TOPに戻る
鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:カウンセリング

また昨日も寝付きは悪かった。寝付けなくて時計を見ると22:00だった記憶がある。なんで寝付きが悪くなってしまったのかな。夜中はけっこうよく眠ったと思うが、何回か半分目を覚まして、また布団が1枚はがれてるな、と思って直したりした。5:30頃に目が覚めて、うつらうつらの状態だったが、伸びをして起きると6:00ちょっと前だった。

洗面をすませて着替えていると「脈を計りますので後で来てください」と言う。着替え終わってから計りに行くと、脈拍は80くらいだった。おんや~、朝一番は低いのか。それから上がっていくのかなあ。看護婦は「気にしない方がいいと思いますよ」と言う。「運動とか少し体を動かすと、上がったりするのは当たり前だから」いや、当たり前だけど、エアロバイクにまたがってしばらくじっとしてても下がらないし、昼間に自分で計っても100を超えてるんだけどなあ。なんか納得いかない。そういやジムに通ってた頃は、ストレッチしてエアロバイクやろうとしたときでも78とか80台とかだったけど、起きたばかりで80というのはやはり自分としては高い。

朝食後、昨日珍しくアルコール科の開放病棟から移ってきた患者からいろいろと話を聞く。アルコール科はいろいろとプログラムがあってスケジュールがびっしり埋まっていて忙しいらしい。その代わり夜は22:00まで起きていてもよかったり、入浴日以外でもシャワーは時間内なら自由に浴びてもいいなど、プログラムの時間外での行動は自由度がここよりも高いようだ。病棟内に患者で構成する自治会や班があって、ミーティングなどを毎日やっているらしい。精神科とはかなり様子が違って「脱アルコール」のために厳しく自己管理ができるようになるための訓練、という感じがする。「半分刑務所ですけど」彼はそう言ったが、聞いていると確かにそれに近いものがある。

さっさとシーツ交換を済ませ、オカリナを吹きに行く。今日は誰にも会わなかった。いつものレパの他、30分くらい自分の好き勝手に吹いたりビートルズのナンバーなんかを吹いた。

病棟に戻ってくる。どうもまた風邪っぽい。咳が出てきたし、鼻もつまってる。やばいなあ。病棟でも風邪がはやってるので、うつったのだろうか。風邪ひいてばっかりだと嫌だなあ。

看護婦のSさんが来て、昨日I看護士に言われた「今日10:00の件」をもう一度伝えに来た。どうやらカウンセリングでなくて、心理テストらしい。何をやるのかちょっとどきどきわくわくだ。

「環境整備」で雑巾掛け。うっかり窓のサンに手を出してしまったのが運の尽き、またまたやり出すと止まらない。うわ~ん、いくらやっても細かいところが気になるよう。婦長さんが来て「やり出すと止まらないんですよ」そう言うと「じゃあ、私がやめてって言うことにするから、やめていいですよ」そう言われてやっとやめられた。自分ではやめられない、というのは依存症になりやすい性格を如実に現しているのだろう。

10:00から心理検査、ということで指定されたいつものカウンセリングの場所に行ってみると、いつものカウンセラーでなく女性の心理士が現れ、ロールシャッハテストをやった。なんと3時間半もかかった。10枚のカードがあるのだが、それを見て「何に見えるか」と言うのを自由に言っていく。1枚のカードにつき10個くらいは答えただろうか。10枚全部答え終わった時点で11:10。

これで終わりかと思いきや、「では最初に戻って、なぜそう見えたのかを説明してください」と言う。うっひゃ~、覚えてるかな。というわけで一つ一つ説明していく。ほとんど覚えていたが、2つか3つ「何でそう見えたんだっけ?」と思い出せないものもあった。かなり細かく「どの部分がそう見えましたか」「なぜそう思ったのですか」というのを突っ込んで聞いてくるので、私も自分の思考プロセスを思い出しながら、どの部分がどう見えて、その結果こういうイメージを持ち、その次にここの部分がこう見えたので、全体としてこのようなイメージを持った、ということをできるだけ細かく説明していく。覚えている限りの思考のプロセスは説明した。最後まで説明したら、13:20だった。

それでやっと終わり、かと思ったら「次は自分の一番好きなカードを選んでください」と言う。その後は一番嫌いなカード、そして自分のイメージに合っていると思うカード、自分の母親のイメージのカード、父親のイメージのカードを選ばされた。全部理由を説明させられた。それが終わったら13:30だった。病棟に戻ってやっとメシにありつけた。普通は1時間しか食事はとって置いてもらえないが、心理検査を受けに行っていることは看護婦は知っているので、ちゃんととって置いてくれた。

昼食の後、入浴を挟んで日経コンピュータを読み、16:00からはリラックス体操と自律訓練法を行う。外泊中はやらなかったし、昨日は16:00からHさんと歌を歌いにいってやらなかったので、少し久しぶりだ。やると本当にリラックスして気持ちがいい。自律訓練法で休めた後、脈を計ってみる。84だった。うむ、異常ではないが自律訓練法をやった後にしてはやはり速いような気がする。

日経コンピュータを読み続ける。一冊読み終えて、バックログ、ではなかったバックナンバーを取り出して読む。小さな記事に目を通したところで、交代した看護婦が「お変わりありませんか」とまわってきた。隣のベッドのSさんがいきなり「看護婦さんはどうやってストレス発散しているんですか?」と尋ねる。その看護婦は「私の場合はね~、思い切り大きな音でエレクトーンを弾くことかな」なんて言っていた。なんか趣味を持つことは大事なのだろう。「いい意味でのめり込めるものがあるといいのかもね」その看護婦は言っていた。後からSさんに「なんで看護婦にストレス解消法を聞いたんですか?」と尋ねると、「いや、自分の担当看護婦だから」とのこと。私も自分の担当看護士に今度聞いてみようかな。看護婦もストレスのたまる職業だろう。三交代で時間も不規則だし、自律神経失調症になったりしないのだろうか。Wさんは以前看護婦でうつ病になってやめた人を知っているらしい。

Wさんは睡眠障害もすっかりよくなってもう退院のめどが立っているという話だ。Sさんが「退院の予定は決まったんですか?」と聞くと、Wさんは「いろいろあって女房と別居することになったので、今から家を探すんです。家が決まったら退院かな」と言っていた。Sさんは「悪いこと聞いちゃったなあ」と言って「自分も心配になってきた。よけい鬱になりそうだ」と言っている。独り身の私はそういう心配はないが、やはり所帯を持っているとそういう心配はどうしてもあるのかもしれない。実際に入院患者で離婚した人はものすごく多い。病気に対する理解がどうしても相手に足りないのか、理解はしてもやはりそうせざるを得ない選択をせまられる何かがあるのか。配偶者に「健康」を望むのは当然かもしれないが、病気だから別れる、と言うのは同じ病気を持つ人間としては聞いていてとてもせつない。

連絡会の後、昨日アルコール病棟から移ってきたQさんから魚のさばき方の話などを聞く。元は魚屋だったらしい。が、今は入れ墨を入れてなにやらどうも怪しい。

メールチェックすると、退院したKさんからメールが来ている。朝にも来ていて「今日、会社で面談して復職する日を決めます」とあったのだが、その結果「11/1から復職が決まりました」とある。「無理しないように用心してください」と返事を出した。

日経コンピュータ10/8号の特集記事「構造改革、待ったなし!」を読み始めた。読み始めた一番最初の「総論」のリードにいきなり「真面目なエンジニアほどうつ病など心の病に陥る」と書いてあって、お~いおいおい、と思った。やはりこの業界はそういう傾向があるのか。う~ん、深刻な問題だ。今から記事を読むところだが「構造改革」によって、そういう風に心の病にかかる人が少なくなるのだろうか。

読んでいるうちに20:00を過ぎた。便通の回数だけ記録してタバコを一服吸ってから病室に戻ってきた。ぼちぼち就寝準備をして、寝るまでまた続きを読もう。

けっこうよく眠れた。夜中目が覚めることもなかった。だが、寝起きは悪かった。目が覚めると、7:30だったろうか。「けっこう寝たな」そう思いつつ、また寝てしまった。ゴミ回収車の音が聞こえてきた。しまった、またゴミを出しそこねた。そうやって朝起きれずに出し損ねたゴミの袋が2つもある。次の外泊のときには出せればいいが。そう思いつつまた寝てしまった。また強迫観念にかられた夢を見た。起きないといけないけど、えいやっと起きたと思ったら周りの景色が動かない。あれ、おかしいな、起きろ、起きろ、そう思っても目が覚めない。

結局9:30過ぎに起きて、買っておいた菓子パンを食べ、メールチェックなんぞやりつつ、この日記を書いている。いかん、また寝たくなってきた。いつものパターンだ。ここで寝てしまうと、そのまま鬱に入ってしまうのだ。なんとかふんばらねば。そうだ今日は会社に顔を出すのだ。メールサーバにたまっているであろうメールを吐き出させたいし、医療費の領収書も一部会社に置いてあるような記憶があるので取ってきたい。なんとかふんばらねば。

会社に行ってメールを受信する。200数十件あった。3ヶ月弱にしては少ないが、業務上のメールがなく、全社員同報や部門、部室同報などの連絡や通達などだからだろう。セキュリティ関連で、IEをVer5.5にアップデートしてくださいというメールがあったのでVerUpする。

同じ部室で本部長の秘書をやっている女性と昼食に行く。いろいろ最近の会社の状況など、話をする。うちの部室に新しく一人異動になってきた人がいるらしいが、まだ着任していないらしい。私が「まだまだかかりそうです」と上司に連絡したため、その補充のために異動になったのであろうか。昨日の試験の話などもした。久々に会社の近くのお気に入りのお店でおいしいパスタとパンをいただき、彼女と別れる。

あらかじめインターネットで調べておいた時間どおりに電車に乗り、一回乗り換えてまた電車に乗る。運良く座れたのでこれを今書いている。実はけっこう疲れている、というのが今になってじわじわわかってきた。やはり今朝鬱に入りそうだったのが影響しているのか、調子がいいとは言えないようだ。だが、予想していたほどではない。外泊する前は、試験で疲れ果てて次の日はもっと調子が悪くなることを予想していたのだが、だんだん慣れてきつつある、というところか。しかし、毎日仕事をする、というレベルにはまだまだほど遠い。

帰ってきて一服してから、すぐにカウンセリングに行く。今回は私や家族のことについてカウンセラーの方からいろいろ聞きます、ということだったが、家族の話だけで終わってしまった。「大変な家族ですねぇ」カウンセラーに言われてしまった。自分の家族、それも祖母にいたるまでいろいろ根ほり葉ほり聞かれて、それに一つ一つ答えて言ったり、抱えている問題点を話したりしたのだが、それにしてもこんなに問題だらけの家族も珍しいのではないか。

帰ってきてからゆっくりお風呂に入らせてもらい、部屋の人と話をしたりしているうちに夕食になった。夕食後、タバコを吸ってると、今頃ぐわ~っと疲れが出てきたような気がした。ゆっくり休もう。

夜は送られてきたばかりの日経バイト9月号の特集1「ブロードバンドのへき地をなくす」を途中まで読んだ。ADSLにしろFTTHにしろ、都心部や県庁所在地などはいいが、それ以外の地域への導入はなかなか困難なようだ。集合住宅、特にマンションにおける新しい線の引き込みについての記事はおもしろかった。「最後の関門は住民総会」とあるが、マンションの場合、住民の4分の3が賛成しなければ新しい線を引けないらしい。いろいろ工事が入るからで、住民の「共有物」である建物に新たに工事を入れるということは、その費用を管理費などから捻出する必要があり、インターネットを利用しない人にとってはちっともメリットがない。既設のマンションの住人で「インターネットを利用している」人が4分の3もいないのがほとんど、というのが現在の状況らしい。

19:30から、閉鎖病棟から戻ってきたS君と卓球をした。少し疲れていたが、神経の疲れとバランスを取るには適度に運動をした方がいい。少し汗をかいてきもちよかった。

20:00で卓球は終わり。私は着替えて日記を書いている。この後洗面をしてから、また記事の続きでも読もう。

割とよく寝た。途中うつらうつら目が覚めたときはあるが、まあよく寝た方だろう。一回だけ時計を見たら4:30だった。そのときアイマスクがはずれていなかったので、割とお行儀よく寝ていたに違いない。しかし、2枚かぶっていた布団は1枚しかない。もう1枚は横の方に追いやられている。しかも、靴下を履いていたのにいつの間にか脱げている。いや、自分で脱いだのだろうが記憶にない。起床後に探すと、床に落ちていた。それも頭の辺りに。少し喘息気味だ。

S君が今日もおかしい。朝、ホールの窓から飛び降りようとしたそうだ。狂言か本気かわからないが、ずっとおかしい。今はナース室で保護されている。あまり調子が悪いと、特に希死念慮が出てくると、閉鎖病棟に移されてもおかしくはない。

朝食後、ドリッパーで朝のコーヒーをいれて飲んでから、散歩に行っていつものごとく音楽堂でオカリナを吹く。今日も10月中旬だというのに暑くなりそうだ。病棟に帰ってきたら少し汗ばんでいた。風邪が治りきってないせいか、単に暑いからなのかはわからない。作業療法はどうしようか。とりあえず様子を見ながら、行くだけ行ってみよう。調子がよさそうでも1セットでやめておいた方が無難だろう。

作業棟へ行ってとりあえず基礎データを計った後、体力テスト。また途中で打ち切られたが、「6段階中の2。やや劣る」が出た。1が出ると思ったが、病み上がりにしては思ったほど調子は悪くない。たばこを一本吸ってからもう一度やると、今度は「6段階中の3。普通」が出た。お、いいじゃないか。漕いでいると、先週退院したMちゃんが来た。作業療法のために月木と通うらしい。少しピアノを弾いた後、陶芸の方へ行ってしまった。「病棟に顔出すの恥ずかしいから、一緒に来て」というので、11:00に一緒に行く約束をする。

終わった後、陶芸室へ行ってMちゃんが終わるのを待つ。今度は大きな灰皿を作っていて、退院したKさんにあげるつもりだという。みんないろんなものを作っていて、作業療法士の人が作ったオカリナまであった。私が持っているオカリナも、同じように陶器でできたもので、職人の手作りだ。私も自家製のオカリナを作ってみたいものだが、正確なピッチを出せるようなものを作るのは無理だろう。

Mちゃんが11:00少し前に終わったので、一緒に病棟へ戻る。住宅展示場でもらったというHONDAのロボット「アシモ」の人形をS君へのおみやげに持ってきていたが、S君がふらふらと作業棟に現れたときにあげようとしたら、いらないと言われたらしい。代わりにUさんにあげていた。Uさんは摂食障害が回復してちゃんとご飯も食べられるようになり、今月末退院予定だという。MちゃんはK君にも会いたいと言っていたので探したが、今日から外泊で、もう出かけた後だった。ほんの少しの間病棟にいただけでMちゃんは帰っていってしまった。

これを書いているうちに、寝ているS君の主治医が来て「ちょっと話したいんだけど」とS君に言い、面談に行ってしまった。と思ったら看護婦さんと戻ってきて、荷物をまとめ始めている。閉鎖病棟に移るのだろうか。彼は今朝、窓から飛び降りようとした。そういう行動をとればそうなってもしかたないだろう。

ホールに出て喫煙所でWさんから「閉鎖病棟へ10日間移るらしいよ」と聞いた。やはりそうだったのか。それで戻ってくるのだろうか。多少非常識なところはあっても、基本的には「いいやつ」だったので、いなくなると寂しいし、卓球の相手もいなくなる。すぐによくなってくれればいいが。

入浴後、14:00に閉鎖病棟に移るのを待っているS君と喫煙所で話をした。少し落ち着いてきたようだ。「なんであんな馬鹿なことしたんだろう」と悔やんでいる。Hさんが「本当に死のうと思ったの?」と聞くと「死のうと思ったわけじゃないです」と答える。じゃあ、どういうつもりだったのか。自分でもわからないらしい。ちらほらと聞いた話では「みんなについていけない」と言ったとか、「他の部屋で話をしているのを看護婦に注意されたそうよ。それが原因かどうかわからないけど」とか聞いた。確かに彼は他の部屋へ遊びに行って、その部屋の人とよく話をしている。それが「いけないこと」だとはどこにも書いてないし、看護婦から聞いたこともない。それを注意されたからと言って、そこまで落ちるだろうか?まあ、自分の心すらよくわからないのに。他人の心はわからなくて当然だろう。S君は閉鎖病棟に行くのを怖がっている。いろいろ制限が厳しいというのはわかっているから。彼から隠し持っている携帯を預かった。閉鎖病棟に行けば持ち物検査をされるからだ。さっきは10日と聞いたが、「早くて1週間と言われた」と本人は言っていた。果たして彼は1週間で戻ってくるだろうか。

15:00からカウンセリングが入っているので、指定された場所に行く。今日は顔合わせ程度だろう。15:00ちょっと過ぎにカウンセラーが現れて「前の人が少し長引いているので10分ほど待ってください」と言う。しばらくそこで待つ。

順番がまわってきて、改めてカウンセラーと対面する。カウンセラーにしてはよく喋る方だ。自分でもそう言っている。カウンセラーは医者からは「30代の男性」としか知らされておらず、私の病気などについての情報は一切知らない。これは先入観を持たないために意図的にそうしているらしい。まず最初に「なぜカウンセリングを受けたいと思ったのか」を尋ねられたので、3年前から鬱の症状が出ていて、2回会社を長期で休んだのにもかかわらずぶり返したことを話し、今回の入院でいったんよくなっても、またぶり返す可能性があるので、そうならないために自分自身を変えていきたい、そういうことを話した。いろいろな本を読みあさったこと、会社の産業カウンセラーと2年くらいカウンセリングは続けていたが、その関係も煮詰まっていることなども話した。産業カウンセラーに「この会社の仕事が向いてないんじゃない?他の仕事を探したら?」と言われたことを話すと笑って「産業カウンセラーは割と簡単になれるからねぇ。産業カウンセラーだとそういうことも言うのかな」と言っていた。ここのカウンセラーはもっと専門で信頼できそうな感じを受けた。ACの本を読んで「原家族ワーク」をやっていると鬱が入ってきて中止したことも話した。そのワークをやるには、自分の中から出てきたことを誰かと共有しないといけないと本には説明していて、その相手にもなってほしいということを話した。今、そのワークをやるべきかどうかも迷っていることも話した。カウンセラーによると、それは「パンドラの箱を開けるようなもの」で、開けると何が出てくるかわからない。それによって一時的に調子が悪くなることはある。だけどいつかは開けなければいけない。その時期を判断するのは自分自身だという。自分で「大丈夫だ」あるいは「調子が悪くなっても何とかなる」と判断してやるものだそうだ。ただし、やるなら「入院中」がいいと言った。入院中なら、具合が悪くなっても守ってもらえる。実社会へ復帰した後ならそうはいかない。「ところで、そういうACの回復をお手伝いしたようなご経験はありますか」私がそう尋ねると「そんな人ばっかです」そういう答えが返ってきた。信頼できそうだ。

自分がいろいろ本を読んだけど、読んだだけでは何にも変わらない、何か実行に移す行動療法があれば指導してほしい、ということも言った。が、このカウンセラーの方針としては「何も指導しない」そうだ。人から与えられたことは、頭ではわかっても本当に自分で吸収することはできない。だが、自分の中から出てきたこと、つまり自分で悟ったことは身につく。それをどんどんぶつけてほしい、自分は壁打ちの「壁」になるので。そう言った。「自分の中から出てきたこと」とは何だろうと思い、この間の公園へ行ったときのコスモス畑の話をした。「満開を期待すると『これっぽっちしか咲いてない』と残念に思うけど、『一本でも咲いていればラッキー』と思っていると『こんなに咲いている』と思うのじゃないか」と思ったことだ。「そう、そういうことです」カウンセラーはうなずく。よし、これからはできるだけそういうことを自分で「見つける」ことにしよう。カウンセラーは続ける。「そういうことを自分で見つけて、さらにそれを言語化し、人に話すというのが大切なんです」それを聞いて、私が毎日日記をつけている、と言うと「それは大変いいことです」と言われた。当初の目的は全く違っていたが、日記をつけていてよかった。

今回は軽くそういう話をした程度で、最初の1、2回は私のバックグラウンドを知るためにいろいろ質問するらしい。とりあえず毎週月曜日の15:00から1時間、ということになった。

夕方、婦長さん自ら郵便物を持ってきてくれた。DMだった。購読している雑誌の送付先を病院にしてもらったはいいが、DMまで送られて来るようになってしまった。婦長さんによると、「一年に二回咲く桜」が海の見える丘の近くにあって、今咲いているという。そんな桜があるなんて知らなかった。明日にでも見に行ってみよう。「その桜ってサクラじゃないですよね」という文字で書かないとよくわからない冗談は婦長さんに通用しなかった。

夕食後、連絡会まで参考書を読む。はじめに買った参考書の方で、経済産業省が出した各種ガイドラインを読んでいなかったので、改めて読んでみた。この内容を問われる可能性は十分にあるので、よく覚えておかなくては。

連絡会の後は、久々に20:00まで喫煙所で話をした。話題は最初はS君のことで、「彼は甘えている」という点でみんなの意見というか、彼に対する見方は一致していたようだ。彼の幼稚性は多くの人が指摘しているし、今回も「調子が悪いように見えるけど、単にかまってほしいだけだろうから、わざと無視していた」という人がいた。みんながかまってくれないから窓から飛び降りるような素振りを見せたのだろうか。飛び降りると言っても、窓を開けて片足をのっけただけらしいが、そこでTさんがびっくりして看護婦さんを呼んだそうだ。でもホールにいた他の人はみんな知らんぷりしていたそうな。

話題はその後PCのことやらビデオのことやら、マニアックな方面に移っていった。同室のYさんはかなりAVマニアらしく、どこかのメーカーが新しい規格の製品を出すたびにことごとく買っていたらしい。PCは覚え始めたところで、何とかDVから画像を取り込んで編集したいと思っているそうだ。

20:00も過ぎたので、そろそろ終わりにしよう。やっと風邪も治まったようだ。これから就寝準備をしてから、その後は何をしようかなっと。