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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

月別アーカイブ: 2020年2月

昨日は22時に寝た。本当は21時半に寝るつもりだったのだが、薬を飲み忘れていた。私は寝る前の薬を40分前に飲むので、本当は20時50分に飲むはずだったのに、21時半になって飲んでないのに気がついて慌てて飲んだ。そして22時就寝。よく眠れた。目が覚めたら6時過ぎ。そのまままた寝て8時40分に起床。疲れは・・・残ってるね、やっぱり。そう思った。う~んこの状態から抜け出すにはどうしたものやら。とりあえず今日は日曜日なので徹底的に休むと決めた。

と言いつつも、横になることもなく今日はPCに向かっていろいろやっていた。明日はメンタルクリニックの通院なので、2週間の記録を振り返って診察のときに話すメモを作ったり、ブログを書いたり(今日は3つもアップしてしまったのでこれが4つめ)、コメントに返事したり、作業所用のCDを焼いたり(まだやっている。もう15枚も持って行ったのに追加で4枚)、あとは朗読の会で読む原稿を作ったりしていた。

作成した朗読の原稿は歌の歌詞。朗読の会で「歌の歌詞を読んでみたい」という意見が出て、山口百恵の「秋桜」と「さよならの向う側」をやりたいと言っていたので、私がその原稿を作ることになっていた。と言ってもたいしたことはない。今は便利な時代で、歌詞を検索するといろんなサイトに歌詞が載っている。どのサイトもコピペはできないようになっているのだが、私にそんな小細工は通用しない。Ctrl+UでHTMLのソースを表示させて歌詞の部分をコピーし、テキストエディタに貼り付けて<br>を\nに置換するだけで歌詞を抽出できる。それをワードの朗読原稿用テンプレートに貼り付けるだけで完了。「秋桜」って、あらためて読むといい歌詞だな。プリントアウトして原稿をチェックし、試しに音読していたら、

突然涙こぼし元気でと
何度も何度もくりかえす母

ここを読んでいるときに涙が出てしまった。

こんな小春日和の 穏やかな日は
もうすこしあなたの子供で
いさせてください

最後は泣きながら読んでいた。母の命日なので心に刺さる。

ところで「さよならの向う側」には英語の歌詞が出てくるけど、そこはどう読めばいいのかな。

  • 英語の発音でかっこよく読む(できない人が多い)
  • カタカナ英語で読む(一番現実的だが、聞いている人が意味がわからないかもしれない)
  • 日本語訳で読む(意味はわかるが、元の歌詞の語感みたいなものが失われる)

今度相談しよう。

ところで日本語の歌謡曲とかJ-POP、ロックとか呼ばれるものは、なぜかときどき英語の歌詞になる曲が多い(特にサビの部分)。やはり「英語を混ぜるとかっこいい」のだろうか。

その後は本を読んだりなんだかんだやっていたら、やっぱり疲れてしまったので16時前から夕食までずっと寝ていた。どうもやはり自分はバランスが悪い。来週1週間心と体がもつのか今から心配である。とにかく今日も早く寝るしかない。

先日のSSTでの、最初のロールプレイの話。この日のテーマは「アサーション」。「相手の立場も尊重しつつ、自分の意見や要求を主張すること」である。

状況:夜12時。11時から電話をしている。そろそろ切りたい。眠くなってきた。明日、仕事も控えている。
相手:つきあいの長い友達
方法:携帯電話
場所:自宅。自分の部屋

という場面設定で、ノンアサーティブな例として、「不十分な主張」の場合は「そろそろ電話を切りたい」と言い出せず、「うんうん、うんうん」とずっと話を聞いているという感じで、「過剰な主張」なのは、いきなり「もう何時だと思っているのよ!明日朝早いんだからね。もう寝たいから切るね!(ガチャン)」という感じ。じゃあどうやったらアサーティブなのか、という例で出てきたのが、

「うんうん。ところで、もう12時になったねえ」

と言うと、相手も「あ、そうだねもう遅いね。じゃあまた今度電話しようね」

ということで、どちらも傷つかない。

ということなのだが、ふと思ったのは、これってすごく日本人的な会話で、「12時になったね」というセリフに「だからそろそろ電話を終えたい」というのを「察して、忖度して」と言外に匂わせてる。しかしこういう婉曲的な表現って、欧米人とかには伝わるのかな。そういう人たちはどういう風に言うのかな。「そうだね12時だね。それでさ・・・」と話を続けられるだけなのでは?と思えなくもない。

と思ったので、講師の人に休憩時間に質問してみたのだが、「そうですね欧米人は自己主張も強くてイエス・ノーもはっきり言いますし・・・どうなんでしょうね」という感じ。まあここは日本だからいいのだが。

利用している福祉施設で借りてきた「心の元気+」というメンタルヘルスマガジンを読んでいたら、おもしろい記事があった。「『ジョーシキ』って何?」という特集なのだが、「自分のまわりで、社会の『常識』を知らないと感じる人は誰か?」というアンケートの回答で、1番多かったのが「自分のまわりの当事者」、2番目が「自分の家族」なのだが、3番目が「役所の職員」だった。これはわかるようなわからないような。丁寧な人はすごく丁寧なのだが、すごく事務的、いや事務的ならまだいい。突き放したようなものの言い方をする人にもぶち当たったことがある。でもこれは民間企業でもあることかなあ。

それから、「『常識』がないと感じるのはどういうところか?」という質問の中で、「母親が電車の中で爪を切る」というのがあった。何か食べている人とかは時々見るが、爪切りは見たことない。そんな人いるんだね~という感じ。

私も人から見て「常識」が欠けているところがあると思うのだが、指摘してもらわないとわからない。誰かそっと教えて。

今日は母の命日。東日本大震災の少し前である9年前の今日、母は家族に看取られることもなく、ひとりで天国へと旅立ってしまった。兄から連絡を受けた私はめそめそと泣いていた。自分の体の一部がもぎ取られたような気分だった。

それからはもうシッチャカメッチャカ。母が亡くなったと兄から連絡があったのは22時だったのだが、夜遅くに亡くなったのでお通夜は翌々日くらいになるかと思いきや、0時過ぎに「明日の15時から納棺式」という連絡を受けて急いで支度をした。母の面会のために大阪に行って、前日に横浜に帰ってきたばかりでその時点で疲労困憊だった。

一夜明けたが、しんどすぎて動けない。疲労はピークで午前中は本当に動けなかった。新幹線に乗れたのはもう昼過ぎ。京都駅について斎場に向かったが、ついたのは15時半。もう納棺式は終わっていた。末期の水をとってあげられなかった。冷たくなった母の顔を触りながら、「おかん、ごめんな」と何度も謝った。

その後はずっとしんどいのを我慢しながら、頭の中が灰色がかった状態でお通夜を迎え、父と兄と一緒にお焼香に来てくれた弔問客に機械的に頭を下げていた。あまりにもぼうっとしていたために、ご近所の方や、同級生の母親で大変お世話になった人の顔もよく見てなかった。「○○です」と名前を言われて、はっとして「大変お世話になりました」と頭を下げた。

その後の記憶は、あまりにも疲れていたためほとんどない。覚えているのは、自分が母の遺骨をしっかりと抱いて、車で実家に帰ってきたこと。もともと小さな人だったが、こんなに小さくなってしまった。なんだか不思議だった。

9年も経ったのに、いまだにあの日のことを思い出すと泣きそうになる。兄弟の中でひとり大阪を離れて上京して、ひとりで病気になって心配ばかりかけていた。毎年書いているが、親孝行したいときには親はいない。

おかん、ごめんな。今はけっこう頑張ってるから、天国から応援してください。

昨日は19時に寝た。ついに19時である。もう幼児なみである。なんせくたくたのくたくたで、もう1つおまけにくたくたで死にそうだった。でも今日は公会堂でのイベントで作業所の自主制作品を販売する。3人の選抜メンバーなので抜けるのには忍びない。なんとか体調を立て直さなければ、と必死である。

幸い床についてからすぐに眠れたようだが、寝室で充電していたスマホが鳴って目が覚めた。メールだったが、ううこんな真夜中に、と思ったらまだ22時だった。3時間ぐっすり寝ていたようだ。それから1時間半くらい眠れなくなったのだが、やがて眠れた。でも4時には目が覚めてまた眠れなくなった。できるだけ体を休めるために横になっていて、7時過ぎに起きたのだが疲れがまだ残っている。はあしつこい。作業所も通院もプログラムも投げ出して1週間くらい休みたい。

そうも言ってられないので、朝食を食べてから準備をする。時間があるのでアンケートに答えたりSNSを巡回したりするが、どうにもしんどい。朝から疲れているので行きたくないよ、しくしく。いつもみたいにみんな総出なイベントならひとりくらい休んでもいいのに。

なんとか家を出て待ち合わせ場所に行き、同伴の女性(50代化粧濃いめ)と一緒に公会堂まで歩いていった。場所は知っていたが、行ったのは初めてだった。正直、公会堂って何の施設かぜんぜん知らなかった。見てみると、多分500人くらい入れそうなホールがあって、その他にはちょっとした休憩スペースがあり、勉強している学生が何人かいた。少しだけだけど図書も貸し出している模様。あとはよく見てないからわからない。

今日は3つの別々の作業所の自主制作品をみんなで売った。11時から商品を並べ始めたが、どうもこういうディスプレイというのは難しく、自分は苦手である。どうやったら見栄えがよく、お客さんの購買意欲をそそるのだろうか。経験とセンスかなあ。POPを作ったりしたのでお店屋さんごっこみたいである。商品の写真を撮ったのだが、ちょっとスペースが暗かったのが残念。

自主制作品

自主制作品

自主制作品

自主制作品

自主制作品

自主制作品

自主制作品

自主制作品

自主制作品

イベント自体はホールで各地区における取り組みの発表会が13時からで、12時に開場なので、そこからお客さんが入りだしたのだが、全く売れん。ちらっと見る人もいるのだが「ふ~ん」みたいな感じで去っていく。所長自身が「あんまり売れないのよ」と最初から言ってるのだ。地域のイベントなので、売れる売れないではなく「障害者がこういうものを作って頑張っている」というのがアピールできればそれでいい。50代女性(化粧濃いめ)は「ダイソーに行ったらもっとかわいいのがいくらでも売ってるのに、こんなちゃっちいの150円も250円も出して買わないわよ」と言う。それを言ってしまうと身もふたもないのだが。でも13時前になってお客さんが増え、けっこう売れた。13時の発表会が始まったらぱたっと人がいなくなったので、お昼休みをとってメンバー3人でお昼ごはん。すぐ近くにある「いきなりステーキ」とやらに行ってみた。

いきなりステーキ

ステーキもいいけど、ランチのハンバーグが比較的安いしおいしいと50代女性(化粧濃いめ)が言っていたので、3人ともそれを頼んだ。比較的安いと言っても1,100円なので、その店の中での比較的である。

ハンバーグ

で、でかいんですけど。300gってこんなにでかいのか。これでサラダとライスとスープもつくのなら、1,100円というのはまあそんなものか。

分厚いので、切れ目が入っている部分を縦にしてよく焼いてください、ということで縦にして焼く。鉄板が熱い。

ハンバーグ

うまい。これはハングリータイガーとはまた違ってうまい。でもお腹いっぱいすぎて苦しい。50代女性(化粧濃いめ)と40代女性(口数少なめ)も目を白黒させていた。

14時前に戻ってきたけどお客さんはいない。と思ったら14時20分に発表会が休憩時間に入り、どっとお客さんがホールから出てきて、けっこう売れた。14時半に休憩が終わって人がいなくなったので、そこまでで私達はおしまい。また歩いて帰ってきた。

帰ってくると鍵が新しくなっていたので妻に中から開けてもらった。昨日の日記に書いたとおり、玄関の鍵を開け閉めできなくなったので、今日私が行っている間に業者が来て交換していったのだ。なぜ自腹で交換しないといけないのか納得いかん(まだ言ってる)。

昨日はバレンタインデーだったので、妻のお姉さんがチョコをくれた。毎年同じお店で買っているというおいしいトリュフチョコ。京都先斗町のお店らしい。

トリュフチョコ

こちらは割れてしまって売り物にならないからと言われてもらってきたクッキー。うちの区(何区かは内緒)のマスコットキャラクター「にしまろちゃん」のクッキーである。うちとは別の作業所で作っている。

クッキー

公会堂のロビーにはうちだけでなく、他にもブースがあった。東京オリンピックのブースでいろいろもらったが、ピンバッジとかシールとかもらってもなあ。メモ帳は使い物になりそうだ。

オリンピックグッズ

家に帰ってくると、というか終わって外を歩いているとどっと疲れた。お店屋さんをやっているときには気が張っていたので疲れを感じなかったが、その反動でものすごい疲れだ。明日はゆっくり休むのだ。あさってから体調を立て直せるかな。