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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

月別アーカイブ: 2020年6月

今日も1時間近く経っても眠れなくて、起きてきてしまった。

昨日オンラインミーティングをやった友達からLINEが来ている。旅行の件だ。

8/29~8/30の箱根の温泉宿を押さえたと。仕事が早い。

1泊25,000円。

う・・・そんな高級な温泉宿、泊まったことない。小池さんの言う「夜の街」に行けば、これくらいで入れてコンパニオンがつく何かのサービスつきのお風呂があるかもしれないが、ちょっと怖いからそれはまた今度にする。そんな話は置いておいて、よく考えたらみんな50歳。51歳になったやつもいるか。会社では出世していい給料もらっているやつばっかりだからなあ。給料払ってる身分のやつも2人いる。

まあたまにはいいか。横浜から箱根湯本までは、海老名まで行って小田急に乗り換えればいいだけなので、交通費はあまりかからないし。ホテルのWebサイトを見ていると、は~それは異次元の世界なり。おそらく旅館の中だけで100枚くらいは写真を撮ることになるだろう。そしてそれらを嫌がらせのようにブログにアップするのだ。

楽しみだな。温泉だけでなく当然どこかに観光に行くんだろうけど、みんなは大阪からだからあまりゆっくりもしてられんな。あの辺からどこか行くとしたら、箱根登山鉄道だろうが、去年の台風19号で一部区間が崩れたため、未だに一部運休している。代替バスが出ているようだが、どんなもんだろう。芦ノ湖にでも行くか、大涌谷の黒たまごでも食うか。

昨日は寝たのが0時頃になってしまった。夜中になってちょっと調べ物をしていたら、また遅くなってしまった。昨日は別に変なことをやらかしてしまったわけではない。先にアップした記事に書いた、一般論文のことを調べていて、はあこれはこれは、とか思っていたのだ。それからはぐっすり寝て、朝は8時に起床。この時間に寝て8時に起きれるのは、まあいいほうだろう。

午前中から昨日断念した履歴書の作成。4回目にしてようやく完成した。はあ、手がつる。よくもまあ昔はなんでも手書きで書いていたものだ。手書きなら手書きでの有利さがある。自分で書くのも何だが、人柄は文字に現れる。この文字で勝負だ。

手書きの履歴書

スキャナで読み込んでファイルに保存。他のチェック項目も確認していったのだが、募集案内の冊子には「受験票には63円切手を貼って、郵便番号、住所、氏名のみを記入してください」とあるのに、チェック表には「受験票に受験区分は記入してありますか」とある。受験区分はどっちなんだ?自分で書くのかどうなのか。明日電話で問い合わせてみなければ。多分自分で書くんだろうけど、わざわざ募集案内には「郵便番号、住所、氏名「のみ」を記入」と書いてるのもなんだかな。こういう肝心なところで不備があると、ある種の障害者の場合はどうしたらいいかわからなくてパニックを起こすかもしれない。まあそういう人はこういう仕事は無理なのかもしれないが(そこから選考ははじまってる?)。

午後は牛角のメニュー一覧をプリントアウトして、所長へのプレゼン資料をパワポで作っていた。なんだそりゃ・・・。焼肉の話を進めないといけない。今のところ第2と第3作業所のメンバーだけでLINEグループを作って話を進めているが、第1の連中は非協力的だからなあ。と言ってもやつらを無視して話を進めたら、また花見のときみたいにあとから話をひっくり返される。第1のメンバーを巻き込むのはどうしたらいいものか。

午前中に神経を使いすぎたのか、夕方になったらしんどくなって、しばらく横になってしまった。明日からまたお仕事だ。まずは明日、朝一番に区役所に障害者手帳の件で電話して、作業所のあとにでも区役所に行って更新手続きをしなければ。最高気温が34℃の予報なのが憂鬱。歩くとけっこうあるんだよな・・。家に帰って手帳も含めてスキャナで全部の書類を取り込んで、火曜日に郵便局に行って簡易書留で出すか。作業所に行く前に寄りたいのだが、郵便局は10時からだから帰りに寄るか。なんで10時からなんだろう。コロナの影響でついこの前まで10時~15時だったのが今は17時までに戻ったのだが、10時からってのは元からそうだったっけ?

昨日の夜中のことだが、横浜市の障害者の職員募集に応募するのに、一次選考の一般論文ってどういうのが出題されるのだろう、何か同じような「過去問」ではないが、そういう自治体の障害者採用での出題例とかないかな、というのを検索していた。

すると、今回の会計年度任用職員というのは2回目の募集で、1回目は昨年度だったのだが、その募集要項がまだ横浜市のサイトに載っているのを発見した。そしてその1回目は一般論文は応募書類と同時に提出だったらしい。今回は一次選考の会場に行って、その場で出題されてその場で書く。しかし前回は予め応募書類にテーマが書かれていて、それを書いて一緒に書類を送るようになっていた。その「問題」がそこに掲載されていた。

これ、いくらでも時間をかけられるし、いくらでも書き直せるし、PCで書いて清書すればいいし、どこかからパクってくることもできるよ。学生のレポート提出とか(Wikipedia丸写しとかあるらしい)、カンニングができる試験みたいだ。しかもそのテーマが「働く上で社会人として大事なことはなんですか。これまでの経験を交えて、あなたの考えを600字以内で述べなさい」だと。600字以内!

ここまででこの記事は987文字だぞ。どうやって私が何かを論じるのに600文字で収めればいいのか。Twitterも140文字までだから、4スレッド分か。それはそれで難題だ。これはきついな。しかしなんで形式を変えたのかな。応募書類と同時に提出だったら、やはりいかにも「お手本通りに書きました」みたいなのばっかり集まってしまって選考にならなかったのだろうか。

今回のテーマはなんだろう。事前に書いて出すのでなく、試験会場で一発勝負で書くのだとテーマ自体は易しくなるような気がするが、易しいとかえって他者との差別化が難しいかもしれない。まあなんでも適当に書ける自信はあるのだが、やはり文字数がネックだ。「いろんなことを詰め込みたい」と思うところで、まず何を削ぎ落とすか最初によく考えないといけないだろう。

手書きだとますます、これくらい書いたら何文字だ、というのが見積もりにくくなるから、最初に全体の構成を考えたあとは、書きながらバランスを考えて書くしかないなあ。ちょっと練習が必要かもしれない。ひょっとしたらもっと難しいテーマで文字数も増えるかもしれないし、あまり難しく考えないほうがいいかもしれない。

35周年の節目の話を書いたさっきの記事が、どうやらこのブログの4,900番目の記事だったようだ。

2001年から書いているこの日記も、5,000記事まであと100とせまった。

いまは6月か。最近は1ヶ月に日数以上の記事をアップしている(先月なんて76記事)ので、今年中に5,000に到達するだろうな。

ただただ書き散らせばいいというわけではないのだが、やはりここまで積み上げてきた、という自負がある。

ただ、日記を書き出してから、というわけではなくPCで文章を書くようになってからだが、頭の中で文章を構成する力が確実に弱くなった。いきなり鉛筆や、いや鉛筆ならまだ消せるからいい、ボールペンや万年筆で小説やらエッセーなどを書くとする。推敲はあとからするとしても、頭の中であとあとの構成や展開まで考えて文章を組み立てながら書かないといけない。当たり前の話だが、最近自分が書く時は、とりあえず自分が思いついたことをだーっと書いてしまい、この辺ちょっと日本語がいまいち、だとかこれとこれは入れ替えたほうがいいよね、あ、これは冗長だから削除、ここちょっと言葉足らずだから一言挿入、と書いたそばからコピペしたりして修正しながら次を書いていく、というような、スクラップ・アンド・ビルドみたいな文章の作り方をしている。システム開発でたとえるとアジャイル開発のような(強引にたとえるな)。

こういう文章の書き方に慣れてしまっていると、今度の一次選考での一般論文が少し不安である。「一般論文は問われている内容に対して知識や経験等を踏まえながら、意見を論理的に表現するものです」と書かれている。そういうことには自信がある。PCで書け、と言われたらさぞかし立派な論文に仕立て上げてやろう。しかし「手書きで」と言われたらとたんに自信がない。まず最初にどれだけ「前提」「論理展開」「結論」などの大雑把な組み立てを頭の中で行い、それぞれの中に自分の知識や経験をどう組み込みながら、できるだけ読んでいる人の頭にスタックを掘らせずに文章を書けるか。そう、今かいた「読んでいる人の頭にスタックを掘らせずに」というのが私は読みやすさのポイントだと思っている。

こういう文章の書き方には、それはそれでテクニックがあり、それは昔本多勝一の「理科系の作文技術」という本で鍛えた気がする。これから勝手に自分でテーマを作って、「勝手に小論文」とか書いてみようかな。もちろんシャーペンで。

誰かお題をちょうだい。そして誰か採点して。

ということで、4,901目の記事でした。

今日は先月に引き続き、夜に高校時代の部活仲間9人でWeb飲み会。と言っても私は飲まないが。今回はZoomのバーチャル背景を使ってみた。トロピカルな場所とか宇宙空間にいるわけではなく、昼間にレースのカーテン越しに撮った窓の外の写真を使ってみた。これはオンラインで面接をしているという友達がやっているというので、自分も真似してみた。見事に背景として溶け込んでいたので、「横浜ってまだそんなに明るいん?」と聞かれた。種を明かすと「へえ~」てな感じ。雨だったからちょっと暗いけど。

Zoom画面

話はいろいろ飛んだのだが、今回は「35周年企画」について話し合われた。我々が高校に入学したのが1985年。それから10周年とか15周年とか節目の年にはいろいろイベントをやっていた。25周年だった10年前には岩手県の盛岡に行ってわんこそばを食べ、平泉に行って中尊寺金色堂を見たりした。

で、私はそれ以来なんの企画にも参加していない。みんなは大阪にいるのでちょくちょく旅行に行ったりしているのだが、今回は35周年ということで、お前も参加できたらしろよ、という感じになった。どこがいいかなあ、とみんな話していて、赤穂の辺りとか、伊勢志摩だとか金沢だとか話が出ていた。コロナがどうだろう、このまま行けば8月くらいには行けるんとちゃうか、逆に秋になったら第2波が来るかもしれないから、夏が狙い目や、そんな話になった。で、日程調整になって、22日か23日辺りでどうや、というような感じになったのだが。

私は22日または23日が今回応募する横浜市の職員の二次面接である。そして今の体調ではそんなに遠くまで1泊2日の旅程で行くのはきついから、ちょっと無理、そういう話をしたら、じゃあ29日から30日の土日で、横浜から近い熱海か箱根で、とみんな私の都合に合わせてくれた。そういうことで、35周年企画第1弾は決まった。永久幹事(という役回りのメンバーがいる)にあとは一任。(ちなみにみんなは第2弾で金沢とかその他の場所に行くらしい)

なんか申し訳ないが、みんなにとっては「私が参加できる」ということが最優先らしい。ありがたいことだ。臨時出費続きでお金ばっかりかかっているけど、まあ定額給付金は入ったし、少しだけど父親の死亡共済金が入るから、みんなに甘えて参加することにした。本当に10年前以来。そう、10年ぶりの旅行になるだろう。熱海、箱根は昔は社内旅行で一年おきに行っていた場所だが、もう何十年行ってない。

たまにはゆっくり温泉につかるのもいいだろう。35年前の気分に戻って。