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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

日別アーカイブ:2020年2月16日

昨日は22時に寝た。本当は21時半に寝るつもりだったのだが、薬を飲み忘れていた。私は寝る前の薬を40分前に飲むので、本当は20時50分に飲むはずだったのに、21時半になって飲んでないのに気がついて慌てて飲んだ。そして22時就寝。よく眠れた。目が覚めたら6時過ぎ。そのまままた寝て8時40分に起床。疲れは・・・残ってるね、やっぱり。そう思った。う~んこの状態から抜け出すにはどうしたものやら。とりあえず今日は日曜日なので徹底的に休むと決めた。

と言いつつも、横になることもなく今日はPCに向かっていろいろやっていた。明日はメンタルクリニックの通院なので、2週間の記録を振り返って診察のときに話すメモを作ったり、ブログを書いたり(今日は3つもアップしてしまったのでこれが4つめ)、コメントに返事したり、作業所用のCDを焼いたり(まだやっている。もう15枚も持って行ったのに追加で4枚)、あとは朗読の会で読む原稿を作ったりしていた。

作成した朗読の原稿は歌の歌詞。朗読の会で「歌の歌詞を読んでみたい」という意見が出て、山口百恵の「秋桜」と「さよならの向う側」をやりたいと言っていたので、私がその原稿を作ることになっていた。と言ってもたいしたことはない。今は便利な時代で、歌詞を検索するといろんなサイトに歌詞が載っている。どのサイトもコピペはできないようになっているのだが、私にそんな小細工は通用しない。Ctrl+UでHTMLのソースを表示させて歌詞の部分をコピーし、テキストエディタに貼り付けて<br>を\nに置換するだけで歌詞を抽出できる。それをワードの朗読原稿用テンプレートに貼り付けるだけで完了。「秋桜」って、あらためて読むといい歌詞だな。プリントアウトして原稿をチェックし、試しに音読していたら、

突然涙こぼし元気でと
何度も何度もくりかえす母

ここを読んでいるときに涙が出てしまった。

こんな小春日和の 穏やかな日は
もうすこしあなたの子供で
いさせてください

最後は泣きながら読んでいた。母の命日なので心に刺さる。

ところで「さよならの向う側」には英語の歌詞が出てくるけど、そこはどう読めばいいのかな。

  • 英語の発音でかっこよく読む(できない人が多い)
  • カタカナ英語で読む(一番現実的だが、聞いている人が意味がわからないかもしれない)
  • 日本語訳で読む(意味はわかるが、元の歌詞の語感みたいなものが失われる)

今度相談しよう。

ところで日本語の歌謡曲とかJ-POP、ロックとか呼ばれるものは、なぜかときどき英語の歌詞になる曲が多い(特にサビの部分)。やはり「英語を混ぜるとかっこいい」のだろうか。

その後は本を読んだりなんだかんだやっていたら、やっぱり疲れてしまったので16時前から夕食までずっと寝ていた。どうもやはり自分はバランスが悪い。来週1週間心と体がもつのか今から心配である。とにかく今日も早く寝るしかない。

先日のSSTでの、最初のロールプレイの話。この日のテーマは「アサーション」。「相手の立場も尊重しつつ、自分の意見や要求を主張すること」である。

状況:夜12時。11時から電話をしている。そろそろ切りたい。眠くなってきた。明日、仕事も控えている。
相手:つきあいの長い友達
方法:携帯電話
場所:自宅。自分の部屋

という場面設定で、ノンアサーティブな例として、「不十分な主張」の場合は「そろそろ電話を切りたい」と言い出せず、「うんうん、うんうん」とずっと話を聞いているという感じで、「過剰な主張」なのは、いきなり「もう何時だと思っているのよ!明日朝早いんだからね。もう寝たいから切るね!(ガチャン)」という感じ。じゃあどうやったらアサーティブなのか、という例で出てきたのが、

「うんうん。ところで、もう12時になったねえ」

と言うと、相手も「あ、そうだねもう遅いね。じゃあまた今度電話しようね」

ということで、どちらも傷つかない。

ということなのだが、ふと思ったのは、これってすごく日本人的な会話で、「12時になったね」というセリフに「だからそろそろ電話を終えたい」というのを「察して、忖度して」と言外に匂わせてる。しかしこういう婉曲的な表現って、欧米人とかには伝わるのかな。そういう人たちはどういう風に言うのかな。「そうだね12時だね。それでさ・・・」と話を続けられるだけなのでは?と思えなくもない。

と思ったので、講師の人に休憩時間に質問してみたのだが、「そうですね欧米人は自己主張も強くてイエス・ノーもはっきり言いますし・・・どうなんでしょうね」という感じ。まあここは日本だからいいのだが。

利用している福祉施設で借りてきた「心の元気+」というメンタルヘルスマガジンを読んでいたら、おもしろい記事があった。「『ジョーシキ』って何?」という特集なのだが、「自分のまわりで、社会の『常識』を知らないと感じる人は誰か?」というアンケートの回答で、1番多かったのが「自分のまわりの当事者」、2番目が「自分の家族」なのだが、3番目が「役所の職員」だった。これはわかるようなわからないような。丁寧な人はすごく丁寧なのだが、すごく事務的、いや事務的ならまだいい。突き放したようなものの言い方をする人にもぶち当たったことがある。でもこれは民間企業でもあることかなあ。

それから、「『常識』がないと感じるのはどういうところか?」という質問の中で、「母親が電車の中で爪を切る」というのがあった。何か食べている人とかは時々見るが、爪切りは見たことない。そんな人いるんだね~という感じ。

私も人から見て「常識」が欠けているところがあると思うのだが、指摘してもらわないとわからない。誰かそっと教えて。

今日は母の命日。東日本大震災の少し前である9年前の今日、母は家族に看取られることもなく、ひとりで天国へと旅立ってしまった。兄から連絡を受けた私はめそめそと泣いていた。自分の体の一部がもぎ取られたような気分だった。

それからはもうシッチャカメッチャカ。母が亡くなったと兄から連絡があったのは22時だったのだが、夜遅くに亡くなったのでお通夜は翌々日くらいになるかと思いきや、0時過ぎに「明日の15時から納棺式」という連絡を受けて急いで支度をした。母の面会のために大阪に行って、前日に横浜に帰ってきたばかりでその時点で疲労困憊だった。

一夜明けたが、しんどすぎて動けない。疲労はピークで午前中は本当に動けなかった。新幹線に乗れたのはもう昼過ぎ。京都駅について斎場に向かったが、ついたのは15時半。もう納棺式は終わっていた。末期の水をとってあげられなかった。冷たくなった母の顔を触りながら、「おかん、ごめんな」と何度も謝った。

その後はずっとしんどいのを我慢しながら、頭の中が灰色がかった状態でお通夜を迎え、父と兄と一緒にお焼香に来てくれた弔問客に機械的に頭を下げていた。あまりにもぼうっとしていたために、ご近所の方や、同級生の母親で大変お世話になった人の顔もよく見てなかった。「○○です」と名前を言われて、はっとして「大変お世話になりました」と頭を下げた。

その後の記憶は、あまりにも疲れていたためほとんどない。覚えているのは、自分が母の遺骨をしっかりと抱いて、車で実家に帰ってきたこと。もともと小さな人だったが、こんなに小さくなってしまった。なんだか不思議だった。

9年も経ったのに、いまだにあの日のことを思い出すと泣きそうになる。兄弟の中でひとり大阪を離れて上京して、ひとりで病気になって心配ばかりかけていた。毎年書いているが、親孝行したいときには親はいない。

おかん、ごめんな。今はけっこう頑張ってるから、天国から応援してください。