ちょうど去年の今ごろだっただろうか。自分の頭がおかしくなり始めたのは。
その頃、自分はこんな夢ばかり見るようになっていた。
・昔の友だちばかり出てくる夢
・就職できそうなのにあと一歩でだめな夢
・自殺しようとする夢
これらの複合パターンもあった。体調が安定したらまた就職活動をしようと思っているのに、さっぱりよくならなくて、焦りがピークに達していたのだろうか。現実逃避や焦燥感が色濃い。特に去年の9月12日の夢は、一番衝撃的で、今でも思い出すとやりきれなくなる。その部分をそのまま抜粋する。
以前勤務していた会社の先輩が、私の窮状を知って「うちの会社に来なよ」と言ってくれた。
喜び勇んで会社に行ったものの、自分の席はなく、先輩から「そこにずっと立っていていいから。何もしなくていいよ」と言われた。
いたたまれなくなって、もう屋上から飛び降りようと思って階段を駆け上がった。しかし屋上への扉には鍵がかかっていた。
その後は、よく覚えていない。
自分が自殺未遂を図ったのは去年の11月のことで、そのきっかけとなることが起こったのは10月のことだが、その少し前から希死念慮が既に顔を覗かせていたのだろうか。
しかし、就職や自殺に関する夢は何回かしか見なかったのに、「昔の友だちが出てくる夢」はその後もずっと見続けた。会社の同期の連中、大学の合唱団の仲間、高校時代の部活の仲間、中1のときの担任の先生まで出てきた。
やがて、夢に出てくるのは合唱団の仲間の一握りの友だちだけになり、毎日のように繰り返し出てくるようになった。目が覚めるたびに昔が懐かしくなり、同時に今の絶望感は大きくなり、「もう夢に出てくるな!」そう思ったりもした。
そして、自分は前を向くことができなくなった。
気がつくと、いつも昔、特に学生時代のことを考えているのだ。いろんなことがあったし、あるべきものがなかった。楽しいこともあれば、つらいこともあった。一番つらいことを、誰にも相談できずに苦しんでいた。いろんな悩みがあった。いろんな失敗があった。今ならもっとうまくやれるのに。後悔の多い学生時代だったから、もう一度やり直したい、
しかし、そんなことを考えても何も前に進まない。どうやってこれからを乗り越えていくべきか、なんとか模索してきた。友だちが薦めてくれるスピリチュアル系のセラピーに参加したり、レメディーを試してみたりした。鬱を克服した友だちに、通院以外に何かやってみて効果があったものがないか聞いてみたりした。
そして、自分は疲れて果ててしまった。もうやめよう。悪あがきはやめよう。そう思って、半年くらい前に自分は一切を放棄した。何もかもが自分を焦らせる。だから、いったん開き直って全てを受け入れよう。
体調が悪い?ずっとしんどい?いいよ、一生しんどくていいよ。一生がまんするよ。
仕事ができない?お金が稼げない?いいよ、一生働けなくてもいいよ。一生生活保護でも構わないよ。生きるために、なりふりかまってなんかいられないんだよ。
ちょっと極端かもしれないが、そうでも思わないと、自分の背負っているものが重すぎて耐えられないと考えたのだ。もちろん本気で「一生働かない」「一生生活保護」で暮らしたいとは思っていない。しかし、最悪の場合そういう選択肢も受け入れ、プライドも捨てて社会的責任も放棄してしまうことによって、少しでも心が軽くならないか。ここ半年くらい、そう思って暮らしてきた。
するとどうなったか。
なんにも変わりはしない。相変わらず気がつくと昔のことばかり考えている。勝手に頭に浮かんでくるのだ。そして、ふと我に返るとこれからどうすればいいか途方に暮れてしまう。
ちっとも開き直れていない自分がここにいる。