いつの間にか記事数が3,000を突破していた。
よくもまあ、飽きもせずに駄文ばっかり連ねたものである。
この10年で自分はほとんど変わってない。まるで進歩がない。むしろ退化している。そして今、しみじみと実感しているのが、
「老いた」
それだけである。
いつの間にか記事数が3,000を突破していた。
よくもまあ、飽きもせずに駄文ばっかり連ねたものである。
この10年で自分はほとんど変わってない。まるで進歩がない。むしろ退化している。そして今、しみじみと実感しているのが、
「老いた」
それだけである。
ようやく体が元に戻った、と思う。
大阪に帰る前の、調子の悪い状態に。
夏はまだまだ長く続くのに、早くもバテバテ。
昨日も夜に急にしんどくなって横になり、そのまま寝てしまった。そして今朝もものすごくしんどかった。昨日よりはましだが、まだ疲れが抜けていないようだ。
叔父の訃報を受けたのがちょうど一週間前。
短い時の流れの中で、いろいろなことがあった。
働くに働けず、普段は家でだらだらしている自分にとっては、1年分くらいの日常の活動が数日に凝縮されたようだった。
体調があまりよくない中で、リスクを覚悟で帰省し、なんとか無事お通夜も告別式も済ませ、最後を見送ることができて、帰って本当に良かったと思った。
それだけでなく、普段は会えない家族や親戚とも会えて、いろいろ話ができたのが嬉しかった。会って話をしたいと思っていた友だちとも会えた。ときどき電話で話をしたりはしていたが、面と向かって話をするのは何年ぶりだろうか。
友だちはたくさんいる。でも今はほとんど交流がない。たまにメールをやり取りするくらい。ふだん話をする相手は妻と医者くらいの毎日。人とおしゃべりするのが大好きな自分にとって、今回の帰省は様々な思いが凝縮された数日間だった。
そして、その反動が今来ている。言いようもない寂しさが自分を襲っている。もちろん妻はいつも一緒にいてくれるし、それはとても幸せなことである。しかし、やはり寂しいのだ。いろんな人と話をする、という当たり前のことが自分にはできる状態ではない。仕事や趣味の活動をしていたら、たとえ事務的なものであったとしても、そこに何らかの会話が発生する。今の自分にはそれすらない。
みんなこの歳になるとあれやこれや忙しい。昔みたいに「ちょっと暇か?」みたいに、特に用もないのに「お喋りをするため」に電話したりすることもないし、メールやSNSでほとんどの用が済んでしまう時代。
なんだか寂しい。人恋しい。
昨日の夜、テレビで選挙速報番組を観ていた。テレビ東京の池上彰のやつである。池上彰の直球勝負の質問と鋭いツッコミは、どの局の速報番組よりもおもしろい。
しかし、22時頃に急に座っていられないほどの疲労を感じ、そのまま布団に潜り込んで寝てしまった。そして今日、朝起きたら尋常でない疲労感。全身に力が入らない。フルマラソンを走り終えた後よりも疲れている。(走ったことないけど)体も頭もフラフラで、何もできない。ただもう一度寝ることしかできなかった。
今日はメンタルクリニックへの通院日。しかし、とても通院できる状態ではない。妻も一緒に通院しているので、妻に診察券と障害者自立支援医療受給者証を託して、薬だけ取りに行ってもらった。
昨日の朝に帰ってきて、その後もそんなに疲れを感じてなかったのに、いったい体のどこに疲れは溜まっていたのだろうか。
それはそうと、告別式があった7月19日は私の誕生日だったのだが、昨日帰ってきたら、机の上にこんなものが。
妻からのバースデーカードなのだが・・・、
2013 6/29 ???
妻曰く、
「それ書いた日の日付を書いちゃったけど、まあいいやと思ってそのままにした」
誕生日の20日も前にバースデーカードを用意しているのに、肝心の日付を間違えてもそのままとは。ときとしてものすごく細かい癖に、アバウトな時は徹底的にアバウトな妻だ。未だに未知の領域がある。
お通夜も告別式も体調を崩すことなくなんとか切り抜けた。横浜から大阪まで4,500円という安値の夜行バスが、意外に快適だったのが幸いした。気に入ったので、帰りも同じバス会社のバスをスマホから予約した。
帰りを土曜日深夜の出発にしたので、土曜日がまるまる空いた。会いたい友だちがいたので、木曜日に「突然だけど、土曜日暇?」とメールしたら、特に予定はないという返事が返ってきたので、梅田でお茶でもしようと約束した。
そして昨日の土曜日、約束は16時だったが、最近梅田がいろいろと新しくなっている、と聞いていたので、何がどう変わったのかぶらぶらしてみようと思い、14時前に梅田に行ってみた。JR大阪駅の改札を出たら、そこは異空間だった。呆気にとられてしまった。
JR大阪駅周辺はあまりにも変わっていて、愕然としてしまった。あちこち歩きまわって、「キレイでピカピカになってしまった。ここはもう自分の思い出の場所じゃない」と少し寂しかった。かつては予備校に通ったり友だちと遊んだり彼女とデートしたり、そんな思い出がつまった、なんとなく小汚くて雑然としているイメージの「梅田」が、今は洗練された「UMEDA」になってしまった、そんな気がした。
友だちと落ち合い、横浜へのお土産を一緒に選んでもらったりした後、しばらくお茶をした。会って話をするのは久しぶりだったので、あっという間に時間は過ぎた。こんな機会にしか会えないのは寂しいが、今の健康状態と経済状態では、そう頻繁に大阪に帰ることはできない。もし生活保護のお世話になったりした日には、たとえ親兄弟が死んだとしても帰るに帰れない。身内の葬式すら出られなくなってしまう。
友だちと別れたあとは、ネットカフェで時間を潰していた。バスの発車時刻が22時40分だったので、それまでしばらく体を休めるだけのつもりだったが、せっかくだから店のPCを立ちあげ、スマホから予約した夜行バスの詳細をPCから確認してみた。行きよりもちょっとグレードの高いシートのバスを予約したのだ。しかし、その説明をよく読んでみると、
「トランクが無いため、荷物はお預かり出来ません。」
え?
「トランクが無いため、荷物はお預かり出来ません。」
え?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
( ゚д゚)
( ゚д゚)
( ゚д゚)
ちょっと待て、そんな話は聞いてないぞ。いや、自分がよく読まなかっただけだ。あーそれよりも、えーと、どうしたらいい?どうしたらいい?このカラカラと引っ張り回しているキャリーバッグはどうしたらいい?もうあんまり時間がないぞ。
テンパるとこんなに汗が噴き出るものか、というくらいテンパったのは久しぶりだ。一瞬のうちにTシャツは血みどろになり、頭は白髪になった。
それで、急遽ネットカフェの狭いスペースでキャリーバッグを開けてお店を広げ、薬など最低限持って帰らないといけないものをデイパックに移し替え、キャリーバッグはコンビニから宅急便で送って、なんとかなった。明日の朝には家に届くが、そんなことをやっているうちに、バス乗り場にはぎりぎりセーフで乗り込むというはめに。
しかし、ネットカフェで気がつかなかったら、どうなっていただろう。
いざバスが来て乗ろうとしたときに、
「あの、トランクは・・・」
「トランクはありません」
ということになっていたら。
ひょっとしたら、頼み込めば秘密のトランクがあったりしたのかもしれないが、まあ、今度からはきちんと確認してから予約しよう。