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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

日別アーカイブ:2020年3月17日

昨日は21時50分に寝た。本当は21時半に寝るつもりだったのだが、iPadでらんま1/2を読んでいたら「あとちょっと、あとちょっと」という状態になり少し遅くなってしまった。ようやく寝たはいいが、寝付けない。40分経ってからいったん起きて牛乳を飲んでチーズを食べて、なぜかまたらんまを読み始めてしまった。23時半になって「俺は何をやってるんだ」と思って寝た。3月21日までにらんま1/2を38巻、みゆきを12巻読もうと想っているのだが、無理そうだな。

朝は起きれないかと思ったが、7時10分に起きれた。わりと調子はいいようだ。朝はまたらんま1/2を読んでから作業所へ。今日の作業は昨日来た仕事で、特別養護老人ホームのパンフに料金表などが書かれた紙を挟み込んでいく。月30万とかうちではよう出せんわ。

その仕事が1時間半くらいで終わったので、次はもう1つ来ていた仕事。キャラクターグッズの検品、タグ付け、袋詰め。見たことのないキャラクターだった。商品はポーチなのだが、私はタグ付けをしたあと袋に詰めるのをやっていた。歪まないように、あとタグがきちんと見えるように整えてビニールの袋に入れて、裏を折り返してセロテープでとめる。まあそれだけで黙々と作業していたのだが、14時をだいぶ過ぎてから驚愕の事実が。なんと、みんな上下逆さに入れていたのだ。これを商品として並べると、タグの文字が逆さまになる。見本として来ていたのはちゃんとなっているので、これは完全に職員の指示ミスである。今日中にしあげて納品する予定だったのに、時間もないし予備の袋もないし、これはやり直しができない。ボスたちが相談して、今回はこれで納めるということになった。いったいどうなるんだろう。

その仕事も終業時刻の15分くらい前に終わった。そうするとまた仕事がなくなった。しかたがないので残りの時間はみんなで掃除をした。職員も困っていた。メンバーにはなんらかの作業をさせないといけないのだ。作業がないから帰ってもいいです、でも工賃も出ません、というのは作業所的にはありなのだろうか。明日の仕事は?と聞いたら「ない」とのこと。どうするんだろう?こんなに仕事が途切れることも珍しいが、コロナがなにか関係しているのだろうか。いつもやっている布製品の検品の仕事がめっきり減ったが、こういう商品は中国で作っていることが多いから、それでストップしているのかもしれない。

今日のお昼ごはん。ローソンの「山賊焼き蕎麦」。山賊焼きってなんだ?と思ったら分厚いチキンの天ぷらみたいのが入っていた。うまい、これはうまい。私はチキンが好きなのだ。

山賊焼き蕎麦

作業所に謎の物体があったのだが、

謎のきのこ

ひっくり返したらタイマーだった。

タイマー

帰りに区役所に行って自立支援の受給者証と障害者手帳の更新手続きをしてきた。自立支援の受給者証の発行に3ヶ月くらいかかると言われて驚いた。3ヶ月かかったら今の受給者証の有効期限が切れるじゃない!と思ったのだが、今日手続きしてもらった申請の確認の紙を見せたら多分病院の方で対応してもらえるとのこと。多分、てなんだ。前はそんなに時間がかかっていなかったのに、と言ったらなにやらシステムが変わったとかで時間がかかるようになったとのこと。なんでシステムが新しくなって遅くなるんだ。あとは単純に利用者が増えたからという。まあメンヘラーは増えてるかもなあ。この紙、なくさないようにしなければ。

作業所のトイレの鍵がちょっと前に壊れて、あららどうしましょう。でも誰か入っているとスリッパが置いてあるからわかるだろう、みんな注意してください、ということになっていた。トイレの鍵は直ったようだが、未だにトイレのドアにはこんなのが貼ってある。

トイレの貼り紙

もうトイレを開けたら誰かが入っていた、という心配はないんだけどな。

私は昔、合唱団の合宿で河口湖畔のぼろい宿に泊まったときに、朝起きてトイレをがちゃっと開けたら少し年上の女性がパンツを下ろして便座に座っていた、という経験がある。お互いびっくりして(そりゃそうだ)、「すすすみません!!!」と言って逃げ帰った。悲鳴をあげられてもおかしくなかったのだが、その女性は「ちょちょちょちょっと」という感じで「もうなにやってんのよ~」というようなことを言われただけだった。あとで分かったがそのトイレの鍵は壊れていたらしい。中から鍵を閉めると外から見たら青いのが赤くなって誰か入っているとわかるのだが、その状態でも外からドアが開け閉めできたらしい。半分寝ぼけていたのでその表示を見てなかった。

その合宿中はものすごく気まずくて、あああやばいもうこの合唱団には顔を出せないどうしよう、と思ったりしたのだが、でもその1週間後には団員同士の結婚式があって2人とも出席する予定だったので、どんな顔をして会えばよいのやらと頭を抱えていた。もっとちゃんと謝ったほうがいいのか、それとも彼女も忘れたい過去になってしまったのかもしれないので、何食わぬ顔をしてしれっと何もなかったことにした方がいのか。う~んと悩んでいたが、結婚式当日になると隣の席になった彼女はにこにこ話しかけてきた。「ああもうなかったことにしようとしてるのだな」と思ったのだが、それ以来やたら親しげにしてくるようになったので、ひょっとしてこれは「私の恥ずかしい姿を見たのだから責任をとって」的な何かのアピールなのだろうかと考え込んだことがある。その合唱団は辞めてしまったのでその女性ともう会うことはなくなったのだが、今頃どうしてるだろう。

今日の作業所が終わって帰ろうとしたときに、職員2人から「無理しないでね」と言われた。今回のお花見で、私がお弁当を10種類くらいから選べるようにしてみんなから注文を聞いたり、イラスト付きのチラシを作ったりしているのを見て「頑張りすぎてる」と思ったらしい。と言うか前々からそう思っていたようだ。「全部自分でやる必要ないよ」「もっと適当でいいよ」「手を抜くのも仕事だから」「適当に私たちに振ればいいんだよ」と言う。それはわかっている。全部自分でやってしまうのが悪い癖で、適当に人に振れば自分が楽になるのはわかっている。だけどそれが下手なのだ。

なぜ下手なのか。それは「自分の仕事を細かく分割して、その一部を切り出して外に出すこと」ができないからである。それは自分の頭の中で仕事の一連の流れが整理整頓できてないからだと思う。だから全部自分でやってしまう。よく自分では「自分でやった方が早いから」という言い方をするが、本当は「他の人に任せる部分を切り出せないから」なのだ。これは「ノーと言えない」というのとはまた別物。どうしたらいいのかな。ずっと昔からの課題だ。

他の人から「この部分やってあげるよ」と言われたら楽かもしれないが、それは主体的な任せ方ではないし、それに頼っていたら「自分で任せられるようになる」という学びもない。それに、自分から手放した部分に関しては、いったん自分の目から見えないところに行ってしまい、それを管理するというのがめんどうになる。自分はマネジメントがからきしだめなのだ。自分を管理できない人が他人を管理できるわけはない、とはよく言われるが、自分で管理できてないから人に任せる(人を管理する)のができないのか。考えれば考えるほどわけがわからなくなる。

家に帰って妻にこの話をしたら、「完璧主義者なのかもね」と言われたが、それとはちょっと違う気がする。完璧主義なら、「徹頭徹尾自分でやる」という信念が最初からあるのだが、そうではなくて「手を抜くところがわからないから結局全部自分でやる」ことになってしまっている。

まだまだ修行が足らんなあ。