金田一春彦「美しい日本語」読了。途中から古典からの引用が多くなってちょっと難しくなったが、深く考えずに読み進めていった。日本語に関するあれこれや、その背景にある日本の文化や習慣、思想などいろいろな軸で話が広がっておもしろかった。
途中のコラムで辞書編纂の裏話が出てきてちょっと笑えた。新しい言葉とかカタカナ語がどれだけ定着したか、すぐ消えそうなのか判断するのはやはり難しそうだ。「現代用語の基礎知識」なんかでは流行語を入れてもいいが、国語辞典だからなあ。「『チョベリバ』はすぐ消えそうだ」と書いているが、はい消えました。ワープロ、PCの普及で似たような漢字の区別ができなくなっている人も多いようだ。真理は「追究」、責任は「追及」、快楽は「追求」するもの。漢字変換して出てきたものをそのまま確定している場合が多い。自分も気をつけなくては。「迷ったら辞書を引け」だな。
日本語については、自分が昔から疑問に思っていることがいくつかある。そのうちのひとつは「前後」の概念。これは少しだけ出てきたのだが、もっと深く掘り下げてほしかった。位置関係における「前後」と時間軸における「前後」の相違である。自分から見て前方にいる人は、文字通り「前」にいる。それは自分の進行方向に軸を引いたとしたら、プラスの方向にある。マイナスの方向にあるのは「後ろ」である。しかし「1時間前」という場合の「前」は、時間軸においてマイナスの方向にある。「1時間後」だとその逆である。気分的に自分より「後ろ」にある時間を「前」と表現する。英語で言うところの「front」と「before」がどちらも「前」である。これはなんぞや?というのが昔からの疑問。
他の疑問は、例えば兄弟姉妹に関することがある。男だけなら「兄弟」、女だけなら「姉妹」と書いて差し支えないが、男と女が混じった場合は?兄と妹の場合は「兄妹」、姉と弟の場合は「姉弟」という言い方がある。では「男・女・男」の場合は?ときどき「きょうだい」とひらがなで表記されることがあるが、それが正解なのかな、というか落とし所なのかなあ。そもそも「日本」は「にほん」でも「にっぽん」でもいいのだ。日本語はいろいろなことを曖昧にしておくのが美徳とされる。国名からしてそのようだ。
なんてことをぼんやり考えるのが好きなのである。この本は「ホンモノの日本語を話していますか?」という本の続編らしいので、今度はそっちの本を借りてこよう。