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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

日別アーカイブ:2022年2月19日

昨日は22時過ぎに寝た。21時半に寝る予定で、21時に眠剤を飲んだのだが、その後調べ物をし始めたら止まらなくなってしまい、気がついたら22時を過ぎていたので慌てて寝た。

そこから体がおかしくなった。眠れないのはともかく、寒気がするのか暑いのかよくわからない状態になり、吐き気がしてきた。なんだこれは。我慢して横になっていたら、突然鼻から何か垂れてきた。鼻血かと思ったが、違った。胃液だった。逆流性食道炎だろうか、胃液が上ってきて口を通り越して鼻から出てきた。慌ててトイレに行ったが、それ以上は何も出なかった。胃酸で喉が痛い。

眠剤を飲んだ後にずっと起きていたからか、体がおかしくなってしまったのか。しかたがないから洗面器とタオルを枕元に用意してもう一度寝た。あいかわらず気分が悪かったが、こういうときは最近はまず「覚悟を決める」ことにしている。これは夜中の0時を過ぎても1時を過ぎても眠れない時に編み出した(というのも変だが)自分の対処法で、「今夜は一睡もできないかもしれないが、それはもう想定の範囲内で、一晩中でも起きている覚悟をする」ことによって、つらくても多少精神的に楽になるというものだ。昨夜も「気分悪いけど、明日の朝まで我慢すれば大丈夫だ。それよりも前に眠れたら儲けものだ。今は耐えるべし」という覚悟をもって寝てみた。いつの間にか眠れて、朝になると気持ち悪さはなくなっていた。

覚悟を決めた人間は強いと思っている。「最悪の事態を想定して、それを受け入れる心の準備ができたら怖いものはない」というのはデール・カーネギーの「道は開ける」という本に書いてあった言葉だが、これはいろんな場面で応用できると思う。「ぼんやりとした不明瞭で不安な未来に怯える」という状態から「どんな未来も受け入れる。覚悟を決めた」状態まで進化できれば、また少し未来へ行けると思う。

そう言えば昨日書いた「受け流す」というので思い出したが、昔読んだ本に「流動的思考」という言葉が出てきた。いろんな外部からの刺激があるが、不要な刺激や情報は受け流して気に留めないようにする、ということである。動線がめちゃくちゃで人がいろんな方向に行き交う、渋谷よりも歩きにくいと言われる横浜駅でも「ちくしょう、あちこちから人が来て邪魔だな、よけるのめんどくせえ」と思うのでなく、遠くの方と全体をぼうっと眺めて、よけいなことを考えずに力を抜いてするすると避けていくと負担が少ない、というようなことだったと思う。

昼前に家を出て福祉施設へ行った。少ししんどかったが、「しんどくても動きながら休む」の休日版をやってみようと思ったのだ。疲れても明日の日曜日に休めばいい。ということでいろんなことを受け流しながら福祉施設へ。

一昨年まで私の担当で、去年の1月から産休で休んでいた職員が去年の秋に復帰したのに、まだまともに話ができていない。妻が先日自分の担当職員と面談に行った時に、私の元担当職員がいたので話をしたらしいが、私のことを聞きたがっていたという。タイミングが合えばつかまえて話ができるかな、と思ったが今日は休みだった。しかし来週の水曜日、祝日は出勤らしい。そうだった、祝日という手があった。また水曜日に行こう。この施設は日曜日以外、土曜日も祝日もやっている。職員は大変だ。

その後はラーメンを食べに横浜駅に出た。少ししんどかったが、これもまた訓練。疲れないように行動するにはどうすればいいか。まだまだ模索中だ。行きも帰りも横浜駅は混んでいた。コロナ流行前ほどではないが、そこそこ人がいる中で、気がついた時に力を抜いてみた。流動的思考である。とりあえずは視野を広げて遠くの方と全体を見るのだ。何も考えないわけではない。受け流しながら考えて行動するのだ。雑踏はいい訓練場かもしれない。

バスに乗ってても、ふと気がつけば力が入っている自分がいて、「受け流すんだった」と思い出す。そういう風に自分で思い出す、気づくのが大事。気づきを大切に。