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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:カウンセリング

昨日は寝付きが悪かった。眠気が来ないので時計を見たら21:50だったのを覚えている。結局何時頃寝付いたのか。何回か目を覚ましたような気もするが、定かではない。時計を見たのは4:00だった。その後からが長かった。浅い断続的な眠りを繰り返し、ずっと夢を見ていた。いい加減そろそろ朝だろうと思っていると電気がついた。看護婦がつけていったようだ。その後起床の放送が入った。すこしかったるかったが、軽く「目覚めのヨーガ」をやって、今日は起きれた。

風邪気味で少しだるさを感じる。朝食後は散歩にいかなかった。鼻水が出まくって箱ティッシュがなくなってしまったので売店で買ってきた。その後はCDを聴きながら寝ていた。

作業棟に行くかどうか迷ったが、やはり行ってしまった。汗をかいて体の熱を出したいというのもあった。なに、調子が悪くてしんどければ途中でやめればいいや。そう思った。体力テストは案の定「6段階中の2」と悪かったが、一般トレーニングに入ってから、機械が勝手に負荷をコントロールするだけでなく、自分でも増減ができることを発見して、ついつい勝手に負荷をあげてしまい、だいたい130W以上になるようにしてしまった。脈拍は160を超え、20歳という設定にもかかわらずアラームが出た。実年齢ならとっくにアラームが出ているはずだが、それにしてもあまりしんどさを感じないのはなぜだろう。終わったら消費カロリーは210kcalを超えていた。むりやり出した数字だが、今のところ体にそんなにダメージは感じない。大丈夫かな?後からダメージが来ないかな?今日はゆっくり休もう。

CDを聴きながら休んでいると、婦長さんが日経バイトを持ってきてくれた。さっそく読み始めた。ATOK大阪弁対応?なんのこっちゃ。話し言葉にできるだけ対応するために、方言シリーズ第一段だそうだ。IEに新しいセキュリティ・ホール。またかよ、てな感じだ。

新しい女の子が入ってきた。朝、作業棟で会った子で、卓球大会ではしゃいでいた子だ。閉鎖病棟から移ってきたという。キャピキャピした女の子で、まだ17歳だという。どうして同年代の女の子が入ってこないのか。

昼食後、日経バイトを読み進める。もうすぐカウンセリングだが、今日こそロールシャッハの結果が出てるか聞こう。

カウンセリングを受けてきた。話題は先週の「あせる」というところから始まり、そこから離れて、「退院のめどは考えていますか」という話題を出したときに、自分では1年計画に切り替えたときにあせりが少し消えた、というようなことを話した。そこからどういう展開になったかは詳しくは記憶にはないが、自分が外出したり外泊したときに疲れたり、それで鬱に陥ったりする、ということを話すと「それでなぜ疲れると自分では思いますか」「その疲れるのと鬱になる、というのの関係を自分ではどう思っていますか」そのような質問をされた。それに答えているうちに、自分は鬱に入りそうな兆候がわかり、それは「もう少し寝ていたい」という欲求として現れ、それが小さな時には自分でコントロールできる、そのような話をした。カウンセラーは「鬱はコントロールできるできないの問題ではなくて、なぜそれが出てくるかが問題」と話した。確かに、コントロール範囲ですんでいるからいいが、なぜそういう状態に陥る、あるいは陥りそうになるのか。そこが根本的なところだ。そして話は「コントロール」ということに移っていく。

カウンセラーの説明によると、フロイト説では人間の心の中には「超自我(スーパーエゴ)」「意識」「無意識」があるそうだ。「コントロール」の範囲にあるのはこの中の「意識」の部分である。「超自我」は社会的に上から押しつけられるもの、「ねばならない」「しなければならない」英語で言うとshouldで表現されるものだが、それが私の場合ものすごく強いらしい。それが「意識」と一体化しているという。そのため、「意識」が「超自我」に支配され、コントロールを失うのではないだろうか。

そして「超自我」と「意識」の一体化が強い分、自分の「無意識」からの突き上げが激しい。本来の自分の感情を抑えているわけだから。私が「会社に行かないといけない、でも体が動かない、えいやっと起きて会社に行く、という夢を10回くらい繰り返して見る」と話すと、それはものすごい「無意識」からの突き上げで、自分は相当「会社に行きたくない」そうだ。それは自分でも薄々感じていたが、そういう無意識の自分の感情に気づきながらそれを認めたくないと思って抑えることを「否定」、そしてそういう自分の無意識な面に気づきすらしないのは「否認」と言う。私はその夢を見て、「自分は相当脅迫観念が強いんだな」と思っていたが、それは「超自我」が強い、という意味だけでなく、「無意識」では相当会社に行きたくないと思っている、ということらしい。言われてみると、自分は会社に行きたくない、というのは気づいていたが、それを抑えつけていたかもしれない。そう話すと、精神分析ではこの辺りをかなり慎重に細かく扱う、とのことだ。

私の場合、「否認」なのか「否定」なのか、両方が混じっているようなことをカウンセラーは話していた。なぜそんなに超自我が強いのか、「ねばならない」が強いのか、その原因はこれからじっくり探っていくことになるだろう。とにかく当面の課題は、自分の「意識」を成長させること。今の自分の「意識」は「超自我」と一体化して、本当の自分を見失っている。それを日常の行動の中で見つけていかなければならない。おっとまた「ねばならない」が出た。見つけていこう。とにかく、「意識」の上下にある「超自我」と「無意識」の風通しをよくする必要がある。自分の本当の心はどこにあるのだろう。まだそこが未成熟なのだろう。

ロールシャッハの結果はカウンセラーのところには行かずに主治医のところに行くそうだ。心理分析の結果を精神科医が説明する、というのはなんだかちぐはぐな印象を受ける。分析した人が説明してくれるといいのだが。主治医は心理の方はどれだけわかっているのだろうか。

夕食までSさんと話をしたりして過ぎていく。夕食後は日経バイトを読み進め、ほとんど読んでしまった。まだ連載記事は一つ残っているが、18:30を過ぎたのでコーヒーをいれて一息つく。

そうこうしているうちに20:25になった。就寝準備しようっと。

昨晩は結局寝る直前まで「閉鎖病棟」の続きを読んでいた。これからおもしろい展開になりそうだ、というところで就寝時間になった。昨日は音楽をかけないで寝てみた。おそらく自分にとってはかなり早く寝付いたような気がする。ぐっすり眠ったと思って目が覚めて、でもどうせまだ夜中だろうと思って時計をみると、案の定3:00だった。が、その後なかなかもう一度寝付けず、また時計を見ると3:20だった。アトピーがかゆかったのが気になったのも原因かもしれない。が、その後割とよく眠ったようで、夢を見た。大学の合唱団の先輩が出てきた。夢の中で時計を見ると4:00頃かなんかで「まだ寝てていいよ」誰かにそう言われたような気がする。が、その直後に本当に目が覚め、時計を見ると6:00ちょっと前。おお、もう起床時刻だと思って布団の中で「朝のヨーガ」をやっているうちにアナウンスが入った。結局1回しか中途覚醒がなかったことになる。寝付きもよかった。経過は良好だ。

今日はいい天気になるらしい。朝食前に洗濯をする。長い間洗っていなかったサマーセーターをやっと洗ったよ。こればっかり着ている。

おかしい、飯が食えない。食欲がない。昨日の夕食も半分残したのに、今日の朝食もぜんぜん食べる気がせず、ほとんど残してしまった。拒食モードに入ってしまったのだろうか。

朝食後、コーヒーをドリップしているときに、軽い鬱を感じてきた。やばいぞ、拒食の次は鬱か?でも軽い。なんとかやり過ごせそうだ。自分の状態をよく観察する。とりあえず動けるので、コーヒーを飲んで一服した後、洗濯物を干しにいく。今日はいい天気になるそうだ。鬱の気分はいつの間にか消えていた。

その足でオカリナを吹きに散歩に出る。音楽堂へいっぺん行ってみたが、日陰なので寒い。日の当たる場所で吹きたいと思い、この小山のピークに行ってみた。うん、ちょうどいい具合に日が射しているので、そこで吹いた。太陽の光を浴びていると今度は暑くなってきたので、上に着ていたフリースを脱いでベンチにかけた。コンサートのレパの他、適当にいろいろ吹いた。宋次郎のCDに入っている曲をやってみようと思うのだが、どうもいまいち覚えていないのが多い。

病棟に戻ってくると8:20。すっかり鬱は消えていて、元気が出てきている。自分で自分を癒やすためにオカリナを吹くこと、散歩という軽い運動をしたこと、日光にあたることなど、すべてが回復の方向のためにいい要素として働いたのだろう。洗濯物を干す、というのも精神的に気持ちのいい行為だったかもしれない。

入念にストレッチを行って作業棟に行く。飯を食ってないせいだろう、最初から体重は62.4kgしかなかった。体力テストの結果は、まあ今までにしては普通だが、最近の昇り調子を考えるとやや不満。だが50→75→115と負荷があがっていったからいいか。最初の1セットを漕いでいる途中にMちゃんが来た。先週は調子が悪くて休んだらしい。今日も診察を済ませてきたが、作業療法はやらないらしい。

10分のインターバルの間にMちゃんと話した。12/1にKさんと会うらしい。冷やかしメールを送ってあげるよ、そう言ったら送って送って、と言う。彼女は恋愛依存症の傾向を医者から指摘されていて、なんとKさんと二人でカウンセリングを受けるそうだ。カウンセラーが二人の話を聞いて、問題がないかどうか判断するのだろうか。彼女は男性とデートすることも医者から禁止されている。が、12/1に会うことは医者には言っているそうだ。

病棟に戻って一服していると主治医に呼ばれた。外泊したときの状態を報告し、今までほど状態は悪くならなかったこと、夜もちゃんと眠れたことを話した。アトピーがひどくならなかったことや、昨晩や今朝食欲がなかったこと、今朝少し鬱が入ったことも話した。今週の金曜日もまた練習があるので外泊してみたい、と言うと、いい調子で来ているので試してみてください、と言われた。食欲は落ちていたけど、作業療法でエアロバイクを漕いだらおなかがすいてきたので、多分大丈夫です、と話しておいた。その通り、昼食はちゃんと食べることができた。

昼からは日経コンピュータを読み、その後入浴。そしてすぐにカウンセリングに行った。ようやく「カウンセリング」の域に入ってきた。前回までは自分のことを時系列に話すだけだった。今日はさっそく話があちこちに飛んだ。話は最初「最初は明らかな原因があって鬱状態になったんですよね」「躁の状態と鬱の状態があって波が激しいんですよね」と前回まで話したことをカウンセラーが確認する。そして「自分ではどうしたいと思っていますか」と尋ねてくる。私は「普通に社会生活が送れて、ちゃんと会社にも行けるようになりたい」「波の振幅を通常のレベルまで下げたい」と答える。それは同じことですか、と聞かれたので、結局は同じことだと思いますと答えた。

そこから話は発散していく。躁状態は自分は病識がないが、鬱状態ではある。鬱に入りそうな兆候は自分でわかり、それが軽いときには持ち上げる方法も自分なりにわかってきている、ということを話す。その話の続きで、外泊時に鬱状態になっていたのが、今回の外泊ではそんなにひどくなかったことを話し、外泊して鬱になるのが散らかった自分の部屋が原因だと思ったこと、それで毎週少しずつ外出して家に帰っては決めた範囲だけ片づけること、それは掃除もやり出すと止まらないから、ということなどを話した。

カウンセラーによると、それは「テクニック」に過ぎない、ということだそうだ。問題を分割してステップを区切って対処するテクニックであり、「なぜ散らかった部屋で鬱になるのか」そこに踏み込んだものではない、そう言う。そういう散らかった自分に対して罪悪感を持っているのではないか、それで鬱が出るのではないか、そうカウンセラーは言った。それから、やり出すと止まらない、そういうのは強迫観念があるということ、カウンセラーはそう言った。「なぜ、自分がそういう状態になるのか」ここが根本らしい。そういう散らかった部屋、それを自分自身が許す必要がある、そうも言った。受け入れることが必要だと。

うちの会社が忙しい会社だということは何となくカウンセラーは知っていて、なぜ他の人は病気にならないのに、あなたは病気になったのか、そういうことを言われた。私は、なぜ他の人が病気にならないのか不思議なくらいだ、と言った。他の人は「仕事以外」での時間の使い方が違うのかもしれません、そう先生が言ったとき、私は「そう思います」と答えた。私はオフの日も趣味にどっぷりはまってしまっていて、依存症の傾向がある、と私が言うと、「はまる」と「依存症」とは違うと言われた。

あとは何を話したっけな。自分が問題と思っているのは、一人で抱え込むこと。100%を求めてしまうこと。それは会社の産業カウンセラーとのカウンセリングを通じてわかってきた、そういうことを話した。その中で「あせる」と言うのがキーワードとして出てきた。とにかくいろんな局面で私は「あせる」傾向がある。それをカウンセラーは重要視したようだ。「あせる」と「急ぐ」は違います、と言う。「急ぐ」ではないんですね、そう言うので、「急ぐ」のではないんです、「あせる」んです、と答える。急ぐことは別に悪いことではない。それはものごとをスピーディーにこなすことに過ぎないから。しかし、「あせる」のは心理的な問題、つまり感情の問題であるという。なぜその「あせる」心が出てくるのか、そこが問題だという。

その辺で16:00になって今日のカウンセリングは終わった。そう、なぜあせるのだろう。自分は最初入院していたときあせっていた、3ヶ月くらいで退院するつもりだった、しかし、1ヶ月半か2ヶ月くらい過ぎたときに、とてもそれじゃすまないと思って長期戦を覚悟したとき、不思議と腹がすわってあせりが消えていった、そういう話をすると、「期限をなくす、というのもまたテクニックなんだよね」そう言う。そういうテクニックもまた必要ではあるが、根本的な解決ではない。会社に戻れば「期限をなくす」なんてことはできない。その中で「一人で抱え込む」そして「あせる」ことがないようにするにためには、どうすればいいのだろう。それはこれからの課題だ。カウンセリングを続けていって、その答えは見えてくるだろうか。

病棟に戻ったらTMさんが外泊から戻ってきていたので、喫煙所で話をする。生保は会社によって厳しいチェックが入ることもあり、家族の病歴まで調べたりするとか、些細なことで告知義務違反にするような話を聞いてびびる。自分は○○生命だというと、○○生命なら大丈夫じゃない?、と言う。そういうせこいチェックを入れてくるのは、小さなつぶれそうなところだとか。厳密に言えば私が鬱の症状が出たのは入院特約を契約する前だ。しかし、その時は病気なのかなんなのか、自分でもわからなかった。鬱が再発してから通院しだしたのは契約をしてから8ヶ月以上は経っている。その8ヶ月、というのをどう判断するのだろうか。入院ははじめてだが、当然通院歴を調べるだろう。下手するとそこでチェックが入るかもしれないが、なんとかなると思う。医者は全面的に味方をしてくれると言う。

夕食後、「閉鎖病棟」の続きを読み出し、19:00過ぎに読み終わった。こういう類の小説は久しぶりに読んだかもしれない。舞台が精神病院というだけだが、精神科の医師が書いただけあって、精神科の患者がいたってまともで、普通の人と何ら変わりのないことがわかる。最後の解説には私と同じ意見、「犯罪があったときに、精神科の通院歴があって、という報道がされるのは偏見を助長する」ということが書いてあった。

コーヒーをいれて一服した後、今度は一昨日買った「『うつ』を治す」を読み始める。目次を眺めると、今まで読んだ本とは違って、「心理的治療」「社会的治療」に関する章がある。なかなかよさそうな本だ。「はじめに」を読んでいると、「うつ病の人はまじめで几帳面な性格の人が多いので、最初から順番に読もうとすると思いますが、そうではなくて、目次を見て自分に役立ちそうだと思ったところから読んでください」といきなり釘をさされている。う~むむむ、お見通しという感じだ。では「心理的治療」から読もうかと思ったが、やはり最初から読んでしまう。

読んでいくと、この間の「図説 精神医学入門」でも思ったが、やはり私は双極性障害に分類されるような気がする。「躁におけるエピソード」にはいくつも該当する。読んでいる途中で20:00をまわったので、便通の回数だけ記入してまた戻ってきた。とりあえずいったん就寝準備をしてから、寝るまでこの本を読むとしよう。

ぐっすり寝た。寝付きもよかった。起床の放送で目が覚めて、「目覚めのヨーガ」を布団の中でやったら割とすっきり起きることができた。夜中は1回だけ目が覚めたが、確か3:00過ぎだったと思う。睡眠は充実してきているようだ。メールチェックすると私のオカリナのファンだったHさんからもメールが来ている。偶然近くで「自分でオカリナを作るイベント」があったので参加してきたという。自分でオカリナを作れるなんてうらやましい。私のは職人の手作りだが、自分でも作ってみたい。

Hさんに返事を書き、朝食を摂る。朝食後にコーヒーをいれて飲み、しばし喫煙所で雑談。天気予報を見ると今日も雨が降りそうだ。外はうっすらと薄暗い。厚い雲がかかっている。

8:00頃に病室に戻ると、いつの間にか雨が降っている。またオカリナを吹くのは無理かなあ。今日も寒そうだが、また作業棟の裏にでも行って来ようかな。

結局8:45頃まで音楽を聴きながら横になり、その後ジャージに着替えて畳のところでストレッチをして9:00頃作業棟に行く。トレーニングの前に作業棟の中でオカリナを吹かせてもらった。ただたけの「雨」一曲だけにしておいた。基礎データを計ると、体重が63.8kg、体脂肪率が18.8%。だいぶ減ってきた。体重が63kg代が最初から出るようになったし、体脂肪率もコンスタントに20%をきるようになってきた。

体力テストをすると、50Wで心拍数が110台だったのに、2段階目で55Wにあがったら、なぜか心拍数が逆に下がってきて110をきっていった。ありゃ、どんな結果が出るのかなと思ったら7分で打ち切られ、「6段階中の2。やや劣る」が出た。う~ん、機械も混乱しているのか。

10分のインターバルの間に、ピアノが空いていたので「エリーゼのために」を弾いてみる。寒くて少し指がかじかんでいるので、いつもよりまして指が動かない。もっと練習が必要だなぁ。Fさんが近くに寄ってきて「はまーさんて何でもできるんですね」と感心してくれた。

病棟に戻ってくると、明日心エコーの検査があると言われた。何時からかはわからないらしい。さらに、今日の13:30から肺機能の検査があるという。外出の予定を入れていたかもしれないし、事前に教えておいてほしいものだが、看護婦も今朝連絡が来たから、と言っていた。私が早めに作業棟へ行ってしまったので伝えられなかったそうだ。

Yさんが生命保険の契約について詳しいことを知らないか聞いてくるので、自分の約款を取り出して調べてみるが、よくわからない。なんでこんなにわかりにくい文章で書いてあるんだろう。Yさんとは入っている生保は違うが、「どの生保も同じだよ」と言うので調べてみようとしたのだが、結局約款を本人に貸して自分で調べてもらうことにした。

もうすぐ昼食なのでホールに出ていくと、前に隣のベッドだったHさんが来ている。今日はE氏が退院だというので来たそうだ。Hさんも調子が悪いらしい。それにしても、E氏が今日退院ということは、昨日の夕食時まで知らなかった。挨拶もなかった。やはりまだ退院の挨拶は懇談会のときに「まとめて」ということに記録上なっているのだろう。明日の懇談会で「記録の内容について患者が確認できるようにすること」を要求してみようか。いい人ばかり抜けていくなあ。入ってくるのはおばあさんばかりだ。

昼食後、喫煙所でみんなで喋っていると、アルコール病棟から移ってきたQさんが外出から戻ってきた。少し様子がおかしい。ものすごく不機嫌そうで、かけていた眼鏡を乱暴にテーブルの上に放り出す。みんなびくっとする。「外、寒いですよね」S君がそう言うと、首に巻いていたマフラーをS君に投げつけるようにして「やるよ、シルクだぜ」明らかに不機嫌だ。そのときKさんが言った。「誰に八つ当たりしてるんだよ。ここはアルコール病棟じゃねーんだよ。ばーか」「ここがばかだよ」相当いかれているようだ。昨日までは、しゃべり出すと止まらないが、割とまともだったのに。看護婦が「Qさん、診察へ来てください」と呼ぶと「うっせーよ、ばーか」と怒鳴り散らす。かなりやばい状態だ。みんな関わり合いにならないようにそそくさとその場を離れる。廊下でKさん、Hさんとひそひそ話をする。「飲んできてるんじゃない?」「それっぽいね。診察室へ呼ばれたのも検査するためじゃない?」「看護婦はすごく敏感だから。飲んでいたら絶対にばれるよ」Kさんは「ばれたら強制退院だろうね。アルコール病棟出身だから」Hさん曰く「1回目は見逃してもらえるんだけどね、2回目はだめらしいよ」それに対してKさんは「あの人はアルコール病棟でも一回ガッチャン部屋に入ってるから」そう言う。

病室に戻ると、Yさんが私が貸した約款を見て、わかった、と言う。いろいろ説明を聞く。なぜいろいろ調べているかというと、入院して120日過ぎたから、だと言う。「え、退院しないと保険金はもらえないんじゃないの?」そう言うと、「MAXが120日なんだから、それを超えるといつ退院したかは関係ないよ」そう言うので、私も保険の外交員に送ってもらった、保険金申請のために医者に書いてもらう書類を見ると、ちゃんと「退院」「入院中」のどちらかに丸をつけるようになっている。今まで退院しないと保険金はもらえないと思っていたが、入院中でも120日を超えると受け取れることがわかった。よかった。今日は103日目だから、最初の4日をのぞくと124日を過ぎれば、これを医者に書いてもらって申請しよう。高額医療の給付金もあるし、この分だと財形を切り崩さなくても済みそうだ。

肺機能の検査に行く。鉄砲のような形のものを、鉄砲とは逆さまに持ち、その先にトイレットペーパーの芯のようなものをつけて、それを口に加え、鼻を洗濯ばさみのようなものでつまんで、検査技師の言うとおりに通常に呼吸したり、思いっきり吸ったり吐いたり、リズムに合わせて思い切り吸う、吐くを繰り返したり、そういうことをやった。肺活量や、最大換気量などの測定だということだ。「うまいですね」検査技師に言われた。こんなことでうまいなんて言われるのははじめてだなあ、と言うと、「飲み込みがいいという意味ですよ。説明しても、なかなかその通りにできない人も多いので」そう言う。検査の結果は今日中に出るらしい。どうしようかな。明日内科医に面談を申し込んでもいいが、心エコーの結果と併せて聞くことにしよう。そもそも明日の心エコーは何時からなんだ?それも明日にならないとわからないのだろうか。

検査から戻ってくると、診察室でQさんが怒鳴り散らしているのが聞こえる。かなりやばい。S君と「相当やばいね」と話しながら病室へ戻ると、向かいの病室で看護婦がQさんの荷物を整理している。どうやら強制退院のようだ。彼はアルコール病棟のアルコール回復プログラムを終えて、でも行くところがなくて臨時措置としてここの病棟に置いてもらっている、という立場だ。ここを追い出されると行くところがないはずなのに、どうするつもりだろう。なぜ自分に不利なことをわざわざやるのか。飲酒欲求をどうしても抑えられなかったのか。

そのうち何か叩きつけるような音が聞こえてくる。どうも口だけでなく、暴れ出したようだ。看護婦が患者に「病室から出ないようにしてください」と避難命令を出してまわる。これを書いているうちに静かになったと思ったら、S君が入ってきて「収まったみたい。外に出たから」と言う。窓の外を見ると、外でQさんと医者と、警官までいる。何か外出時に問題を起こしたのか、医者に向かって暴力をふるったのか。病院の職員らしき人が彼の荷物を運んでいった。追い出された彼はどこへ行くのだろうか。緊急措置として15:00から病棟の入り口を施錠をすることになった。Qさんが戻ってきて勝手に入ってくるのを防止するために。

15:00からカウンセリングを受ける。今日は忙しい。まだ核心には全く入っていなくて、私のことを時系列で話しているだけだ。先週の続きで、大学卒業の頃、就職活動の頃から話を始め、会社に入ってから即戦力として2年半は活躍していて、同期の中でも自分は抜きんでいるんじゃないかと思っていたけど、自分のコンピュータの専門知識でリードできるのは、どれくらいまでもつか不安を持っていたこと、ビジネスマンとしてのヒューマンスキルが自分には欠けているような気がしていたこと、そして3年目のチームメンバーの異動の後に引き継いだ仕事でトラブルが続出し、それを一人で抱え込んでいくうちに鬱が出たことなどをこまごまと話した。その後の話も詳細にわたって話し、2回目の傷病欠勤から復職する時点までのことを話した。会社の産業カウンセラーが一度私の父親と話をしたい、と言っていたので、父親が仕事で上京する日をカウンセラーに伝えたところ、じゃあその日の何時に会社へ来てください、ということになった件も話した。私はカウンセラーと父親だけが1対1で話すのだと思っていたのに、カウンセラーがセッティングしたその場には、カウンセラーと父親だけでなく、私の上司と部長、人事部の人がいて、私に会社を長期間休むように父親に説得した、その話は後から父親から聞かされてはじめて知った、ということを話したらカウンセラーは驚いていた。カウンセラーは守秘義務があるので、自分がカウンセリングを通じて知り得たクライアントのことについて人事に情報をリークする、さらには本人の預かり知らぬところで家族に話をする、というのは普通はやらない、と言っていた。うちの会社のカウンセラーはやはりプロではない。ある程度までは私もカウンセリングを受けて自分のことがわかったりして効果があったが、それでも私が調子を崩して自分の手に余ると思ったら、どうも私を会社から追い出そうとしているようにしか思えない。なんせ、「この会社の仕事があってないんじゃない?」と転職をそそのかすくらいだ。

カウンセリングから帰って風呂に入る。肺機能検査とカウンセリングがあったので、昼間は入れなかったのだ。今日は寒いから帰ってきてからでちょうどいいや。先に風呂に入ってから外に出たら湯冷めするところだった。

Sさんが外泊から戻ってきた。本人は「大丈夫でした。」と言うが、私から見るとどうも何かあやしいものを感じる。目が少し「アブナイ」感じになっている。本当に大丈夫なのだろうか。

婦長が夕食時に「暖房はいま設備の方にお願いをしています。フィルターの掃除などが終わったら動かしてもらう予定です。それまでは、布団の追加がほしい人には支給しますので申し出てください」と言う。私もYさんも寒くて喘息が出ている。Yさんが「寒くて病気の症状が出ている患者もいるのに、なんで暖房を入れないんだ」とかなりしつこく婦長とやりあってくれたおかげだろう。夕食後、Sさんとさっそく追加の布団をもらいに行った。Sさん曰く、「はまーさんは寝相がいいから、寝ているときに布団ひっぺがしていることあるよ」そうなんだ。寝相がすこぶる「いい」(わけはない)私は、寝ている間に必ず布団がどっかへ行ってしまう。普通に仰向きに寝ることができず、何回も寝返りをうつ。一番安心して寝ることができるのは、「布団にしがみつく」ことなのだが、これは潜在意識の何かが関係しているのだろうか。

メールチェックすると、Hさんからメールが2通来ている。1通目は近況報告で、2通目は「HP見ました。こんなものが作れるなんてすごいですねえ」と書いてある。ただ驚いたからメールしただけだと書いてある。

19:30までメールを書いたり日記を書いたりして、その後卓球に参戦する。S君やSさん、Kさんと試合する。S君はマイラケットでなく病院ラケットを使っているが、卓球大会に向けてマイラケットを使った方がいいんじゃないかな?と今書いていて思った。復活したSさんは、スマッシュが決まればものすごく速いので、下がってロビングしようと思っても追いつかない。サーブもいい。Kさんはだいぶうまくなった。今日は動いていてなんだか体が軽いのを感じた。体重が減ったおかげだろうか。脚力もついてきたのかもしれない。

20:00で卓球を終了し、病室に引き上げる。ビオレパウダーシートで汗を拭き、スウェットに着替える。これから就寝準備をしよう。その後は何をしようかな。

なんだか変だ。いや、昨日は寝付きはよかった方で夜中もそんなには目が覚めなかったが、起床の放送で起こされて、まるで起きる気がしなかった。「もっと寝ていたい」「夢の続きを見ていたい」「自分の空想の世界に浸っていたい」そういう感じが強く、ずっと布団の中にいた。看護婦が脈を計りに来てと言うので仕方なく出ていって計る。80だった。戻ってきて着替える。が、何かやる気が出ない。これを書いてるが、この後もまた寝てしまいそうだ。また何かが不安定なのか。とりあえずメールチェックすると山岳会の仲間が結婚するとの報告。「会員同士の結婚」は私が入ってからはじめてだ。こうやって仲間がどんどん結婚していくのを見ていると、焦るわけではないが、なんだか寂しいしうらやましい。

また寝てしまって、薬の時間になっても朝食の時間になっても起きていく気がしない。看護婦が呼びに来て、ようやく食事に出ていく。外部からトリガーを与えられると何とか動けるようだ。

朝食後、喫煙所で調子が悪いことをKさんに話す。Kさんはいろいろ話してくれて、私の話も「よくわかる」と聞いてくれた。「いい子」「いい人」を演じ続けて来た自分の中に抑圧された何かが出てきそうになっている。それに対して「よくわかる」と言ってくれたのだ。Kさんは私を、最初はとっつきにくいと思ったが、ずっと一緒にいると「とてもいい人」だと思うようになってきたらしい。「いい人」というのはときどき言われる。「すぐにはよさがわからないけど、だんだん味が出てくる人」というのも何回か言われたことがある。人から見るとやはりそうなのか。「彼女作りなよ」そう言うKさんに対して「できないんですよ」と答える。本当に何年も彼女もできない。友達はたくさんいるのだが。基本的に寂しがりやの自分にとって、とにかく誰か、あるいは何かに頼りたくなることがある。すがりつきたくなることがある。昨日は久々に学生時代の友達に会えてとてもうれしかった。その反動が来たのだろうか。昨日も日記に何度も書いたが「寂しい」のだ。

その後もまた横になる。散歩に行く気力もない。9:00になって、少しましになったのか、よっしゃと起きあがって作業棟に行く。体力テストはまあまあだったが、30分の一般トレーニングを始めたら、すぐに気が滅入ってきてやめたくなった。なんとか「あと少し」「あと少し」と踏ん張って30分乗り切ったが、心の調子は体に現れるのか、数値は低い。もうそれ以上やる気力がなかったので病棟に引き上げてきた。

昼食までまたCDを聞きながら横になる。最近は6月のコンサートのCDを聴くことが多い。自分の下手さにうんざりする。思った通りにぜんぜん歌えていない。音の立ち上がりは不安定で、ピッチも狂い気味。他のグループはとてもうまい。

昼食後、今朝の「結婚報告」をした2人におめでとうメールを送ったあと、Pocket Outlookの「連絡先」に山岳会の新メンバーでまだメールアドレスを登録していなかった人を追加していく。この「連絡先」もどんどん膨らんでいく。

入浴後、15:00からカウンセリングに行く。カウンセラーに「今日は元気なさそうだね」と言われたので、先週に薬を減らし、土曜日から不安定になったことを話す。他にも昨日学生時代の友達と久しぶりに会って楽しかったが、帰ってきてからひたすら寂しいと思って、また不安定になったこと、土曜日に母親から電話がかかってきてからやはり不安定になったこと、本を読んでいる間は集中してそういうものを抑えていられるが、本を読むのをやめるとまた不安定になってくること、そういうことを話した。

20分くらいその話をした後、先週の続きで高校時代からのことを話す。続いて浪人時代、大学時代のことについて話した。大学時代は合唱にのめり込んでいて、一般教養はぜんぜん講義に出なかったこと、そのために留年したこと、自分は他の人がやるのを見てその通りにやっている癖がついていて、何か「お手本」がないと自分では何も判断できず、逃げるようになってしまったことなどを話す。高校の頃は女の子と話すのが苦手だったが、大学に入って合唱団に入ってから普通に話せるようになったこと、彼女ができたことも話した。就職する頃の話になりそうなところで16:00になった。「時間がかかりますねえ。まあ、ゆっくりやりましょう」カウンセラーは言う。やはり私は抱えている問題が相当大きなようだ。普通はもっと自分の話をする時間は短いのだろうか。

病棟に戻ってくると、やはり不安定だ。なんだかぶるぶる震えそうになる。なぜだ、なぜだ。看護婦から明日の第1回患者懇談会の司会をお願いされるが、最近不安定なので、と断る。普通だったらやってもよかったが、今の状態では明日司会ができる精神状態かどうか定かではない。

主治医と面談する。先週からの経過を話し、最初は調子がよかったが土曜日から調子が悪くなったことを話す。どう表現していいかわからないが、とにかく精神的に不安定なことを話した。「不安」とも「焦り」とも言えない、とにかく何かおかしい、いつもの自分の精神状態ではない。抑圧した何かが出てきそうになっているのを必死に抑えているような気がする。そういうことを話した。主治医は、カウンセリングによって過去の自分や家族との関係について掘り返していくと、そういう風に調子が悪くなることはある、と言った。それはカウンセラーにも一番最初のときに言われた。そのせいなのか。それくらい精神的な動揺を伴うものでないと、逆にカウンセリングの意味がない、とも主治医は言った。なんとなく納得できた。今の自分の不安定さは、今まで背負ってきたものを乗り越えるための試練なのかもしれない。私が不安定なのを見て、他の患者は「薬をもらったら」と言う。それも主治医に伝えて「私としては精神的な依存性ができるのが嫌なので、できれば薬には頼りたくないんですけど」そう言うと「それはもっともです」と主治医も言ってくれた。よかった、簡単に薬を出すようだと逆に怖かったかもしれない。これくらいの不安定さならなんとかなる。だけどこれがどんどんひどくなって、希死念慮が出てきたりするのが怖い。そう訴えた。「あまりひどくなったら薬を出します」そう医者が言ったので、とりあえず今の状態ならまだ自分でなんとかできる。どうしようもなくなったら薬をもらおう。そう思って診察室を引き上げた。

ホールに出ていくと、私が入院したときに隣のベッドにいたKさんが遊びに来ている。懐かしくていろいろ話をする。いつの間にか不安定さは収まっている。卓球台がいつの間にか出て卓球をやっている人がいる。Fさんがやってみたいというのでみんなで順番に相手する。Fさんは体育館レクを見ていてもかなり運動神経がいいので期待していたところ、やはり結構上手だ。どうも看護婦に「卓球大会に出るように」と言われたらしい。よし、これから毎日彼を特訓しよう。動いて汗をかいたら、もやもやした気分はますますすっきりして消えていった。

20:00前まで卓球して病室に引き上げる。汗をかいて暑い。最近首の周りがアトピーで少しやられていて、汗をかくと火照って暑かゆい。そろそろ就寝準備をしよう。明日は元気でいられるかな。

目が覚めると7:00だった。結局昨日は22:30くらいに寝たのだが、寝るときは喘息で苦しかった。が、寝付くのには時間はかからなかったようだ。夜中一回目を覚まして、今度は病院にいる錯覚をしたような気がして、ああ家に戻ってるんだ、そう思い出した記憶がある。

割と頭はすっきりしているな、と思ってメールチェックしたり昨日買ってきた菓子パンを食べたりしているうちに、また少し頭にもやがかかりだしてきている。「また寝たい」が出て来ている。やばい、このまま寝るとまた鬱だ。踏ん張らねば。でも、あえて「もう一度寝てみる」とどうなるか試してみたくもある。単なる寝不足なのか、鬱なのか。

9:30になった。電気代節約のため、不要なコンセントは元から抜き、冷蔵庫も切った。そろそろ病院に戻る準備をしよう。今日は昼までに戻るつもりだ。

なんとか家を出て電車を乗り継ぎ、今は車中の人だ。やはり頭はぼ~っとしている。あまり調子はよくない。どうも外泊はまだうまくいかない。病院にいれば今の時間にはもう頭がしゃっきりしているのに。散歩してみたりいろいろ試してみればよかったかな。でも、起きた後の「鬱に入りそうな感覚」は病院では襲ってこない。外泊したときに襲ってくる。なぜなんだ。

病院の最寄り駅に着き、バスの発車時刻までかなり時間があるので、駅ビルのスーパーをうろうろする。洗剤と500mlのペットボトルを5本買った。安いのを買いだめしておくと少しでも得だろう。洗剤も今までは旅行用の1回分が1パックになったものを使っていたが、多分コストパフォーマンスが悪いだろう。普通のサイズのやつを買った。床頭台には入らないかもしれないので、ベッドの下にでも置こう。

その後100円ショップに入ってうろうろする。床頭台の上と引き出しはプラスチックの箱を使って整理できたので、今度はその下の物置場を整理したいと思って、手頃な大きさの箱を買った。

バス停でバスを待っているとKさんに会った。会った瞬間、「疲れてるでしょ」と言われた。そんなに疲れた顔をしていたのか。Kさんは明日娘さんの誕生日だそうなので、プレゼントを買って宅急便で送るために外出しているところだそうだ。

病棟に戻ってくる。ナース室のところで主治医とすれ違ったので、思わず一言「疲れました」と言った。いやいや本当に疲れた。病院に戻ってくるだけで朝よりもかなり疲れが増しているような気がする。

昼食後、Tさんに「お帰りなさい」と言われたので「ただいま。疲れました~。外泊するとまだ疲れるんです。なんか家に戻ると『調子の悪かった頃の自分を取り戻した』みたいになるんです」と言うと「そういう人多いらしいね。調子の悪い頃の生活リズムに戻ってしまうとか。少しでもいいから部屋の模様替えをしたりして、気分を変えたらいいよ」と言ってくれた。そうなのか、自分だけではないんだ。思えば「外泊」という言葉も変なもんだ。自分の家に戻るのに「外泊」なのだから。しかし、その言葉はいま非常にしっくりくる。今の自分にとって生活のベースは「病院」にあり、そこにいれば安定する。そこから離れた場所、たとえそれが「本来自分が住んでいる場所」であっても、そういう場所にいくことは「外出」であり、そこに泊まるということは「外泊」になる。今の自分は、家から病院に行くときは、病院に「戻ってくる」あるいは「帰ってくる」という感覚に近くなっている。病院に着くとほっとする。

昼食後、改めて昨日もらった演奏会のCDを聴く。う~ん、他のグループはうまいなあ。聴いているうちに風呂の順番が回ってきたので入る。風呂に入ると少しすっきりした。

看護婦から声がかかった。「心理の先生と面談の約束になってるはずだと電話がありましたけど」あ、しまった。15:00からカウンセリングだったんだ。時計を見ると15:15。すっかり忘れていった。あわてて出ていって、結局20分遅れでカウンセリングを始めた。貴重な時間を無駄にしてしまった。今日は自分のことを聞かれた。「自分が覚えている一番昔のことを話してください」と言われたので、う~んと考えたあげく、小さい頃、3歳くらいだろうか、三輪車に乗っていてスピードを出していて、石につまづいて前のめりに転倒し、石が額にのめり込んだときのことを話した。その瞬間を覚えていること。その後は、家に帰ったら母親がものすごくあわてていたこと、手術台か何かに乗せられてまぶしい光を浴びていたことを覚えている、そういうことを話した。

幼少時代からさかのぼり、幼稚園時代、小学校低学年時代、高学年時代、中学時代、高校時代まで話したところで16:00になってしまった。続きはまた来週、高校時代の途中からやるそうだ。こうやって話してみると、自分が変化してきたことが客観的にわかる。昔は目立ちたがりで人の上や前に出るのが好きで、外向的だったのだが、高校時代には内向的になって特に女の子とはしゃべれなくなったり、人前に出なくなったりした。それはいったいなぜなのか。それはこれから明らかになるのだろうか、ならないのだろうか。

カウンセリングから戻ると服薬。そのまま喫煙所で昼間に駅で会ったKさんと話をしているうちに夕食の時間になった。カウンセリングの話や読んだ本の話をした。ダニエル・キイスの「24人のビリー・ミリガン」は勧めておいた。「家に戻ると調子が悪いときの状態に戻る」という点に関してはTさん同様「すごくよくわかる」と言った。どうやらそういう人が多いようだ。

夜、しばらくは日経オープンシステム8月号を読んでいたが、特集記事を読み終わった後で、卓球をやっているS君とKさんに乱入。神経が疲れているけど体は大丈夫だ。バランスを取るために体も動かした方がいいだろう。少し汗をかいたが、気持ちよかった。

20:00で卓球はおしまい。今は就寝準備をしながらこれを書いているところだ。さあ、歯を磨いてまた日経オープンシステムの続きでも読むか。