無事今日一日を乗り切った。
疲れもあまり残ってない。
とは言え、油断は禁物。
帰りは、明日22:40梅田発の夜行バス。
夕方に友達と会ってお茶することになった。
それまでは、適当に路頭に迷うことにしよう。
月別アーカイブ: 2013年7月
なんとかなった
疲れているのに眠れない
それは、体が疲れているのではなく、神経が疲れているから。
神経の疲れを取るには、体を動かすのがいい。
しかし、今はそんなことをやってる場合ではない。
しかたがない。薬を盛って寝るとしよう。
そして大阪
兄の家にいる。
明日一日の告別式のスケジュールを聞いてぶっ飛んだ。
おそるべし京都のしきたり。
少しでも体力を温存させておかなくては。
夜行バスは吉と出るか凶と出るか
妻の咳が止まらず、先週CTを撮って、痰の検査をした。その検査結果を今日聞きに行った。担当になったお医者様が月曜日と水曜日しかいないのだ。今週の月曜日は祝日だったので、今日になってしまった。
しかし、昨日の夜に書いたように、京都の叔父が亡くなったので、急遽帰省することになった。もし今日の朝までにお通夜、告別式の日程の連絡が来て、今日がお通夜だったら、妻には一人で病院に行ってもらって、自分は京都へ行く予定だった。しかし朝になっても連絡はなかったので、当初の予定通り妻と一緒に病院に行った。
診察を待っている間に兄に連絡を取ったところ、お通夜は明日になったと聞かされた。とりあえず今日は急がなくていい。妻と一緒に診察を待った。
検査結果は・・・。
いや、まだ多くを語れる段階ではない。
とりあえず経過観察で、3ヶ月後に再度CT検査となった。
そして、まずは大阪に帰る手段を考えた。何も考えずに明日新幹線に乗ってしまえばいいのだが、けっこう交通費がかかる。夜行バスを検索してみたところ、当日予約でまだ空いている便があり、枚方市駅に止まるバスがあった。4,500円と安かったので、そのままスマホから予約してみた。
私の実家は、いや厳密に言うと泊めてもらうのは兄夫婦の家は(実家は母が亡くなってから荒れ放題)、「ひらぱー」でお馴染み(と言っても関西限定だろうが)の枚方市の近くで、そこから更に田舎に行った所にある。大阪とは言え、京都、奈良との境に近いところである。大阪市内に到着すると、そこからの移動が大変なのだが、枚方市駅で降ろしてもらえるなら、電車で10分ちょいである。ちょうどいい便が残っていた。朝に兄の家についたら、お通夜に行くまで少し休ませてもらえる。
夜行バスは若い頃はよく使ったが、乗って眠れさえすれば快適なものだ。しかしそれは、3列シートなどのゆったりしたバスの場合で、今回のような格安バスは初めてである。2列×2列の4列シートなので、窮屈だろう。しかし、眠ってしまえば後は楽である。眠剤を少し多めに飲んで寝てしまおう。それで疲れなければ、安いし時間も短縮できる。
木曜日がお通夜、金曜日が告別式で、兄の家に2泊させてもらい、土曜日に横浜に戻る予定となった。もう関西に帰る機会もほとんどないので、土曜日に誰かと食事かお茶でもしたいところだが、あまりにも急なので、母の三回忌のときのように招集をかけるというのもちょっと憚られる。おとなしく横浜に帰ることにしよう。これを読んでて「土曜日、自分暇だけど」という方がいれば、個人的なお誘いはウェルカムである。帰りは新幹線かバスかは決めてない。
日曜日までには戻る予定だが、念のため帰りに区役所に寄って期日前投票を済ませ、帰宅した。だいぶ疲れたが、疲れたなどと言ってられない。とりあえずもう一度持ち物を点検して、パッキングし直さなければ。
出発は今夜、横浜駅前発24時20分のバス。終電のバスで横浜駅絵に出て、近くのファミレスで時間を潰そう。それまでできるだけ体を休めるのだ。
「人が死ぬ」ということ
今日、京都の叔父が亡くなった。
1ヶ月くらい前に、心筋梗塞で倒れて一時は心肺停止状態になったが、その後蘇生し、心臓カテーテルの手術を行なって一命を取り留めた。しかし自力で心臓を動かせず、生命維持装置をつないでいる状態になった。今夜が山だ、とそのとき連絡があった。
その後、叔父はもちなおしたのだが、心停止していた時間は20分もあったという。蘇生するまでそんなに時間がかかれば、おそらく脳細胞はほ壊滅的な状態だろう。意識は全く戻らない状態だった。
そして今日の昼、兄から「昨日お見舞いに行ったけど、もう今週いっぱいらしい」という連絡があった。しかしそれから容態は急変し、その後亡くなったとの連絡を夜に受けた。
まだ詳しい連絡はないが、明日中に京都に移動するための用意を、今一生懸命している。自分自身、体調面でも経済面でもしんどいところだし、父からも兄からも「お前は無理せんでええ」と言われている。しかし、自分はできることなら行って叔父の顔を一目見て、見送りたいのだ。
父は三人兄弟の長男で、今日亡くなったのは下の弟である。上の弟であるもう一人の叔父も、10年以上前に50代の若さで亡くなった。その告別式の「最後のお別れ」で、お棺に横たわる叔父の顔を見た瞬間、
「もう、この人には一生会えないんだ。この顔を見れるのは、本当にこれが最後なんだ」
ということに気がついた。そして涙がボロボロこぼれて止まらなかった。子どもの頃は1年に1回くらい会っていた叔父だが、その後はそんなにたいした付き合いはなかった。だけど、そのときは悲しくて悲しくてしかたがなかった。
死んだ人には二度と会えない、という当たり前のことを、そのときはじめて実感した。「人が死ぬこと」とは、こういうことなんだ。何をどうしても、その顔を見ることは一生できない。
だからこそ、今日亡くなった叔父もそんなにつきあいがあったわけではないが、最後にひと目だけ顔を見たい。骨になってしまう前に。
自分のコンディションがどうなるかは、明日になってみなければわからない。でも、できるだけのことはしたい。義理だとかそういうのではなく、純粋に人として。