固くなってしまった。

そして午前の仕事が終わった。疲れ具合はあまり変わってない。前よりも早く仕事を始めているのに、昼休みが来るのが早くなったような気がする。なぜだろう。

今日のお昼ご飯。セブンイレブンの「とみ田監修豚ラーメン」。もやしがたっぷりに、分厚いチャーシュー。これは二郎系に近い。にんにくたっぷりだったから臭ったかもしれない。でも誰も気にしてないようだった。マスクのおかげか。でも次は気をつけよう。

とみ田監修豚ラーメン

午後も午前と同じく、できるだけ自然体で仕事をするように気をつける。ときどきストレッチをする。やはり体が固い。午前中と変わらない。当たり前か。そのおかげか、終わったときも疲れが抜けるというわけではなかったが、朝来たときと同じくらいの疲れ具合であった。それでいい。低めでも安定していればそれでいい。

お買い物をして帰ってきた。途中で散髪をしようと思っていたのに忘れてた。明日の帰りに行きたいところだが、明日は大雨の予報。台風は東の方にそれるようだが、それでもけっこう雨が降る予報。こういうときは調子を崩しやすい。「調子を崩しやすい」と予め自分で予測を立てていると、それを回避できないだろうか。心の準備をしておくだけでかなり違うかもしれない。

などと上の文を書いていたのは夕方なのだが、その後ぐったりして夕食まで1時間あまり横になってしまった。いかん、思った以上にダメージが残っている。大丈夫か?自分。

昨日は22時に寝たのだが、なかなか寝つけなかった。なかなか眠れないな、と思って時計を見たら1時間15分経っていた。あれ?音楽を1時間で切れるようにしてタイマーをセットしていたのだが、いつの間にか切れている。切れたのを覚えてない。どうもいつの間にか眠っていて、また起きたみたいだ。しばらく横になっていたが、眠れないのでいったん起きてコーンフレークとお菓子を食べてしまった。ほぼ確信犯的に食べてしまった。いかんなあ。

夜中はつらかった。頻繁に目が覚めて、そのたびに時計を見て「まだこんな時間か」と思う。浅い眠りのまま朝になったら、なんだかだるさが残っている。残っているというか、眠れなくてだるくなった。7時に目覚ましをセットしていたが、6時くらいに「少しでも体を休めるために今日は8時まで布団の中にいよう」と決めて目覚ましは止めてしまった。予定通り8時に起床。頭がぼんやりしている。

10時過ぎになって、ちょっとしんどいと思って横になった。まだまだだなあ。まあ、4月まであと半年あるからゆっくりやろう。12時過ぎまで横になってからお昼ごはん。その後、この前も調べたが、会計年度任用職員の休暇制度についてまた調べ始めた。病気休暇というのが20日取れるとあって、おおこれが使えるのか、と思ったけど、それってどういう時に使えるの?とふと思った。よく考えたら「病気休暇」というくらいだから「病気です」という証明を出さないといけなくて、つまり「診断書が必要」なんだろうか。つまり休職の一歩手前というか、休職までいかないけど病気のためにある程度の期間休む時のためのもの?そうすると「今日ちょっとしんどいので休みます」というような場合に使う、ということはできないよなあ。そう思って調べてみたが、よくわからない。国家公務員の場合は、とある解説サイトには、

休職期間の内、始めの90日は病気休暇扱いになります。この休職期間が1週間以上となると、医師による診断書の提出が必要となります。

と出てきた。90日というのは正規の公務員の場合だろう。上のを読むとやはり休職の一部みたいだが、診断書が必要となるのは「休職期間が1週間以上」と書いている。つまり1週間までは自己申告で「しんどいから休みます」が通用するってことなのかな。でも地方公務員の場合は条例で定められてると。横浜市の条例を探して、「横浜市一般職職員の休暇に関する規則」「横浜市一般職職員の休暇に関する条例」を読んでみたのだが、よくわからない。「病気休暇」は当然出てきて(やはり一般職員の場合は90日)、

病気休暇 職員が負傷又は疾病のため療養する必要がある場合

としか書いてない。まあいいや。「横浜市会計年度任用職員の勤務時間及び休暇に関する規則」によると、

会計年度任用職員の病気休暇の単位は1日又は1時間(取得時間が1時間を超える場合にあっては、15分)とし、夏季休暇の単位は1日又は半日とし、これら以外の特別休暇の単位は市長が別に定めるものとする。

と「1時間を超える場合には15分単位」と書いてあるから、そんなに細かく刻むくらいなんだったら、会計年度任用職員の場合は診断書をいちいち持っていく必要があるものではないのかな、もっと緩いのかなあ。まあいいや。「まあいいや」ばかりである。

その後、なんかしんどいなあ、もやもやしていると思いつつ、少しは体を動かさないといかん、歩かないといかんと思ったから、14時過ぎに家を出て大きな公園まで行って2周して帰ってきた。40分くらい。これは2年前に私が復調するきっかけとなった散歩ルート。しんどいけど少しずつ外に出られるようになってきて、この公園まで行って2周して帰ってくる、というのを続けていくうちに回復してきて作業所への通所までつながった。私の回復の原点でもある。この公園を通り抜けることはあっても、ここに歩きに来るのは久しぶりかもしれない。

今日は休日で暑くもないから人がいっぱいいた。真夏は休日でも人が少なかったけど、今日くらいの気温だとちょうどいいのかもしれない。子どもたちがいっぱいいてダブルダッチとかやっていた。回すのは大人がやっていたが難しそうだ。写真では人がいるのがぜんぜんわからないな。

公園

赤い花が咲いていた。なんて花だろう。自分は花のことはさっぱりわからない。

赤い花

帰ってきてからはゆっくり休む。今日も去年の「東大王」を見ていた。日常生活の中でこれを見て答えを考えるのが、一番頭を使っている気がする。

それはそうと、今日で父親が亡くなってちょうど半年経った。容態が急変したと思ったらさらに急変して、あっという間に逝ってしまった。臨終にぎりぎり間に合ったという感じだった。それから事後処理に明け暮れて、相続をどうするか借金をどうするか家をどうするか大変で、相続放棄の手続きをしたり私物の整理と粗大ごみを大量に出すのを手伝うのに大阪に行ったり、公務員の試験があって面接があって合格して、怒涛の半年だった。

今からの半年はどんな半年になるのか。順調に体調調整はいくのだろうか。そして来年の4月からはどんな1年になるのか。あまり先の話をしても鬼が笑うだけだからやめておこう。とりあえず明日からの3日間、しっかり働くべし。

昨日は22時に寝た。新しくダウンロードしたロシアのValaamという地方(島)の聖歌を聴きながら寝た。YouTubeにまるごとアップされている動画の音声をダウンロードするのに四苦八苦していたが、ソフトを入れなくても動画変換サイトでできるので最近ダウンロードしまくっている。そしてタイムテーブルが載っている場合は音楽編集ソフトで分割してIDタグの曲名を設定すればCDと同じものができあがる。便利だ。そうやって昨日ダウンロードしたアルバムを聴いていた。低音がずんずんと響いて気持ちいい。しばらく聴いていたが、何分くらいだったろう。わりとすぐに寝つけたような気がする。朝は7時に目覚ましで起きたが、もうちょっと、と思ってまた寝たら7時40分。

今日は10時から某福祉施設のプログラム。行ってみると参加者は4人。メンバーは顔なじみのベテランばかり。まずはいつもやっているチェックイン。今日呼ばれたい名前とともに、ちょっとしたお題について話す。今日のお題は「最近決断したこと」ということだった。私は「これはあまり広めてもらいたくない話なのですが」と前置きした上で(「この場の話はこの場限りで」というルールがあるので大丈夫なはずだが)、公務員試験に合格したことを話し、来年までの体調の調整のために作業所の勤務時間を漸増させ、それ以外の時間を漸減させていくつもりなので、リカバリー系のプログラムも10月で参加を終わりにすることにした、という話をした。みんな「おめでとう」と言ってくれたが複雑な気分。ここでの仲間と離れるのは寂しいのが本音。3月ぎりぎりまで出てもいいのだが、それでは訓練にはならない。

そして本題に。今日のテーマはキーコンセプトの1つ、「個人の責任(主体性)」ということだった。いろいろ話が出たが、どうも自分が話した内容というのがちょっとピントが外れていたような気がする。「自分の責任でないものまで引き受けてしまって負担が増えてしまっている。どこまでが自分の責任かちゃんと見極めて、ここから先はノーと言えるようにしないと潰れてしまう」みたいなことを話したが、これはどちらかというとセルフアドボカシーの話だった。

もともとの英語は「Personal Responsibility」となっているので、それを直訳して「個人の責任」となっているのだが、どうも日本語では「責任」という言葉が強すぎて、それに引っ張られてしまっているような気がする。それであえて5つのキーコンセプトのうち、これだけに「主体性」というサブの言葉が付け加えられているのだと思う。要は「自分の行動、選択には自分で責任をもつ」ということで、私が話したような内容もWRAP全体では必要な考え方ではあるが、終わってから、もうちょっと手前の話をするべきだったか、と思った。

終わってから「おなかがすくだろうから、いつもの中華料理屋に行こう」と思っていたのだが、いざお店の前に行ってもおなかがすいてなかったので帰ってきた。無駄なお金を使うことはない。

帰ってきたら、最近はまっている作業に。またYouTubeでロシアの教会音楽のベスト集みたいな動画を見つけて、それの音声だけをダウンロードし、それを聴きながら曲と曲の切れ目を探していき、音声編集ソフトで分割して分かる範囲で曲名や演奏者を調べてタグ付けし、iTunesに取り込んで聴いていた。なかなかご機嫌である。CDを買わなくてもすむ。全部の曲名が書かれていたらいいのに、一部しか書かれていないので曲名が「Track05」とかになってしまうが、まあこういうアルバムで曲名なんて見ないからいいや。

妻がちょっと離れたところのホームセンターにバスで行きたいと言うのでついて行きたかったのだが、疲れを感じていたので自重しておいた。今日の疲れを明日に残さないこと。ちょっと疲れを感じているので要注意だ。

そういうわけで、今日ものんびり「東大王」の去年の分の録画を見ていた。一部のコーナーはあまりおもしろくないので飛ばして見るようにしたらペースが上がった。好きなところだけ見ればいい。東大生を含めた解答者よりも先に答えがわかったら気持ちいい。

光ちゃん

やっぱり光ちゃんがかわいい。今何年生だっけ?いずれ卒業しちゃうんだよなあ。